第23話 それから

 それから。

 それから、次の日になって、雫の姿はなかった。


 誰も何も言わない。休みなんだねと彼女の近くの席で誰かが言っていたように思えたが、それが誰かも紬にはわからなかった。

 

 昨日の態度を謝ろう。もう一度ちゃんと友人として関係性を築き直そう、そう覚悟を決めて登校したところで彼女が休みなことにより肩透かしを食らったような気分になって、紬はその気持ちをどうしてよいかわからず持て余した。

 気持ちが苛立ちになって、他の誰かに八つ当たりをしてしまわないように、欝々とした気分を逃がすように、ため息を繰り返す。

 それはそれで彼の近くの席に座る人間からしたら鬱陶しかったかもしれないが、彼としてはそれが精いっぱいだった。


(……流石に、昨日のアレは、ねえよなあ……)


 もともと雫は体が強くないのだから、精神的に負担をかけたことがきっと体調に影響をして今日の休みに繋がったのだろうと紬は思う。

 だが謝るつもりで覚悟を決めて、許してもらおうなんて甘い考えではなくて不快にさせて悪かったと心底それだけは伝えたくて学校に来てみたら罪悪感が増すばかりだ。


 念のためにSNSメッセージを利用して謝罪の言葉と、体調に対する心配をできる限り穏やかに送ったつもりだ。

 既読は、ついていないが。


(まあ、具合悪い時にケータイ見ちゃいねえよな)


 自分だって落ち込んで吐きそうになっている時は電源を落とすか遠ざけるかするしな、と紬は今日何度目かもわからないため息を吐き出して、授業のノートを取り続ける。

 普段よりは少しだけ丁寧に書いているそれは、もし雫が必要だというなら渡せるようにというちょっとした考えだってあった。


 勿論、雫が拒否することもあるだろう。

 やらないよりはましだろうと、今なにもできないことを持て余す紬の、精いっぱいだ。


(ああ、かっこわりぃ)


 そもそも成就しない片思いを終わらせることも消化することもできない時点でかっこ悪くて、それを知られた上に許されたような言葉に甘えてろくでもない姿を見せたことがさらに紬を追い込んでいた。

 何がかっこいいのか、なんて紬自身理解はできていないが、少なくとも今の状況はそれじゃないことくらいわかっている。


「紬ぅー」


「紡?」


「悪い、辞書!」


「ああ? ほらよ」


「さっすがーなんのって言わなくてもわかっちゃうなんて魂の相方!」


「馬鹿じゃねーの、いつもいつも毎回忘れやがって。お前んとこの時間割覚えたわ」


「だってよぉ、辞書重いじゃん!」


「へいへい」


 授業の合間に顔をひょっこりと覗かせた紡に、紬は低い声でうなりつつ英語の辞書を押し付ける。

 それを当たり前のように受け取りつつ笑顔を浮かべた紡に、ふと、疑問が浮かんだ。


「……花梨のやつ今日見てねえな? いつもなら休み時間のたんびにお前にくっついてたろ」


「あー、花梨は今日休みだ」


「あ? アイツも休んでンのかよ」


「アイツもって、雫ちゃんも?」


「ああ」


「じゃあ昼飯はお前と二人っきりかー。っかぁー! 花がねえなあ!」


「オッサンか」


 わざとらしい紡の嘆きように、紬もいつものように合いの手を入れる。

 そうして互いに小さく噴き出して、軽く手を振って別れるのはいつものことだ。


 そして紡に背を向けて自分の机に戻った紬はほっと息を吐き出した。


(花梨がいなくて良かった)


 正直なところ、花梨に会えるだけで苦しくもあるが同時に嬉しい。

 だが今は雫にやらかした・・・・・負い目があって、彼女と仲の良い花梨と顔を合わせるのは一方的に気まずい気分だったからだ。

 勿論、紡と仲良くしている姿を見ると前ほどではないにしろ、今でも胸が苦しくてたまらないし『やめてくれ!』と喚きたくもなるのだけれど。


(……花梨は、雫からなにか聞いてるかもしれないしな)


 紬の想いを簡単にバラすような真似はしないだろう、と思うものの僅かに気がかりではある。

 雫だって苦しいのだから、自分で思っていることとは違うことを衝動的にしてしまう可能性だって否めない。


(もし、花梨に、バレたら)


 ぞくりとする。

 それが喜びなのか、怖れなのか。それとも両方なのかわからなくて、紬は気持ち悪さを覚えた。


(くそ)


 自分の感情なのに、さっぱりわかりはしないこの気持ち悪さはどうやったら拭えるのだろうか。そんなものに答えはないんだろうということはもう嫌というほど知っていた。

 だから、花梨と顔を合わせて責められるか、あるいは何かもの言いたげな顔で見られるのは正直、嫌だった。


 色んな意味で自業自得と言われればそれまでだが、紬にだって言い分はある。

 とはいえ、今回のことに関しては自分があらゆる意味で下手であったことは間違いないので、問題が先送りになっただけとはいえ一旦は息が付けるのだと思うと安堵の気持ちも隠せない。


 そしてそれがまたかっこ悪くて、彼としては胸の中にもやもやとしたものを抱え込むのだ。


(……紡に相談するか?)


 へらへらと笑っているだけのように見えて、紡は案外思慮深い。

 あの笑顔が人との軋轢を減らすもので、紡にとっての処世術であることを紬は知っている。そしてその分、彼が人の様子をよく見ているということも知っていた。


 生来の無愛想さが原因で、何度も喧嘩や友人との行き違いで悩んだ紬に紡は良くアドバイスをくれたものだ。

 アドバイスと言っても『アイツはチョコレートを食ってる時は機嫌が良い』とか『最近イライラしてるみたいだから話しかける時は様子を見た方がいい』とかそんな他愛のないことだけれども。


 だがそのおかげで上手くいったことが何度もあったし、紡がその不愛想さも馬鹿正直さも、悪気はなく理由があるのだと知っていてくれているからこそ紬は謝りにも行けたしそのアドバイスを信じることもできたのだ。


(けど、なんて言う?)


 きっとここ最近の紬と雫のぎくしゃくとしたものは、彼にはもうお見通しだろう。

 花梨にも気づかれていると思ってもいいのだと思うくらい不自然だということは、紬にもわかっている。


 だがどうしたら良いのかなんてわからなかったのだ。

 わからなかったものはどうしようもない。できることをただやっただけだ。


 その結果が行き詰っているわけなので、正しくはなかったのかもしれないけれど。


(……雫と仲直りがしたい、でいいか)


 嘘は言っていない。

 気まずくなったし、元通りの関係には戻れないことは事実だ。


 それでも、謝りたかったしその後の態度についても詫びをしたいと思うのは、悪いことだろうか?

 紬は別段それを受け入れる受け入れないが雫の自由であることを理解しているし、受け入れてもらえれば嬉しいが拒絶されるならばそれだけのことをしでかしたのだと反省を強めるだけだと思っている。


 ただ、きっかけは必要だ。

 覚悟がこうしてから回った後も持続できるほど、彼は強くない。そしてそれを自覚できる程度には、精神的に幼くもなかった。


(気が重い)


 だが、なにもしないのは無理だった。

 言わずに自分で解決できるならば、それが最善だとしても。

 少なくとも、今の紬には何の解決策も思いつかないのだ。幸いと言っては何だが、一番の障害である花梨がいない今こそが紡に相談しやすいタイミングなのだと自分に言い聞かせる。


(……いや、家で話せばいいだけじゃねえか)


 紡だって常にバイトでいないわけじゃないのだからと気が付いて、自分がどれだけ周りが見えないほど慌てているのかを思い知る。


(いいや、今気づいたしタイミングがいいんだから聞きゃいいだけだ。……それからのことは、それからだろ)


 そう思いながらも、紬の口から洩れたのは今日一番の盛大なため息だったのだった。

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