第6話


「ということで、明日ナディア様とラーナと一緒に街に行くことになりました」


 ナディアと会った後、書類仕事を終え夕食を摂っていたイーサンにフランクはサラリと告げた。


「ちょっと待て。どうしてそうなった?」

「もう一度同じ説明を致しましょうか?」


 銀縁眼鏡を右手で持ち上げながら、フランクが冷ややかな声を出す。何十年ぶりかにあった従弟は、中々遠慮のないタイプのようだ。


「…………」


 イーサンは、そういえばこういう奴だったなと思い出しながら、無言で夕食のパンを口に詰め込んだ。


「特に問題はないかと。彼女達は前政権と特に関わりがない上に街に詳しいのでむしろ適任だと思います」


 そう言われれば、反論の言葉は浮かばない。


 その様子を見て、フランクがしれっと畳み掛ける。


「イーサン殿下が留学されていた国の美人画は、全て涼し気な目元に薄い唇、凛とした佇まいの女性ですよね。ナディア様のように」

「……」


 イーサンは黙って目の前にあるパンを口に運ぶ。口がパンでいっぱいで喋れないとその顔が語っている。


「見とれていらっしゃいましたよね」

「…………」


「好み、ドストライク、ですよね」

「……………………」


「都合が悪くなると話さなくなるのは子供の時と一緒でございますね」

「……………………………」


「あっ、パンそれで最後でございます」


 イーサンはぎろりとフランクを睨むと、グラスに入った水でパンを喉に流し込んだ。パンが入っていた籠はすでに空になっている。


 しかし飄々とした男は睨まれても気にしない。これぐらい図太くなければ「悪魔」と言われるイーサンの側近はできないだろう。


「お前の報告では、ナディアは妹の身代わりに仕方なくきたらしいじゃないか。できるだけ自由にさせてやれ。無理に俺と親しくする必要はない」


 

 代わりに来たのはイーサンも同じだった。

 本来は第二王子がルシアン公爵になるはずだった。


 母が病いで亡くなり十年振りに母国の土を踏んだのが六ヶ月前。毒殺騒ぎがあり、第二王子がルシアンの公爵となることが決まっていた。


 しかし、話は急展開する。


 長男である王太子は自身が国王となったら、第二王子を片腕にと思っていた。だから、これ幸いとばかりにイーサンにルシアン公爵となって欲しいと頼んだ。

 もちろん、理由はそれだけではない。


 これ以上、留学の名目で異国で暮らさせるのは無理があった。しかし、イーサンには常に悪評が付き纏っていた。


 兄達はこのまま城で暮らさせるより降家して公爵として暮らした方が弟は幸せだと考えたのだ。


 公爵となるのはいい。


 しかし、イーサンは誰とも結婚するつもりはない。

 家族を作りたくない理由が彼にはあった。





 イーサンは自室のソファで侍女の運んできた寝酒を飲んでいた。湯上がりで、まだ濡れているブラウンの髪を無造作にタオルで拭く。外した眼帯はローテーブルに置かれていた。


 今部屋にいるのは、留学時代からイーサン付きの侍女をしているキャシーだけ。イーサンは目頭を暫く抑え、大きく息を吐いた。


「キャシー、お前の兄から連絡は来たか」


 先程とは全く違う、低く冷たい声だ。部屋の空気がぐっと重くなる。


「はい、海上に不審な船があるようです。他にも不穏な動きが見られるので、分かり次第報告するとの事です」

「今はどこにいるんだ?」

「安宿に身を潜めています。連絡はいつもと同じように鳥を使っています」

「分かった。報告は随時するように伝えてくれ」


 キャシーは無言で頭を下げ出て行った。足音ひとつさせずに。相変わらず優秀な影だと感心する。


 キャシーの特徴のない顔と存在感の薄さは、影として恵まれた利点だ。変装をさせれば、右に出るものはいない。


 かつて、イーサンが親しくしていた白髭の商人が、キャシーだった事がある。帰国しないイーサンの様子を心配して兄が内密で寄越したのだ。半年気づかずにいろいろ喋り、兄に弱みを握られる羽目になってしまった。いや、大した弱みではないが、女とか、酒とかそのあたりだ。その後は侍女として影としてイーサンに仕えている。


 キャシーの兄もまたイーサン専属の影である。兄は城には呼ばずに街中に住まわせ不穏な動きがないかを探らせている。政権が変わった後に起きるのは暗殺と相場は決まっている。


 市民について言えば、今のところ暴動の恐れはないようだ。彼らにとって大事なのは、国か公爵領か、だれが治めるかより、日々の暮らしがどうなるか、税がどうなるかだ。イーサンが治めて暮らし向きが良くなれば暴動は起きず新しい体制を喜んで受け入れるだろう。


「まったく面倒な物を押し付けられたものだ」


 イーサンは残りの酒を一気に飲むと、ベッドに横たわった。やっと見慣れてきた天井を見ながら思い出すのはナディアのことだ。

 白い結婚を伝えても嘆く様子はなく、平然と、いや、喜んでいたようにも見えた。悲しんだり、問い詰められるのを覚悟していただけに、肩から力が抜けた。ただ、本来ならほっとするところだが、少し胸が痛んだ気がした。


 フランクの言葉を思い出して頭を振った。それでも明日のことを思うと睡魔はやってこない。


(思春期のガキか、俺は)


 何度か寝返りをうったあと、イーサンは仕方なく起き上がり濃い酒を数杯あおり再び横になった。

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