幼少のアゲハ



 エコーズが住む大陸、エトピリカ。



 海に面する港湾都市では、エコーズと人間が対立する世界において、唯一交流できる都市として認定されている。


 都市に配置されているエコーズは、比較的人型、気性は穏やか、社交的なため、人間も安心して住処にしていた。


 都市に神脈結界などなく、そこには多様な人種、エルフ、獣人が集まっており、商業を活発化させている。



 一匹の白いカモメが、帆船から飛びたった。



 カモメは港湾都市を離れると、すぐ近くの山へ飛翔していく。


 風切の翼が、湿った風を突き進む。


 山の中間部まで進んだとき、そこには大きなお城が建っていた。


 カモメはまた海へと引き返す。



 お城は石や煉瓦で造られ、強固な城壁が周りを囲んでいる。


 とんがり屋根には、国の国旗である飛竜、『リンドブルム』の旗がかかげられていた。



 いくつもある塔の中で、キープと呼ばれる一番高い塔がある。


 塔には、ある少女の部屋があった。



「ちょっと、どうしてこんなもの、着なきゃいけないの? 動きずらいよ。下スースーするし」



 少女は金髪の髪、碧い瞳、背は低い。


 瞳孔は獣のように鋭く、人間の瞳ではなかった。


 耳はエルフのように尖っている。



 少女の後ろでは、使用人の女、サラが少女に着せるドレスを整えていた。


 サラの両目は真っ赤で、顔は人間の女。


 時折、頭の頭頂部にある、左右の獣耳が、震えるように動いた。


 服装はメイド服だ。年齢はまだ若い。



「我慢なさい。王の御前ですよ。ちゃんとした着物を着ないと」



 スカートをあまりはいたことのない少女は、頬をむくれさせた。


「はい、これでよしと。後は」


 サラは長い舌をだし、少女の頬をペロペロ舐めた。


「きゃ、くすぐったいよぉ」少女は嬉しそうにはしゃぐ。


「完了です。それじゃ、背筋を伸ばして、胸を張って、礼儀正しくするのですよ」


「はいはい。じゃ、行ってくるね」


 廊下にでると、少女は王の間へのんびりむかった。



「ふう……」



 サラは廊下の奥で、少女が消えたことを確認すると、ため息をつく。




「行ったのか?」




 少女が消えた廊下の反対側から、体格のいい男があらわれた。


 手の爪が鋭く、両目は赤い。


 口から鋭い牙が見える。腰には刀を所持していた。



「はい。先生」



 少女の剣の師匠であり、読み書きの先生でもある、朧という名のエコーズだ。



 朧の顔つきは精悍な人間の男性で、服装は和服を着ている。


 髪は灰色に染まっており、長髪を馬のしっぽのように、後ろでまとめていた。


 言動や態度は先生をしているだけあって、物静かに語りかける。



 サラはしきりに、指で目をこすっていた。



「泣いているのか?」


「ええ、ちょっと。わかってはいたんですけどね。いざこの日が来ると、あの子、人間の大陸でやっていけるのかどうか心配で」


 サラは少女にとって、姉のような存在だ。使用人の立場でありながらも、家族のように接してきた。それゆえに、心配でたまらないようだ。


「私もだ」




「わかりますよ。先生。気づいていますか? 号泣してますよ」




 朧は腕を組み、両目から滝のような涙を流していた。


 少女を娘のように接していたために、サラ以上に情が深いのだ。


 普段は冷静沈着だが、アゲハのことになると、感情が高ぶってしまう。


「辛すぎる。我が弟子の中で、一番出来が良く、明るく可愛らしいあの子が、あの化け物どもがいる大陸にたった一人で旅立つとは。人間め。もしあの子に手をだしたとわかったら、その身を引き裂いて、臓物を飛び散らせ、骨を砕いて……」


「まあまあ。人間との戦争はほぼ終結。大丈夫ですよ」


 話がどんどん残忍な方向へいっているので、サラはそれを止めた。


 朧は十四年前、人間の住む大陸、コスタリアで人と戦っていた。


 それであまり人間を信用していないのだ。


「わかっているが心配だ。昨日の夜も眠れなかった。どうすれば眠れると思う?」


「泣けばよいのでは? すっきりしますよ」




「そうか。では。ウオオオオォォォォォォ!」




 両手を上げて、泣き叫ぶ朧。


「外でやってください!」


 サラは耳を押さえて叫んだ。





 リンドブルムの王、コウダが机の上で仕事をしている。



 コウダのいる部屋には、様々な本が置かれてあった。


 椅子も机も豪華な作りで、エコーズの王らしい。


 しかし、王の体格は人の子供ように背が低く、表情も幼い。


 背は一メートルあるか、ないかの高さだった。


 両目は他のエコーズと同じ、血のように赤い。



 部屋のドアがノックされた。




「失礼します。アゲハです」




 女の子の声が、ドアの外で響く。



「ああ、入って」



 コウダは躊躇することなく、部屋の中に迎え入れた。




「おはようございます。王、コウダ様」




 アゲハは中に入ると、恭しく頭を下げた。


「やあ、おはよう。今日もいい天気だね」


 コウダはペンを置くと、アゲハに顔をむける。


 色の混ざらない白い肌と白い髪。


 赤い両目は、異常な輝きを際立たせる。


「その椅子に座るといい」


「はい」


 素直に椅子に、ちょこんと座るアゲハ。


「うん。その体つきと顔立ちからして、人間の世界でいうと八歳ぐらいか。まあ僕らの世界じゃ二十歳を超えているけどね」



 エコーズは人間よりも長寿だ。


 アゲハは生まれてから、もう二十二年たっている。


 それでも、エコーズからして見れば、まだ子供だった。



「そうなんですか?」


 人を見たことのないアゲハは、不思議そうに首を傾げた。


 コウダは少し苦笑する。


「まあ、これから色々と経験するといいよ」


 コウダは椅子から立ち上げると、窓から空を見上げた。





「――任務を君に伝える。これから君は、同盟国である大帝国に行ってもらう。そこに居住を構える貴族、マーガレット家の養子になること」





「人間の養子にですか?」


「正確に言うと、マーガレット家の当主は獣人だ。君はその目からして獣人に似ている。人間の大陸では獣人としてすごすんだ。そのほうが都合がいいからね。あとはその耳」


「私の耳?」


 アゲハは自分の耳を手で触れてみた。先端が尖り、上をむいている。



「それは髪で隠したほうがいい。獣人にはない特徴だからね」



「わかりました」


「まあ、心配することはないよ。マーガレット家の当主とは、いい取引先だしね。その姿であれば可愛がられるさ。最初はしおらしくしておくんだよ」


「はい。でもよく私を受け入れるだなんて、相手方は了承しましたね?」




 エコーズは人間に限らず、獣人にとっても嫌悪の対象だ。


 あまり人間や獣人に会ったことのないアゲハですら、それは知識として知っていた。




「獣人の赤子を拾って育てているが、民衆が処刑しろとうるさい……と、言っておいた。あとは君の写真を渡しておいたよ。先方は気に入ってくれた」


 エコーズの大陸では、港湾都市以外の村では人間、獣人、エルフ等の人種は敵だと見なされている。


 大陸をめぐって起こした戦争が、そのような敵視を助長させたのだ。


「へぇ。なるほど」


 アゲハは納得したのかうなずいた。


「さて、ここからが本題だ」


 コウダは窓の外から、アゲハへと視線を移した。





「人間の大陸で、理性や知性のないエコーズを生みだしている者がいる。その者を見つけだし――殺してほしい」





 暗殺の依頼。




 アゲハはその依頼を達成させるために、幼少のころから選ばれ、育てられてきた。


 剣の技術、勉強など、他のエコーズよりも特別扱いされてきたのだ。


 王女のように扱ってきたのも、高貴な身分の者に対して、物怖じしない態度を身につけさせるためだ。




 コウダは再び窓から外を見上げる。


「人間とは今後もいい関係を続けたいと思っている。だが、やはりエコーズへの不安を払拭しきれていないのか、神脈結界はより強固になりつつある。これ以上人間を刺激し続ければ、僕達の不利になりかねない。ようやく戦争は終結し、ここまでの関係を築きあげたんだ。それを壊してもらっては困るのでね」


 大帝国との同盟。


 エコーズと人間との戦争を終結させるための、大イベントだった。


 同盟を結んだ理由は、世界災厄とされたエコーズ、ホーストホースを封印するため。




 ホーストホースとは、自己増殖を繰り返し、人間だけではなく、エコーズでさえ飲み込んだ巨大な魔物。


 コウダはその封印方法を大帝国の王に教え、封じこめることに成功した。


 これにより、人間だけでなく、エコーズにとっても封印の決壊は世界の破滅を意味するようになる。




 魔帝国、剣帝国、賢帝国、武帝国、大帝国の五大帝国は、リンドブルムと平和条約を結び、戦争は終結したのである。




 コウダは平和の証である、五大帝国の旗を眺めた。


 旗は手の平サイズまで縮小したものだ。




「僕達エコーズは、生殖能力を持っていない。ゆえに、子供はつくれない。母樹様が年に数人生むだけだ。まあ、その副作用からか、人間より長寿だけどね。その代わり――神脈を失った」




 コウダは自分の赤い瞳を指さした。




 母樹様とは、巨大な大樹のことだ。エコーズは人間のように、雄と雌が必要な有性生殖では生まれない。


 地面に流れる神脈を養分とする、母樹からしか誕生できないのだ。




 アゲハは指で顎をさわると、考える仕草を見せた。




「でもその人。なんのために理性のないエコーズ。ゴーストエコーズでしたっけ? そんなもの作ってるんですか?」




「理由はわからない。だが彼等はコミュニケーションがとれないだけに、僕達にとってもやっかいな存在だ」




 ゴーストエコーズ。


 別の名前を『姿なきエコーズ』。


 人の前には姿を見せず、壊れた録音機のように、何度も同じ言葉を繰り返す。




 敵と認識すれば、同種のエコーズでさえ襲いかかるため、コウダですら手を焼いていた。


「君の他にも、手練れを送りこんでいるんだけどね。やはり神脈結界に阻まれて、調査が進まないみたいなんだ。そこで君にこの仕事をお願いしたい」


「わかりました」


 アゲハはぐずつくことなく、返事を返した。


「不安はないのかい?」





「いえ――楽しみです」





 アゲハは本心で答えていた。初めて外の大陸にでられる。それで興奮して、昨日は眠れなかったほどだ。




「そうかい。それは良かった。あと一つ――」




 コウダは指を一本、アゲハに突きだした。表情は堅く、険しい。







「――君の正体を人間に知られてはいけないよ。もし知られれば、世界の常識が壊れてしまうからね」







 指は静かに、口元に当てられた。

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