第21話

 いよいよリレーの時間になった。氷岬が足を引きずりながら俺の方へ歩いてくる。


「がんばって拓海くん」

「おう。絶対1位取ってくるよ」

「藤本くんなら大丈夫。私たちはここで応援してるから」


 汐見も嬉しいことに応援してくれるようだ。これはますます気合をいれなければなるまい。

 俺たちは入場ゲートで整列し、ハチマキを配られた。俺たちは赤のハチマキだ。頭にハチマキをきつく巻きながら、気合を入れる。俺は第2走者だ。バトンリレーも上手くやらなければならない。

 アナウンスがあったので、リレーに出場するメンバーは一斉に入場する。


「おい、藤本、絶対に勝つぞ。これで紅組の勝敗が決するんだからな」


 アンカーの男子生徒、真柴が声を掛けてくる。


「そうだな。今のところ紅組は僅差で負けているからな。このリレーに勝って逆転で締めたいところだ」

「お前は彼女にもいいところ見せないとだしな」

「勿論、そのつもりだ」

「はは、その意気だ。俺たちの最後の体育祭。最後は勝って終わろうぜ」


 そう言って俺の背中を叩き、気合を注入してくる真柴。俺もお返しに背中を叩き返した。

 本当に最後なんだな。そう思うと武者震いがしてくるが。

 全員がそれぞれの位置に散っていく。俺は自分の位置についたところで深呼吸をする。大丈夫だ。きっと上手くいく。氷岬の二人三脚の練習の他にも合間を縫ってリレーの練習にも参加してきた。バトンリレーに苦戦することもなかった。だから、大丈夫だ。

 第1走者がスタートする。順位は2位。上々の滑り出しだ。俺はバトンを受け取る構えに入る。勢いよく地面を蹴った。次の瞬間、バトンは俺の手の中にすっぽり収まっていた。

 俺は駆ける。ぐんぐん加速していく。前の走者との距離を詰めていく。このペースならぎりぎり追い付けるか。後は残りのメンバーに託すしかない。

 俺は体をフル稼働させ、前の走者に追い縋る。カーブで膨らみ過ぎないように注意しながら腕を振る。やがて、最後の直線に入る前に前の走者を捉えた。


 ――このまま抜き去ってやる!


 俺は更に体に鞭打ち、前を走っていた走者を抜き去った。応援席から歓声が沸く。


「いいぞー拓海くん!」

「藤本くん、その調子」


 確かに氷岬の声だった。あの氷岬が大声を上げている。信じられない光景だった。汐見の声援と一緒に氷岬の声が届いた。きっと競技に参加できなかった分、応援に力を入れることにしたのだろう。

 その声援に応えないとな。


 俺は最後の直線を1位で走り切り、次の走者へとバトンを渡す準備に入る。次の走者は絶妙のタイミングでスタートを切ってくれた。俺はその次の走者に最高のタイミングでバトンリレーが出来たと思う。

 走り終えた俺は減速し、膝に手を付く。あとは仲間を信じるのみだ。

 第3走者は快調に飛ばし、1位を維持している。カーブへの対処も問題なく、この調子なら1位でアンカーへのバトンリレーができるだろう。

 そうして最後のランナーへと迫る第3走者。真柴はいいスタートを切った。あとはバトンを手渡せば、真柴が最後まで走ってフィニッシュだ。

 そう思った束の間、まさかの事態が起こった。


「あっ……」


 応援席から悲鳴が上がり、歓声が鳴りやむ。第3走者と真柴がバトンリレーを失敗したのだ。それでも真柴はすぐに事態を把握し、失格にならないぎりぎりのゾーンで減速する。そうして2度目のバトンリレーを成功させた真柴は、その間に抜かれた前の走者を追って再び加速する。

 だが、最後のバトンミスは致命的だった。かなり距離が離され、真柴も必死で追い縋ったが、1位には届かなかった。


「はあっ……はあっ……」


 ゴールし、膝に手を付く真柴。その目には涙が光っていた。たかが体育祭。されどこの高校で過ごす最後の体育祭だったのだ。それを不完全燃焼で終えてしまった真柴たちの気持ちは想像するに難くない。

 リレーを終えた俺たちは退場する際、勝利に湧く白組サイドを恨めしい気持ちで眺めることしかできなかった。


「みんな、すまん。最後の最後で台無しにしちまった」


 応援席に戻った真柴は全員に向かって頭を下げた。だが、責めるクラスメイトは誰もいない。


「ううん、そんなことないよ。惜しかったね」

「必死な姿かっこよかったよ」


 などと労いの言葉が飛び出てくる。その言葉を受けて真柴は再び涙を拭った。


「拓海くんも、惜しかったわね」

「藤本くん、前のランナー抜いてかっこよかったよ」


 氷岬と汐見が声を掛けてくる。2人の声援は俺を奮い立たせてくれた。中でも普段そんなに熱くならない氷岬の声援が届いたのは驚きだった。


「ふたりともありがとうな。勝てなくて悪かった」

「藤本くん、泣いているの?」

「え……?」


 そう言われて自分の頬に触れると、確かに涙が流れていた。真柴の涙にもらい泣きしてしまっただろうか。


「頑張ったもんね。その涙は頑張った証だ」


 汐見が涙を拭ってくれる。


「おい、汐見。そんな手で拭ったら汚いぞ」

「ううん、汚くなんかないよ。頑張った証の涙はとても綺麗だから」


 そう言って微笑む汐見は天使だった。汐見の前で泣いてしまったのは情けないが少し得した気分になった。


「そうね。拓海くんは頑張ってた」


 氷岬を見ると、目に涙を溜めていた。今にも溢れ出しそうな状態で堪えている。


「なんでお前が泣くんだよ」

「泣いてないわ。目に砂が入ったのよ」


 そう言って、氷岬は目を拭った。きっと俺たちの走りを見て感動してくれたのだろう。なら、負けはしたが精一杯走って本当に良かった。


「さあ、まだ体育祭は残っているよ。そろそろ泣きやんで閉会式に出る準備をしなきゃ」


 汐見の声掛けに俺は頷き、氷岬は「だから泣いてないわ」と反論していた。

 

 閉会式で得点が発表された時、真柴がまた声を上げて泣いていた。体育祭が本当の意味で終わったのだ。こうして高校最後の一年のイベントは次々と終わりを迎える。そのイベントひとつひとつが思い出に変わっていくのだろうか。


「終わったね」


 汐見が呟く。


「終わったわね」


 氷岬が首肯する。


「終わったな」


 俺は氷岬の肩を抱きながら、同調する。祭りの後の教室は静まり返っていた。ほとんどの生徒は打ち上げに行く準備の為、早々に帰宅したらしい。


「藤本くんは打ち上げ行かないの」

「ああ、俺は不参加で。氷岬が怪我したのにこいつ1人だけ除け者にするのは嫌な感じするだろ」

「別に気にしなくてもいいのに」


 氷岬は口ではそう言っているが嬉しそうだ。


「俺たちは家で打ち上げするかな」

「じゃあ、私もそっちに行っていいかな」


 汐見が食いついてくる。


「おお、こっちに来てくれるのは全然かまわないが、汐見こそクラスの打ち上げに参加しなくていいのか」

「うん。クラスの方は私が行かなくてもいっぱい人が来ると思うから」


 氷岬に気を遣ってくれているのか。やっぱり優しいな汐見は。


「そうと決まればすぐに帰って準備をしようぜ。氷岬は先にタクシーで帰ってくれ」

「わかったわ。……早く帰ってきてね」

「わかってる。買い物を終えたらすぐ帰るよ」


 そう言って氷岬の肩を抱いた俺は校門前まで送っていく。汐見は隣を付いてくる。しばらく待っていると呼んだタクシーが来たので、氷岬を乗せ自宅まで送るようにタクシーの運転手にお願いする。


「それじゃ、また後でな」

「ええ。待っているわ」

「家に帰ってからも無茶はするなよ。今日は準備は俺たちがするから」

「ええ。釘を刺さなくてもおとなしくしているわ。それで悪化させたら拓海くんに迷惑がかかるもの」

「ならばよし」


 氷岬を見届けた後、俺は汐見に向き直る。


「それじゃ、行くか」

「うん、行こっか」


 汐見との買い物イベントに胸を馳せながら、俺たちは帰路についた。

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