第34話 来訪者

 悶々とした気持ちを抱えたままの紬だったが、それでもやはり時間というのは平等に過ぎていく。

 平等というのもおかしな話かもしれないが、紬の中ではそんな風に思えるのだ。


 誰に対しても平等。

 老いも若きも、男も女も。

 まるで詩的な物言いだと思うがあながち間違いでもなかろうと紬は誰に言うのでもないのでそう思っている。


 日々の講義とアルバイト、その行き来だけでなかなかに忙しい。

 同様に紡も忙しいようで、朝見かける時はまだ寝ているし夜はどうやら紬よりも遅くなっているようだった。


 時折互いに起きている時には、同じ屋根の下で暮らして同じ部屋にいるというのに「よう、久しぶり」なんて言ってしまうのだから何とも不思議なものだ。

 ついこの間まで同じ時間に起きて、洗面所が狭いと互いに文句を言い合って同じバスに乗っていたのが遠い昔の話のようだなあなんて笑うのだから。


 今日の紬は朝から大学の講義が詰まっており、バイトも何もない日だ。

 こんな日はすべての講座を終えた後に図書館によって資料と面白そうな本を眺めてから帰る。

 それがここの所の紬の平和な時間の過ごし方だった。


(……お?)


 受講中、テーブルの上に置いてあったスマホに通知が出る。


 それに対して紬はまた花梨からのメッセージかと苦笑する。

 紡との関係は安定しているらしく、彼女からのメッセージはここの所明るい話題ばかりだ。

 それも他愛ないものだから、紬も笑うことができる。


 少し前であれば、それはあまり歓迎できないものだったけれど。

 今ではあんな昏く、気持ちの悪い感情は生まれてこない。

 ただ少し……そう、ほんの少し、ちくりとした痛みがあるような気がしないでもない。

 けれど、その程度だ。


 内容は紬の大学を見に行きたい、そんな他愛のない内容だ。

 別段他の大学の生徒が来ても問題はない気がするが、学祭もないのに何の酔狂だろうと思いながら適当に応じる。

 本来は何か手続きがいるのかもしれないが、時々他大学の生徒が授業に混じっていることを知っている紬としてはそんなものなのだろうと思っている。

 大学内の施設を利用しようとするならば、学生証がないとなにかと不便かもしれないがまあ見学程度ならば必要もないだろうと思ったからだ。


 一応、花梨には内部まで見るつもりならば入り口で見学手続きができたはずだと追加で知らせておいた。


『友達と今から行くね!』


 そんな呑気な返事と、愛らしいスタンプが続けて送られてくる。


(今からかよ!)


 今から、などと唐突に告げてくる花梨に思わず心の中で盛大に突っ込んだ。

 どうせなら事前に言っておいてくれれば良いのにと思うのだが、思い立ったが吉日というところがある花梨のことだからきっとそうなのだろう。


『そういや紡にね、こないだ付き合った記念のプレゼント贈ったんだけど喜んでくれてたかわかる?』


『知らねえよ、今あんま生活時間被んねえから会ってもろくに会話する時間もない』


『そっかぁ』


 続けて花梨から紡の近況について尋ねてくる内容があったが、紬はそれに対してそっけなく応じる。

 

(お前らこの間の日曜デートだったんだろうが)


 合間に仲睦まじい写真が送られてくるこちらの身にもなれ、と紬はそれまでににこやかさはどこに行ったのか、一転して不機嫌な顔になった。

 別段紡としては自慢の意図はないのだろうが、やれ花梨といった先での料理が美味かったから今度一緒に食いに行こうだとかそんな内容なだけに何とも文句がつけづらいのだ。

 その分鬱屈が溜まるというか、お前らいい加減にしろよと紬が思っても仕方がない話であった。

 寧ろ下手をしたらこまめに連絡を取っている分、花梨の方が同じ屋根の下で暮らしている紬よりも紡の近況を知っているのではないかと思うのだが彼女からすれば違うのだろうか。

 一緒に暮らしているからと言われればそうなのだけれども、釈然とはしない。


(くっそ、羨ましくなんかねえ)


 若干強がりであることはわかっているが、それでも認めるには悔しい。


 とりあえず、花梨が今から来るとなると時計はちょうど昼過ぎだったから、どこかで食べてくることだろう。一緒に誰かがいるならば、そうなる可能性も高いだろうと紬は思う。


 友人が一緒だというならば、それはこの大学を目指す花梨の後輩の誰かかもしれない。花梨は先輩からは可愛がられ、後輩からは慕われるといった紬からしたら紡と同じ、周囲ウケの良い人種だったから。

 あれこれ紹介された気もするが、あまり覚えていない。

 そういうところがだめなのだろうと自覚はあるのだが、いまひとつ関係のない人間を覚えるのは紬にとって有益とは思えないのだった。


(誰だろな?)


 誰、とは言ってこない辺り紬の知らない人物なのだろうと勝手に納得する。


 案内しろとは言われていないものの、恐らく到着すれば連絡が来るのだろうと紬は午後の受講内容を考えて問題ないことを確認する。

 幸い、今日は予定されていた講義は休講だったのだ。


『何時ごろ来るんだ?』


『わかんないなー、着いたら連絡するよ!』


『遅くなるなら帰るぞ』


『えーやだ、案内くらいしなよ! カヨワイ女の子たちを放り出すのかヒトデナシー!』


 泣き顔の顔文字と併せて送られてくる内容に相変わらずだなあと呆れつつ、紬は連絡が来るまでは図書館にでもいようと決める。


『今受講中だからまた後で連絡する』


『えっマジで?? ごめーん』


 花梨からの謝罪らしいスタンプを最後に、メッセージアプリも沈黙する。

 紬が顔を上げた先では、教授がホワイトボードを指さして細分化したものについて一つ一つ説明を始めた所だった。


(……あの教授、長いんだよな)


 実を言うとまだ紬は食事をしていないので、教授の長話で講義のチャイムが鳴った後も付き合わされるのは面倒くさいのだ。

 これから学食に行けば混んでいるであろうことは予想ができたが、残念なことに給料日前の財布は大変心許ない。

 ならば選択肢はないのだ。

 できれば早く行って静か目な席を陣取りたいところであったが、そんな紬の気持ちと裏腹に教授は興が乗って来たのか次々とホワイトボードに単語を書き出しては説明を嬉々として続け、挙句にはそれに関連した内容まで語り出したではないか。


 時間が押していなければ、或いは財布に余裕があったならば。

 紬としてはその授業内容そのものは大変有益であると思っているのでありがたいぐらいなのだが、残念ながら今日はそんな気分ではない。


 とはいえ、中座して出ていくのも気が引けた。


(終わるまでここに座っているしかないか)


 どんだけ長引くのかなあ、と紬はため息を堪えつつその話をルーズリーフにメモとして書きこんでいくのだった。

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