第9話

「前に話したことがあったわね。私はお能を生業とする家に生まれたの。女子大を卒業したら、同じようなお家にお嫁に行くことも決まっていました。でもね、人生って何が起こるかわからないものなのですよ。女子大を卒業する年に私のお母様が亡くなったの。もともと心臓が弱かったから…。それで、決まっていた結婚をご辞退したの。」

「ええっ!どうしてそうなるの?」

「能楽師のお父様を支え、十歳年下の弟を育てるためです。当時、人を雇う余裕がなくて、私がお母様がしておられたことをするしかなかったの。でもね、その時は悲しかったけれど、私は必要とされていました。それから弟が成人して、お嫁さんをもらい、安心したのか、お父様が病気になられて、お父様の看病をして…気がついたら三十代半ばを過ぎていました。お父様を見送ると、実家に私の居場所は無くなったの。弟のお嫁さんが色々と取り仕切ってくださるでしょう。私がいることが、弟の重荷になったの。」

 母の話しを聞きながら、私はポロポロと涙をこぼしていた。友達のお母さん達のように、母が、藪入りでも、実家に泊まりがけで行かなかった理由がわかった。

「泣かなくていいのよ。お父さんと結婚して私は幸せなのよ。」

「嘘よ。お母さんは無理をしてる。」

「まあ、どうしてそう思うのかしら?」

「だってこの辺で一番のぼろ家だよ。」

私は年に二回、お盆と正月に、母と二人で挨拶に行く母の実家の立派な日本家屋を思い浮かべていた。

「お家の大小で人の幸せは決まりませんよ。肝心なのはそこに住む人の心の有り様です。」

母はきっぱりと言った。

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