第25話 ブルジョア民主主義

今の民主主義の形態は、実は

ブルジョア民主主義

ってんだって!


あっはっは!!すんげー納得wwwww


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%91%E4%B8%BB%E4%B8%BB%E7%BE%A9

(ウィキペディア「民主主義」)


>民主主義には直接民主制と間接民主制の間の議論があり、また自由主義的なブルジョワ民主主義(自由民主主義)の他に、経済的平等を重視する社会主義によるプロレタリア民主主義なども登場した。

なお政治の分野で権威主義は反民主主義を意味する。


>民主主義という用語は古代ギリシャで「多数者の支配」を意味し、君主政治や貴族政治との対比で使用された。しかしその後は衆愚政治などを意味する否定的な用語として使用され続け、近代より肯定的な概念として復権して、第一次世界大戦後には全世界に普及した。

 ↑

さすがユダヤ。人のものを旨く利用したわけだ。

「誰が考え出したのかな?」って検索したら真っ先にこれだったw


まず中世の頃、

ユダヤ金融の主だった者達は、王制の時代、愚王と愚側近共達のみであれば、うまく傀儡化させられていた。

だが、でっかい国になればなるほど愚王では無い場合が多く、更に側近も聡明な者が複数居る場合がほとんどだった。なのでその地域全体をユダヤ達が支配することは難しかった。

せいぜい、戦争を起こさせて、その王家をどうにか滅ぼそうとしていたくらいだった。


で、ユダヤの中でもそういうのに関わっている者達は真に聡明な者はいない。せいぜい収載程度でしかなかった。そういったのは聡明な者達に勝てるのは卑劣なことをすればいいと知っていた。


クズがいろいろ調べた結果なのかたまたまなのか、ギリシャ時代のことを知った。

「こりゃ利用できるな!」


横暴な王のいる国、もしくは国民が王のことをよく知らない国で王が横暴だと流言飛語。そそのかし。

その際に「ブルジョア民主主義」を「民主主義」と偽って広めた。

本来の民主主義はプロレタリア民主主義のことを指す様子なのだが、これはマルクスが出てくるまでお預けになった様子。

プロレタリア民主主義なんぞやられた日にゃ、金融支配なんかできるわけないからね!!ww


で、民主主義=愚民政治、とギリシャ人達が揶揄したように、そうなってしまった。

多くの権力欲に駆られた欲望の塊どもがこぞって手を上げた。

当然、発案計画実行のユダヤ達は自分らの傀儡が動きやすいような制度を制定。

欲望の塊共が票を集めやすい制度を利用。小選挙区なんざその最たるもの。

本来、その議会の地域全域での選挙区以外ありえなのだが、愚民だからそんなこと気づくわけない。

(県議会なら全県区。国会ならば全国区のみ、が選挙制度に相応しい唯一の選挙区。地元に利権をもたらせ用途いう欲望の塊の選挙民が大半なので、イミフな小選挙区などが許されている。しかも選挙区が小さいと「様々な操作」がとても行いやすい)


つまり、

民主主義の大本の発想からすると、民主主義(ブルジョア民主主義)は、金持ちや権力を持っている者達が自由にできるための民主主義、ということになる。

実際、現在の自由主義社会の大半はそうなっている。低能な人には到底気づくことができないが、少しでも聡明さがあればなんとなく感づいていただろう。(ここの読者さんは少数だけど、多分皆感じていたことだろうね。じゃないと過去にある少なくないこのような回には嫌悪感持ってしまって二度と来ないだろうから。)



これからは、民主主義、ではなく、ブルジョア民主主義、という本来の呼び名を使っていこうと思う。


暗にタブーとされていた「利権」という単語も今はメディア以外では普通に使われるように成った。数年でw。やっぱ怒りを持ってして思っていた者達も少なくないのだな、とわかった。


ここを平気で読むことができる方々ならば、その「ブルジョア民主主義」の意味合いをほぼ正しく概念で捉えられていることだろう。

よろしかったら、ご一緒に♪!!



ただし、

今迄の世界を見る限り、どこに住んでる人類であろうと、民主主義を行うための資質が大いに不足していることは理解できることとでしょう。

民主主義は、一人ひとりが「賢王」の如く「責任」をその生涯に持って「家庭」から「国家」までに自分の責任を負う姿勢を持ち続けて生きなければならない。そこまでしてはじめて民主主義制度というものの効果が発揮できるのだから。


今の程度の人類であれば、

本来ならば

軍を持った領主を支配下に置いた王制が一番マシ、だとは思う。


愚王であれば領主達連合で討ち滅ぼし、跡継ぎを王に据える、もしくは誰かが新規王朝を打ち立てる。

領主が愚かであれば中央(王)がその領主を排除する。もしくは領民の暴動で領主を滅ぼす。

領民が愚かすぎれば、領主はよそから新規領民を呼び込んで、古い領民を追い出せばいい。

これらは「自然法」に則った行為。ひとのつくった愚かな法のはるか上位に位置する。なので人の作った法なんぞ、これらが必要な場合は無視してよいこと、レベルが段違いなのだから。自然法を無視するのは天に逆らうのと同位なのだから。


だめならば、一度「破壊」し、「新しく作り出す」ことをするのはとても自然なことなのだ。

老化、も、種として自然なこと。誰の手も借りず、己で最後に終わりをもたらす。だから子供を作り育てたら、その後は老いが残るのみ=この世を去っていくのみ、なのだ。

静かに終わりを待てばいいのに勘違いしている愚鈍が多すぎるけど、今の人類だから仕方がないけど。



ま、

そんなとこです、

今日の「面白かったこと!」はww



** 追記 **

プロレタリア民主主義は何も社会主義や共産主義に限ったものではない。今まで認識されたモノがそれだけだった、というだけ。

構成員達の資質がそれなりになれば、ほぼ全ての者が納得できる形態もある。(犯罪者や予備軍以外は納得する程度)

構成員資質がほぼ無いに等しい今の時代には無理だが。

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