第7話 康史郎の願い、梨里子の想い

 ICレコーダーを止めた梨里子りりこはスマートフォンを持つと、テーブルに並べた征一せいいちのスケッチと絵を撮影した。絵を額に戻そうとする康史郎こうしろうに梨里子は呼びかける。

「その絵を持った横澤よこざわさんを撮影したいんです。すみませんが補聴器とマスクを外していただけますか」

「分かったよ」

 康史郎はうなずくと補聴器とマスクを外し、立ち上がって絵を持った。スマートフォンを構えた梨里子が呼びかける。

「はい、チーズ」

 スマートフォンがパシャリと鳴った。


 絵とプレートを戻した後、居間に戻ってきた梨里子は壁の時計を見た。針は三時四十五分を指している。

「夫が四時に迎えに来る予定なんです。その前に、もし頼みたいことがあったら何でも言ってください」

「そうか、もうそんな時間か。それじゃ折角だから甘えさせてもらおうか」

 康史郎は梨里子を仏壇の前に連れてきて引き出しを開いた。中には年賀状の入ったファイルと、アルバムが入っている。

真優美まゆみさんが毎年送ってくれる年賀状と、孫の広希ひろきの写真だ。わしがもし亡くなったら、これを広希に渡して欲しいんだ。連絡先はこの年賀状を見れば分かるし、携帯にも電話番号が入っている」

「そんな、横澤さんはまだまだお元気じゃないですか」

 梨里子は康史郎を励ますが、康史郎はかぶりを振った。

「自分の体のことは自分が一番分かるさ。わしに何かあったら一番近い親戚の梨里子さん家と、お墓を管理してくれる姪の村橋むらはしあかりさん家に連絡して欲しいとヘルパーさんには伝えてある。ただ、孫の広希は鳥居とりい家の人間だし、わしのことであまり迷惑をかけたくないんだ。申し訳ないが、この家の後片付けも梨里子さんたちにお願いしたい。銀行口座のある支店に遺言状を預けてあるから、詳しくはそれを見てくれ」

 梨里子はアルバムを手に取り、最初のページを開いた。産婦人科の病室で赤子の広希を抱いた真優美と康史郎、柳子りゅうこが写っている。征一の絵を思い出して梨里子は胸を詰まらせた。

「分かりました、必ず渡します」

 アルバムを閉じると梨里子はきっぱりと答えた。


「今日は本当にありがとう。美津則みつのりさんや椿つばきさんたちにもよろしく伝えてくれ」

 玄関で靴を履く梨里子に康史郎は呼びかけた。

「こちらこそ大切なノートを預けてくださり、ありがとうございます。ドラマの感想も聞きたいですし、また今度ノートを返しに伺いますね」

 靴を履き終わった梨里子は康史郎に改めて一礼すると、ドアを開けた。康史郎も見送りに出る。既に路地の先には、『ファッション・カイドウ』と書かれたバンが止まっていた。

「それでは、お体に気をつけてくださいね」

「ああ、梨里子さんもな」

 玄関で立つ康史郎に手を振ると、梨里子はバンに乗り込んだ。


 走り去るバンを見送ると康史郎は家に入り、お土産の水羊羹みずようかんを二つ取り出して仏壇に向かった。水羊羹を供え、線香を上げると無言で数珠を手に取り拝む。

(一希、柳子、征一、姉さん、わしはもう少しこっちで頑張るよ。ドラマの話もあの世に行ったらしたいからな)


「お待たせ」

 バンに乗り込み、シートベルトを締めた梨里子に美津則は話しかけた。

「どうだった?」

「素晴らしい話が聞けたわ。おじいさんへの贈り物もいただいたし、横澤さんの回想録も貸してくださったから、また返しに行かないと」

「それは次回作の構想に役立ちそうだね」

 梨里子の満足そうな表情を見た美津則はバンを発進させ、うまや橋へと続く道に入った。

「それもそうだけど、『厩橋お祭り食堂』の第二部を少し変えようかなって」

「今日の話で何か浮かんだのかい」

「おじいさんは横澤さんに素敵な絵を贈っていたの。啓一けいいちは店のためにマンガ家をあきらめるつもりだったけど、折角のフィクションなんですもの。絵で活躍する道を考えたいなって」

 梨里子は康史郎の書類バッグと風呂敷包みを握りしめた。美津則がため息をつくように言う。

「そうか、おじいさんの本当の夢、叶うといいな」

「ええ。それがおじいさんにも、横澤さんにも喜んでもらえる道かなって」

 バンは厩橋へさしかかっている。梨里子は美津則に呼びかけた。

「パパ、今日の夕食は何にしようかしら」

「それなら、ドラマの前祝いも兼ねてお寿司にしたんだ。築地つきじの寿司屋に持ち帰りの予約をしたから、このまま取りに行こう」

「ありがとう、みんなもきっと喜ぶわ」

 厩橋を渡ったバンは自宅の浅草橋あさくさばしとは反対方向、築地へと曲がっていった。


                       おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る