第43話 陸玖からの頼まれ事

 男同士の恋なんて不毛だ。傷つくに決まっている。

可愛い弟が、これ以上苦しむのは見たくない。だから認めない。

みのりはそう思っていた。

ひいらぎが自宅にやって来るまでは……。



 「俺どうしてもインハイに出たい。陸玖兄りくにぃが見た景色を見てみたい!その為にはきちんと指導を受けて、もっと練習がしたいんだ」

みのりがいつになく真剣な面持ちの夏人なつとから、そう相談されたのは一昨日の夜だった。


「それには、スイミングクラブに入りたいってことね?」

「うん」

「お母さんを説得して欲しいのね?」

「……うん。俺だけじゃ、母さん納得しないと思うんだ」

「今のままじゃ、インハイには行けないの?」

「無理だよ!!」

夏人は語尾を上げた。

「俺、背泳ぎに転向したばっかだし、指導者もいないから……。独学で行けるほどインハイは甘くない。姉ちゃんも陸玖兄を見てたからわかるでしょ?」


 みのりは大きく頷いた。

陸玖のインターハイに向けての練習量は、凄まじいものだったのをよく覚えている。

 ねぇ、と、みのりは素朴な疑問を夏人に投げかける。

「そもそも、なんで自由形から背泳ぎに変えたの?」

 


 夏人から答えを聞くまで少し間があった。

「柊くんに、夏人には背泳ぎを泳いで欲しいって言われて……」

怪訝そうな姉の顔に気付いた夏人が、慌てて言った。

「柊くんに無理強いされてるわけじゃないからね!俺の意思で転向したんだからね」

「………」

その言葉に嘘はないだろう、とみのりは思った。

大人しく、頼りない弟だが、頑固な一面も持ち合わせている。

いくら好きな相手からの頼みでも、自分の意に反することには納得しないだろうし、無論、忖度なんてするタイプではない。


 ……好きな相手から、か。


みのりは、いよいよ夏人と向き合って、話すべき時期だと思った。

「わかった。競泳を再開した時点で、インハイは目標だったと思うし、夏人の夢はわたしと陸玖兄の夢だから。スイミングクラブの話は協力するよ」

「ほんと?ありがと!」

夏人の顔がパッと明るくなった。

「でも、条件がある」

「条件?」

「お母さんたちに話す前に、柊くんと話がしたいの」

「柊くんと?何で?」

「もちろん、あなた達のことで……よ」



 みのりが自分達の関係に気が付いていると察した夏人は、驚きながらも、わかった、と頷いた。

その表情を見たみのりもまた、夏人が覚悟を決めた、と察したのだ。



 今ダイニングテーブルの向かいに座っている柊祐介ゆうすけという男からは、何の迷いも感じない。堂々と話す柊に、みのりは軽い眩暈すら覚えた。

だが不思議なことに、想像していた嫌悪感は全くと言っていいほど、感じなかった。

それは、この柊祐介の人柄のせいなのか……。


 

 「お姉さんの言う通り、夏人くんとお付き合いしています。俺、夏人が大好きで仕方ないんです!」

「潔いねぇ」

はっきりと言い放った柊に、みのりに呼び出された彼氏の一条壮太いちじょうそうたが、感心した様に笑顔で言った。

柊の隣に座っている夏人は、顔を赤らめている。


「壮太から、去年のクリスマスの話を聞いて。やっぱり、って確信したの」

チクったみたいですまん、と言わんばかりの壮太が、すまなそうな顔をした。

「ごめん、姉ちゃん。黙ってて……」

「いや、俺が話すべきでした。すみません!」

ダイニングテーブルに手をついて、柊は深く頭を下げた。

「……いい男じゃん」

壮太がみのりの耳元で囁いた。



 それを無視して、みのりは毅然と柊に尋ねる。

「柊くんは夏人の過去を知ってるのよね?」

「はい……」

「幼い時に実の父を亡くし、大好きだった義兄も亡くした。あれは事故だった。でも夏人は責任を感じてずっと苦しんでた」

「はい」

「あなたと出会って、夏人は確かに変わった。それはすごく感謝してるの。でも……」

みのりは柊と夏人を交互に見て言った。

「男同士の恋愛なんて、周りが理解しない。偏見もある。普通じゃない恋愛は、これから先きっとあなた達を傷つける。わたしは夏人が苦しむのは、もう見たくないの」



 柊と夏人はただ黙って聞いている。

「2人のインハイへの夢は応援する。その為にスイミングクラブに入れるよう、親を説得する。でも、2人の恋には……」

「俺らに別れて欲しいんですか?」

急に柊が口を開いた。

「……というか、普通の友達に戻って欲しいの」

みのりがそう言うのも、仕方ないことだ、と夏人も壮太も思った。



「無理です!!」

柊は何の迷いもなくキッパリと断った。

そのあまりの潔さに、3人は一瞬面を食らった。

「俺、誰かをこんなに大切にしたいなんて思ったことがないんです。夏人の全部が愛おしいんです。過去の夏人も今の夏人も、全部です」

「だから、別れるなんて選択肢はありません!」


「俺も、柊くんと別れる気なんてないから」

それまで黙っていた夏人の声に、みのりと壮太は驚いた。

「本気なの?」

そう尋ねたみのりに、うん、もちろん!と夏人は力強く言った。



 「すみません、俺、その、あまり国語得意じゃないからうまく言えないんですが……」

そう言った柊を、みのりと壮太、それに夏人が見つめる。

「お姉さんの心配は当然だと思います。俺自身も、まさか同性をこんなに好きなるなんて思ってもみませんでした。最初は正直、認めたくなかったというか……。いつか普通に彼女とかできるのかな、って漠然と思ってたし」

「そうよね、普通は女の子を好きになるもんだもんね」

「はい、俺もそう思ってました。でも……。普通って何でしょうか?」

「………」

不意に投げかけられた柊からの質問に、みのりは壮太と顔を見合わせて、言葉に詰まった。


 

 「世間の普通の恋愛は、男女の恋愛を意味するのものだと、俺も思います。でも、今の俺、いや、たぶん夏人も……」

そう言って柊は、一瞬夏人と視線を合わせた。

「今抱いている、この夏人への想いが、俺の普通なんです」

「……俺も同じ。柊くんを好きな自分が、今すごく自然なんだ……」



 照れ笑いをしている2人を見て、みのりは大きく溜め息を吐いた。

いや、溜め息と言うより、大きな深呼吸だったのかもしれない。

「他人と違う生き方は、きっと苦しさを伴うと思うよ」

みのりの顔からは、既に迷いは消えていた。


 「望むところです!俺が全力で夏人を守りますから!」

と力こぶを作った柊は、みのりに笑顔を見せた。

「柊、お前、それプロポーズみたいだぞ」

壮太がゲラゲラと笑いながら、柊を茶化す。

夏人は、ますます顔を赤くして、釣られるように笑っている。

 

 ……陸玖兄がいるみたい。


賑やかになってきたこの空間は、どこか懐かしい。まるで陸玖が戻ってきたのではないか、と錯覚する程だ。

 だが現実は違う。

陸玖はもうこの世には居ない。みのりの向かいに座っているのは義兄の陸玖ではない。

弟夏人の恋人、柊祐介という、高校3年生の男だ。


 

 『みのり!コイツのことよろしく頼むわ!』

柊の後でニコニコと楽しそうに笑う陸玖に、みのりはそう言われた。


 そう言われたような気がしたみのりは、うん、と小さく頷いた。















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