第13話
「どう思われますか?」
「子供達の着ている服も、ベッドも清潔で笑顔もある。悪い環境で育ってはいないだろう。しかし、家や家具の傷みが激しのが気になるな。目を通した資料ではルシアナ国は充分な金額の補助金を出していた」
指を顎に当て、うーむと言いながらイーサンは二階へと続く階段に足を乗せた。階段はぎぃっと大きな音を立てた。
「俺が重すぎるのかな? ナディアちょっと……」
「乗ってみろ、とおっしゃりたいのですか?」
ナディアが切れ長の目を細めイーサンに冷たい視線を送る。
「それで、大きな音が出たら私が重いようではありませんか」
「ハハ、そういうことは気にするんだな。大丈夫だ。階段が痛んでいると判断する」
野外で剣を太腿に括り付け、走り回り、ナイフを振り回す。そんなナディアの意外な一面にイーサンはくつくつと喉を鳴らして笑った。笑われるナディアはちょっと口をとがらせる。そして片足だけ階段に脚を置いてみた。
「鳴りません」
「いやいや、それでは意味がないだろう。ナディアの体重を知りたいわけではないのだから」
イーサンはそういうと少し宙を見て思案したあと、ナディアに近づきその細い腰をひょいっと持ち上げた。そして階段の上にナディアを置いた。
ぎぎーーっ
割と大きな音が響いた。
「……階段痛んでますね」
「そうだな」
「階段が古いのですよ」
「そうだな」
「私のせいではありません」
「何度も強調するな、分かっている。ところでそこからどうやって降りる?」
また、クツクツと笑いながら、イーサンが少し意地悪な目をナディアに向けてきた。ナディアが載せられたのは階段の三段目。降りるためにはあと二段踏み板を踏まなくてはいけない。つまり、あと二回ギシギシと音がなるわけだ。
しかしナディアは、イーサンを軽く睨むとひょいとスカートをひらめかせながら飛び降りた。
「さぁ。私達も外に行きましょう」
「……だろうな」
そうなるか、とイーサンは軽く肩をすくめた。しかしマルシェでの行動を思うと納得できる。
それよりも意外なのは、このやりとりを楽しんでいる彼自身だった。近づきすぎないようにと思っているのに、ついつい距離を詰めてしまう。どうしたものかと、自分の気持ちを持て余していた。
イーサンはもとより婚約者と親しくするつもりはなかった。できれば結婚したくなかったし、絶対に家族を持ちたくない。容姿が好ましいという理由だけではここまで興味は湧かなかっただろう。
マルシェでの勇ましい姿と行動力、それから思わず見ることになった背中の傷がイーサンの脳裏に焼き付き離れないのだ。
そして何より、時々ふと見せるつらく悲しそうな表情が気になった。男より勇ましいナディアを苦しませるものは何なのか、出来る事なら助け守ってやりたいという思いがイーサンの胸の奥で燻っている。
ナディアから遅れること数分、外に出るとナディアは幼い子供たちに囲まれていた。
どうやらせがまれて、子供を抱っこしては高く持ち上げている。子供たちは歓声を上げながらナディアの前で短い両手を上げていた。
「イーサン様、遅いです。助けてください」
「いいトレーニングになるだろう。頑張れ」
はは、と他人事のように笑うイーサンの腕に強引に子供を抱かせた。抱かれた男の子は今にも泣きそうな顔をしている。
「大丈夫よ。こちらのお兄さんのほうが高く抱っこしてくれるわ」
「なでぃあがいい」
「遠くまで見えるわよ。頑張って抱っこできたらほっぺにキスしてあげる」
「「えっ」」
笑顔で振り返る子供。
頬を赤らめるイーサン。
「…………子供に言ってるのですよ?」
「……だろうな」
イーサンはコホンと咳払いをすると、子供を頭上まで軽々と持ち上げた。
「うわっ、凄い凄い!」
「そ、そうか?」
「もっと高く出来る?」
「いや、これ以上は……」
すでに子供はイーサンの頭上にある。地面から三メートル近い高さからみる景色に子供は歓声を上げた。
「……なら、これはどうだ」
言うが早いか、イーサンは子供を宙に放り投げた。ギャーっという悲鳴が僅かに響いた後、子供の身体はイーサンの腕の中にすぽっと戻り収まった。抱き留められたことに目を丸くして驚きながら、子供は両手を大きく広げた。
「もう一回!」
「ずるい!次は私の番だよ!」
「順番! ちゃんと並ぼう!!」
見る見るうちにイーサンの前に子供の列ができた。そのことに戸惑いながらも、イーサンは順番に子供達を高く持ち上げていく。
(優しい人じゃない。誰が悪魔と言っているのだろう。何ならそいつの首根っこを捕まえてこの光景を見せてやりたい)
ナディアは思わず拳を握っていた。
イーサンは寛容だ。剣を振っても身体の傷を見ても全て受け止めてくれる。自分の価値観を押し付けない。そんな彼がなぜカーデラン国で忌み嫌われていたのか、それが不思議だった。そして、それこそがイーサンが家族を持ちたくない理由ではないかとナディアは思った。
「お姉さん、木に帽子が引っかかっちゃった」
十歳ぐらいの女の子が涙目でナディアの袖を引っ張った。
「大丈夫よ。私がとってあげるわ」
「お姉さんが? 高い場所にあるよ」
「平気。木登りは得意よ」
ナディアはそう言うと、女の子と一緒にブランコがかけられた木に向かった。
風で飛ばされたらしく、帽子は木のかなり上の方の枝に引っかかっている。
「取れる?」
「もちろん、大丈夫よ」
ナディアは木の枝に手をかけると、懸垂をして軽々と枝の上に上体を乗せた。次いで、手頃な枝を見つけては足を伸ばしぴょんと飛び乗る。そして、手を伸ばし枝をつかむと子供が見守る中、するすると登っていき、あっというまに帽子が引っかかった枝まで辿り着いた。
枝は細かった。さっき派手な音をたてた階段を思い出す。
(折れないかな?)
慎重に枝の根元に足を置く。細い枝でも木の幹に近い部分は割としっかりしている。少しの時間なら大丈夫そうだ。
ナディアは枝の根元に置いた足と反対の足で、枝をゆさゆさと上下に揺らした。何度かしたところで帽子は落ち、下から女の子の「ありがとう」という声が聞こえた。
あとは降りるだけ。そう思った時、施設の屋根が目に入った。
(かなり痛んでいる。あれでは雨漏りするんじゃないかな)
壁や階段以上に痛みが激しい。イーサンは孤児院の支援金は充分だと言っていた。とはいえ、支援金は孤児院に直接支払われるのではなく、運営している教会に支払われる。
では教会が綺麗だと聞かれると微妙である。教会の壁は塗り直されていたけれど、壁は汚れていた。
(お金はどこに流れているのだろう)
なんだかきな臭い。
「ナディア! どうしてそんなところにいる!?」
施設の赤い屋根を見ながら思案していると、下から声がした。目をやればイーサンがいる。
「帽子が引っかかっていたので取っていました。すぐに降ります」
「大丈夫か?」
「はい、大丈夫……えっ!!?」
ナディアが乗っているのは細い枝。幹に近い部分に乗っていたとはいえ、そろそろ限界だった。バキッと鈍い音がして枝がおれ、ナディアの身体のが宙に浮いた。
もちろん、ナディアはすぐに反応して両足で着地の体勢に入るも、真下にナディアを受け止めようとイーサンが駆け寄ってきた。
「「危ない!!」」
ドカッと鈍い音がした。二人は折り重なるように地面に倒れた。
「い、痛っ」
「大丈夫か?」
「はい。すみません。下敷きにしてしまいました」
慌てて身体をおこすと、イーサンも上半身を起こした。ちょっと額が赤くなっているのはナディアの肘があたったからだ。
「もしかして、俺は余計なことをしたか?」
「……いえ……」
「あー、うん。次からは俺が昇るから無理はするな」
呆れ顔で額を撫でるイーサンを見てナディアは小さく笑った。目の前にいるのは不器用なただの青年だ。何も恐れることはない。
だとすればどうしてそんな噂が出たのでだろか。
(……とりあえずその疑問は置いておこう)
それよりも気になることがある。さっき見た景色と、それから考えられること。
「イーサン様、少しよろしいでしょうか?」
ナディアは紫色の瞳をスッと細めながら切り出した。
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