「ゼロの偽証」 狙撃
────ヘキサゴンタワー襲撃から三分経過。
「どんな無理をしたら肋骨が三本折れるんですか?」
救護室、目の前の女医が額に青筋を浮かべながらベッドに座った上裸のイポスを尋問する。
身体は痣だらけ、ところどころに細かい傷がついているので、安全と健康を維持するのが仕事のこの女医に怒られるのは至極真っ当だが。
「……まあ、車に轢かれたり、走行中の車から飛び降りたり」
「ぶん殴りますよ?」
怪我人を手当てする場所で怪我人が増えそうだ。そばに立ってコーヒーを淹れていたレラジェが声を抑えて笑う。
「あんな無茶するからよ」
「レラジェ少佐、任務の度に傷だらけで帰ってくるあなたもですよ」
ぎくり、とレラジェの肩が震えた。力ない笑い声が怒り心頭の女医の脳を滑っていく。
「まったく、イポス大尉もそうですが教える人もどうかと思いますよ?」
実のところそれだけではないのだが、一役買っていることは紛れもない事実だ。少なくとも、扱いづらいとクレームをもらい続けている二式警棒を使いこなせるようになったのは、レラジェのおかげだ。
「ともかく! こんな無茶は二度としないでください!」
戒め、と言わんばかりに包帯の最後の一巻きをキツくされる。冗談抜きに救護室で怪我が増えるぞ。
「やりがいの無い仕事にしてはハードだったわね」
「まあ、無茶するのは慣れてますよ。そういえば特権剥奪の文書、よく間に合いましたね」
副大臣に突きつけていた行政省と裁判所の判子が押された文書を思い出す。
文書を出さない、口頭申請のみであれば数分で済むだろうが、文書を出そうと思ったら最短でも三日はかかってしまう。
まあ、エーリッヒが幅を利かせれば出来なくもないだろうが。
「ああ、あれは偽造よ」
「はい?」
レラジェは淹れたコーヒーが熱かったらしく、一口飲んでからコーヒーの液面に息を吹きかけている。
「公文書偽造では……?」
「そうね。でも私たちは公的機関ではなく、政令指定特殊法人。ある程度の無茶は結果次第では許されるわ」
冷めたらしいコーヒーを彼女は一息に飲み干すと、それでいいのだろうかと悩んでいるイポスに向き直る。
「さて、中将に報告をしにいくわよ」
「死者、八名。重傷者、九名」
────ヘキサゴンタワー襲撃事件収束から七分経過。
背面の壁が全面ガラスなので、今日のような晴れの日はすこぶる眺めが良い。
遠方にあるビルも、細々とした建物群も、この地に生きている人間の営みの産物だと思うとかなり壮観だ。
手元の被害報告書を、エーリッヒは読み上げている。イポスとレラジェは、何を言われるかと内心ビクビクしながらその声を聞いている。
エーリッヒがメガネを外し、イポスたちを見る。
「……うむ、まあ許容範囲の被害だ。少し容疑者が少ないのが気になるがな」
イポスは目を逸らす。レラジェはやれやれ、とばかりにため息をつく。
エーリッヒは微笑みながら、レラジェの方を見る。
「それで、彼はどうだね。レラジェ君」
彼、とはイポスのことだろう。
レラジェはしばらく考える素振りをした後で口を開く。
「よく動ける、頑丈な相棒です」
こちらを一瞥した後で、レラジェの言葉を噛み締めるようにエーリッヒは頷く。
「背中は預けられそうか?」
「はい」
ただ一言、レラジェは答えた。なぜか無性に嬉しかった。
「ならば、本日付を以て、レラジェ・フォーラスをイポス君の教育係から外しバディとして正式決定する」
エーリッヒは積まれた書類たちの中から一枚の紙を取り出して、ペンを踊らせる。
恐らく、イポスの人事に関する書類にサインをしたのだろう。
「さて、これで正式なバディだ。よろしく頼むぞ、イポス大尉」
エーリッヒは椅子から立ち上がり、右手をこちらに差し出して握手を求める。
「えぇ、こちらこそよろしくお願いします。エーリッヒ中将」
イポスも右手を差し出し、手と手が触れる一瞬だった。
エーリッヒの背後の窓、その先にある遥か遠くのビルの屋上。太陽光が反射して、僅かにオフィスを照らす。
それに気づくと同時に、ガラスが砕け散った。
エーリッヒの右手がイポスの手を掴むことなく、力無くその場に落ちる。
彼の身体が崩れ落ちた。
割れた窓ガラス、血を吐きながら倒れるエーリッヒ、遥か遠くのビルの屋上から見える光────スコープに反射した太陽光が、今目の前で起きた事象が狙撃であると物語っている。
────ヘキサゴンタワー襲撃事件収束から十二分経過。
「隠れろ!」
反射的に叫んだイポスに従い、二人はエーリッヒのオフィスデスクに身を隠す。
「とんでもない腕ね」
レラジェは呑気にそんなことを言う。
このヘキサゴンタワーは周囲一五〇〇メートル以内に高層ビルがない。その理由は無論、タワー内への狙撃を防ぐためだ。
一般的な狙撃銃の有効射程────人体に充分なダメージを与えられる距離は六〇〇から八〇〇メートル程度、狙撃手の一般的な交戦距離はどんなに長くても一〇〇〇メートル程度だ。
加えて、エーリッヒのオフィスが面する北西面を正面から狙えるビルは距離にして二二〇〇メートル、狙撃手は天才的な腕だ。
「囮を頼んでも?」
「死ねってことですか?」
イポスは不満を言う。頭を一瞬見せただけで穴を空けてきそうな敵だ、上手くいかなければ死体を増やすだけになる。
「察しがいいわね」
レラジェは抑揚のない声で答える。やるしかないらしい。
「スリーカウントで行きます」
レラジェが頷く。
イポスは指を三本立てて、カウントを始める。
「スリー、ツー」
プシュッ、というドアの開く音でカウントが途切れた。外で待機していた警備二人が音に気づいて入ってきたのだ。
「入るな!」
制止の声は届くことなく、ドアが開け放たれる。
転瞬、黒のコンバットスーツにのっぺりとした防弾のフルフェイスヘルメットを着た警備の姿が顕になると同時に、そのヘルメットに穴が空く。
もう一人の警備は素早く身を翻して難を逃れたようだが、狙撃された方は血を噴き出しながら倒れた。恐らく手遅れだろう。
犠牲になった職員には悪いが、渡りに船というやつだ、すぐさま立ち上がってオフィスデスクを乗り越え、倒れたエーリッヒを急ぎ担いでデスクを飛び越える。
デスクの裏を目掛けて飛び込むイポスを狙ったのであろう、その銃弾がイポスの視界の端を掠めてデスクにめり込み、その衝撃で天板を凹ませる。
その一瞬に見えためり込んだ弾丸。
エーリッヒを庇うように跳んだせいで頭を強かに打ち付ける。かなり痛いが、幸いエーリッヒはどこもぶつけていないようなので何よりだ。
「八・六ミリだ」
デスクに再び身を隠し、エーリッヒをデスクに左肩を寄りかからせながら、レラジェに話す。
「デスクにめり込んだ弾丸のサイズは八・六ミリ口径弾だ。強化ガラスも防弾ヘルメットも貫通できるわけだ」
エーリッヒは呻き声を漏らしている。銃弾は左肩甲骨から中心へズレたところから入っている。
「エーリッヒ中将の容態は?」
部屋の外から生き残った方の警備が声をかけてくる。
「弾が抜けてない、早く処置しないとまずいわ」
レラジェがエーリッヒの脈を測りながら答えた。どうやら強化ガラスを突き破ったことで威力が減衰し、銃弾は身体を突き抜けなかったようだ。
事態を一刻も早く収束させなければ、エーリッヒの命が危ない。
「スモークグレネードは持ってるか?」
イポスの問いに答えることなく、部屋の外にいる警備が中にカーキ色の円筒を放ってくる。
一秒と立たないうちに円筒の上下に数個空いた穴から濃い緑色の煙が発生する。その煙は数瞬でオフィス全体を覆い尽くす。
イポスとレラジェはエーリッヒを肩に担いで、中に入った警備の誘導に従い外に出た。
狙撃スケジュール終了。
軍用狙撃銃L338M1を分解し、ギターケースの中に入れる。
どんなに車を飛ばそうとも、ヘキサゴンタワーからここまでは二分二四秒はかかる。それだけの時間があれば、ここから離れることは容易だ。
散らばった三つの空薬莢も回収し、ギターケースの中に放り込むと、蓋を閉めてロックをした後に肩紐を持ち上げて背負う。
屋上と下の階を繋ぐ階段の扉は、千切れたチェーンと南京錠がドアノブから垂れていた。千切れたチェーンの断面は無理に圧力をかけてひしゃげた様なものではなく、チェーンカッターにより真っ直ぐ切断されている。
扉をくぐり、喧しい廊下を歩いてエレベーターに乗り、一階のボタンを押す。
このビルは地上三十階建て、一階まで降りるには直通でおよそ三分。
目まぐるしく階数表示が変わる中、その間にスペクターの連中はここに来てしまうだろう。だが、そのためのギターケースだ。
十二階で階数表示が止まる。ゾロゾロと乗ってきた少し髪色の派手な若者たちに埋もれる。
再び、エレベーターが動き出した。地上一階、人の波に呑まれながらロビーへと出る。
黒服の男が数名、自動ドアをくぐりエレベーターへと直行する。
素知らぬ顔で彼は職員らとすれ違い、レコーディング会社のビルを後にした。
────ヘキサゴンタワー襲撃事件収束から十七分経過。
『話してもらいましょうか、副大臣』
ジョンがリリガル大臣を金属製のテーブル越しに尋問する。イポスとレラジェはマジックミラーとスピーカー越しに二人の会話を見ている。
『何も話す気はない』
副大臣の顔は渋いが、若干の緊張が見える。だが、その顔は作戦失敗を嘆くようには見えない。
「副大臣、何かに怯えているように見えないか?」
「大方、自分の特権を剥奪されたとまだ勘違いしているんでしょう。哀れなものね」
レラジェはそう返すが、イポスはどうも違和感を拭えなかった。首を傾げながら、ジョンと大臣の会話を再び見やる。
『黙秘を決め込まれても、事態は好転しないですよ。何にしたって時間の問題でしょう。その内、
ジョンが言うが、リリガルは黙ったままだった。
ジョンは何も喋らないリリガルに呆れた様子で、椅子を立って扉に向かった。
『ブースだ』
ジョンが扉のノブを捻ろうとした矢先、リリガルは口を開いた。
『ブース・フィリー、北部安全保障二班の班長だ。奴がこの襲撃事件を計画した』
『あなたはそれに従っただけだと?』
リリガルは目を逸らした。ジョンの質問に答える気はなさそうだ。
『ブースは私に、スペクターが保有している北部ウェスティンディアの住民リストと引き換えに大臣昇格の上申を不正ルートではあるが行ってくれると』
『目的がウェスティンディアの住民リストだけなら襲撃の必要もなかったと思いますが』
ジョンがリリガルの言葉を切って、語気を強めた。警備職員が二名死亡し、友人であるエーリッヒは狙撃されたのだ。かなり抑えてはいるが、感情的になるのも致し方ない。
『……易々と渡してくれる訳がない、とブースは踏んで人質を取ろうという話だったんだ』
『ふざけるな!』
金属製の机とパイプ椅子がぶつかり合う音がスピーカーを音割れさせる。
マジックミラーの向こうで、ジョンがリリガルの胸ぐらを掴んで、凄んでいる。
『それだけのために人を殺したのか! 平和と秩序を守るべき保安局が!』
保安局はメディア統制の特権を握っている、表沙汰にはならないという算段だったのだろう。エーリッヒの急所を外して狙撃したのは、恐らく狙撃が人質を取る最終手段だったからだ。
スペクターであっても、保安局であっても、職員や保安局員も含めた全人類の安寧を護ることこそが使命であり仕事だ。こんな血も涙もない計画に、平和や秩序といった言葉が入り込む余地はない。
近くに立っていた警備がジョンを宥め、リリガルを再び椅子に座らせる。だいぶ気圧された様子のリリガルは、乱れたスーツを整えようともせずに、再び話し始める。
『だが、ブースに従ったのは権力に目が眩んだからではないんだ、信じてくれ』
その言葉はジョンの神経を逆撫でしたようで、金属机を手のひらで強く叩く。
普段のイポスなら、小太りで恰幅の良い、恵まれていそうなリリガルがそんな事を言っても、と思うところだが今回ばかりは違うように見えた。
その顔があまりにも真剣で、逼迫したように見えたからだ。
事実、机を叩く音に怯えるような様子は見えない。それは、肝が据わっているからではなく、それ以上に恐ろしいことがあるからのように見える。ひどく真剣に、背後から銃を突きつけられているかのように恐る恐るリリガルは再び語り始める。
『ブースは、クリークゾフツの一員の可能性がある』
緊張が走った。数秒間、時が止まったような感覚だった。
『何故、そんな人間を未だに管理職に近い役職に就かせているんですか?』
ジョンが沈黙を破った。途端に、イポスの周りの数名の職員達がざわつき始めた。
何年間も尻尾どころか足跡一つさえ見つからなかった組織の糸口を、遂に掴んだのだ。気が逸るのも仕方がない。
『まだ可能性の域を出ないからだ。我々の作った該当者リストの作成基準は公務員の中でテロが起きた日に足取りが掴めなかった者全員が含まれている』
『該当者は随分と多そうですね』
『七ヶ月かけて、まだ集計が終わっていない。暫定該当者も含めれば、全世界で三万人を超える』
三万人のうちの一人、それがブースだったという訳だ。確かにそんな理由で解雇すれば批判は免れないだろう。
『だが、今回の件で確証に変わった。クリークゾフツは政界に深く食い込んでいると踏んだからこそ公務員に対象を絞ったんだ。ノコノコと向こうから引っ掛かってくれるとは思わなかったが』
『なるほど。情報提供、ありがとうございます。ホワイトハンドがきちんとした手段で上申を申し入れてくれますよ』
ジョンは皮肉っぽく言うと、足早に尋問室のドアのノブを捻り、部屋から出る。
マジックミラーはジョンが出ると同時に磨りガラスへと変わり、リリガルの姿は見えなくなった。イポスとレラジェも、尋問監察室から出る。
「思ったよりもあっさり吐いてくれたわね」
レラジェは廊下に立っていた疲労困憊、と言った様子のジョンに話しかける。
「エーリッヒの容態は?」
ジョンがレラジェに問う。
「急所は外れていたし、体内に残っていた弾は摘出済み。意識もあるから、回復に時間はかかるでしょうけど、命に別状はなさそうよ」
「話せるか?」
「急ぎ?」
ジョンは額から流れる汗を白衣の袖で拭って答える。
「大至急だ。裏切り者が出た」
────ヘキサゴンタワー襲撃事件収束から二十一分経過。
「ブース、か。懐かしい名だ」
ベッドに沈んだエーリッヒは人工呼吸器を一時的に外してジョンと会話している。看護師がエーリッヒに輸血用の注射を刺している傍ら、ジョンは厳しい顔をしている。
イポスたちは数歩離れたところで二人を眺めている。
ヘキサゴンタワー地上六階、この階は殆どが医療用の診察室や病室で構成されている。その内、個室として割り当てられている病室にイポスたちは居る。
「アイツの名を聞いたのは四年前のテロ後のゴタゴタ以来だな。まったく、最悪のタイミングだ」
「あぁ、最近連絡が無いと思って調べたが、どうやら一年前に第一部隊を脱退、同時にスペクターも辞めているようだ」
第一部隊────正式名称、第一特殊機動部隊。スペクターの運用する実働部隊の内、最大規模で独自の指揮系統を持つ、伝説の部隊。
六千人を超える人員を保有し、世界各地へ迅速に展開出来るよう編成されたが、その実態を正確に把握できるものは殆どいない。
余りにも規模が大きすぎるのだ。扱いきれない、という言葉はこの為にある。
「第一部隊上がりのレラジェ、君なら聞いたことがあるんじゃないか? クエーカーという名前を」
エーリッヒが苦しそうな咳混じりにレラジェへ言う。
「……第一部隊の主力部隊司令部副主任、ですか?」
レラジェの声は震えていた。
「その通りだ、同時に私達の同期でもある」
ジョンの声もまた、震えていた。
「ブース・フィリー、もといクエーカー。四年前のテロ妨害作戦の立役者だ。作戦は失敗こそしたが、その功績で第一部隊を最大にして最強にした、まごう事なき英雄。人心掌握術に長け、進取果敢な男だ。かなり厄介な敵を抱え込んでしまったな」
エーリッヒの口ぶりはいつものように軽薄でどこか楽しげだが、その顔には確かに戦慄の表情が見えた。三人の反応を見るに、どうやら本気で厄介な人物が敵に回ったようだ。
「やり方から見て、恐らくはブースの独断によるものだろう。保安局全体として私たちを潰しに来ていたらここら一帯は焼け野原になっていただろうからな」
保安局、第一回テロ発生からスペクター創立までの治安を維持してきた、準警察組織にして準軍事組織。
そこに割かれた時間と予算、そして人員はスペクターを優に超えるものだ。
その一端を、イポスたちは敵にした。
「二人とも、正式に任務を受け渡す」
エーリッヒの口調が、変わった。
それは、第二部隊を率いてきた優秀で冷酷無比な司令官としての言葉だった。
「ブース・フィリー保安局北部安全保障二班班長を捕らえろ」
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