わたし、おおきくなったらみーくんのお嫁さんになるー!
少女がその少年と初めて出会ったのは、物心ついて間もない頃――
親の仕事の都合で引っ越すことになり、新しい家の隣が少年の家だった。
挨拶に行くと、両親と共に少年も現れた。
第一印象は快活で誰とでも友達になれそうな性格をしているな、といった感じ。
「うちの娘も同い年なの、仲良くしてあげてね?」
「うんまかせてよ! 幼稚園でいじめられそうになったら俺が守ってあげるから!」
初対面にもかかわらず、少年は少女の母親と気軽に話している。
対照的に少女は現在と違い、人見知りが激しくて終始、母親の後ろに隠れてオドオドしていた。
「ねえ君、名前何て言うの?」
と、少年が不意にこちらを覗き込んできて、飛び上がりそうな程驚いた。
「さ、紗花……」
か細い声で、辛うじてそれだけ答える。
「そっか。よろしくな紗花。おれのことは水輝って呼んでいいから!」
少年が親しげに微笑みかけると、不思議な事に不安だった気持ちがいつの間にか氷解していくのを感じた。
それが少女と少年――水輝と紗花の最初の出会いだった。
水輝は紗花の母との約束通り、紗花に対して非常に友好的に接した。
新しい幼稚園に入る時も、不安で怯える紗花を必死に励ましてくれた。
「大丈夫だって俺がついてるから。紗花のお母さんとも約束したしな。ホラ、いっしょに行こう?」
「う、うん……」
紗花が恐る恐る、差し伸べられた手を握ると、水輝も優しく握り返してきた。
二人は手を繋いだまま幼稚園まで歩いた。
相手の手の温もりが伝わって、自然と胸が熱くなる。
幼稚園にいる間も、水輝は紗花の近くを離れず、友達に遊びに誘われても断っており、トイレに行く時以外、家に帰るまでずっと一緒にいてくれた。
なぜそこまでしてくれるのかと訊くと――
「言っただろ。紗花のお母さんと約束したって。俺は約束したことはぜったいに守る主義なんだぜ! それに自分でも良くわかんないんだけど、なんか紗花を見てるとほっとけないんだよなぁ」
その日以降も水輝は紗花が周囲に溶け込めるように奔走し、おかげで内気だった彼女も次第に笑顔を見せるようになっていった。
友達も何人か出来たが、水輝だけは紗花の中で特別な位置を占めていて、いつしかお互いに「サヤ」「みーくん」と呼び合うまでの仲になる。
その気持ちが顕著になったのが、引っ越してから一年後に起こった冤罪事件である。
何者かがクラスのガラスを割り、偶然にも現場の近くに居たことから真っ先に紗花が疑われた。
園児も先生も、大した根拠もないのに、その場の雰囲気だけで紗花を犯人だと決めつけていた。
「泣いて誤魔化すのはやめなさい! どうして正直に認められないの?」
「噓つきは泥棒の始まりって先生よく言ってるよね? 今のあなたは泥棒と一緒よ!」
終始こんな調子で、紗花にとっては誹謗中傷以外の何物でもない。
どれだけ泣き叫んで「違う」と言っても、誰も耳を貸そうとはせず、ただ頭ごなしに責め立てるだけ。
ただ一人を除いては――
「先生、サヤがやったっていう証拠はあるの?」
取り調べしているところへ突然、水輝が割って入ってきた。
「なにを言ってるの。○○君が『紗花ちゃんしか居なかった』って言ってるんだからそうとしか考えられないでしょ!」
「ただ近くにいたってだけだろ? そいつはガラスが割れたところをちゃんと見てたのか?」
水輝は先生の発言の矛盾を的確に指摘していった。
しかし先生は頑なに認めようとせず、議論は平行線を辿った。
紗花に言わせると、それが正しいか間違っているかに関係なく、ただ自分の考えを否定されてヒステリックに騒いでいるだけのように見えた。
間もなく新たな目撃証言が出てきて真犯人が見つかり、紗花はようやく厳しい追及から解放された。
真犯人もやったことを認めて、これにて一件落着と言ったところで、異を唱えた者が現れた。
「先生、違ったんだからちゃんとサヤにあやまってよ!」
水輝が険しい面持ちで叫ぶ。
先生は「いや、あれは状況からして仕方なかったから……」と苦しい言い訳を繰り返していたが、水輝はしつこく食い下がる。
「先生良く言ってたよな? 『悪いことをしたら素直に謝りましょう』って。おれたちには偉そうなそうなこと言って、自分があやまる側になるとそうやってごまかすのかよ!」
やがて先生は非を認めて謝罪し、他に紗花の事を犯人呼ばわりしていた園児達にも謝らせた。
誰もが寄って集って自分を犯人だと決めつけていた中で、水輝だけが信じてくれたことが、紗花には途轍もなく嬉しかった。
その日以来、紗花の水輝に対する気持ちが友情から、今までに経験した事のない感情に変わった。
それが恋愛感情だと自覚するのには、それ程時間はかからなかった。
「わたし、おおきくなったらみーくんのお嫁さんになるー!」
「おれも、ずっとサヤといっしょにいたい! ぜったいに幸せにしてやるからな!」
お互いの気持ちを伝え合った二人は、どちらがともなく抱擁したりキスしたりして、より親密になっていく。
ところがそんな日常はある日突然終わりを告げる。
二人が小学二年生になる頃、本当に何の前触れもなく紗花の母が脳卒中で亡くなった。
幼かった紗花には、まだ人の死がどういうものかわからなかったが、動かなくなった母を見ると、どうしようもない喪失感に苛まれた。
しばらくは食事も殆ど喉を通らず、抜け殻のように茫然と過ごす日が多くなった。
見かねた水輝は、意を決して紗花に向かってこう言い放った。
「大丈夫だサヤ。おれがついてるから! なにがあっても一生サヤのそばを離れない!」
「みーくん……」
その言葉をきっかけに、紗花は本気で水輝と生涯を共にしたいと思った。
間も無く父親の仕事の都合で再び引っ越す事になり、離れ離れになってしまう二人。
しかし別れ際にいつの日か必ず再会する事を誓い合い、十年の歳月が経ってついにそれを実現する。
現在の水輝は幼少期と殆ど変わらぬ態度で接してくれているが、当時に比べると少しだけ自信を失くしているように感じる。
何故そうなってしまったのか、水輝の母に訊いてみると、中学生の時に起こったある出来事が原因だと言う。
それは水輝の父の死とも深く関係しているらしく、本人が話してくれるまで待つしかなかった。
もし出来る事なら、自分が力になってあげたいと紗花は思った。
水輝が自分にしてくれたように――
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