第11話 ブルンジ、ルワンダ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%82%B8
【(ウィキペディア)ブルンジ】
https://www.youtube.com/watch?v=kgdqhs9yXj8
【一生忘れられない。世界で最も貧しい国、ブルンジ】
これ見ようと思って開いたら、思い出した。
(この動画の前に同じ作者の動画、カラコルムハイウエイの動画を見て、これに飛んだ)
鉱物資源(現状見えるのは金、だが他に間近に発見されたものとかありそう)紛争が根っこの、
ブルンジ、ルワンダ、ザイールの3カ国及び関連国への「支配権」に関わることに関して勃発させられた内戦だと容易に推測される。
さて、実戦本格化は1994年4月。前年3月に行われた選挙結果が「お気に召さなかった」ようである。
で、
たまたまだが、1984年2月末くらいからケニアに滞在していた。旅行で。
で、3月にはビクトリア湖周辺(ケニア、ウガンダ、タンザニアに接する)に数泊のピクニックに出かけていた。
ブルンジ大統領搭乗機がミサイルによって撃墜されたときはナイロビに滞在していた。
ケニアに波及は無いだろうことはケニア人達もわかっていたろうが、やはりかなりのニュースとなっていた。
その後、タンザニア、タンガニーカ湖(タンザニア、ブルンジ、ザンビアに接する)など旅したが、戦火の痕跡はまだ見えなかった。
ザイールに至っては、そこまで表沙汰にならずに粛々と行われていった模様。
勿論、同時期にも欧州からのバックパッカーに見える旅行者は少なくなかった。
ベルギー人を名乗る者などいないだろうが、ドイツ人と名乗る者などを少なくない数がいたが、多くは若者なので本物の旅行者だったと思える。
アフリカはね、いまでもほぼ完全な植民地なんだよ。
独立風に見せかけているけど、実質はおいしいところは全て支配権は欧州資本が完全に握っている。
あっちは「アメリカ人の支配がかわいいほど」と思えるほどえげつない。
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