第29話 神は死んだ

 午後からの一発目の授業に間に合うように急いだ俺と奈遊は、講義室に入り次第すぐに適当な席に座ると、すぐに授業が始まった。


 軽く息を切らしながら、バッグから教科書や筆記用具を取り出していると、周りから視線を感じた。やけにじめっとした視線。こんな衆目を浴びるなら、早目に講義室に入るに限るな。


 眠気と戦いながら、なんとか五限目の授業を乗り越えた俺たちのもとに、初日に俺に話しかけてきて、そのまま奈遊と友達になった森崎もりさき千紗ちさがやって来た。その目は、初日の時と同じようにキラキラしている。


「神田さんの嘘つき! どうしてわたしに本当のことを言ってくれなかったの?」

「なんのこと?」

「神田さんは男が好きっていう嘘! 彼女がいるって、さっきのお昼に他学科の友達から聞いたんだからね!」

「あー……」

「その反応、本当みたいだね。まさか、奈遊も神田さんの彼女なの!? これ以上増えると手が回らないから、二人してわたしを騙してたっていうの!? ひどい! でもかっこいい! 付き合ってください!」

「ダメダメダメー! ってか、チィはハルのこと諦めたんじゃなかったの?」

「男だけが好きなら諦めがつくけど、女もいけるんなら諦めるなんて無理でしょ! 本当お願い、先っちょだけでもいいからさ!」

「なんの先っちょだよ」

「恋人という関係の先端だけでも経験させてよおおおおおおお」


 森崎の慟哭が講義室に響き渡る。他の学生がなんだなんだとこちらに注目し始めたため、奈遊が焦って森崎を宥め始めた。


「ど、どうどう。落ち着いてよ、チィ。あのね、ハルに彼女がいるって話、実は裏話があるんだよ」

「裏話……?」

「うん。実はね——」


 奈遊は、昨日のバスケサークル歓迎会での話を、一部省略して森崎に話した。昼に四人で話し合った結果、一応、どこのサークルでの話かは伏せておくことにした。実際にあったことではあるが、これによってバスケサークルに迷惑をかけたくないという意図のもとだ。訴えるなら俺ではなく、有紀だろう。彼が何もしないのであれば、俺がするべきではない。変に彼についての噂が広がっても困るだろうしな。


 俺に彼女がいるという話は嘘である理由を聞かされた森崎は、納得してくれたが、尚もその表情は暗いままだった。


「じゃあ、神田さんはやっぱり男が恋愛対象なの……?」

「そういうことだな」

「うわああああああああ。だったら噂を鵜呑みにしていた時の方がよかったああああ」


 なんとも不憫な女だろう。俺は心の中で彼女に謝罪を入れる。


 森崎のケアは奈遊に任せて、三人で一緒に次の授業がある講義室へ移動する。


 その移動中、俺のスマフォが振動したのを感じた。何かの通知だろう。ポケットからスマフォを取り出し、確認してみる。


 すると、あまり馴染みのない名前の人からメッセージが飛んできていた。だけど、その名前は記憶に新しかったので、なんとか誰か分かった。今朝、俺に告白をしてくれた彼女——数藤すとう華愛かあいだ。


 連絡先を交換した後、少しだけ自己紹介し合ったメッセージログの後に、時間を開けて、変なメッセージが続く形となったチャット画面を睨んで首を傾げる。


カアイ:神は死にました


 何が言いたいのだろうか。とりあえず、事実を伝えねば。


ハルカ:神なら医学部にいるぞ


 すると、即既読がつき、瞬く間にメッセージが返ってきた。


カアイ:わたしにとっての神様は一人だけです


 彼女は一神教信者だった。二神ふたがみではダメだな。あいつはツインヘッド、一人で二神にしんだ。


ハルカ:それは残念

カアイ:あの、お聞きしたいのですが

カアイ:神田さんに彼女がいるという噂はデマなんですか?

カアイ:先ほど、周りの人がそう話しているのが聞こえてきて


 早速、真実が広まっているみたいだ。数藤はたしか法学部だったか。四人とも接点はないのに、そこまで届いているとは。


 ここまで拡散が早いのは、話題性もあると思うが、羽衣のおかげかなと思う。あいつは明るい性格をしているため、知人も多そうだし、二神が広めたとは……少し考えられなかった。


 俺は数藤に、歓迎会での話をし、俺に彼女がいるという噂の根源のエピソードを説明した。


カアイ:なるほど、理解しました

カアイ:神に仇なす不埒な者がいて、それらから神を救出された方がいたと

カアイ:そして、わたしにその者らに裁きを与えさせることで、わたしの神への忠誠心を測ろうということですね

ハルカ:なんか最後の方おかしいぞ


 どうやら、彼女にとっての神様は神田だったらしい。参ったな。


 彼女のメッセージから不穏な空気を感じたので、「余計なことをしたらブロックするぞ」と脅しを入れると、長文の謝罪文が送られてきた。どうやらその意思は捨ててくれたみたいなので、「許す」とだけ送って、スマフォの画面を閉じた。「許す」なんて、本当に神様みたいだなと自嘲する。


 結局、女装してもあまり意味がないんじゃないかと思えてきた。今度からマスクでもしようかと本気で考え始める。




 * * * * *




 自慢ではないが、俺は家事が苦手だ。


 それでも、掃除洗濯等は生活するために自分でしなくてはいけないため、なんとかやっている。


 しかし、料理に関してはもう半分くらい諦めている。たまに簡単な炒め物くらいはするが、時間はかかるし、あんまり美味しくない。レパートリーも限られているため、毎日続けようとすると飽きてしまう。


 不幸中の幸いなのか、この世には男子を支援する制度が手厚く、母さんの口座に振り込まれたお金を、俺が使えるように母さんが送金してくれている。


 そのため、俺は外食や買い食いができてしまうのだった。これが料理上達の妨げになっているのは分かっているが、やはり美味しいものを手軽に食べたいのだ。


 かと言って、遠出するのも面倒だし、一人だと行ける範囲が限られてくる。


 だから、俺は専らマンション近くのコンビニにお世話になっていた。


 今日も今日とて、奈遊と二神と一緒に帰った後、一度部屋に戻り、再び外出するという無駄なムーブを取っている。二人にバレたら、体に良くない云々と言われ、だったらご飯を作ってあげるよなんて言われかねないからだ。これ以上、二人に迷惑をかけたくはないため、こうしてこっそりとコンビニに通っている。


 今日はガッツリいきたいなーと思っていると、トンカツがメインの弁当を見つけた。これと、一応健康を気にしてサラダを手に取り、レジへと向かった。


「お願いします」

「はい、お預かりします」


 どこかで聞いたような声だったが、向こうは何の反応もないし、俺は気にすることなく、頭の中でざっくり計算した額の小銭があるか財布の中を覗いていた。


「合計で680円になります。袋はご必要で——え!?」


 店員さんの声に俺も驚き、咄嗟に正面を向く。


 驚愕顔で固まっているその人の顔に、見覚えがあった。バイト……あっ、そうだ。例の歓迎会の会場だった居酒屋の店員さんだ。


「あ、あの、わたし……」

「すみません、レジ袋はいりませんので、会計進めてもらっていいですか?」


 自分の後ろに人が並んだのを察知して、俺は千円札をトレイに置いてそういった。すると、店員さんは「……はぃ」と消え入りそうな声で返事をして、レジを操作し始める。


「あの、大学近くの居酒屋でも働かれていましたよね?」

「あ! はい! そうです! わたし、働いてます!」


 俺がそう訊ねると、彼女はさっきまでのどんよりした空気を吹き飛ばし、キラキラと輝く笑顔で返事をしてくれた。その返事の内容も、なんというか、俺の言葉を復唱しただけで、それがどこか面白かった。


 そこで、隣のレジにも他の店員さんが来て、「次でお待ちの方、こちらにどうぞー」と俺の後ろに並んでいる人を案内する。そして、俺の目の前にいる店員さんにウインクをして見せた。


「先輩……!」


 よく分からないが、店員間の絆というものを感じた。


 何はともあれ、少し余裕ができたので、もう少し話を続けてみる。


「先日はお店にご迷惑かけて、申し訳ありませんでした。こちらでも働かれているみたいですけど、向こうはもうお辞めになったとか? もしかして、僕のせいだったり……?」

「い、いえ! 迷惑とかそんな! 店長さんも怒っていませんでしたし。それに、向こうのバイトも続けてます! 掛け持ちってやつです」

「そうでしたか、それは一安心です。掛け持ちですか……お忙しいんですね。頑張ってください」

「は、はい! あ、これお釣りです!」


 トレイに置かれた小銭を拾い上げ、財布の中にしまっていく。この店はお釣りを手渡しではなく、こうしてトレイに置いてくれるので、接触を回避できて嬉しい。


 店員さんは、自分の手が開いたり閉じたりを繰り返すのを見つめながら、はぁと小さくため息をついている。お疲れなのだろうか。


「そうだ。弁当温めてもらっていいですか?」

「あ、はい! ついでにわたしの心も温めましょうか!?」

「あはは、なんですかそれ。じゃあ、お願いしちゃおうかな」

「ちーん!」

「本当にあったまっちゃったよ」


 店員さんの顔は真っ赤になっており、湯気が出ているように見えた。


 その後、隣のレジを担当していた店員さんが駆け寄ってきて、残りの作業を代わりにやってくれていた。


 俺が店を出る時、あの店員さんが怒られている声が聞こえてきた。俺のせいでまた迷惑をかけてしまったのだろうか。少し面目ない気持ちになってしまう。









「もう! 折角チャンス作ってあげたのに!」

「ごめんなさいぃぃぃ。だって緊張しちゃって、もうわたし、自分がなんて言ってたのか覚えてませんんん」

「はぁ……」

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