悪魔に嫁いた私の幸せな物語

@KOTONOHA5

第1話


「ナディア、俺は貴女との婚約を破棄して妹のプリシラを妻とする」


 突然、騎士団の寮から呼び戻され、オーランド辺境伯のタウンハウスに帰るとそこには婚約者のアンディがいた。


 銀色の髪に深い緑色の瞳、会うのは何か月ぶりだろうか。冷たく軽薄な笑みを浮かべるその隣には、亜麻色の髪を綺麗に巻き、ぷっくりとした唇で意地悪く笑う三歳年下の妹、プリシラがいた。豊かな胸を押し付けるようにして、アンディの腕に撓垂(しなだ)れかかっている。

 そして、両親がその様子を少し離れた場所から嬉しそうに眺めている。


「お姉様、ごめんなさい。私、義兄様となるアンディ様に勉強を教えて頂いていただけだったのだけれど、いつの間にか……」

「プリシラ、君が謝る必要はない。俺が君に惹かれたのだから。それにいつまでたっても騎士団で剣を振っているナディアに非がある」


 その言葉にナディアは首を傾げる。黒い艶やかな髪が一束はらりと肩から落ちた。紫色の瞳に困惑の色は浮かぶも悲壮感はない。


 確かにナディアは女性ながらに騎士団に入っているが、それを理由に結婚を引き延ばしていたわけではない。ナディアとアンディの婚約は三年前、ナディアが十七歳の時に決まった。そこから先、結婚に至っていないのは自由を謳歌したいアンディの我儘が原因だ。


 それとなくナディアから水を向けたこともあったが、悉くかわされていた。月一度のお茶会もすっぽかされるようになって随分久しい。


 ここは憤怒しても良い所だけれど、アンディに特別な感情はない。それに腹違いの妹であるプリシラの我儘に慣れてしまっている。ナディアは、またか、とどこか客観的だ。達観した表情で二人を見ている。


 プリシラは昔から何でもナディアの物を欲しがった。その人形のように愛らしい顔で瞳を潤ませ


「私もあれが欲しい」


 と呟き、ナディアが持っている物を全て奪っていった。人形も、お気に入りの絵本も、ドレスも。そして手に入れた途端すぐに飽きて捨ててしまうのだ。


 人の芝生は青く見え、手に入れた途端に色あせて見える。プリシラはそれを繰り返し続けている。


 そんなプリシラがナディアの婚約者に三年間も手を出さなかったのは奇跡であるが、それには訳があった。アンディは容姿こそは良いものの、伯爵家の三男。辺境伯直轄の騎士団で父親が団長をしているけれど、格下の家の出だ。

 それに対してプリシラはその愛らしさゆえ社交界でも注目をあび、上位貴族どころか王太子の妻となることも夢ではなかった。


 奪う価値もない、それがプリシラのアンディに対する評価であった。しかし六か月前大きく状況が変わった。



  ♦︎♦︎♦︎♦︎


 この国の名はルシアン……だった。


 ルシアン国は小国で、隣国のカーデラン国の属国にあった。国とは名ばかりで、カーデラン国の領地の一部に近い扱いを受けていた。


 年老いた国王には王子が一人。しかもこれがかなりの愚息。そして、この愚息が問題を起こした。六か月前、カーデラン国を訪問中に、王族の食事に毒を盛り暗殺を試みたのだ。


 完全独立国家を成し遂げたかったというのが彼の言い分で、実行した工作員は既に処罰された。王子は今は幽閉中だけれど、近々断首される予定だ。


 この事件を機に、カーデラン国は本格的にルシアン国を領土とする事を決めた。年老いた王には引退を促し、カーデラン国の四人いる王子のうち、第三王子をルシアン公爵と名乗らせ領地を治めることを決定した。


 王は引退する代わりに、一つ条件をだした。

 王族の血をたやさないで欲しいと。つまりは王族の血をひくものをルシアン公爵の妻とすることを希望した。


 王族を数代に遡り、その子、孫と調べ、未婚で婚約者のいない妙齢の令嬢を探した。そこで名前が出てきたのがプリシラだった。それが二か月前だ。しかし、プリシラはその婚姻を、公爵夫人となることを拒んだ。


 理由は第三王子が「悪魔のような人間」と噂されていたからだ。



  ♦︎♦︎♦︎♦︎


「お父様、お母様、イーサン様は気に入らない事があれば暴れる上、冷酷非道な性格。さらに悪魔のような風貌をしているのですよね? 私、そんな方の妻にはとても…………」

「分かっている。プリシラ。お前をそんな男に嫁がせるものか」

「そうだよ。安心して。あなたのような心優しく娘を悪魔にはやらないわ」


 フルフルと亜麻色の髪を振り、紫の瞳を潤ませるプリシラを両親が慰める。アンディはそんなプリシラの肩を慰めるように引き寄せている。


 ナディアはその光景に目眩を感じ、紫の瞳を閉じた。

 

 プリシラはイーサンに嫁ぎたくないばかりに、今まで相手にもしなかったアンディに近づきナディアとの婚約破棄を迫ったのだ。


「ナディア、お前はプリシラの代わりに第三王子であるイーサン殿に嫁ぐのだ」


 それがもう決定事項であるかのようにオーランド辺境伯は口にする。しかし、婚約披露パーティーは一ヶ月後。それに加えて、六か月前まで城であったルシアン公爵邸にプリシラは明日から住むことになっている。

 

「お父様、私が嫁ぐことについてカーデラン国の許可は取られたのでしょうか」

「カーデラン国は王家の血を引く未婚の女なら誰でもよいそうだ。お前はその条件に合うのだから問題ないだろう」


 つまりは連絡していない。独断らしい。


「騎士団はいつ辞めれば良いでしょうか」

「先ほど隊長あてに辞表の手紙を書いて送らせた。お前とは行き違いになったが問題なかろう」 


 これまた勝手にとナディアは軽い頭痛を覚えた。


「騎士であるお姉様ならきっと野蛮な方とも仲良くできるわ。だって女性でありながら戦場で剣を振っていたぐらいなんですから。お話も合うんじゃなくて?」


 プリシラは無邪気な笑顔を浮かべる。小さい時から可愛いと褒められ甘やかされて育った彼女は、それを我儘とすら感じていない。当然のように悪魔に嫁ぐのは姉だと思っている。





 騎士団の寄宿舎に戻ったナディアは、ため息をつきながらベッドに倒れこんだ。


 騎士団はルシアン公爵の直轄部隊として残ることになっている。

 他の貴族たちも、ひとまず公爵から領地を借りるという形をとり、爵位を下げた者もいるもののそのまま領地経営を続けることになっている。これは急に制度をかえ内乱が起きるのを防ぐためでもあった。


(明日団長を探して、騎士団を辞めることになったと直接説明しなきゃ)


 ナディアはごろんとベッドで寝がえりを打つ。シーツに艶やかな黒髪が広がる。


 

 ナディアはオーランド辺境伯の長女として生まれた。しかし、ナディアがニ歳の時母が亡くなり、同年継母がやってきた。早々に迎えた後妻は亜麻色の髪に大きな茶色の目を持つ愛らしい顔をした女だった。


 翌年、プリシラが産まれると継母は事あるごとに二人の娘を比べた。甘え上手な実の娘は愛嬌があると手放しに褒め、ナディアには可愛げがないと辛辣な言葉を浴びせた。その言葉に同調するように、父親がナディアに接する態度も冷たくなっていった。


 実際、プリシラは可愛いかった。母親譲りの亜麻色の巻き髪に、潤んだ紫色の大きな瞳。小さくぷっくりした唇に華奢な手足。この国で持て囃される美の基準を、全て凝縮して作った人形のような愛らしさがあった。


 それに対してナディアは切れ長の目に薄い唇、その凛々しい顔は男の子と間違えられるほどだった。  


 直轄兵を持つ辺境伯は、剣の腕が立つ男の子が欲しかったとよく口にしていた。


 継母はプリシラの引き立て役にと、ナディアに男の子のような服を着せ、可愛く着飾るのを禁止した。


 両親からそのような扱いを受けるにつれ、ナディアは男の子のように振る舞うようになった。

 人形や可愛い物は全てプリシラに取られた。そして、プリシラが興味を抱かなかった刃をつぶした剣がナディアのオモチャとなった。


 辺境伯の領地には直轄の騎士団もいるので、顔見知りの騎士から指導や練習を受けることができた。

 ナディアは十六歳で騎士団の養成所である騎士アカデミーに入り、十八で卒業後してからはずっと騎士として暮らしている。


 騎士になり、成果を上げれば父親に認められるかと思ったけれど、「女の癖にみっともない」と一瞥されて終わった。


 結局自分は何をしても認められないし、自分の言葉や気持ちは家族に通じないと、その時悟り諦めた。


 

(今更私が騒いでも、婚約破棄は変わらないし、公爵夫人になることも変わらない)


 それでも、今回の事はナディアの予想の斜め上をいっていた。


(呑みたい)


 心境としては、年貢を納める前にバカ騒ぎしたい男の気持ちに近いものがあった。

 今日ぐらい羽目を外してもいいだろう。許されるだろうと。


 ナディアはベッドから立ち上がるとクローゼットを開けた。


 中には騎士の制服と着古した数枚のワンピース。それから、ナディアのファンだという後輩からプレゼントされた男装用の服がかけられている。騎士団で得たお給金は継母とプリシラのドレスに消えるので手持ちの服は少ない。


 騎士団では誰もが認める男装の麗人ナディア、その名にふさわしくナディアはジャケットを手に取り素早く着替え始めた。

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