第10話 能ある鷹はツメをかくす
ピアノにはいい思い出がない。
おれじゃなくて、幼なじみの
ある日、あいつの家に遊びに行ったら、両手で目元をおさえてギャン泣きしていたんだ。近くにはピアノの先生と、その人にあやまる萌愛のお母さんが立っていて。
「ほんとにすみません……、ほら、萌愛も先生にあやまって」
「……」
体が四頭身で、おかっぱロング。
なんかピンク系のフリフリした服を着ていた記憶。
そんな萌愛が玄関にいるおれをみつけ、
「コウちゃーーーん!!!!」
一目散に走ってきて、両手をひろげ、胸にとびこんできた。
とっさに「たおれる」と思って後ろ足をひいてふんばったが、その必要はなく、思いのほか萌愛の体はかるかった。
「コウちゃん、コウちゃん」
涙も鼻水もおかまいなしで、おれのお気に入りのアニメのTシャツにぐりぐりこすりつけてくる。
はやくかえってセンタクしてもらわないとな、というのがそのときの正直な感想だ。
かわいそう、という気持ちも多少はあったけど。
「いま、なんか言った?」
小学校の卒業前、このときのことを萌愛にたずねたら、こんな反応だった。
それでおれはすべてを
ピアノでギャン泣きした件は、こいつの中では黒歴史なんだと。
「じゃあ……、何からはじめましょうか」
ピアノの前のイスに、背筋をのばして足を組んで座っている女の子がいる。
あれから、おれたちは教室を出て音楽室へと移動していた。
壁が防音になっていて、かつ
「まずは、あなたから話して」
どこからもってきたのか、
よっぽどカミナリの音がきらいらしい。
それにしても、こんな場所をえらぶとは。
どうせ中には吹奏楽部や合唱部がいると思ったのに、
「今日は活動日じゃないから」
と入り口のドアをあける前、深森さんは一ミリもまよわず断言した。
おれが知らなかっただけで、じつは彼女は音楽系の部活をやってる(やってた)んだろうか。
とにかく―――
(やはりタダモノじゃない)
広い空間。
奥に向かって高さが階段状に上がり、一番ひくいところに黒板やグランドピアノがある。
「えっと……じつはおれ、タイムリープしてて……」
いったん言葉をとめて、彼女の顔色をうかがった。
どこにもおどろいたような様子がない。
おどろいてないことに、おれのほうがおどろいた。
「どうしたの? 私をじっと見てないで、つづけて」
「お、オッケー。それで未来のキミに『今日、机の中をみろ』っていわれたんだ。だから放課後の教室でずっと一人になるまで待ってた」
「
深森さんは片手でおでこをおさえる。
「どうして〈私〉は、こんな人を助けようとしたのかしら。魔がさしたとしか思えない」
「あの……きいていいかな?」
「なに」
「あのブタのイラスト、いつも机の中においてるの?」
「文句ある」
うっ。
最後の音を〈
あるわけねぇよなぁ~、と
「も、もうひとつ。どうして、おれが机をさぐったときに、タイミングよく出てきたのか……もしかして外にずっといた?」
「ふだんさっさと帰宅してる人が、あからさまに読書のフリで時間かせぎしてたら、何をするつもりなのか気になっても当たり前でしょ?」
おれに言い返す
「確認するけど、ほんとに今日なの?」
「それは、まちがいないよ」
「そう。どうして私は、こんなカミナリにびくびくするような日に……」
はっ、とうつむき気味だった顔を上げて、
「このことは一切、他言無用。誰にも。いい?」
するどい目つきでおれをみる。
おれがうなずいたのを確認すると、
「どれぐらい未来からきてるの」と、深森さんは腕を組んだ。組んだ腕の前に、セーラー服の赤いスカーフが
「未来からというか……今月の終わりから」
「もしかしてループ?」
この
「なにか条件を満たせば出られるとか? そこから永遠に出られないってことはないんでしょう?」
「そう! そうなんだ! まさにそのとおりで、おれがループを出るには〈あること〉をしな……いや、されないといけないんだ」
「それは?」
「それが……すごく
「ブツブツうるさい」
深森さんは立ち上がって、おれのほうに寄ってくる。
息がかかるぐらい近くに。
「いってみなさい。ほら」
「い……『いかないで』って女の子にいわれないといけないんだ」
彼女は、あきれたように棒読みで言う。
「いかないで。はい達成」
くるりと回って背中を向けた。
その瞬間、カーテンの向こうが白く光って、彼女の小さな背中がビクってなった。
「あの、それじゃダメだったよ。けっこう判定がきびしいっていうか……涙を流して、心の底から転校するおれを引きとめてくれないと――」
「あなた、転校するんだ?」
「うん。今月末で」
そう、とつぶやいて彼女はまたピアノのイスにすわった。
無言で、ゆっくり
「深森さん、
「ぜんぜん」
「え? じゃ、なんでフタをあけたの?」
「さあ」
そこで、スマホにラインが入った。
「電気は?」
「コウちゃんの部屋の電気💡」
「もしかして、落ちこんでる? 親となんかあった?」
萌愛からだ。
なぜか勝手に誤解して、おれを心配してる。
「いやおれまだ学校」
「…………はぁぁぁ⁉」
「なーにやってんのよ!こんな時間まで!」
「あーあ、かっこわりー」
「てっきりアンタが」
「暗い部屋で一人、えんえん泣いてるかと思ったのに」
一方的にラインは終わった。
泣いてたのはおまえだよな、と心の中で返信する。
ねぇ、と深森さんが口をひらいた。
「その子は『いかないで』って言ってくれた?」
おれは首をふった。
彼女も首をふった。
「もう帰って。こんな静かな場所に男女二人でいたら、あらぬ疑いをかけられるから」
「まあ、そうだね」
「また来週。ただし、私の協力は期待しないように」
音楽室を出た。大雨でみんな下校を急いだらしく、ながい廊下は無人。
出て、その場に3分、いた。
(なっ!!?? これ……プロ級じゃないのか?)
ドアごしにきこえてくるのは、大人っぽい、ジャズみたいな曲。
その音楽のせいじゃないだろうけど、ちょっと外の
そして翌々日の日曜日。天気はからりと晴天。
「出かけない?」
おめかしした萌愛が、おれの家の玄関にあらわれた。
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