第54話 槍の聖女と神箭の射手(その1)
「……よだか!あれはなんだ?!」
〈知らないよ!どうしてここにあんなものがあるんだい?!〉
問われた古い神が、オウム返しに問い返す。
壁の中から出現したもの、黄金色に輝く金属の品、その一部分。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「この壁は?」
吸血鼠の群れに追われながら、ようやくたどり着いたその「壁」。いやこれは壁なのだろうか?メネフは思う、「衝立」だと。石で形作られたその構造物は、上は天井に届かず左右も他のどこにも接していない。大広間の床の真ん中にポツリとそれだけが屹立しているのだ。魔城の薄暗さの中で接近するまでわからなかった、そのオブジェクトの不自然さ。そしてメネフはさらにいぶかる、石材が、魔城の他の壁と明らかに違う。
「こりゃ普通の……?」
そう、魔城の壁も床も、そこに使われている艶のない墨のような黒い石材は、メネフにはこれまでまるで馴染みのなかったもの。だがその「壁」を形作るのは、ノーデルではどこでも目にするありふれた石材だ。
「テバスのお城。その一部よ」
答えるコナマの声は奇妙に落ち着いている。
「坊やも見たわね?魔城がこの世の表に現れた時、テバスのお城は粉々に砕けて……だけど無くなったわけじゃない。あの場で表と裏の世界に有ったものは重なって、こうしてこのお城のかけらが魔城の中に取り込まれたのよ」
「テバスの砦の壁?でもそれがなんだって……」
もしそのままにしておけば、メネフの喉からは問いがいくらでも溢れただろう。だが巨人が遮る。
「いかん!殿下、コナマさん、奴らが来るぞ!!」
そう、吸血獣たちを足止めしていたアグネスは、ゾルグに足止めし返された。いまや敵の群れの接近を妨げるものはない。
「お、おれがやってみる!」
ベンは懐から、ありったけの鏃を取り出す。そしてそこから彼の小さな手のひら一掴み分を全てパチンコにつがえて、一気に撃ち放った。鏃は鼠たちの群れを捉え、緑の炎をあげる。まるで流星雨だ。
しかし。
「ダメ、当たらない……」
小さな鼠相手ならば、一つの鏃でも数体を倒せる。燃え上がる緑の聖なる炎が周囲も巻き込むからだ。ベンがその時放った鏃は五、六発、倒せた数はその二、三倍にもなるだろう。威力は十分……だがいかんせん、迫りくる獣の数に引きくらべ、弾丸の数があまりにも少ない。焼け石に水だ。群れは確かに一瞬ひるんだように見えたが、すぐにまた雪崩を打って襲いかかって来た。
「……それ!」
次に動いたのはコナマ。光輝く手のひらを鼠の群れにかざす。かのシモーヌですらおそれさせたその術、これは効果覿面だ。群獣は慌てて大きく退く。
(でもこの手も、長くは使えねぇ……)
メネフはむしろ、追い詰められていることをひしひしと感じる。
神裁大師コナマ。その力の蓄えもしかし、無尽蔵ではない。もちろん彼女は聖なる力を新たに世界から借り集めることも出来るが、それには今度は相応の時間を要する。
そう、コナマの力をもってすれば、その神聖力を解放してこの場の鼠たちを一掃することもおそらく出来るはず。だがメネフは思い出す、コナマがあの光の柱の奇跡を起こして、テバス古城からの不死怪物の湧出を止めたその後、何が起こったか。
(あのコウモリ女め、狙いすまして出て来やがった!)
あの時はコナマがさらに余力を隠し保っていたから、そして妖魔が謎の撤退をしてくれたからしのげたに過ぎない。コナマの力は白い大妖魔に対する止めの切り札であるとともに、道中は守札。彼女の聖なる力が一時的にでも尽きた時、こちらには最大の危機が訪れる。
(まずいのは、あれをあいつも見てたってことだ……)
ゾルグ。あの狡賢い男が、そこを見落とすわけがない。現に彼は今、鼠たちとまずは一気呵成の襲撃を企てながら、それが一旦破れたとなると、今度はすかさずこちらを雪隠詰めにする構え。アグネスを足止めし、コナマの力の消耗を見守る。そして彼の
(やろう……!)
歯を食いしばりながら、彼方のその強敵に目をやれば。
「ハハハハハ!どうしたどうした、そんなもんか小娘!」
(……強い!)
ゾルグの振るう
(なんたる我流……いやなんたる恐るべき我流!)
いったいこの技を、この男は独りどうやって身につけたのか?それとも生まれついての何かなのか?そう、槍術においては正式の修行研鑽を積み、達人の域に達したアグネスだからこそ、かえってわかるゾルグの腕の凄み。彼女だからその攻撃をかろうじてしのげるのだ、当たり前の腕の者についていける動きではない。
だがそこまで。アグネスの剣技では、守り耐えるのが精一杯。
(駄目だ、槍が要る、槍でなければ……この男の槍斧とは戦えない!)
掌を輝かせて群獣を脅かすこと、早幾度目か。だが退くたびに、次に押し寄せる鼠の数は増えていく。いまや壁の周囲は鼠の海だ。
「坊や、テツジさん、聞いて!」
コナマが二人を呼ばわる。その声は大きかったが、依然として動揺の気配はない。
「壁の中にあるのよ、何か聖なるものが。力を感じるの。でも何度も声をかけてみたのだけれど、目を覚まさない……きっと二人の力がいるわ」
「なんだって?」「どういうことです?」
壁の「中」とは?まず巨人が動く。さっと壁の横に回り込んで一目、そして戻ってゴツゴツと拳で壁を叩き手応えを見る。
「むむ殿下、この壁は二枚重ねだ。あるぞ、何かを壁の間に塗り込めてある!」
「……掘ってみろ!」「あった!」
二つの声は同時。メネフの言葉が耳に届くより、巨人の爪の動きは早かった。壁の表面を鍋蓋ほどに丸く引き剥がすと、そこに現れたものは銀色に輝く金属棒、その一部。
「ですがコナマさん?」「きっとこれだ!使え!」
問いかけた巨人をみなまで言わせず遮って。メネフは巨人に何かを手渡す。それは取り外した彼の左手の義手の指一本、つまりそこに付けられているもの。
「そうか、これか!」
そして巨人は、彼のシャベルを掴み、持ち手に鎖で取り付けられていたあの金属片をシャベルから引きちぎった。
「えんやこら、コンチキショウ!……これでもか!さぁどうだ!」
工房で、グノー老人は巨大な鋼鉄の塊に火を入れ、かなとこの上で槌を打ち下ろす。
「上物の鋼鉄だ、やっぱり強情モンだなこいつめ!なぁに、意地を張ってられるのもここまでよ……そぉら、これならどうだ!」
鋼をどやしつけながら、老人はその形を整えていく。四角い一塊の両端が引き伸ばされてゆき、やがてそれは巨大な三日月の姿に。そう、今老人が鍛えているのは、オーリィが注文したテツジのための「巨人のツルハシ」だ。声にも腕にも眼差しにも、燃える竈の熱に負けぬ気迫がこもる。
「負けられねぇ!今後こそ!負けてたまるか!爺さんにゃなぁ!!……お?」
作業に無我夢中と思われた老人が、ふとその手をとめた。見上げた先にあるのは、細工仕事のための作業台。そしてそこに光っているのは。
彼がメネフとテツジに与えたのとそっくりな、金属片がもう一つ。金属片は竈に燃える炎の輝きを反射し、ただ静かに輝くばかりだが。
グノー老人にはわかる。ドワーフにしか読めず見えない魔刻のその響き。
「見つけたなあいつら。どうやらわしの仕掛けが役に立つか……親父ぃ!!」
老人はテバス地方のある北方の空に目を向け叫ぶ。
「爺さんとだけじゃねぇ、わしは、親父!あんたとも勝負がしてぇ!
……さぁあんたの仕事も出して見せてみろ!!」
「ヒャハハ、それそれぇ!……お?やったか?」
ふいと猛撃の手を止め、アグネスの背後を覗き見るような仕草のゾルグ。
「まさか!……くっ!!」
「チッ、しぶといな!引っかからなかったかよ」
さては仲間たちが、と一瞬振り返ってしまったアグネスに振り下ろされるゾルグの一撃。卑劣なフェイク、だが辛くもかわす。
「そうだそうそう、わかったか?よそ見してるヒマなんか無ぇぞ!」
再び攻め始めたゾルグ、その声に乗るのは侮辱と嘲弄。アグネスのさらなる動揺をさそっているのだろう。だがアグネスの心はこの時、逆に静まり返る。
(槍の無い私に対してこの男は今、驕り高ぶっている……私を弄び始めた。ならば、心に隙があるのはむしろ奴の方だ……そこを突けば!)
しかし何故、と心に問うアグネス。何故自分はこのような絶対の窮地でかくも?それは明らかに、以前の自分では遠く至っていなかった、精神の高みの境地。
まるで何かに導かれているような……
(噛みしめるのは後だ。ここはただ、皆を信じて耐えしのげ!)
依然劣勢、しかし少女聖騎士の胸には、この時いっそうの闘志が凛と灯る!
「これと、これで、こうか?」
壁の中に埋められている金属製の何かに、巨人がメネフから受け取った指と、自分のシャベルから取った金属片の二つを押し当てる。
「どうだ?お前は……いったい何者なんだ?!」
テツジの喉から、その奇妙な問は自然に飛び出した。迫る危機に押し流されてか、それとも。
「答えろ、起きろ!!」
むしろそれ自身が、己に対するその呼びかけを求めたのか。
壁の中の鈍く輝く銀色の金属、その肌がにわかに金色の輝きを放ち、魔城の薄暗がりを切り開く!壁と戦士たちをぐるりと取り巻いていた鼠の群れは、たちまち波打って退きその包囲の輪を大きくする。
「この光、こりゃあ……あいつのと同じもんか?!」
「そうよ坊や、アグネスと同じ、人間の持つ破邪の神聖力。これは、壁の中で眠りながら、それを蓄えていた……きっと、世界にこんな日が訪れる時のために!」
「……掘れテツ!もっと掘り出せ!」「おう!」
巨人の爪はたちまち、壁の表面を掘り崩す。そしてついに現れたそれの姿。
十字の穂先を掲げた、一条の槍。
「……海賊との戦が収まって、テバスの城が城としてお役御免になった時。親父、あんたは時の侯爵、先々代のノーデル侯様に頼まれた。
『敵味方、血を流し倒れた多くの者たちの鎮魂のために、そして世の人々のこれからの安寧のために。テバスの城は碑として残す。されば親方、そなたに頼みたい。万世万民安寧守護の要たるべき業物を鍛え、城に納めて欲しい』
ってな……そうだったな親父?わしはあんたからそう聞いてたぞ!
そしてあんたはそれを打った。祭りの奉納の品なんて大嫌いなお飾りを、でもあんたは……その時ばかりは、本気で『後の世のために』ってな!そしてドワーフのあんたが、敢えて人間達のために作ったその品……
『
見てみてぇ……親父の本気の作!わしはそいつと勝負してみてぇんだ!!」
遠く、あの旅立ちの村で。グノー老人の槌打つ腕は、さらにその回転と打撃の力を増していく……
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「むむむ……これはたまらぬ!」
槍の聖なる輝きに、実際は遠く離れて見ているはずのシモーヌまでが後退る。
「なんだあれは?なぜここに?よだか?!」
〈だからあたしゃ知らないって!……いいやまてよ?まさか……〉
答えに窮した古い神、だがはたと思い当たる。
〈まさか……ベネトリテが……お前の仕業かい、ベネトリテ……〉
(続)
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