第23話

 打ち上げも終わり、汐見を玄関まで見送る。


「今日はありがとうな、汐見」

「ううん、私こそこっちの打ち上げに参加させてくれてありがとう」


 そう言って汐見は氷岬に手を振る。氷岬も微笑んで手を振り返している。友達の少なそうな氷岬に友達ができたようでなによりだ。


「あ、でも氷岬さん、藤本くんのベッドに潜り込むのはダメだよ」

「わかってるわ。以後ないように善処するわ」

「善処じゃなくて絶対ダメだからね」


 汐見は口を酸っぱくしながら氷岬にそう言うと、今度こそ背を向けて帰っていった。


「さて、晩飯どうするか。その足じゃ大変だろ」

「いいわ。私が作る。それぐらいさせて」


 氷岬の瞳は真っすぐに俺を見据えている。体育祭で活躍できなかった分、活躍の場が欲しいということか。


「わかったよ、好きにしたらいい。でも無理だと思ったら素直に言えよ。出前取るから」

「わかったわ」


 絶対にわかってないな。そんな目をしている。

 氷岬は夕飯の準備に取り掛かる。俺はリビングの菓子のゴミを捨てながら、氷岬の背中を見る。相変わらず、儚げな背中をしている。


「なあ氷岬。ひとつ訊いていいか」

「なにかしら」

「お前、俺が拾わなかったらどうする気だったんだ」


 俺の問いに氷岬は少し考える素振りを見せると端的に答えた。


「そうね。この世にいなかったかもしれないわね」

「冗談きついな」

「冗談だと思う?」


 氷岬の目はいたって真剣だ。冗談を言っている風には見えない。


「いや、本気なのは伝わったよ。でもどうしてだ。やりようは他にいくらでもあっただろ」

「まず、親に捨てられて絶望していたから。何をする気も起きなかったのよね。拾ってくれる人を探したのも、半分冗談みたいなところがあったし。まさか本当に拾ってくれる優しい人がいるなんて思わなかったもの」


 氷岬が微笑んで俺を見る。


「確かに俺は自分でも驚いたよ。会話したこともない女の子を拾って一緒に住もうだなんて、普通に考えたらあり得ないよな。でも、なんかあのまま放っておけなかったんだよ」


 あのまま放置したら氷岬は本当に自暴自棄になっていたんじゃないか。そんな風に思う。


「それが答えじゃないかしら。藤本くんにも見捨てられていたら、私はあのまま雨の中で野垂れ死んでいたのかもしれないわね」

「そっか。だったら俺はお前の命の恩人なわけだ。あの時拾って本当に良かったよ」

「そうよ。まだこんな優しい人がいるんだって思えたもの。だから私は拓海くんのお嫁さんの座を目指すわ」

「なんでそうなる」


 新しい目標を抱いてくれるのは結構だが、それがどうして俺の嫁の座なのか。


「決まってるじゃない。それが私の新しい夢だからよ」


 眩しい笑顔でそう言い放った氷岬は、再び背を向けて調理を開始する。どうやら話は終わりのようだ。

 俺は風呂場に向かい、掃除をして風呂を沸かした。そのまま風呂に浸かると、今日1日の疲れがこみ上げてくる。

 風呂で疲れを癒し、上がった俺はリビングに顔を出してテレビをつけた。適当にチャンネルを回しながら、氷岬の料理ができるのを待つ。


「お待たせ」


 氷岬が料理の完成を報告してきたので、俺は氷岬の足を気遣い料理をテーブルまで運んだ。食器も並べて美味しそうな生姜焼きが食卓に並ぶ。


「いただきます」


 手を合わせて氷岬と一緒に夕飯を食べる。生姜焼きに舌鼓を打ちながら、氷岬に問う。


「足、大丈夫か」

「歩くのには問題ないわ。ただ踏ん張ることができないだけで」

「無理せず明日からはタクシー使えよ。親父には言っておくから」

「どうせなら拓海くんも一緒にタクシーで登校すればいいのよ」


 確かに魅力的な提案だが、それはできない。


「そんなことしたら俺たちが同棲していることがバレるリスクが高まるだろ」

「別に恋人同士なんだから一緒に登校してくることぐらい気にしないんじゃない」

「さすがにタクシーまで一緒は怪しいだろ」

「そうかしら。残念だわ」


 本当に残念そうに氷岬が肩を落とす。


「まあ、買い物とか風呂掃除とかはしばらくは俺がやるから、遠慮なく俺を頼ってくれ」

「頼もしいわ。こんなに人に優しくされたの、いつ以来かしら」


 氷岬は当たり前のようにそう言うが、話が重いんだよな。両親に捨てられるぐらいだ。きっとそれまでの扱いも不遇だったのだろう。

 なら、少しは吐き出させてやるのがいいかもしれない。


「なあ氷岬。お前の両親ってどんな人たちだったんだ」


 氷岬にとってはあまり聞かれたくないことかもしれない。だが、心の内で溜め込んだ思いはいつか爆発する。氷岬にはそうなってほしくない。


「そうね、生活費をギャンブルに使いこんでしまうろくでもない人たちだったわ」

「それは前も聞いたよ」

「あとは、父親は日和見でいっつも母親の機嫌ばかりうかがっていたわね」

「かかあ天下だったわけだ」

「そんな立派なものじゃないわ。離婚されるのが嫌で何も言い出せなかっただけ。ようはヘタレね」


 すらすらと、氷岬の口から両親に対する不満が出てくる。


「私のことにも興味がなくて、頭の中は常にギャンブルのことばかり。流石の私も呆れたわ。だから、私は母を憎んでいるのね、きっと」

「お父さんのことは憎んでいないのか」

「憎んでいるとは思う。でも母ほどではないわ。きっと今回の夜逃げも母の独断で父は言いなりになっていただけだと思うから」


 話を聞く限り、氷岬は父親にはまだ愛着を持っているらしい。父親の行動も許されるものではないが、氷岬はそんな父親を庇っている。


「だからね、本当に拓海くんの優しさには救われているの」


 そう言って真っすぐ俺の目を見てくる氷岬は、嘘偽りのない飾らない言葉をくれた。

 そんな氷岬に俺はどう答えるべきなのだろうか。


「真面目な話だ。聞いてくれ」

「うん、わかった」

「俺には好きな人がいる」

「知ってる」

「だから俺の嫁の座を目指すとか諦めてくれないか。それは俺が困るんだ」


 俺の今の素直な気持ち。氷岬の好意は本当にありがたいと思うし、こんな美少女に思われて幸せなことだと思う。

 だけど俺には汐見がいる。汐見のことがたまらなく好きだし、氷岬をキープみたいな形にはしたくない。それは不誠実だ。


「私のこと嫌い?」

「嫌いじゃない。むしろ、俺に好きな人がいなかったら惚れてたと思う」

「そっか。そう言われると嬉しいわね、やっぱり。でも私をお嫁さんにはしてくれないんだ」

「ああ。それは無理だ。このままずるずる行くのもあれだからはっきりさせたい。ここに住むのは全然かまわない。家族としての情がもう湧いちまってるからな。でも、結婚は無理だ」


 俺のはっきりとした物言いを氷岬はしばらく黙って聞いていた。やがて氷岬が瞑目し、大きく息を吐くと、小さな声で言った。


「本当に優しいわね、拓海くんは。私のことを考えて早めに振ってくれているんだから」

「そんなことはない。俺は自分のことしか考えてないよ」

「そう言うのもわかってる。そっかー、汐見さんには勝てないか」


 汐見とは一言も言っていないが今更突っ込んでも意味のないことだろう。氷岬にはとっくにお見通しだ。


「だったら、私も決めたわ」


 氷岬が刮目すると、不敵に微笑んだ。その微笑に俺は嫌な予感を感じとる。


「私は2番目の女でいいわ」


 衝撃の発言。氷岬の口から出たのは常識では考えられないような発言だった。


「どういうことだよ」

「私が勝手に拓海くんを愛するの。汐見さんと恋愛するなり好きにすればいいわ。でも、もし振られたり別れたりしたら」

「したら?」

「また君のお嫁さんの座を狙うわ」


 氷岬は堂々と言い放つ。振られてこれだけ堂々としていられるのも凄いが、発言の内容が恐ろしい。開いた口が塞がらない。


「はっ、言ってろ。俺と汐見が付き合ったとしたら絶対に別れないし」

「あら、やってみなくちゃわからないわよ。いくら君たちが相性抜群だったとしても」


 今日の二人三脚のことをまだ根に持っているらしい。


「まったくお前の行動は予測ができないよ」

「あの両親から生まれた子どもだもの。蛙の子は蛙ということかしら。とにかく女の戦いは長期戦よ。今は振られてしまったけれど、私はまだ諦めないわ。必ず君を攻め落としてみせるから。それまでは2番目の女で我慢してあげる」


 氷岬の恐ろしさを俺は肌で感じた。氷岬の予言通りにならないように努力しようと俺は思った。

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