第18話 大学
大学生活は高校時代と違って、規則もゆるく自由な時間もかなり増えた。
俺と信二は当然のごとく野球サークルに入った。
ここでも高校の部活とは違って、気の向いた時に気の向いた人間が練習をし、たまに試合をするという感じだった。
俺のキャンパスライフは講義を受け、サークルで汗を流し、バイトに明け暮れる毎日だった。
数人だが女の友達も出来た。
そいつらは俺を男というよりは、ひとりの人間としてみてくれる、気のいい女達だった。
ある日、板垣五郎というアイドルグループのメンバーみたいな名前の先輩が、俺と信二を、とある飲み屋に誘って来た。
そこは渋谷の路地の地下にあり、怪しげな会社が入っているような雑居ビルの地下一階にある
「花と乙女」という店だった。
五郎先輩の後に付いて扉を開けると、薄暗くウナギの寝床のような縦に長い店内に、カウンターと小さなテーブル席がふたつほどあった。
「いらっしゃいませ!あら、今日は新規のお客さんね。」
いやに甲高い声のバーテンダーが、俺達の顔を見ながら、ワイングラスを磨いていた。
「コイツら、鹿内弘毅と山本信二。野球サークルの後輩。」
「あらー二人ともイケメンね~。」
「無理しなくてもいいですよ。弘毅はイケメンだけど、俺は癒し系ですから。」
信二が特に卑屈っぽくもなくおどけた調子で言うと、バーテンダーは首を横に振った。
「ううん。もしかして山本君の方がモテるかもしれないわよ。」
バーテンダーはそう言って信二にウインクした。
しばらくすると、新宿2丁目の住人のような、オネエ系と思われる集団がざわざわと店に入って来た。
彼女達はこの店の常連らしく、好き勝手にテーブル席に座り、大きなリアクションで好みのタイプの男性について語りだした。
彼女達は、俺達の方を見ながらコソコソと内緒話を始めた。
どうやら俺と信二、どっちがタイプかを話しているようだった。
俺達が野球サークルの内輪話をしていると、そのオネエのひとりが席を立ち、カクテルを持って俺達に話しかけてきた。
「初めまして!私は磯野薫。この店の常連なの。アナタ達、見かけない顔ね。」
「おお!コイツら俺の後輩。こういう店は初めてだから、お手柔らかに頼むよ。」
磯野薫は美容師で、今は独立して自分の店を構えていると自己紹介した。
信二が自分の名を名乗り、俺もそれに倣う。
「鹿内弘毅です。」
「コイツ、こんなナリして、女が嫌いなんだよ。もったいないだろ?コイツこそイケメンの無駄遣い。」
五郎先輩が俺の肩をバンッと叩いた。
「じゃあ、男はOKってこと?」
「いや。俺はいたってノーマルなので。」
俺は早々に磯野薫の誤解を解いた。
「信二君は?」
「はい。俺もノーマルです。というか俺は女の子大好きです!」
「あら~残念。信二君みたいなちょっと母性本能をくすぐるタイプって、私達みたいな人種の大好物なのよお。」
五郎先輩は俺達に酒とつまみを好きなだけ頼んでいいと大口を叩いた。
俺と信二は顔を見合わせながら、恐る恐る自分の飲みたい酒を告げた。
俺はハイボール、信二はジントニックを頼んだ。
信二は酒に弱く、たった2杯で目がとろんとなり、顔も真っ赤になった。
俺は信二の代わりに、何杯も酒をお代わりした。
中学のときに酒の味を覚えて、高校時代は封印していたが、大学に入り再び酒をあおるように飲む癖がついた。
いくら飲んでもまったく酔えなかった。
それは実の母親や義母から受けた仕打ちのトラウマのせいなのか、単にそういう体質なのか、自分でもよくわからなかった。
もう忘れたと思った頃に、義母から犯される夢を見る。
逃げようとしても、俺の身体に染みついた烙印がいつまでたっても離れない。
そしてそんな俺を夢の中で救ってくれるのは、いつもつぐみだった。
俺はほんの気まぐれに信二が話すつぐみの様子を、胸に刻み込むように聞いていた。
「つぐみのヤツ、高校に入ってから手芸部に入ってさ、あんまりスイーツを持って来なくなっちゃったんだよね。そのかわり編みぐるみっていうの?それのクマやらウサギやらを持ってきてさ、ウチのリビング、編みぐるみだらけよ。」
「つぐみが飼っているポメラニアンのモモっていう犬がいて、この前そのモモの身体の調子が悪いっていって、大泣きしながら動物病院に行ったんだって。そしたらただの風邪だったらしくてさ。父さんも母さんもハラハラし通しで、大変だったよ。」
「この前、家族でカラオケに行ったんだよ。俺の親戚、みんなカラオケ好きでさ。兄貴の奥さんなんて、一度マイクを持つとなかなか離さないからね。」
「つぐみちゃんは何を歌うんだ?いや、・・・今どきの女子って何歌うのかなと思って。」
俺はさりげなくそう聞いてみた。
「つぐみ?アイツは恋の歌の意味がさっぱりわからないってほざいていたな。歌うのはジブリの主題歌とか美少女戦隊モノとかアニメの曲ばっかりだよ。俺はつぐみに会うといつも嫌がらせのように彼氏出来たか?って聞くんだけど、出来るわけないでしょ!って怒られる。まあつぐみは女子校だし男と触れ合う機会なんてそうそうないからな。」
「・・・ふーん。」
俺は気のないフリをしながら、心の中でホッとしていた。
「でもアイツだって高校を卒業したら大学へ行くだろうし、そうしたら男と接触しなきゃならない。バイトだってしたいだろうし、なんとかあの男嫌いを治してやりたいんだけどな。」
「・・・・・・。」
「てか、弘毅、お前も女嫌い治せよ。神宮司美也子はお前を追って早慶大学に入ったらしいじゃないか。今やミス早慶大学になっちゃってさ。そろそろ付き合ってあげれば?」
「美也子のことは、尊敬するただの友達だよ。それ以上でもそれ以下でもない。」
実は大学に入学してすぐに、美也子に告白された。
気まずくならないように「お前は俺にはもったいない。」と遠回しに拒否したが、上手く伝わっていないらしい。
一回だけ誰に聞いたのか行きつけになっていた「花と乙女」で美也子と鉢合わせしたことがある。
カウンターで俺の隣に座り、酒に酔って俺の肩に頭を乗せて来た。俺はその頭をそっと元の位置に戻した。
俺は友達だと思っていた美也子が、女の顔で迫って来ることに、落胆していた。
結局美也子も他の女と同じか・・・。
美也子の俺に向ける感情が「愛」だというのなら、愛とはなんと厄介なものなのだろう。
美也子と高校時代のような関係性に戻りたかった。
容姿も頭も性格もいいのだから、俺のことなんかさっさと見切りをつけて、次の男に行けばいいのにと舌打ちしたい気分だった。
大学2年になり、信二が西麻布のカフェ「ラバーソウル」でバイトを始めた。
そこの店長に見込まれて、客に出す料理を作るのを任されるほどになった、と喜んでいた。
俺は野球サークルの仲間たちと、信二の働く姿を冷やかしに、そのカフェで信二おススメのメニューを堪能していた。
ふと見ると、信二が花柄のワンピースを着た内巻きカールの女性の席で何やら話し込んでいた。その女性に向かって座っている女の子の後姿を見て、俺は一瞬呼吸が止まった。
紺色の麻のブラウスにグレーの折り目正しいプリーツスカート。
清楚な白いソックスに黒い皮のローファー。
髪を後ろでひとつに結び、そのゴムには茶色いモコモコクマのマスコットがついている。
華奢な体つきに細い足をきちんとそろえて座っている。
その女の子が持っていたフォークを派手に落とし、俺の席の近くまで飛んできた。
俺はすかさず席を立ち、そのフォークを拾った。
女の子は俺がフォークを持っていることに気付き、一瞬目があった。
つぐみだった。
しかしつぐみは俺からフォークを受け取ると、すぐに視線を外し、小さな声で「ありがとうございます」と言って、自分の席に戻っていった。
初めて聞くその声は、少し舌ったらずで、甘いイチゴキャンディのような声だった。
つぐみの小さな背中が俺から遠ざかっていく。
その距離はほんの数メートルほどなのに、声を掛けることも出来ない。
俺は視線を床に落としたまま立ち上がり、再び仲間たちの輪の中に入っていった。
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