第14話 ラスト 一ヶ月
彩音が半年と決めた期日まで、残り1ヶ月となっていた。知り合ってからこれまで、何度通ったであろうか? 決して安い金額では無かったものの、52歳の独身おぢさんだから、何とか頑張れた。お金には代えられない、それだけの高い価値があったのだから。
そんなある日、彩音が切り出したのだった。
「あのね、田中さん。私、お話しなきゃいけない事が有って。」
「んっ、何?」
「実は、私。お金貯めたくて、このお仕事してたの。その目標が、後一ヶ月で達成出来そうなのね。だから、あと一ヶ月でお店やめようと思ってて。」
「そうなんだ、おめでとう。本当に良かったね。これまで、ほんとご苦労様。よく頑張ったね!で、最終日は決まってるの?」
「ううん、まだ。店長と相談して、決まったら教えるね。最終日の最終枠は、田中さんと居たいのね。わがまま聞いてくれる?」
「それは、もちろんだよ。誰を差し置いても、絶対に予約取るからね」
「うん。お店辞めたら、どうなるの私たち?」
「どうかな? 叶わぬ恋だと分かってるから、お店で応援するしか無かった訳で。それが断たれるってことは、もう逢う資格が無いんじゃ無いかな?」
「悲しいよ〜、それは絶対悲しすぎる。」
「そう言ってくれて嬉しいけど、俺もゆうかちゃんを忘れる良いタイミングなのかもしれない。ゆうかちゃんは、ゆうかちゃんに相応しい、素敵な彼を見つけて、幸せになってほしいし。貴女は、絶対に幸せにならなきゃいけない人だから」
本心でも有りながら、強がってもいた。どうしようもないことなのだから、自分にも良いタイミングだって分かっていた。
「そうか。遂に卒業か! おめでたいな。それまで、出来るだけ沢山顔出すね。」
今日は、彩音が泣いていることが、はっきりと分かった。しかし、どうすることもできないと自分に言い聞かせ、やっぱり強く抱擁する事が精一杯の愛情表現だった。
店を出て、今日も街をフラつきながら、残りの一ヶ月をどう過ごそうか、考えていた。
「残り4回と考えたら、最後は出来るだけ長く取るとして、その一日前も頑張らないとな。よしっ、自社株売ろう。時間かかるから明日直ぐ手続きしなきゃ」
サラリーマンのできることなんて、こんな程度だ。預金なんて、とっくに底をついていたし。それでも、彼女の門出を精一杯祝いたい一心だった。
しばらくして、最終月最初のシフトが出た。
「今週は、どんな企画で行こうかな? 初心に戻って、花束は持ってくとして。なんか、お友達に花束おぢさんって呼ばれてたからな。う〜、何か恥ずい。けど、誰に何と言われようと、精一杯の気持ちを込めて、彼女の門出祝わなきゃ。それから、手品でサプライズでもしてみるか?」
おぢさんの浅知恵ではあったが、他に思いつかずにYouTubeで、一生懸命に練習を重ねる夜が続き、披露の夜を迎えた。
「ゆうかちゃん! こんばんは。これ、初心に帰って、花束。さえさんに花束おぢさんって、呼ばれてたみたいで恥ずかしいけど、それでも俺の気持ち。いつまでも、あの頃の気持ちは変わらないからね。」
「のぞみ、そんなこと言ってたの? もうっ!」
「のぞみ??」
「あっ、ごめん。今のは忘れて」
「大丈夫、おぢさんは人の名前覚えるの苦手だから、あははっ」
「私の名前も忘れちゃうの?」
「そんなわけないじゃん。死ぬまで、この恋は忘れない。忘れられる訳ないから...」
「私の名前ね、彩音 って言うの」
「いいよ、無理して教えてくれなくても。そうか、でも聞いちゃったから、忘れられないなぁ。素敵な名前だね。俺はね、塩谷って言うんだ。田中は、とっさに口から出ちゃった。ごめんね、偽名使ってて」
「お客さんは、皆んなそうだと思うから。塩谷さんかぁ? 何かイメージとぴったり。これから、塩谷さんって読んで良い?」
「ああ、勿論。ゆうかちゃんにそう呼んで貰えたら、また一段と恋が深まっちゃうなぁ。」
「私の事は、彩音って呼んでくれないの?」
「だめだよ、ここでは少なくとも。何があるか分かんないでしょ!」
「.....」
「やっぱり、この部屋の中でだけと誓って、細心の注意払って、“彩音さん” って呼ばせて貰うよ。残り少ない時間、本名で呼び合えるなんて、素敵だよね」
「ありがとう、塩谷さん」
「こちらこそだよ、彩音ちゃん。でね、今日は披露したものがあって。下手な手品なんだけど、見てくれる?」
「えー、凄い! 見たい見たい。どんなやつ?」
「それでは、スマホで音楽かけてと。この手と、この手を出してくれる?」
下手だったけど、彼女は驚いてくれているように見えた。気をよくして、立て続けにコインマジックも披露した。“盛り上がってくれたかな?“ なんて心配してる頃、タイムアップを伝えるベルがいつもと変わりなく響いた。
今日のベルは、いつもより厳しく、冷たく、残酷な音に聞こえたのだったが、塩谷にはどうすることも出来ないのである。
「今日もこれでさよならかぁ。辛いなぁ、寂しいなぁ、ここから出たくないよ!」
「私も。この時間がずっとずっと続いてほしい」
「じゃあ、今日はここまでね。また来週!」
今夜は家路に付け無かった。一人部屋に籠ったら、自分がどうなるか怖かったから。人生で初めてオールナイトで街をフラついたのだった。
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