第3話

「……ふむ。我が愛しの番はどうやら何かに怒っているようだな」

「聞こえなかったの?お・す・わ・り」


 グレイの言葉に取り合うことなく、己はシーツを纏った状態でベッドへと腰掛け、すぐ目の前の床を指差す。どうやら、決して妥協するつもりはないようだ。

 やれやれ、と口の中で呟きながら言われた通りに床に座るグレイは、口調とは裏腹に、どこか嬉しそうだ。

 可愛い番がすることは何でも――たとえそれがグレイに不満をぶつけることだったとしても――彼にとっては全て喜ばしいことらしい。

 年長者の余裕を感じさせるその態度に歯噛みしながら、ハーティアは精一杯怖い顔をしてグレイに訴える。


「ちゃんと説明して。あの、ビアンカって人は誰?」

「ふむ。嫉妬か?だがそんな心配はいらない。私にとってはティアこそが唯一無二の――」

「わかったからとりあえず質問に答えて」


 息をするように愛を囁く番に半眼で先を促す。むぅ、と不満げに唸りながら、グレイは口を開いた。


「ビアンカ・ヤード。白狼の群れに棲む雌だ。まだ若い。ギリギリ成体になったかどうか、くらいだろう」

「それは話の流れで分かった」

「彼女と出逢ったのは随分と昔だ。人間に換算すれば、五歳かそこらといったところか。しばらく群れに直接赴くこと自体が少なかったからな。出会う機会はその後訪れなかった。だが、ヤード家の神童と呼ばれ、非常に将来有望な雌だと言う話は噂で聞いていた」

「それも、話の流れで何となくわかった」

「では、一体何が聞きたいのだ?」


 怪訝な顔をするグレイは、もしかしてわざとやっているのではないかとすら思えるが、きっと他意など無いのだろう。とにかく女心には疎い男であることは、短い付き合いながら嫌というほどハーティアも知っている。

 はぁ、と深くため息をついて、結局ハーティアは自分で切り出す。


「繁殖候補――って、言ってたじゃない。あれは何?どういうことなの?」

「あぁ……いつか説明しなかったか?後世に種を残すため、毎年、群れから繁殖期になると選ばれた雌が送られてくる、と」

「ぅ……そういえば、そんなことを言っていた気もする……」


 どうということもない様子で認めた<狼>に、顔をしかめて呻く。

 確か、そうして出来た子供は白狼の群れで育てられるが、グレイは関与せず逢ったこともない――などと、父親の風上にも置けない発言をしていた気がする。


「試験、っていうのは?」

「私は、生涯誰とも番うことはないと明言していたからな。それでも子供を設けさせようとするのは、私の意志ではなく、白狼の繁栄のために優秀な遺伝子を後世に残すべしという、群れの総意だった。まぁ、番がいようがいまいが、繁殖期は等しくすべての<狼>に訪れる。私としても、群れの繁栄を担う長としての責務だと言われれば、拒否するつもりはなかった」

「……なんか引っかかる気もするけど、<狼>さんの感覚では普通だっていうなら、まぁ……うん……」


 正直、行為をした後、子供が生まれるところを見届けすらせず完全に育児を放置するのはどうなんだ、と思わなくはないが、それでもう千年も上手く群れが回っていたと言うことは、彼らの中ではそこに疑問を呈するような感覚はないのだろう。

 これは種族の違いによるものだ、と無理やり己を納得させて、ハーティアは頷く。

 グレイはそれを見届けてから、言葉を続けた。


「優秀な遺伝子を残すことが最大の目的なのだから、雌側も、優秀な者に託すべきだろう。……そのため、毎年、誰とも番っていない雌の中で、希望者を募って試験が開催され、その年で最も優秀な雌だとされた者が、冬になると派遣される」

「派遣……」

「あの乳白色の天然石を見ただろう。あれは通常、群れの統治を代理で任せている者にしか持たせていないのだが、この時期だけは、その雌に渡されるのだ。そもそも、あの石がない限り、北の果てとこちらとを阻む結界を通り抜けることが出来ない。夜水晶を持たねば北の<月飼い>の居住区に誰も侵入できなかったように」

「なるほど……」


 北の<月飼い>が棲んでいた位置よりさらに北に、グレイの戒で結界を張り、その向こう側に白狼を住まわせたという話は、ハーティアも良く覚えている。

 始祖狼から力を分け与えられているグレイの力が、他の種族と比較してもあらゆる面で規格外すぎるため、そのグレイが族長として手足のように使える白狼が傍にいては、もしもグレイが利己的に振舞い、<狼>種族全体の長としての役割を放棄しようとしたとき、四種族間の力のバランスが崩れてしまう。そうしたことがないように、白狼はグレイの監視もかねて、北の果てで千年樹のある山岳地帯とは隔絶された生活をしているらしい。そもそも、疫病や環境変化での絶滅を防ぐためという目的もあるらしいが。

 そうした目的があるならば、不必要にグレイとの関係性を深めたり、結界を超えてこちら側に自由に行き来出来ては困る。

 故に、かつて北の<月飼い>を守っていた時のように、条件を付けた結界を作り、今までの均衡を保ってきたのだろう。


「定期報告は、季節ごとにしている。向こうがこちらに来ることもあるし、こちらが向こうに赴くこともある。忙しい時期やタイミングが合わぬ時は、報告書としてまとめられたものを、石と一緒にこの屋敷に転移させるときもあるな。こちらもそれを受け取り、指示があれば書類にしたため、石と共に送り返す」

「そ、そんなんでいいの……?」

「お前たち人間と、我々<狼>の時の流れの体感は随分と異なる。ただでさえ白狼は、他の<狼>よりも寿命が長いから、なおさらだな。何度か、歴代の代理統治者から、季節ごとの報告すら頻繁過ぎる、一年から数年に一度で十分だ、という声もあったが、私が、曲がりなりにも族長として選出されている責務を果たすためには、その程度はさせてほしいと我儘を言って、この慣例を続けているくらいだ。季節ごとの代理者の仕事を増やしているわけだからな。彼らからすれば、手厚すぎると思っているくらいだろう」


 苦笑するグレイは、少し困った顔をしている。

 ビアンカは「勝手すぎる」と糾弾していたが、グレイはその実、若い仲間たちに知られぬところで、随分と群れの統治のために心を砕いているらしい。

 そんなことをおくびにも出さず、的外れな主張もきちんと受け止めてしまうところが、グレイらしいところでもあったが、仲間たちに誤解をされているらしい事実に、ハーティアの胸が少し痛んだ。


「書類でのやり取りで十分なのか――という観点については、これはもはや見解の相違としか言いようがないな。ビアンカのように、気まぐれにしか群れに来ないと思っている者も多いだろう。不徳の致すところだ」

「や、やっぱり忙しいから、なかなか赴けないってこと……?」

「それもある。こちらと向こうの環境は違うから、万が一何かの病や禍を運ぶことを危惧して、最小限にするという目的もある。だが、一番の理由は――どちらにせよ、年に一度、冬の報告は必ず対面で行うのだ。それも、代理の者ではなく、民の生の声を聴くことになる。普段書簡でやり取りしていることが真実かどうかはそれで十分把握できるし、問題があれば直接私に訴えて来るような優秀な者しか送られてこない。……そうした側面を、皆に伝えていたかと言われればそうではないから、きちんと説明しておけ、と言われればそれまでなのだが」

「え……ちょ、ちょっと待って?つまり――」


 今までの話を総合し、ぎゅっとハーティアの美しい相貌に眉が寄った。


「繁殖候補、っていうのは、群れの様子を伝える定期連絡も兼ねているってこと……?」

「あぁ。執政に関わるような情報も得て送り出されるわけだから、そもそも信頼が出来て優秀な者しか選ばれない。どうやら、群れの中ではそれは非常に名誉なことだと認識されているらしいな。ビアンカも、それを目標に長年努力していたと言っていた」

「た、たしかに……」

「選ばれる雌は皆、殆ど群れに来ることもない伝説上の長に逢えると期待しているわけだ。私も、その期待に応えて、派遣されてきた雌には様々な知見を与える。一冬を共に過ごすのだからな。戒の使い方や、群れの統治における考え方、先の大戦やその前の<狼>の歴史……間違いなく次世代を担う主力となるであろうその優秀な個体に、白狼の長として、群れの将来に役立つ知見を惜しみなく伝える」

「そ、それじゃあ……しゅ、種を残すって言うのは……?」

「?……それはそれとして、時期が来れば行う」

「……あ、そ……」


 あっさりと言い放った無神経な男に、呆れて半眼で返す。もはや、怒りの感情を覚えることすら馬鹿馬鹿しくなってしまった。

 グレイは気にした様子もなく、ふむ、と唸りながら顎に手を当てる。


「しかし――今年からは、その制度も見直さなければならないな」

「え?」

「お前と番った以上、私は他の雌との間に子を成すことが出来ない。――成したいとも思わぬが」

「あ――う、うん……」

「となれば、繁殖候補を送るという行為自体が無意味だ。冬の定期連絡の方法を見直す必要がある。雌にとっては最大の名誉である資格だったそれを無効にするわけだ。代替策が必要だな」

「……て、いうか――」


 何事かを真剣に考えている様子のグレイを、ジト目で見る。


「結局、なんで急に今日、ビアンカさんが来ることになったの……?」


 おかげで、裸でベッドに寝ているという、どう考えても情事の後であることを想起させるような最悪のシチュエーションで邂逅する羽目になってしまったのだ。


「ふむ。……前回、<夜>の一連の事件について臨時報告した時に、私が『番が出来たから今年は送ってくるな』と伝達しそびれたせいだな」

「やっぱり、グレイのせいじゃん――!」

「ふむ。お前の怒りはもっともだ」


 先ほどのビアンカの激昂も、グレイがきちんと伝達をしていれば、もう少し心に余裕をもって群れの中で周囲の<狼>に慰められながらゆっくりと受け入れられたかもしれないのだ。

 キリキリと目を吊り上げるハーティアに、グレイは困ったように笑ってから、そっと立ち上がって愛しい番の頬を撫でる。


「許しておくれ、私の愛しい『月の子』。千年の悲願が叶い、お前を手に入れることが出来て、私も相当浮かれていたのだ。”蜜月”真っただ中の雄は、酷く愚かで哀れなものだと、お前はよくわかっているだろう?」

「い、言い訳になってない――!」


 美しい黄金の瞳を愛しそうに緩めて至近距離で囁く青年の美しさに、怯みながら主張するが、むせ返るような美青年の色香を前に、頬がほんのりと紅く染まるのは防げない。

 

「そろそろ、疑問は全て解消出来ただろう。気は済んだか?」

「えっ!?」

「”お座り”どころか、”待て”まで強要するとは、お前はどこまでも酷い番だ」

「なっ……ななな何言って――」


 至近距離で甘く囁く黄金には見覚えがある。――グレイが劣情に浮かされているときの、瞳だ。

 ひくり、と頬を引きつらせるハーティアには構わず、グレイは怪しい手つきでするりとシーツに隠された身体の先をなぞる。


「結界で誰も入れぬはずの屋敷に、見知らぬ侵入者が現れたと知って、本当に肝が冷えたのだ。万が一にもお前を失うことがあったらどうしようかと、気が気ではなかった。お前が無事だと――変わらず永遠とわに私の腕の中にいるのだと、今すぐ全身で確かめたくてたまらない」

「そっ……そそそそういえば、グレイ、仕事は――」

「放り出してきた。――お前以上に優先するものなど、この世にはただの一つもありはしない」

「ちょ――まままま待って、私はこの通り無事だから、いったん、放り出してきた仕事に戻って――」


 何せ、つい数刻前まで、グレイの絶倫について行けずに気絶していた状態だったのだ。

 欲情を隠しもせずに迫ってくるグレイが何をしたいのかは想像がつくが――ここからさらにその展開は、正直御免被りたい。


「嫌だ。――目の前に、据え膳状態のティアがいるのに、お前に付き合って随分と我慢したのだ。きちんと”待て”が出来たのだから、少しくらい、ご褒美をくれたって良いだろう?」

「わ、わわわ私は”待て”なんて言ってな――」

「あぁ、ティア。相変わらず、この匂いはたまらないな。何度でも、お前が欲しくなる――」

「ちょっと待っ――んんんんんんんんーーーーーーーーーー!!!!」


 これが、繁殖期の<狼>のアタリマエなのだろうか。

 結局ハーティアは、獣のように身体を貪るグレイを前に、再び気絶するまで付き合わされる羽目になるのだった――

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