第15話 もう一人の

 あの後、俺は緒形さんに連れられて女装用の服を選んだり、ウィッグを買ったり、簡単に化粧品を揃えて、化粧の仕方をレクチャーしてもらった。


 承諾はしたものの、女性ものの服を着ることには流石に抵抗があったのだが、男女兼用の服を主に揃えてくれた。なんでも、女性用のだとシルエットがモロに出て、男性特有の体型を隠すことができないかららしい。


「一人称は『私』の方がいいのかな」

「だ、ダメ。せめて『僕』にしよう」

「僕っ子? それって変に目立たないか? 『私』の方がいいだろ」

「そ、そっちの方が面白いじゃないか」

「おいおい、俺の大学生活がかかってるんだが」

「そういえば南海ちゃん、少し前までは自分のこと『僕』って呼んでたけど、お揃いにしたいの?」

「ち、違う! それは関係ない!」

「じゃあなんだよ」

「……君には少しでも男っぽくあって欲しいんだ。私は君のことを男としか見れないから……ごめん、私のただのワガママなんだ。ダメ、かな?」


 美少女に揺れる瞳で見つめられてそう言われてしまえば、拒絶することはできなかった。だって俺は男だから!


 こうして、僕っ子ハルちゃんが誕生したのである。俺は女の子になった。


 と言っても、本格的に女装するのは大学入学後なので、家に帰る前に完全に男に戻す。


 帰宅後、母さんが腕を奮った料理が待ち受けていて、盛大にお祝いした。ご馳走に舌鼓を打ちながら、元の世界の話をした。母さんは、元の世界の母さんに旦那さんがいることを羨んでいた。


「でも、私にはハルちゃんがいるもんね〜」

 

 酒も回ってきた母さんは、そう言って俺に抱きついてきた。「いや、向こうにも俺はいるよ」と思ったが、それを言うのは無粋なので黙って母さんに身を委ねる。


 そういえば、元の世界の俺の体はどうなっているのだろうか。抜け殻? もしかしたら、こっちの遥が入ってるかもしれない、なんて。


 だけど、その答えは意外にもすぐに分かった。


 翌日、受験を終えて熱を失った俺は、自室でぐうたらスマフォを弄っていた。大学入学前のこの期間、何をするべきかを調べていたのだ。


「自動車免許……ありだな」


 いつまでも母さんに運転してもらうわけにはいかない。いつかは自立しなくてはいけないし、それに母さんを乗せて運転するって言うのも親孝行になるんじゃないだろうか。


 母さんは、別の世界から来た俺を息子として受け入れてくれた。元の世界の母さんの分も、こっちの母さんに恩返ししなくていけない。


 善は急げだ。早速、教習所について調べているとエントランスのインターホンが鳴った。


「お母さんが出るねー」


 今日は土曜日のため、母さんは家にいる。母さんが家にいるときは、基本的に来客の対応は任せている。というより、男は出ない方がいいらしい。マンションだからそこまで危機感を持たなくていいが、一軒家とかだと特に暴行事件が多いらしく、その予防だ。


 俺は母さんに感謝しつつ、ネット検索を続ける。教習所にかかる料金にうへぇとなっていると、今度はドアのインターホンが鳴った。


「来客なんて珍しいな……」


 思い返すと、うちに来客など一人も来たことがない。来ても皆エントランスまでだ。


 俺は部屋を出ない方がいいのだろうか、そう考えていると部屋のドアをノックされた。


「ハルちゃん。ドア開けていい?」


 いつものほんわかとした口調じゃない母さんの声に、俺はベッドから起き上がり、緊張しながら「うん」と返事をする。


 ゆっくりと開けられたドアの先に立っていたのは、母さんと——奈遊だった。


「えっ」


 意外な人の登場に、俺は驚愕の声を漏らす。


 すると、奈遊は少し気恥ずかしそうに、そしてどこか懐かしい笑顔で俺に話しかけてきた。


「ハル、久しぶり。本当に久しぶり」

「え、うん。そうだね」

「ハルの家に来るまで迷っちゃったよ。こんなの初めて」

「そ、そんなに久しぶりではないだろ? うちまでのルートを忘れるなんて」

「ううん、そうじゃなくてね。だって、今までは隣同士だったんだもん。迷うことなんて一度もなかったよ」

「……え?」


 俺の家と奈遊の家は離れているはず。でも、隣同士の関係にある世界は存在する。元の世界だ。それを知っているってことは——


「もう一度言うね。久しぶりだね、ハル」

「奈遊……お前、あっちの世界の奈遊か?」

「うん、そうだよ。ハルに会いにきちゃった、なんて」


 そう言って照れて笑う奈遊の顔は、どこか新鮮で、そして懐かしかった。




 * * * * *




 俺たちはリビングに移動し、母さんの入れてくれたお茶で一服する。心を落ち着かせたい……ところだが、今目の前にいる彼女——奈遊の存在が、俺の心をざわつかせる。


「どうしたの、ハル。そんなにジロジロ見て」

「い、いや。なんだろ……俺の知ってる奈遊なんだなあって」

「えー? 見た目は変わらないはずだよ」

「そうなんだけどさ、でも……なんか違うんだよな」


 たしかに容姿は変わらないのだが、なんだろう、雰囲気が違うのかな。


 腕を組んでうーんと唸っていると、その姿が面白かったのか、奈遊はクスクスと笑う。


「稀衣さんも私のこと、なんか違うんだよねーって気づいてくれたよ」

「えっ。あ、そういえば母さん、どうして奈遊をうちに上げたの?」

「インターホン越しの奈遊ちゃんの様子が前と違うことに気づいてね、ハルちゃんから話は聞いてたから、奈遊ちゃんもそうなんじゃないかなーって思ったの」

「ふふっ。さすが稀衣さんですね! ハルのことも、私のこともよく見てくれてる!」

「当然! 私はハルちゃんの母親でもあり、奈遊ちゃんの母親でもあるんだから!」

「それは初耳だなあ」


 まあ、本当の母親って意味ではなく、母親のようなものってことだろうが。それにしても、母さんが俺たちに注げている愛情の大きさを感じて、少し恥ずかしくなる。てか、だとしたら俺も奈遊を愛してることに……まあ、幼馴染だし、家族愛があってもおかしくはないか。


 さっきまでクスクス笑っていた奈遊だったが、ふと暗い表情を浮かべ、ポツリと言う。


「こっちの私は、ハルが入れ替わってることに気づかなったんだよね……」


 その言葉の意味を俺は瞬時に理解できた。あれだけ俺と一緒にいることに固執していた奈遊が、母さんとは違って俺の正体を見抜けなかった原因。……もしかして、そこに愛はなかったってことか?


「……ん? 待て、奈遊。今、入れ替わってるって言ったか?」

「うん。……あっ、まだ言ってなかったね。ハル、稀衣さん。元々こっちの世界にいたハルは、今、あっちの世界のハルの体の中にいるよ。二人の中身が入れ替わってるの。おそらく、私もそう」

「……そうか」

「ハルちゃん……っ良かった……」


 母さんはこちらのハルの安否を確認できて安心したのか、涙をポロポロと流し始める。近くに置いてあるティッシュを取って渡そうとすると、抱きつかれてしまい、俺の肩の部分に顔を押し付けてくる。服が濡れてしまうが、俺は抵抗しない。


 しかし、奈遊がこの転移先の自分のことについてやけに詳しいなと思ったが、おそらく向こうで、転移してきたもう一人の俺に聞いたのだろう。俺はそれを確認するべく、口を開く。


「向こうでもう一人の俺と会ったのか?」

「うん。いろいろ教えてくれたよ。この世界のこと。ハル自身のこと。そして、こっちの世界にいた私のことも」


 奈遊はそこで一つ深呼吸を入れ、真剣な表情で語り始める。


「今から話すね。向こうの世界でハルと何を話したのか。どうして私も転移することになったのかを」

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