オープニング(2)

   * * *


「調子はどうかしら? アニス様」

「元気、元気。特に問題もなく健康体だよ!」

「そう、それは残念」

「こらこら」

 朝食を食べ終わってから少しすると、ティルティが離宮へとやってきた。

 私の自室へと入ってきた彼女は私の顔を見るなりそう言い放った。本当に何年経っても全然変わらないな。シャルネみたいな子が増えたから尚更顕著だ。

「問題がないのは良いことだけど……それはそれでこっちとしては困るのよ。経過観察している身としては面白くない……いえ、不安になってしまうわね」

「もう普通に言っちゃいなよ、面白くないって」

「そうね、面白くないわ。もっと一目でわかるような派手な変化とかない訳? ドラゴンになった王女様?」

「だーかーらー、ドラゴンの力を取り込んだだけで、まだ人間の範疇ですー!」

「……これでも本気で心配してるのよ?」

 ちょっとだけおどけて言った私に、ティルティは真剣な表情になってそう言った。

 今は茶化す場面ではなかった。ちょっと申し訳ない。いくらティルティが相手でも今のは私が悪かった。

「しかし、〝あのヴァンパイア事件〟から一年経ったけれど、本当に見た目とかは人間のままなのよね。爪とか牙は変化させられるけど、ヴァンパイアから取り込んだ形質みたいだし、いっそ尻尾とか翼とか生えないの?」

「心配してるって言った側からその発言はどうなの?」

「それはそれ、これはこれよ」

「ティルティは私にどうなって欲しいのさ?」

「どうにかなって欲しい訳じゃなくて、ヴァンパイアに噛まれたけど、ヴァンパイアにはならなかったなんて言うおかしなことになってるアニス様に異変が起きてないかどうかを気にしてるんだけど?」

 ティルティが口にしたヴァンパイア事件。かつて禁忌と呼ぶに相応しい手段で己を魔物化させた魔法使いがいた。その魔法使いは後にヴァンパイアと呼ばれるようになる。

 あまりの悍ましさで粛正された筈のヴァンパイアだけど、実は生き残っており、逃げ延びた後は密かに数を増やしながら隣国を装って潜伏していた。

 彼等は魔法の真理を探究するため、自分たちを認めなかったパレッティア王国に復讐するため、逃げ延びた先の地で探究を続けていた。

 しかし、一族の集大成であり、最悪の異端児が生まれたことで終わりが始まった。

 ヴァンパイアの運命を閉ざした彼女の名は――ライラナ。

 優れたヴァンパイアであったライラナは、自分の目指すべきものは永遠の世界を作り出すことだと結論を出した。全ての生命を自分に取り込み、支配下に置くという方法で。

(……今でも鮮明に思い出しちゃうな、ライラナのことは)

 一年経った後でも、振り返れば思う。あの子は私のあり得た可能性の姿だった、と。

 誰とも理想を共有することが出来ず、ただ魔法だけを素晴らしいものだと思って、それだけを追求して周囲に害をなしてしまう怪物。

 そして、どれだけお互いを理解しても手を取り合うことが出来なかった人だ。

 どこまでも怪物で、同じぐらい人らしくもあった、忘れられない相手。

 そんなライラナとの戦いの際、私はヴァンパイアの頂点である彼女の力に対抗するため、ドラゴンの力を完全にこの身に取り込んだ。

 その結果、私の体内にはドラゴンの魔石が再形成されて、人でありドラゴンであるという存在になった。

 ティルティが私の経過観察をしているのも、そんな特殊な状態にある私の変化を見逃さないためだ。彼女の趣味であるというのも否定は出来ないけど。

「でも、この一年間、大人しくしてたから何も起きなかったんだよね」

「だからといって変化が皆無って訳じゃないでしょう? まぁ、半分はヴァンパイアみたいなものだからレイニのカルテも参考になったけれど」

「違うのは魔力ばかりじゃなくて魔石を求めちゃうって点かな。より魔物に近いのかもしれないね、私の体は」

 魔物は強くなるために他の魔物を、そして魔石持ちを狙うようになる。

 それを本能や衝動といったもので感じるようになった。押さえ込めない訳じゃないけれど、長い間我慢していると飢餓感に襲われてしまう。

 ドラゴンの刻印紋を通してドラゴンの魔力を使った時のような衝動、あれがより深くなったような感覚は正直、気持ち悪い。

「ヴァンパイアの魔石が人の体に合わせて適応したのだとすれば、ドラゴンの魔石はドラゴン側に人の体を変質させていく。そんな違いじゃないかしら?」

「おかげで、またこの魔薬のお世話になるとはね……」

「お蔵入りにならなくて良かったんじゃないの?」

「これを飲んでるとユフィの視線が痛いんですー!」

 ドラゴンの刻印紋を刻んだ際に不要になる筈だった魔薬。原材料が魔石だから、衝動を鎮めるのに服用している。今の私にとっては安定剤に近い。

 だけど、元の効果が効果なだけにこれを飲んでるとユフィが凄い不満そうに睨んでくるんだよね……。

「以前ほど物騒な代物ではなくなってはいるのだけどね」

「まぁね。効能そのものを抑えて作れば、衝動だけが緩やかに和らいでいくから」

「そういう意味では大きな変化がなかったことが逆に元気の印だと思うけれど。いつもと変わったことを感じたらすぐ言うのよ?」

「私の前にユフィが呼びそうな気がする……」

「あぁ……あの事件の後、随分と過保護になったものね」

 気の毒そうに声を低くして呟くティルティに、私はそっと溜息を吐く。

「大分落ち着いたけれど、下手を打ってたらもっと酷いことになってたかもしれないから。仕方ないよ……」

 ライラナとの戦いの際、私はヴァンパイアにされかけてしまった。

 ヴァンパイア化に対抗するためにドラゴン化して自我を保つことが出来たけれど、もし何か一つでも間違っていたら私はここにいなかったかもしれない。

 私がいなくなってしまうかもしれない現実を、ユフィは目の当たりにしてしまった。その恐怖は彼女には耐えがたいものだった。

 ライラナの事件の後始末が終わってからも、私が側にいたいと落ち着かない時期があったり、夢見が悪かったりと精神的に不安定だった。

「普段があまりにも完璧だから忘れるけれど、ユフィリア様って私よりも年下なのよね」

「心配かけたくてかけた訳じゃないんだけどね……」

「あんな国難になりかねない化け物が続くのはごめんだわ。ドラゴンにヴァンパイアって何なのよ。去年が平和だったことが改めてありがたく感じたわ」

「去年は本当に平和だった分、その前が本当に……」

「まぁ、アニス様が療養を兼ねて離宮に引きこもっている間にも色々とあった訳だけど。たとえば、アルガルド王子が男爵位を授かったりとかね」

 アルくんの話題が出た瞬間、私は曖昧な表情を浮かべてしまったと思う。

 嬉しくもあり、申し訳なくもあり、何だかなぁ、という気持ちが浮かんできてしまう。

「アルくんの爵位はねぇ……表向きには恩赦ということと、過酷な辺境の開拓を命じられた貧乏くじという見方をされてるけど。実際はヴァンパイアたちの後始末のためにアルくんが動くために必要だったから与えられたものだし」

「表向き、ヴァンパイアがパレッティア王国を脅かしていたという事実はまだ伏せることになったものね」

 ティルティの言う通り、ライラナやヴァンパイアの一族の存在は伏せられている。

 あの時、一緒に戦ってくれた騎士や冒険者たちには勲章が与えられても良いと思うんだけれど、公表が出来ないから勲章を与えることが出来ない。

 その代わりにアルくんに男爵位が授けられて、一緒に戦った騎士や冒険者たちは改めてアルくんの家臣として迎え入れられることになった。

 彼らはアルくんと一緒にヴァンパイアを知る希有な存在として、影ながら辺境の調査と開拓をすることになった。そこで一定の成果が出れば、改めて勲章を渡す予定だ。

「アルくんが辺境を開拓して領地にすればヴァンパイアや亜人たちの生き残りがいないか調査したり、保護することが出来る拠点になる。秘密を隠すにはうってつけだ」

「いずれ公開するとしても今じゃない、か……アルガルド様も大変ね」

「貧乏くじを引くのは慣れてる、って嫌味を言われちゃったよ。それでもライラナの一件で家臣になった皆と一致団結することが出来たし、隣にアクリルちゃんがいるから心配はしてないかな」

「あぁ、例のリカントの娘ね。将来はアルガルド様の嫁になるの?」

「そうなったら私としても安心かなぁ」

 にしし、と笑いながらアルくんとアクリルちゃんの明るい行く末を想像してしまう。

 私も人外の仲間入りをしてしまったし、どうしてもあの二人の関係や行く末が気になっちゃうんだよね!

「うまくいけば、って話でしょう? 辺境が過酷なことには変わりがないのだから」

「それはそうなんだけどね……自然は豊かだから食べていく分には困らないけれど、それだけじゃ生きていけないから」

「辺境の支援だって楽じゃないものね」

「エアバイクをもうちょっと大型化出来れば空から輸送出来るんじゃないかとも考えているんだけど、まだ無理かな?」

「そういえば、そろそろだったかしら? 王都の老朽化対策のために大規模な修繕を行うんでしょう?」

「そうそう。歴史的な文化保存のためという名目でね」

「それで〝例の話〟になった訳でしょう?」

「……まぁ、うん」

 〝例の話〟とティルティが切り出したところで、私は苦笑を浮かべてしまった。

「〝例の話〟が出る前までは、王都に魔学の研究をする施設を作ったらって考えたんだけど……却下された理由が理由だからなぁ」

「魔法省から反対意見が上がったのだったかしら。まだアニス様を見ると震え上がってるのかしら?」

「私を恐怖の権化みたいに言わないでよ」

「同じようなものでしょ」

 ティルティが呆れたように鼻を鳴らした。思わず歯噛みをしてしまうけど、実際に魔法省との関係は良いとは言えない。

「私だって納得してるんだよ? 王都の文化保存のため、景観を維持して残すのは良いことだと思ってるし。だから王都で魔学の研究所を建てるのは止めたんだから」

「良い子ちゃんね……あー、やだやだ。すっかり丸くなっちゃって」

「大人になったと言って欲しいね!」

 かつて私と啀み合っていた魔法省は、私が療養で大人しくしている間に再編が落ち着いて新しい体制で再出発を果たした。

 今でも考え方の違いから意見がぶつかることがあるけど、以前の魔法省に比べればちゃんと話も聞いてくれるし、対立した時でも話し合いが出来るようになった。

 ユフィは私の味方ではあるけれど、同時に貴族たちを束ねる女王でもある。全体の利益になるのだとしたら、私に我慢をお願いすることもある。

 私は以前までの環境が劣悪過ぎたので、そんなに我慢をしているつもりはないんだけど、逆に気を遣われているような気がしないでもない。下手に爆発させたくないということなんだろうけど……。

「でも、本当に良いの? 魔法省と喧嘩していないって思ってるかもしれないけれど、あの話はアニス様を王都から追い出そうとしていると言われても否定出来ないわよ?」

「大丈夫だよ。ユフィも認めた計画なんだし、今後のことを考えれば必要になるから」

 目を細めて問いかけてくるティルティに、私は気負うこともなく笑った。

 一年間、私は大人しくしていた。だけど派手に動いていなかっただけで、この計画は前から進められていたのだった。最初に聞いた時はビックリしたけどね。

 ふぅ、と溜息を吐いて、前髪を掻き上げながらティルティは呟いた。


「――まさか、魔学を研究して普及させるために〝都市一つを新造する〟だなんてね」

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