苦手だったクラスの女子と再会した。 【読切】

鷺島 馨

苦手だったクラスの女子と再会した。

【 二月十三日 】


 この日は休み明けで身体が仕事モードに切り替わる前から碌な目に合わなかった。


 まず最初は愛車のエンジンが掛からなかった事。

 二日前にはちゃんとかかっていたエンジンが今朝はうんともすんとも言わない。だから慌てて駅に走った。


 次に通勤途中での出来事。

 バスだと幹線道路から外れて走っていくので会社に間に合うか微妙な時間のものしかないから汽車(正確には9640形気動車)を利用するために駅へと走っていたんだけど鉄道を利用するのなんて殆どないマイカー所有者。いや、田舎だと公共交通機関の運賃の高額さから車の所有率は高くなる。おっと、話が脱線したがそんな俺が駅に走っていると横道から女子高生の乗った自転車にぶつかられた。

 その女子高生はスマホの画面を見ながらの『ながら運転』をしていてチラッと俺の方を見て「っす」とだけ言って走り去って行った。

 かなり腹が立ったけどそれどころじゃなかった俺は駅へ向かって走り出した。


 流石に利用者の少ない田舎の公共交通機関だけあって通勤・通学時間だというのに汽車の座席は空いていてよくある不運ネタの痴漢に間違われるなんて事にはならずに職場に着いた。


 無駄に朝から体力を消耗して事務所に入ると同僚や上司から「今朝は静かな出社だな」と揶揄われた。

 それに「エンジンが掛からんかった」とぶっきらぼうに返答するとニヤッと笑われて「彼女もいないんだから、金はあるだろ。いい加減車を買い換えろや」といらんお世話な答えが返ってきた。


◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇


 気を取り直して今朝のスケジュール(と言っても俺は急ぎの仕事は抱えてないから前倒しで回れそうなもの)を確認して外回りに出ようとしたところに電話の着信。

 ホロ・フォンに表示された番号から後輩からのものであるのは間違いない。

「もしもし」

『あ、先輩、おはようっす。その、熱が出てですね』

「あ〜、はいはい。病院行け、そんで、診察結果を課長に報告しろ。じゃあな」

『あっ、ちょっ、プッ・ツー・ツー』

「課長、杉原から熱が出たんで休むって連絡ありました。診察結果の報告をする様に言ってますんで」

「おっ、おう、わかった」

「じゃ、行ってきます」


 社用車に乗り込んでエンジンをかけたところでHUDヘッド・アップ・ディスプレイにホロ・フォンにメッセージが届いている事を告げるアイコンが表示された。

 メッセージを確認すると杉原からのものだった。

『先輩、今日の朝一で訪問する予定の鷺島商事さん、お願いします』

 はぁ…… ため息しか出てこない。

 ウチの会社はネットワーク担当者がいないような中小企業向けの保守を行なっていて鷺島商事さんは新旧の回線が複雑に入り組んでいた事で先日やり変えたばかりのところだ。

 ホロ・フォンに訪問履歴を表示させて確認しながら杉原にも話を聞いた。


 結局、半日程鷺島商事さんのところにいてどうにか原因を突き止める事ができたけど若い方の事務員さんからの視線が痛かった。

 おばちゃんの方の事務員さんはそんなでもないのに、この若い事務員さんとは面識もなかったから非常にプレッシャーを感じる半日感だったぜ。

 だから杉原のヤツ休んだな。俺がそんなふうに感じてもおかしくないだろ?


◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇


 で、昼食をとって気分転換しようと複合施設の駐車場に車を停めて降りたところでガスッと嫌な音が後ろでした。

 振り返ると俺の車の後ろの駐車枠にバックで駐車しようとしていた車が俺の車(社有車)のバンパーと接触していた。


 この車をぶつけた相手が示談で済ませようとしてくるのを断って警察が来るまでその場にいてもらうのにも無駄に労力がいったと言っておく。


 結局、昼食も食べれず現場検証が行われて、その合間に並行して各所への報告やら相手の名前や住所、連絡先なんかを聞いたりとして会社に帰って事故の報告書を作成する事になった。まあ、今回は完全に相手側に非があるから俺が咎められる事はないんだけど。


 それでもなんとか定時前には終わらせる事ができたんだけど、当初の予定は全然終わらなかった……


 退社時間を無事に迎える事はできたんだけど気分的には最悪な気分…… それでも愛車を修理に出すためには帰るしか選択肢はない訳で。

 行きつけの整備工場のおっちゃんに電話を入れて大まかな症状と代車を貸して欲しい旨、それと帰宅予定を伝えた。

『貸し一つな』

 そう言って通話を終えたおっちゃんには今度なんか持って行こうと考えて路面電車の停留所に向かった。このあと途中で汽車に乗り換えて帰る。それだけの事が疲弊した精神にはつらい。


◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇


 おっちゃんに愛車を預けたあと、夕飯の準備をする気分にもなれずに居酒屋・黒潮に向かって歩く。

 すっかり暗くなった路地を歩いていると黒猫が俺の前を横切る。

 つい、ここでもか…… そんな気分になったのは単なる迷信、黒猫が目の前を横切ると不幸になるなんて戯言が頭を過ぎったからだ。

「ま、戯言、戯言」

 そう呟いて歩き続けて久しぶりの居酒屋に着いた。


「いらっしゃいませ〜」

 元気な声に迎え入れられテーブルに案内された。

「とりあえず生ひとつ」

「は〜い、生ひとつ」


 すぐに生ビールがテーブルに届いたので料理も適当に一品ものをいくつか頼んでグビっと生ビールを喉に流し込んでいく。ぷはぁ、旨い。

 今度こそ気分転換。そのつもりで居酒屋の料理を楽しんでいると団体さんがやって来て席が埋まっていった。結構繁盛してるんだな。

 賑やかな客たちの会話をBGMにたっぷりソースをつけた串揚げにかぶりつく。二度付厳禁なんて事を言われる事はないのに何故かそれは憚られた。


「すいませ〜ん、相席お願いしてもよろしいですか?」

「あ、うん。いいですよ」

 可愛らしい店員のお姉さんのお願いに脊髄反射で相席を了承した。

 このあと俺は朝から続いていた不運はまだ続いていた事を思い知る事になった。

「えっ!? 滝本、くん……」

「ん? げっ、榊……」


 榊 由利香。高校三年間、同じクラスにだったコイツに俺は苦手意識を持っていて思わず漏れた「げっ」という言葉を聞き逃してくれる事はなく榊は眉間に皺を寄せて俺に視線をむけながら席に着いた。

「久しぶり」

「あ、ああ、そうだな…… 卒業以来か」

「滝本くん、同窓会にも来ないものね」

「そうだな」


 淡々と語る榊をチラッと窺い見るとちょうど来た店員のお姉さんに生ビールと刺身の盛り合わせ、それと黒潮鍋(お店のオリジナル魚介鍋)を注文していた。

 高校の頃にはかけてなかったメガネとあの頃より伸びた黒髪。少し肉付きが良くなったような印象を受けるけど、元々痩せ気味だったから今の方が健康的だろう。それにしても榊が一人で居酒屋に来るなんてな……


 高校時代の榊は俺以外には愛想も良く、告白して来た男子を何人も返り討ちにしていて、誰が彼氏になるかって話をいろんな男子がしていたのを覚えている。

 そんな榊だが何故か俺に対しては遠くから睨んでくる事が多くてどうしても苦手意識を持ってしまった。

 だからこそ俺は榊と距離を置いていた。

 それでも三年の時に担任に押し付けられた用事で一緒になる事があって、あの時は非常に気まずい思いをした記憶が残っている。


「は〜い、生ひとつ、お待たせしました〜」

「あ、は〜い」

 ジョッキを手に持った榊は何故か俺の方にジョッキを差し出してきた。

 ん? ドユコト?

「ほら、久しぶりに会ったんだから、乾杯しよ、乾杯」

「あ、ああ、そうだな」


 どんな思惑があるのかわからんが、まあ、乾杯するくらいなら問題はないか。

 カツンとジョッキをあわせてグッと呷ると俺の飲みかけだったジョッキは空になった。

「お姉さん、生ひとつ!」

「は〜い、生ひとつですね〜」


 改めて榊の方を窺うとひと息に半分ほど飲み干したビールの泡が鼻の下に白い髭のようについていた。

「ぷふっ、ひ、髭……」

「えっ、あっ、もう、笑うなんて酷いじゃない……」

 なんか榊の雰囲気が高校の時よりとっつきやすい感じに変わってるような気がするけど、まあいいか。


 笑った事で場の雰囲気が少しだけ和らいだようで、そこからはお互い高校卒業後の話をしたり、近況について話し合った。

 クラスの誰が結婚したとか、どこそこに勤めているとか、殆どは榊が話していたけど、俺の方はいまも交流のある友人は多くない。県外に就職で出て行って戻って来ない友人が多いのがいけない。そういう事にしておいて。

 だから、話す事に困って俺の今日の出来事を話すと苦笑(それとも失笑か)された。

 俺からしたら笑い話にでもして、この不運を吹き飛ばしてしまいたかったんだが、苦笑されるとはなぁ…… やっぱりとっつきやすい雰囲気になっても榊は榊だな。


「それで、榊の方はどうなんだよ?」

 俺だけ笑われたのが釈然とせずに話を促した俺に対して榊の歯切れが悪い。

「あ〜、うん、そんな面白い話はないよ……」

「悪かったな俺の不幸は面白くって」

「ううん、そうじゃないよ。私の方は本当に仕事して帰って寝るだけの毎日だったから」

「そっか」

 そこからは俺もすっかり疎遠になっていた元クラスメイトの話をしたりして、気づいたら二人とも結構な量の生ビールを飲んで酔いがまわっていた。

しょろしょろきゃえりゅそろそろ帰る

「ん〜、ああ、そうだにゃ


◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇


「う〜、頭痛い……」

 うまく呂律がまわらない俺たちは居酒屋・黒潮を出たあと、どこで榊と別れて、どこを歩いて家に帰ったのかさえ思い出せない。


 感触的には床に転がって寝ていて寒さからは上に毛布も布団も被ってない事は間違いない。なんせ寒さで目が覚めたんだから。

 時間を確認しようとホロ・フォンの時刻を天井に投影した。

 俺の見間違えじゃなければ1:37。何時に店を出たのかも覚えてないけど、天井を見る限りリビングだな。

「寝室に行って寝なきゃな…… 明日、いや、もう今日か…… 今日も仕事だしな」


 立ちあがろうとしてソファーに手を突いた。

 もにゅっ…… なんだこの柔らかい感触。もにゅ、もにゅと揉んでいると「ん、んん……」と呻く声が聞こえてきた。

(んあっ!? もしかしてこの柔らかいのって!)

 叫び声をあげそうになった俺だが両手で口を押さえて耐えた。

 誰だ!? いや、状況的に考えて榊だろ。でも榊にしてはデカかったような、いや、きっと尻に手を突いたんだろう。うん、そうに違いない。

 とりあえず手を離さないと。いま榊が目を覚ましたらマズい!

 マズいのだが手を離す前に(多分)榊が目を覚ました。

「うにゅ、もぞもぞしないでぇ〜」

(マズい! マズい! マズい!)

 がっしりと手を握られてしまった。ヤバイ、マズい、どうすんのコレ!?

「スー、スー……」

 た、助かった。


【 二月十四日・朝 】


 夜もまだ明けきらないうちに目を覚ました俺は隣で眠っている榊を見て心臓がとまるかと思った。

 だらしなく開いた口元から涎が垂れているし、なんでか目元が笑ってる。いい夢でも見てるのかな?

「まあ、いいや。朝食の準備しよ……」


「おはよ……」

 台所で朝食の準備をしていると榊が起きてきた。

 低血圧なのか、いまひとつシャキッとしてない榊に洗面所を案内して台所に戻る。


「ねぇ、滝本くん。昨日、私何か言ってた?」

「何かってナニ?」

「あ、ううん。言ってないんだったらそれでいいんだけど…… それで、何してるの? まさか、朝食の準備してるの?」

「そうだが、何か? あ、榊の分もあるぞ」

「ありがと」

 なんだかんだ言って、昨日一緒に飲んだ事で苦手意識はだいぶ薄れて来た気がする。断じて一緒に寝たからじゃない。何もしてないからな!


「滝本くんが料理できるのが意外…… それに、美味しいのが納得いかない……」

「んな、理不尽な…… 一人暮らしなら、自分でするしかないだろ?」

「そうだけど! そうなんだけどっ!!」

「まあいいか、俺、7:00には家出るから榊もその時間に出るんで間に合うか?」

「ん〜、私も一回家に帰るからそのくらいに出る。帰って昨日くらいの時間なの?」

「定時ならそうだけど、残業したらわからん」

「まあ、そうだよね。じゃあ、コレあげる」

「ん、何?」

「手を出して」

 何を渡されるのかと思いながら手を出すと俺の掌の上に四角い小さなきな粉味のチョコレートがひとつ落とされた。

「なんでチ○ル」

「だって、今日、ヴァレンタインだし……」

「あ、そういやそうか。気にしてなかったわ。まあ、貰えるもんはもらっとくわ。ありがと」

 100%義理とわかってるチ○ルでも誰からも貰えないよりは1個である事には変わりない。ありがたく頂いておこう。


◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇ ◇◆◇


 出勤するために二人で家を出たあと、俺は駅の方へ向かうため、榊は一度家に帰るために途中で別れる。その路地で俺に向かって榊が「行ってらっしゃい」なんて言ってきたもんだから俺はポカンと口を開けて榊の方を見ていた。

「じゃあ、またね滝本くん」

「あ、ああ……」


 呆けた俺を残して榊は自宅に向かって早足で去って行く。角を曲がるところまで眺めた俺だったが榊の言葉を反芻して困惑していた。

「またってなんだよ、またって…… また来るって事なのか?」

 俺は榊の家の場所は知らないし、連絡先の交換もしていない。それなのに「また」って事は榊がまたウチに来るって事か……

「ん、んなアホな!?」


 偶然、久しぶりに居酒屋で相席になった。それだけの関係だと思っていたのにどうしてこうなったぁ!?

ってのはきっと社交辞令だよな……」


 高校の頃とあまりにも雰囲気が変わった榊との距離感が掴めない。

 けど、懐かしい顔を見れて良かったのかもな……


「さて、今日も一日頑張るか」


 このあと、俺と榊の関係がどう変わっていくのかはわからない。

 いまのところは高校時代の俺が持っていた苦手意識は榊の事をよく知らなかったからだと思えるようにはなった。

 榊の社交辞令を真に受けてはしゃげるような年齢じゃない。けど、悪い気分じゃない。

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