デスフェイスミラー

甲斐ミサキ

猫の集会所

 わたしは花房。

 つい先だって関屋佐貫町に引っ越してきた雌猫である。

 体毛に花びらのような紋様があることからそう名付けたのだと、ご主人である小菊はそう言って、わたしを始終抱きしめては逃れるわたしの腹に顔を埋めて「もふもふー」と可愛がっている(つもりなのかな。ご主人は優しいとはいえ、毎度飽きないものだと常々思う)。猫成分を吸うのだとか。わけがわからない。

 わたしとしても、時には安住の地で休息したいと思うことがままあって。

 そんなとある夏の夕暮れ。

 太陽の灼熱から退散して軒先の日陰でゴロゴロしていると、

 霧生ヶ谷市の猫族を統べる、黒猫のゴッフさんが雲助さんを連れ我が家を訪れた。彼女の名前はゴッドファーザーに由来するそうだが、確かにそんな風格。

 「そろそろこっちゃにも馴染んだ頃やろ。顔見世にいかんかえ?」

 「にゃあ?」

 「多分、前の住処にもあっただろうけど集会所がな、ここにもあんのや」雲助さんが言葉を補う。

 「せやねん。ええ頃合や思うての。ちょいと遠いけんどな、東区に各務荘っちゅうアパートの廃屋があってやな。野良の溜まり場になっとるから私ら猫族の集会所としても使っとるのよ」

 ぶわあっと私の背中が膨れ上がった。とぅんくと胸がときめく。

 鼓動が高鳴るのを意識する。決してご主人のことが嫌いなのではない。むしろ境遇のよさには感謝すら覚えるほどに。  

 とはいえ、時には野性がうずく。

 狩りの本能が目覚めてたまに鼠なんぞを獲って小菊に見せに行こうものなら、ギャーっと叫んで逃げ回られてしまう。こんな時、人と猫との境界という類いのことを少なからず考えてしまうのだ。

 「どないや。猫の気まぐれっちゅうて時にはねぐらを出て羽根を伸ばすんのもええ。それにやな、ちょっと面白おもろいとこやねん、そこはやの。私の一応の頼りない間抜けでへっぽこの腰抜けタコスケご主人なアラトがぬかしてたんやけどな、言葉を借りると都市伝説っちゅう奴や」


 都市伝説とやらはこうだ。


 各務荘の二階へ上がったところに安アパートらしく洗面台がある。

 そこへめ殺しになっている鏡へ午前一時に己が顔を映す。

 自分の死ぬ時の顔が映る。


 というものだ。人間達の間でちょっとした肝試しスポットになっているそうな。

 「時折り、人間達がおちょくりに来るけども、まぁ言ってしまえば彼らにとっても都合のええ溜まり場なんやろうな。懐中電灯や菓子、カラースプレーなんぞ持ってな。交尾やいたずらしていきよる。せやかて普段はのどかなものやで。ふた月ばかし私はご無沙汰やが、ちょっと気になることもあってなぁ。

 最近、東区のメグとか佐助とかエドガーとかの姿をとんと見やんくて。霧生ヶ谷全体を把握してるわけやあらへんからなんとも言えんけど、まだまだ行方不明になっている仲間はらからは多いと思うねん。ちゅーても、猫の気まぐれと言うのが私らの習性やから、単に宿替えや所払いしただけかもしれへんが。

 どいつらも各務荘周辺をねぐらにしてる奴らばかりっちゅうのが気にくわん」

 「どやどや、こわなったかもしれへんけど、興味、あるやろ?」

 雲助さんが髭をしゃくりながらニンマリ笑っている。心底こう言う話が好きなのだろう。

 人間の小菊にしたって、ゲームで腐り果てた人間の屍骸をマシンガンで撃ちまくるのが好きなのだ。怖いもの見たさ。わたしの中の野性が恐怖を軽々と乗り越えて、ゴッフさんの話を聞き終わる頃にはすっかりと乗り気になってきていた。なんでも霧生ヶ谷市の猫族の入会儀式であるとかで肝試しするのが慣例なのだとか。

「善は急げや。ほないこか」


 北区から中央区へ移るごとにチャーミィさん、ペチコさん、正宗くんなどを仲間に加え、東区の霧生ヶ谷市公舎の独身寮、十六夜寮に一旦お邪魔した。

 「ゴッフー!」

 其処にはゴッフさん曰く、

 頼りない間抜けでへっぽこの腰抜けタコスケなアラトさんが待ち構えていた。

 手にミストマートの買い物袋を提げている。

 くわっと、これでもかと言わんばかりに金色の猫缶を突き出す。ともあれ、わたしは猫缶というものを食べたことがない。いつも小菊の母上が鶏の笹身を煮付けたものをほぐしてくれるので、レトルト食品というものにはあまり縁がないのだ。ご主人はいつもわたしを膝に乗せてはポテトチップスをパリパリしたり、ヌードルをよく啜ってはゲームに興じている。一度、ヌードルの残りを興味本位で舐めたことがあったが、舌が痺れて麻痺しそうになったものである。

 クルルルと喉を鳴らしゴッフさんが近づいていったが、すぐさま、さも興味なさそうにそっぽを向いてアラトさんから遠ざかっていく。

 「ま、待ってくれー。他にホタテのひももあるんだー」情けない声で嘆息している。アラトさんのスラックスの両膝がアスファルトに着いた。あらまあ膝が汚れないのかしら。言われて見れば確かにへっぽこな感じ。ゴッフさんの評は総じて正しい人間観察をしていると思う。

 シューッという呼気と共に、地面に崩れおちたアラトさんのビニール袋を一斉にゴッフさん、雲助さん、チャーミィさん、ペチコさん、正宗くん、そしてわたしは勢いに押されて襲いにかかった。

 バリバリと音を立てて袋が裂ける。

 「あーっ! 晩酌の鮭の刺身に深海秋刀魚ディプシーラがー、貝ひもがー!」

 もう、手遅れ。

 生魚が袋に入っているとゴッフさんは見抜いていたのだ。

 連れない装いをして隙を見て襲い掛かる。半野良のゴッフさんにこそ相応しい戦法。恐るべし。

 我々は思うがままに空腹を満たすと、呆けへたり込んでいるアラトさんの周りに集まってザリザリと顔や手を舐めて慰めた。ゴッフさんが一瞬だけすりっとアラトさんの膝に頬を寄せてにゃあと鳴く。束の間のことを最早忘れてエヘヘヘと悦にいっているアラトさんは本当にわたしたちが好きなのだと思い若干心がとがめた。

 

 空を見上げれば月が昇っている。晴天続きで上弦の金色が眼にまばゆく映る。

「もう少しやさかい」 

 ゴッフさんが先頭で魚鱗の陣。わたしが半歩下がって幾多の露地を渡っていく。

 随分と歩いたが、思わぬ御馳走で皆の士気は洋洋だ。チャーミィさんやペチコさんとまた今度会う約束などをしながら穏やかな気持ちでの道行きだった。

 小菊のこととは別に、猫にだって社会生活があるのだ。腹に顔を埋められる行為はペチコさんのところも同じくで気苦労を分かち合える、なんという素晴らしさ! 

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