後編

「せんせえー。見て見て」

 家庭科の授業を終えて、被服室から戻って来た女子生徒が大声で呼ぶ。何かと思えば、もうひとりの女子とふたりで小指を立てた手を葉太に向かって突き出している。

「運命の赤い糸!」

 ふたりの小指が赤い糸で繋がっているのだ。

「女の子同士じゃ駄目だろ」

「ダメってことはないでしょ。それって差別」

「お、おう。そうだな」

 イマドキの子どもは考え方が柔軟で新しい。葉太は自分の発言を反省する。


「男のコなんて嫌いだもん」

「ねー」

 節を付けて言い合い、ふたりはきゃらきゃら笑った。男は汚いし臭い、乱暴で嫌だ。そうやって父親のことも嫌厭する年頃なのだろう。

 微笑ましいのか痛々しいのかわからない。微妙な気持ちで葉太は掲示板の貼り替え作業に戻る。


「誰か、画びょう取ってくれ」

 掲示物を手でおさえながら後ろ手に腕をのばす。ころんとてのひらに画びょうが乗った感触。

 少しだけ目を向けると、春川桜子が伏し目がちに葉太のそばに立っていた。相変わらずの無表情。なのにその顔は、何かを葉太に言いたがっているように見えてしまう。

「ありがとう」

 短く言って顔を戻し、葉太はぷすっと画びょうを突き刺す。まったく彼女は、困った生徒なのだった。





 数日後の帰り道、〈さくらの里〉の古木の下で、また桜子と会った。もう諦めの境地で、葉太は黙ったまま自転車を引いてそのそばへと寄って行った。

 桜子は例によってじいっと葉太を見つめていたが、すうっと古木の樹上に顔を向けた。つられて葉太も彼女の視線の先を見る。


 枯れかけて芽吹く力さえわずかで、だけどそこに、青々と葉が茂った新しい枝があった。まるでそこに、ありったけの力を集めたように。

 目を熱くしてしばらくその枝に見入っていた葉太は、また視線を感じて桜子と目を合わせた。


「なあ」

 思い切って声をかける。

「俺に、言いたいことがあるんじゃないか?」

「…………」

「言ってみろよ」

 葉太を見つめる桜子の瞳に葉陰が差す。ざあっとあたりを葉擦れが包む。桜子がくちびるを動かす。

「―――――で」

「え?」

 よく聞こえなかった。


 もう一度、と頼もうとしたとき、背後から名前を呼ばれた。振り向くと、スコップを抱えた早川さんが不思議そうに葉太を見ていた。

「ひとりでどこ見てんだ?」

「え……?」

 まばたきして葉太は桜子の方を振り返る。誰もいなかった。

「あ、あれ?」

 あたりを見渡してみても、夕暮れの園内には葉太と早川さんしかいない。桜子はどこに隠れたのだ? 頼りなく葉太は首を傾げた。





 桜子が急に姿を消したことには驚いたが、さして大事なことだとは葉太は思わなかった。学校でも公園でも、どうせまた顔を合わせるのだ。そう思って翌日は〈さくらの里〉を通り抜けずに出勤した。


「よーし、今日も休みのやつはいないな」

 毎朝のホームルーム。出欠を取り終わり出席簿を閉じようとして、葉太は「あれ?」と思った。俺、桜子の名前を呼んでなくないか?

「悪い。ひとりすっとばした。えーと……」

 桜子の名字を呼ぼうとしたけれど、出てこない。頭の中からすっぽぬけてしまっている。思い出せない。慌てて名簿の名前を辿る。


「あれ……」

 桜子なんて名前の生徒はいない。今日の日付の欄には、全部丸が入っている。

「あ、あれ」

 じわじわと頭がのぼせてくる。

「せんせえー。なに言ってんの? さっき休みのやつはいないって言ったじゃん」

 葉太は混乱して生徒たちの机の列を見やる。皆が皆、昨日の早川さんと同じような不思議そうな表情をして葉太に注目している。桜子の顔はない。空いている席もない。

 じっとりと背中に汗を感じて葉太は怖くなった。





 どの名簿を見ても桜子の名前はなかった。彼女が提出したはずの美術や家庭科の作品も、備品を入れておく個人ロッカーの列からも名前が消えていた。何より葉太が、桜子という下の名前と、元恋人そっくりで、でも表情のまったく異なるあの顔しか思い出せない。


 おれ、なんかヤバいのかな。

 休日にだって、日々の授業の準備や気になることを整理したりと、これまでは家で仕事をしていた。が、その週の日曜日は何も手に付かずに、葉太は〈さくらの里〉に来ていた。

 よく桜子と出会った古木の下を意味もなくうろうろする。わけがわからず気持ちが落ち着かず、じっとしていられない。でもそのうち、疲れてきて近くのベンチに腰を下ろした。


 休日には観光客で賑わう〈さくらの里〉も、すべての花期を終える梅雨時から秋口にかけては閑散となる。葉擦れの音が蝉しぐれにかき消されるようになるのもじきだろう。

 今の時間ちょうど樹影がかかるベンチで、葉太は心地いい風に吹かれる。そうしてやっと、気持ちが落ち着いてきた。


 夢だったのだろうか。桜子なんて生徒がいた、ここでよく出会った、なんて記憶は実は夢で、葉太の思い込みなのだろうか。その女子生徒の顔が自分を捨てた恋人にそっくりだなんて、え、俺、痛々しくないか?


 途方もなく恥ずかしくなって、葉太は両手の中に顔を埋める。

 もういい、もういい。こんな恥ずかしいことは早く忘れてしまわなければ、こっちの神経がもたない。もういい。全部なかったことにしよう。


 ―――――で。


 耳元で声が聞こえた気がして、葉太はがばっと顔を上げる。半そでからむき出しの腕に、こそばゆいものを感じる。

「え……」

 目に入って来たのは、赤い糸。右手の小指に、いつのまにか赤い糸が巻き付いて足元へと垂れている。


 葉太はおそるおそる腕を持ち上げ、その糸をたどっていく。糸は、目の前の古木から伸びた太い枝に回されて、葉太の小指と繋がっていた。

「ちょっ。誰がこんなこと」

 声をあげた時、風が吹いて桜の樹と葉太の間でたるんでいた赤い糸を舞い上げた。


 ふわりと浮き上がった糸の赤い色が、空気の中に滲みだしたかのように、葉太の視界の中で景色が変わった。

 葉太はぽかんと口を開けて目も見開く。


 蕾をつける力ももう残っていないだろう桜の大樹の枝枝が、重たげに花弁を垂らして桜花のドームを作り上げていた。在りし日の、旺盛な樹勢そのままに。


 言葉もなく見上げる葉太と樹木の間に、また風が吹き抜ける。いっせいに、花びらが散り乱れる。


 ―――ないで。


 またあの声が聞こえて、葉太は今度こそ言葉を返した。


 ―――ないよ。


 視界だけでなく彼の体をも覆い埋め尽くしてしまいそうな桜吹雪の中で、葉太は懸命に目を閉じずにその散華を見届けた。


 さいごの花びらが地面に舞い落ちた時、背後から声をかけられた。

「なんだ、休日に来るなんて」

 ぐしぐしと手で顔をこすった後、葉太は早川さんを振り返った。その手の指に赤い糸はもうない。足元に桜の花びらもない。


「……この間から妙な顔して。たぬきにでも化かされたか?」

「たぬき?」

 葉太はおかしくて小さく笑う。

「たぬきじゃなきゃ、もののけだな。昔のカノジョの顔して現れたんじゃないか」

 早川さんのツッコミが的確すぎて、葉太は間抜け面をさらしてしまう。


「ああいうのはな、出会った人間を惑わすために、そいつが未練を残してる相手に化けるのだそうだ」

 ああ、痛いのは変わらない。葉太は思わず再び顔を覆う。

 未練だらけなんだ、自分は。まずはそれを認めよう。


 ショックから立ち直って、葉太は早川さんに申し出た。

「久しぶりに作業、手伝おうか」

「なに言ってんだ」

 途端に早川さんは厳しい顔をする。

「中途半端はしないって決めたんだろ」

「うん」

 葉太は頷きながら、そっと古木の黒くごつごつした幹に手のひらを当てる。

「中途半端はしない。どっちも頑張る。今、決めた」

「そうか」

 ならこっちに来い、と早川さんは葉太を誘う。


 いちばん近い管理小屋に着くと、大きな枝切ばさみを取り出して葉太に手渡した。ほかにも道具を取り出しながら言う。

「かろうじて新しい枝が残ってたろう。あれなら差し木ができるかもしれない。葉太くんが切れ。桜守になるなら」

 こくりと唾をのんで葉太は頷いた。


 切り口を浸すための水をバケツに張り、脚立を担いで樹木の下に戻る。

 死と再生。その瞬間を、自分が担う。

 表情を引き締めて、葉太ははさみを開いて位置を確認し、思い切ってまだ幼い枝を切り落した。





 翌年、無事に根が出た二代目の幼苗は、今はまだ鉢植えのまま成長を続けている。このまま順調なら、伐採された初代の隣に移植される予定だ。

「花が咲くようになるまで頑張ろうな」

 恭しく掲げ持つ葉太の手の中で、新緑の桜葉が風にそよいだ。


 ――忘れないで。


 ――忘れないよ。




自主企画「筆致は物語を超えるか【葉桜の君に】」のプロットを元にしています。 https://kakuyomu.jp/user_events/1177354054895319694


BGM「春よ、来い」松任谷由実

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