風を待つ少女~封鬼五行秘譚・序の巻~

清見こうじ

序章 無

 …………。


 ……………………。




 無……。


 無……?



 ここは、無、か?




 何も、見えない。

 何も、聞こえない。

 何も、感じない。



 何も、……ない。



 ……いや。


 思い出す。




 あの、におい。


 金属めいた、あのにおい。

 湿り気を帯びた、あの臭い。




 そして、再構築される。


 肌をしたたる、生温かい、液体。

 肌をまさぐる、生温かい、物体。



 あふれ出る、何もかもを逃さぬように。


 まるでいとおしむかのような丹念な愛撫。


 そして、再構築される、肉をみ、骨を砕き、血をすする、それが。




 己が、われる、さまが。


 



 ……ああ。


 そして、喰われたのだな、血の一滴も、のこさずに。

 鉄さびた、臭気だけを残して。



 そして、自覚する。


 あの。


 肉眼に見えぬ、魔性に。



 喰われてしまった、のだ、と。






『ソウダ、喰ワレタ』


『喰ワレタ』


『喰ワレテシマッタ』


『マタ、喰ワレタ』


『マタモヤ、喰ワレタ』




 無の静寂しじまに響く、失った耳に届く、声。



 一人のようで、多数のようで、似ているようで、似てないようで。



「また、喰われた?」


『ソウダ、喰ワレタ、【チカラ】ゴト』


『ソウシテ、【コイツ】ハ、【チカラ】ヲ得ル』


ミズカラヲ、ホフル【チカラ】ヲ、喰ラッテ、強クナル』


今度コタビコソハトノ願イムナシク』


『ソレデモ、祈ルノダ、コノ深淵シンエンノ、【無】カラノ、開放ヲ』


未来永劫ミライエイゴウノ【虚無キョム】ヲ、断チ切ル者ガ現レルノヲ』


『オ前ガ、ソウダッタラ、ヨカッタノニ――――!!』




 光も、闇すらもない【虚無】に響く、怨嗟えんさの声。


 それは、己らを喰らった【コイツ】ではなく、同じく喰われたはずの、自分に向かう。




 勝手に期待をして、勝手に絶望して。




 失った耳ではなく、失った目ではなく、ただ一つ残された【魂】にぶつけられる怒り。


「………ぐぅっ!」


 その責め苦に、失ったはずののどが、うめく。



 無防備にさらされた【魂】の痛みに、喰われた時よりも激しい苦痛に、悲鳴を上げる。



 これが、永遠に、続くというのか……?



 教えられる前に、悟る。


 その絶望の深さをも、感じる。


 未来永劫の、【虚無】に、自分が囚われたことを、知る。




 ……けれど。


「いつか……」


 い……つ……カ……。


「いつか、いツか、表れル、ハず、ダ……【コイツ】ヲ滅ボス、【チカラ】ヲ持ツ、者ガ……』


 見えない光明の糸にすがり、失ったはずの手を、指先を、懸命に、伸ばす。


 見えない暗闇の触手が、失ったはずの体を、からめとる。



 

 ……そのまま、彼は、虚しき【無】の深みに、沈んでいった。

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