§ 5ー4 惑星ラクト④ 黒き魔女
--ルベリエ・第2行政区プリュネ医院--
鼻につく消毒剤の匂い。一定間隔でピコンピコンと鳴る電子音。知らない感触のベッド。無意識に
生きている……。何が起きたのか思い出せない。ただ何か大事なものを失った
次に目を覚ましたとき、ベッドの横には心配そうにこちらを
「わ、たし、は、? どう、し、て?」
思うように声が出ない。
「ホントに、本当に良かった、アイサ……。キミが目覚めなかったらボクは……」
彼の浮かべていた涙がベッドのシーツに水玉模様を描く。彼の後ろのテーブルには腕が置かれてある。何、あれは? とぼんやり
それから1週間。私は病院のベッドの上で過ごした。幸い、大きな怪我も傷もなかったので、日に日に痛みも引いていき身体の調子は戻っていった。
マリウス
そこに、事前にエレベーターで降りていた人が呼んだ救助隊が運良く現れて、簡易処置後にルベリエのこの病院に運び込まれたというあらましだったとのことだ。気を失いながらも義手は両腕で
私のことなんかより、世界の状況の方が深刻だった。惑星アディアからの核は、ラクトの地表を殺した。12ある地下コロニーは、5つは壊滅し地中に沈んだ。残り7つも致命的な打撃を受けていた。中央コロニーであるこのルベリエは、比較的被害が少なかったが、惑星ラクトの全人口の半数以上が死亡または行方不明になった。その数、6,000万人以上。それだけの人が10日あまりで命を
また、宇宙ステーションも全て崩落し、地上の空は汚染物質を含んだ黒い厚い雲に覆われた。
私たちは太陽の光を浴びることができなくなったのだ。
数百年にも及ぶプログラムの結果、私たちは太陽を再び失った。また、それ以上に軌道衛星の3重電磁膜がなくなってしまったことで、この星の寿命が決まってしまったのだ。ラクトの軌道修正はもうできない。自転の調節ができなくなったことで、アディアとの対消滅を
対消滅まで残り5カ月……。
もう
♦ ♦ ♦ ♦
--ルベリエ・第1行政特区リュミエール--
1週間の入院生活を終え、私は自室に戻りおじいちゃんの研究ノートを読み返していた。何度も、何度も、何度も、何度も……きっと、おじいちゃんならこの事態も予想していたはずだから。読み返す度に目に入るあの言葉。何度も読んでいるうちに妙な違和感を覚える。
【私は転送後の世界を見れないだろう……】
もしかしたら、今の状況を予想していたのではないか? と疑念を持つ。【見られない】ではなく【見れない】と
…………
そんなあてどない思考の輪をぐるりぐるりとしていた1週間。世界の闇は濃く深くなり続けていた。食糧の奪い合い、性犯罪の
マリウスの忠告もあり、私は職場である研究所に
そんな失意と苦悩の数日をさらに
着いた先は、行政特区にあるリュミエールと呼ばれるガラス張りのビルだった。コロニーの天井まで続くその構造物は、司法と行政に関わる施設だと知らされている。
「ここに何があるっていうの? マリウス」
「ついてくれば分かるよ……」
もったいつけた言い回しにさすがにやきもきする。敷地内への入口、玄関ロビー、奥へ進んだ大きなドアの前と
「これは?」
「乗ればわかるよ。見せたいものはその先にあるから」
知らないことは恐れを産む。
ドアが開き、さらに警備員のセキュリティを通り過ぎたその先にそれはあった。地上に近いのか冷気を
「これを見せたかったんだ、アイサ。この希望をね」
私は肌寒さとは別のものに震える。
「これが、大型巡航艦アヴニールだよ、アイサ」
その巨大な旧文明の遺産が、あのとき選択できなかった私にまた選択を
♦ ♦ ♦ ♦
--ルベリエ地表・中継施設アントル--
私たちは滅ぶだろう。
あの悪魔どもが
寒さを和らげるためにか弱く揺らめく
呼吸に苦しみ、息つぎするために水の中から顔を出したみたいに、スノードロップの花がか
「『希望』か……。あなたが教えてくれたのよね? ソルト」
血の匂いがこびりついた硬いベッドで眠る彼に微笑みかける。彼の血の匂いが私の血の匂いを隠してくれる。あなたはこんなになっても私に優しいのね。血の通っていない彼の右腕をさする。
私はこの星を滅ぼした
涙なんておこがましいのは解っている。それでも、あなただけがそんな私を許してくれる。
こんな私の最後の望み。
最後のそのときまで彼と一緒に……
--6週間前--
マリウスの話だと、あのアヴニールと名付けられた宇宙船には1000人規模の乗船が可能で、数年の
評議会が長年、
科学力のすべてを
「一緒に乗るんだ、アイサ。一緒に行こう」
その提案は、彼の私への好意によるところもあるのだろう。しかし、私は素直に受け入れられずにいた。ソルトを失った悲しみはもちろんある。世界を絶望させた
--5週間前--
「ごめんなさい、マリウス。私は行けない……」
「アイサ、どうしてなんだ! ここまで来て。ボクはこの先もキミと一緒にいたいんだ! キミも同じじゃないのか!?」
「う、うぅ……。私だってあなたと一緒にいたい。もうあなたしかいないの。でも……、でも、私は行けない。この星をこんなふうにしてしまったのは私だから……」
「キミだけのせいじゃないだろう! キミの理論にみんな納得していた。それに、もとはキミのお祖父さんであるアルベルト=シャハル博士の理論じゃないか」
「おじいちゃんは、おじいちゃんは私の全てなの! おじいちゃんのせいだと言うなら、それは私のせいなの!」
「アイサ……。どうしても、一緒に来てくれないのかい……」
「ごめんなさい、マリウス。でも、あなたを愛してるわ」
巡航艦アヴニールの出航する日。船の前まで来た私は、赤い指輪を彼に返し、彼と一緒には行かないことを選択した。彼が居なくなれば私には誰もいなくなる。それでも私はマリウスとは異なる選択肢を選んだ。
それはアディアに呼びかけ続けること。無責任な選択だ。事態が改善する見込みなど何もない。それでも、同じ姿・形をしたアディアの人類なら、分かってもらえると信じたかった。コンタクトさえ取れれば、豊かなあの星の資源とこの星の科学力を合わせれば対消滅を防げる希望はあるはずだから。
決意のもと、マリウスにサヨナラを言いに来た。残された
さよなら、マリウス……
別離の挨拶を送ったときだった。空を覆う黒い雲が虹色に光り出す。それは
チリチリチリチリ……。電気機器がショートしているような音で意識が戻る。しかし、視界はぼやけ、耳鳴りはまだ続いている。気持ち悪さで吐きそうだ。
それでも必死に周りを見渡すと管制室にいた他のスタッフも倒れていることに気づく。モニター類は赤く
よれよれと立ち上がり窓から空を見上げる。空を覆う黒い
壁に寄りかかりながら必死に脚を動かし、ぼやける視界で通信用のマイクに叫ぶ。
『こちら管制室。アヴニール! アヴニール! 応答してください。ねぇ! アヴニール!!』
自由落下していく金属の塊から応答がない。
なんで! と通信装置に目を落とすと電源がついていなかった。
もう! と電源を入れようとしても入らない。
どうして? 周囲を見渡すと、すべての機材の電源が落ちている。チカチカしていた蛍光灯も消えている。窓の外も電気機器と思われるものは、その機能を停止または正常ではない
どうしよ? なんで? 逃げて!
遠い氷河の山脈の影に落ちたアヴニール。次の瞬間、その山脈を
頭痛と耳鳴りが感情すら
苦痛を
浮かぶ言葉は1つだけだった。
「マリウス……マリウス! ……マリウス……」
叫び声と呼ぶには弱々しい悲鳴。
見つめていた窓の外は、気味の悪い7色の層雲が舞い散る雪の結晶を
--4週間前--
巡航艦アヴニールが
心が壊れる
すっかり
この現象は強力な電磁波によるもの。400年前に地下コロニー通しで争いが起きた時に使われて、その後すべてのコロニーの評議会によって使用を禁じられた超レンジによる電磁波兵器。それをアディアの人類たちが私たちに対して使用したのだ。
私は補給した水分がまた枯れるほど涙を流し、マリウスの死をここでようやくちゃんと悲しむことになった。
--3週間前--
やっと動けるようになった私は、ルベリエに戻った。
戻るためのエレベーターが動いてくれたのは、そのつくりがなによりも強固で
そこで今回のこの電磁波による被害の実態を
街並みは変わっていない。ただ、暗く音が無かった。
電気で動くものはその機能を停止させていた。
生のあるものは存在しなかった。
ただ、腐敗と
地下コロニー内に侵入した電磁波は、その作られた空洞内で反響し、干渉し、その効果を強めたのである。その結果、ルベリエは生き物が住める環境ではなくなった。他の地下コロニーも同じだろう。
心が壊れた。
--2週間前--
私は地上へ向かうエレベーターに乗っていた。数少ない生き残りと共に。
私は非常用の
研究施設の自分が寝泊まりしていた一室。
息を吸って、水分を取って、非常食を取る。匂いは取れたはずなのに、身体を
ただ生きてるだけ。
そんな数日を過ごしたとき、外から音がした。それは声。人の声。孤独の寒さが
『誰かー! 誰かいませんか! 生き残ってる方はいませんかー!』
「ここよ! 私はまだ生きてるの!!」
窓を開け、しわがれた声で、入らない力で腕を振る。
彼らはルベリエの生き残り。他にも数十人の生存者がおり、まだ助かる人がいないか探していたらしい。私は荷物をまとめ、彼についていくことにした。もう一人でいることに耐えられなかったから。
--1週間前--
私たちが何をしたのだろう。
神など信じたことなどなかった。私は科学の道を選んだから。
それでも、思わずにはいられない。不条理で、無情な世界は、何者かの意思によるものなのではないかと。
ルベリエと宇宙ステーションの中継地点として地上に配備された中継施設アントル。この施設には、簡易的だが一通り人が生活できる設備が整っている。あの電磁波の影響で電気機器はほぼ使い物にならなかったが、地上であったことが地下に比べれば多少被害を軽減させていた。
この施設は特に医療設備に重点が置かれている。それは、宇宙と地下を行き
私は中継施設に着いても、何もする気力が出なかった。避難してきた者たちは、各々施設内にスペースを見つけて座り込む。
泣き声、叫び声、怒声、独り言……
まるで死を迎えるまでの
そんな抜け殻のような時間を過ごしていると、自分が生き残ったことすら間違いなのではないかと思いだす。
死ぬのは私の方が……
死ぬべきなのではないか……
死にたい……
そんなときだった。
氷雪の大地がまた削られていく。振動と爆風と電磁波が
「ちょっと、あなた!」
「そう、あなた! そんな所でボケっとしてるなら手伝って!」
30歳前後だろうひび割れた眼鏡を掛けた看護士の女性は、
「あぁぁ! もう、こっち!」
強く腕を引かれる。勢いそのままに立ち上がり、引かれるままに彼女に連れられていく。建物が揺れる中、厚いガラスが散乱する廊下を進む。
廊下の奥の部屋に入ると、そこにはベッドがいくつも並んでいた。ベッドには人がいた。包帯を巻かれ、シーツは赤くなっている。
「ここの人たちに声をかけ続けるのよ? いい? 何かあったら大きな声で助けを呼ぶの!」
肩を
一人残された私は何も考えずに、彼女に言われたままにベッドに横たわる負傷者に話しかけていく。
「大丈夫、ですか?」返事がない。頭に巻かれた包帯が赤い。
「大丈夫、ですか?」皮膚が
「大丈夫、ですか?」
今までで一番の揺れと爆発音で、その横のベッドに倒れ込む。胸の動きで生きているのがわかった。今度の人は返事をしてくれるかな、と起き上がろうとしたとき、肩に手を
「ソルト?」「アイ……サ?」
壊れた心が
「あぁ……、ソルト。ソルト、あなたなの? 生きててくたのね……」
枯れたはずの涙が頬を伝う。神に感謝する。
私を見つめる彼の目は優しい輝きを
--3日前--
ソルトと再会した日の核の攻撃は
しかし、それを奇跡としたのは今思えば
私も含めた残された数人で、死者を
冷えきった体を
「ソルト。戻ったわよ」
返事はなかった。彼は眠っている。安らかな寝顔に、ほっとする。
ソルトの体の具合は相当悪かった。【あの日】にソルトは私をエレベーターに乗せた後、しばらくして戻ってきたエレベーターに
その後、1カ月ほどの療養で立ち上がるまでに快復した彼は、リハビリも
そのまま、立ち上がることもできぬようになり、処置の仕様がない者たちが集められたあの部屋に送られた。私と再会するときまで、ただ
安らかに寝息を立てる彼の横には1冊の手帳が置いてあった。
一瞬戸惑う。伸ばそうとした手を止める。それでも、科学者としての性なのか好奇心に押され、手を伸ばし手帳を手に取る。息を飲み、恐る恐る中を開いていく。
【おとうさん、おかあさん、どうしてこんな所に住まなきゃいけないの? 右手がないのに、だれもやさしくしてくれない。だれか、アイサ、助けてよ】
…………
【やっとここを出れる。専門学校ですぐに働けるように技術を学んで、早く働くんだ。自由になれればアイサに会いに行ける。でも、学者にならなかったボクをアイサは許してくれるかな?】
…………
【職場が宇宙ステーションとは……。そこしか確実に働けそうなところがないなんて。早くても3年はルベリエに戻れない。キミはボクのことなんて忘れてしまってるかもしれないけど、ボクはまたキミと会いたいよ】
…………
【やっと戻ってきた。地上で見つけたスノードロップの花はキミを思い出させるよ。ボクのことはきっともう忘れているだろう。一目だけでいい。キミがいることがなによりも嬉しいから】
…………
【こんな日にキミを見つけられるなんて。想像していたより綺麗になってたから驚いたよ。でも。一目でキミと分かったし、瞳を見て確信した。ボクがもう一度会いたいと思ったアイサだって】
…………
【宇宙ステーションにキミがいるなんて信じられないよ。キミの声は大人びたけど、ちょっと早口なところは変わってない】
…………
【短い間だったけど、逆にそれで良かったのかもしれない。約束を守れなかったボクじゃ、キミに
…………
【もうアイサには近づかないようにしよう。知らなかったとはいえ、婚約者がいるのにその関係の邪魔をするようなことはしたくない。約束を守ったキミは、幸せになるべきだから】
…………
【あたまがぼやけて、よく、おぼえていない。あのとき、ボクはキミを、たすけられたのかな】
…………
【キミが、いる。どう、して? でも、わらって、くれてる、なら、よかった】
最後のほうの文字は
「眠ってても、あなたは私に優しいのね」
優しく合わせた唇は、血の味と確かにあなたのぬくもりを感じた。
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