大人気アイドルグループの推しが、子供の頃に結婚を約束した幼馴染だった

末比呂津

プロローグ

「わたし、おおきくなったらみーくんのお嫁さんになるー!」


 それは子供の頃の他愛ない約束。

 現実問題、大人になって約束が果たされる可能性は、政治家が公約を実行に移す確率より低いに違いない。

 大人になればそんな約束をした事さえ、忘れてしまう人が大多数だろう。

 だが中には例外もいるようだった。




水輝みずきってば、アンタまたそのアイドル見てるの? ホント好きだねえ」

「んー?」


 晩飯後、リビングでテレビを見ていたら洗い物をしていた母親に話しかけられた。

 画面では煌びやかな衣装を着た少女達が歌って踊っている。


「うっせえなぁ。人の趣味にあれこれ口出しすんじゃねーやぃ」

「こりゃっ、親に向かってその口の利きかたはなんじゃ!」


 ポコンと頭をお玉で叩かれた。

 しかしせっかく楽しく見ていたのに、水を差された息子の気持ちもわかって欲しい。


「それにしても最近よく見るわよねこの娘達。なんて名前だったかしら?」

「マジカル・セプテットだよ」


 七人の女子高生からなる大人気アイドルグループで、新曲が発表される度に必ず週間売上ランキングで一位を取り、テレビで見ない日は無いと言っていいくらい色々な番組に出演している。

 特に同世代からは男女問わず絶大な人気があって、かく言う俺、明神水輝みょうじんみずきもCDやグッズを集める程のファンだった。


「我が息子が高校生にしてアイドルオタクになるとはねえ……」

「ほっとけぃ。だいたいマジセプのファンは高校生が一番多いんだぞ」


 年頃の学生の中には親にこのような趣味を知られるのを恥ずかしがる人もいるが、俺の場合はその辺はオープンだった。

 だからベッドの下に隠してあるエロ本が見つかっても、別に恥ずかしくない……いや、やっぱりちょっとだけ恥ずかしいかも……。


「ふーん。でも確かに皆可愛いわよねえ。それで? 水輝は誰が一番の推しなの?」


 出た。この手の話題になると確実に出てくる質問。

 実際、俺が通う学校でも「誰々が可愛い」だの「あの子が一番好き」だのと議論し合っているが、俺はそうやって優劣をつけるのはあまり好きではない。


「んー別に。皆好きだけど……」


 なぜなら全員、どの学校を探しても絶対に見つからないくらい超絶美少女しかいないから。

 本当に同じ人間なのかすら疑わしく思えてくるレベルで、誰か一人を選ぶなんて、勿体無くて到底出来ない。

 ただそれでも強いて挙げるとするならば――


「ああ、でも真ん中の娘は結構いいと思うな」


 俺が指差したのはアッシュ系のミディアムヘアをハーフアップにした少女。

 名前は紫苑紗花しおんさやかと言い、マジカル・セプテットのリーダーだ。

 可愛さだけなら他のメンバーも劣っていないが、何故か俺は彼女に強く引きつけられるものを感じていて、集めているグッズなども彼女のものが一番多い。

 え? さっき誰か一人なんて選べないとか言ってただろって? 贔屓しないとまでは言っていないだろ。

 などと一人で言い訳していると、不意に母親から不可解な発言が飛び出した。


「ああサヤちゃんね、やっぱり。本当に綺麗になったものねえ」

「……ウン?」


 聞き違いか。

 まるで知り合いに対するような口振りだった気が……。


「なんで昔からの知り合いみたいな言い方するんだ?」

「だって昔お隣に住んでたじゃない。アンタも良く一緒に遊んでたでしょ?」

「……え?」


 ……エ?

 ……絵?

 ちょっと一時的に思考が機能停止に陥った。

 ようやく正常に戻ってきた時、ふと幼い頃の記憶が断片的に蘇ってくるのを感じた。


『わたし、おおきくなったらみーくんのお嫁さんになるー!』

「……あ」


 俺に向かって無邪気に笑いかける可愛らしい少女の面影。

 俺が幼稚園から小学一年生の頃まで、隣の家に住んでいた同い年の女の子だった。

 言われて見れば髪の色が同じだし、顔立ちもどことなく面影があるかも……。

 確か名前は神崎紗花……あ。


「いやでも、あの子の苗字は神崎だったろ」

「親が再婚したのよ。引っ越す前にサヤちゃんのお母さんが亡くなったの、アンタも覚えているでしょ?」

「ああ……」


 葬式に出た記憶はあるが、あの頃はそれで苗字が変わるとは知らなかったのだ。


「それから何年か経って、今のサヤちゃんが所属している事務所の女社長とお父さんが再婚して苗字が変わったそうよ」


 つまり婿養子か。


「……ってちょっと待て。なんで母さんがそんなことまで知ってんだ?」

「ああ私、引っ越してからも向こうのご家族とはたまーに連絡を取り合ってるのよ」

「初耳なんだが」

「そりゃ言ってないからね」

「オイ」


 この母親は重要な情報でも、面倒臭いという理由で俺に伝えない時が間々あるが、今回もその悪癖が出たようだ。

 それはともかく、どうやらテレビに映っている紫苑紗花があのサヤだというのは本当のことらしい。

 近所で同年齢という事もあり、俺達は非常に親しくて、毎日のように一緒に遊んでいた。

 一緒にご飯を食べたり、一緒にプールや遊園地に行ったり、一緒に手を繋いだり、一緒のベッドで寝たり、一緒に風呂に入ったり……。

 そう言えばファーストキスも彼女とだったような……。


 上記の台詞でもわかる通り、当時のサヤはハッキリと俺に好意を持っており、いつも口癖のように「みーくんだーいすきっ」と言って、人目も憚らず俺に抱きついてきた。

 一番記憶に残っているのは小学一年生の時、先生に「将来の夢は?」と訊かれてクラスの皆の前で堂々と「みーくんのお嫁さん!」と言い放ったことだ。

 あれのせいで年中バカップル呼ばわりされて死ぬほど恥ずかしかった。

 どれだけ俺のことが好きなんだよ。

 でも多分、俺もそんな彼女のことを……。


「ま、まあいいや。それで? サヤは俺のことをなにか言っていたか?」


 憧れのアイドルと昔、ただならぬ関係だった事実を知り、恥ずかしさを紛らわす為にさり気なく母に質問してみた。


「気になるんなら本人に直接訊いてみれば?」

「本人に直接? どういう意味だ?」

「今度またこっちに引っ越して来るんですって。学校もアンタと同じよ」

「え!? な、なんでまた?」

「こっちの方が今の家より交通の利便性が高いんだってさ」

「はあ……」


 なんだそのラブコメ展開は?

 アイドルになったかつての幼馴染と同じ学校で再会するだと。

 現時点でも全く理解が追いついてないのに、次の瞬間には母から更なる衝撃の事実が告げられた。


「でもね、まだ新居が決まってないそうなのよ。引っ越す予定だった家が、契約の直前に持ち主が脱税で逮捕されちゃったとかでねえ」

「はあ……大変そうだな。もうすぐ新学期が始まるってのに」

「そう。だからウチに住まわせてあげることにしたの」

「はあ………………………………ハアッ!?」


 思わず声が裏返ってしまう程、今日一番の驚きだった。


「なんだそりゃ、聞いてないぞそんな話!?」

「そりゃ言ってないからね」

「オイ!」


 流行っているのかそれ?


「いいじゃないの別に。昔はしょっちゅうお互いの家に泊まったりしてたでしょ」

「今と昔とじゃあ状況が全然違うだろ!」


 ましてや彼女は今をときめく超人気アイドル。

 それが同い年の男と同じ屋根の下で暮らすなんて。

 世間に知られたらどうなることか……主に俺が。

 にわかには信じ難い話だが、母はそんな荒唐無稽な嘘をつく性格ではない。


「そもそもなんで俺になんの相談もせずにそんなこと決めたんだよ?」

「実はサプライズにしてアンタを喜ばせてやりたかったのだ。どうだ偉いだろう、エッヘン!」


 誇らしげに豊かな胸を張る母。


「ただ言うのが面倒臭かっただけだろ……」

「なんか言った?」

「いえ別に」


 母がお玉を構えたのを見て、抗議するのをやめた。

 これ以上言っても、家主はこの人なので決定権の無い同居人は諦めるしかない。


「ワーエライナー。何て気が利く親だろう。アンタみたいな親を持って息子はさぞかし幸せ者だろうよ」

「こりゃっ、親に向かってアンタとは何じゃ!」


 しかし結局お玉でポコンと叩かれた。

 サヤがこの家に来ることはもはや既定路線のようだ。

 まあいい。

 どうせ番組の収録とかで相手が家に居る機会はほとんどないのだから。変に動揺する必要は無い。

 恐らく今のサヤも俺のことなんてなんとも思っていないだろう。

 いや、もしかしたら彼女の中では黒歴史と化している可能性すらある。

 ……一応、念の為に部屋の壁のポスターは剥がしておいたほうが良さそうだな。


 ふとテレビに目を向けると、番組の司会者が『未確認生物UMAって居ると思う?』などと訳のわからない質問をマジセプにしていた。

 恐らくメンバーの一人がオカルトオタクだからそんな話題になったのだろう。

 だが紫苑紗花は『いやー現実的にあり得ないでしょー』と冷めた回答をしていた。

 そうそう、ネッシーなんて実在する訳が無い。

 アイドルと一緒に住むからといって、ラブコメ展開が始まるなんてもっとあり得ない話だ。

 ――と、思っていたのだが……。




 そして当日――


「みーぃくううぅぅーん! ひっさしぶりぃー! 会いたかったよぉー!」


 呼び鈴が鳴って玄関のドアを開けた途端、開口一番大声で飛び込んできたその少女は、他のものには一切目もくれず真っ先に俺に抱き着いてきた。


「元気だった? どっか体壊したりとかしてない? この十年間、一度も忘れたことはなかったよぉ……!」


 超至近距離で痛切に訴えかけるその顔は、テレビで何十回と目にした人物と完全に一致していた。

 マジカル・セプテットのリーダー、紫苑紗花。

 正直、実際に会うまで心のどこかでドッキリを疑っている自分がいたが、どうやら本物のようだ。

 間近で見るとテレビとは比べ物にならないくらい、実物は可愛かった。


「ほ、本当にあの神崎紗花なのか?」


 憧れのアイドルに抱き締められている現実に、全身が硬直する。

 彼女は顔をさらにこちらに近づけて、穏やかな微笑を浮かべる。


「そーだよ。今は苗字が変わっちゃったけど、みーくんの将来のお嫁さんになるサヤで間違いないよ!」

「え、それってまさか……」

「あの頃はまだ子供だったから、改めてもう一度ここで言うね」


 サヤは俺の首に回していた手を放して一歩後ろに下がると、少し恥じらうように頬を赤く染め、こう宣言した。


「私……紫苑紗花はこの世界中の誰よりも、あなたのことを愛しています。どうか私をみーくんのお嫁さんにしてください!」


 ……ネッシーって実在するのかな?

 上の空でいる俺に、さっきからずっと黙って見ていた母が肘で脇腹を突いてきた。


「さあどうするんですかい旦那?」


 こっちが訊きたいですぜ、お袋さんよぉ。

 とりあえず今の台詞が全国の男性ファンを敵に回すのは間違いない。

 俺も表面上は冷静に振舞ってはいるが、興奮し過ぎて今にも昇天しそうな勢いだった。

 なんだろう? もうすぐ俺死ぬのかな? 幸運を使い果たして?


 拝啓、天国のお父さんへ。


 もしかしたら俺、もうすぐそっちに逝くかもしれません。

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