第6話
蟻自身も驚いているのだろう。
それはそうだ、視点の高さも変わっていれば目の前で契約を交わした女神と主の大きさが小さくなったのだから。
正確には蟻がでかくなっただけなのだけれども、あちらからすればそういうことである。
ヨシヤは震えつつも同じ視点の高さになった蟻を見つめて、呟いた。
「すてーたす……」
力の抜けきったその声にも、きちんと反応があった。
スマホの音声入力などはほとんど間違えられてしまうヨシヤだったが、これはちゃんと反応してくれるんだなあなんて明後日の方向に思考を向けることで彼は正気を保っているのだ!
表示されたのは、【レジェンダリージュエルアント】とまあ、何やら名前がゴージャスになっているではないか。
英語が苦手であったヨシヤは即座に妻の方へと視線を投げかける。
それを受けてハナもガイドブックを取り出した。
長年連れ添った夫婦ならではの連係プレーであったが、戸惑う蟻は自分の全身をあちこち見たり動かしたりと落ち着かない様子だ。
「ええと、ええと……あった! レジェンダリージュエルアント……希少種、危険度大。黒い甲殻に包まれた体は強固であり、高い知性を有し人とのコミュニケーションもできる。体表にある青い模様はサファイヤでできている……ですって」
「ほへえ」
ヨシヤから間抜けな声が出たが、本人も気にしてはいられない。
妻に向けていた視線を蟻に戻せば、あちらも大分落ち着いた様子でヨシヤのことを見ていた。
でかい。
そして、大きさが違うだけでどこからどう見ても蟻だ。
まごうことなき、蟻だ。むしろ大きくなった分細部までよく見えて、その顎が恐ろしいではないか。
ぶるりと体が震え、顔が引きつるのを感じたがヨシヤは一歩も引かなかった。
逃げようにも腰が抜けたとかそういうわけではない。
命を救いたいと決めて、契約を持ちかけた以上ヨシヤは蟻を拒否するなんて選択肢はなかったのだ。
引き取ると決めた命には、最後まで責任を持つこと。
地域猫の活動をする際に活動方法を教えてくれた近所に住まう田中夫人(喜寿)の言葉を思い出し、ヨシヤは勇気を出して震えながらも手を伸ばした!
そしてそうっと、本当にそうっと蟻の表面に触れると、仄かに温かいではないか。
(……もっと冷たいかと思った)
そりゃ生きてるもんなあなんてヨシヤは思ったのだろうが、おそらくただ単純に神域の太陽に照らされて装甲が暖まっているだけである。
だがそんな無粋なことをツッコむ者もいない空間で、蟻は蟻で精一杯ヨシヤの接触に対して何かを伝えようと触角を動かし、何か閃いたのか一歩下がった。
「お?」
「なにかしら」
そしておもむろに首をあげたかと思うと触角を揺らしかすかにヨシヤとハナの手に触れたかと思うと、深々と頭を下げたのである。
「……おまえ……」
頭を垂れて服従を誓うその姿に、子供の頃見た動物映画のワンシーンを思い出してヨシヤは目を潤ませる。
だがすぐに彼もハッと気がついた。
どんなに崇高な行動を取ろうとも、目の前でそうしているのは彼の苦手な虫である。
しかも、とびきりビッグサイズな。
(い……いやいや落ち着け、吉田ヨシヤ! ペットは飼うと決めたなら、最後まで責任を持つのが正しい飼い主の在り方だ! 俺がこいつを引き取ると決めたんだろう!!)
眷属とペットは違うのだが、その違いを彼に指摘する者はいない。
正直なところ、彼がこの発言をしていたところでハナも未だ女神としては未熟も未熟、なにせ夫婦揃って異世界生活レベル1なのだから当然だ。
「なまえ……そうだ! 名前をつけよう!!」
そうすれば愛着が湧くから!
ヨシヤが閃いたと言わんばかりに大きな声でそう言えば、ハナも呆気にとられていたところから正気に戻ったらしく「そ、そうね!」と賛同した。
「え、ええと……そもそもコイツ、メスなのかな、オスなのかな……」
「蟻や蜂ってほぼメスだって聞くけど……冠を被っているところを見ると、女王蟻じゃないの?」
ハナもそう詳しくはないのだろう、ちょっぴり困ったように小首を傾げながらそう言えば蟻も一緒に小首を傾げるような仕草を見せた。
それがなんとなく微笑ましいのかなんなのか、どうして良いかわからずそっと目だけを動かしてそろりと逸らしたヨシヤは少し考える。
「メス……うーん、うーん……蟻だけに、アリ子……アリ美……アリ江とかもありかな……ありだけに……」
「ヨシヤさん、座布団持ってかれちゃうわね」
「面白いと思ったのに!」
名前を考えつつも途中ドヤ顔で見てくるヨシヤに、しれっとハナは笑顔で否定してから何事もなかったかのようにハナも蟻を見ながら少し考えている様子だ。
「そうねえー」
「あの、ハナさん?」
「よろしくね、あっちゃん!」
「あっちゃん……!?」
蟻がその巨体を震わせる。嫌なのかと慌てるヨシヤをよそに、蟻の〝あっちゃん〟は触角で二人に触れてくる。
どうやら喜んでいるようだ。
「ま、まあ喜んでくれたなら良かったのかな……?」
そうヨシヤが呟いたところでふと、あっちゃんが先ほどとは違う震え方をしていることに気がついた。
「え、あれ? ちょ、待って……?」
そしてスッキリした顔をして見せたあっちゃんが、前足を器用に使って高々と掲げた白く丸いもの――それはなんと、卵であった……!
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