本文

 俺が自分の異能に気付いたのは本当に偶然だった。

 あの日、いつもはスマホで観ているAVをPCの大画面で観ようと思わなければ。

 AVを再生している最中に、ディスプレイについた埃に気が付かなければ。

 その埃を、親指と人差し指でつままなければ。


 自分がAVのモザイクを透視する異能を持っていることになんて、一生気付かなかっただろう。


「あ? このサンプル動画無修正だったか?」

 サンプル動画で抜く奴は何をやってもダメという格言があるが、もっぱら俺はサンプル動画勢だった。

 ディスプレイの埃をつまんだ瞬間、画面上の女性にかかるモザイクが外れた気がして思わず硬直する。硬直したのは全身だ。

 隠すべきところがモザイクで隠れていない無修正AVというものは、基本的にアンダーグラウンドにしか出回っていない。俺が利用しているような大手AVサイトが無修正動画を公開するだなんて考えにくいことだった。

 おかしいな。そう思いながら埃をとり、改めて画面を見ると、当然のようにモザイクがかかっていた。

「見間違いか? いや」

 本能が見間違いではないと告げていた。

 動画を数秒巻き戻す、ディスプレイを斜めから覗き込む、コンタクトレンズを入れなおす。考え付く限りの方法を試し、俺はついに、自分の異能に気付いた。

 親指と人差し指を丸くつないで、残りの指を立てる、OKサイン。

 右手で作ったOKサインの円の部分から覗いた時、俺はモザイクを剥がすことができたのだ。


「麻衣ちゃん!」

 興奮した俺はそのままの勢いで彼女に電話を掛けた。「どうしたの」という声を遮って叫ぶ。

「俺、AVのモザイク透視できるようになった!」

「とりあえずパンツ履いたら?」

 彼女の冷静なツッコミを受けて、俺は少したじろいだ。

「なんでわかったんだよ」

「だって電話越しに喘ぎ声聞こえるもん。ついに私にも寝取られ電話がかかってきたか~って思ったよ。大方抜いてる最中に自分の能力に気付いて慌てて電話をかけてきたってところでしょう」

 いったん動画を止める。相変わらず麻衣ちゃんはとんでもない洞察力だった。

「女の子が抜くとか言わないの」

「はっ。まあよかったじゃん変な能力が芽生えて。今晩そっち行くからそれまでにはズボン履いておいてね」


 そのあと俺は、他の動画も漁って、自分の能力が本物であることを確信した。


**


「私にはモザイクかかってるように見えるんだけど」

「麻衣ちゃんが俺の指から覗いても駄目なのか」

「えー、私も無修正AVみた~い!」

 自分のを見ろよ。

 そう思いながら俺はテレビの電源を入れた。二人でソファに並んで座る。

「クイズでいい?」

「まあ野球もちょっと見たかったけどいいよ」

「野球はあとでハイライトでも見といて」

 それはちょっと違うんだよなあ。

 そう言いつつ、一度見てしまえばなんだかんだ熱中してしまうのがクイズ番組というものだ。

「この漢字の読みは”からすみ”だな。賭けてもいい」

「おっけい。不正解だったら今後”ウェディングプランナー新郎寝取られモノ”で抜くの禁止ね」

「なぜ俺の一番好きなジャンルを?」

 司会者が「正解は」と言葉を溜める。

 いざ答えがオープンになる瞬間、パネルにモザイクがかかり、読み方は公開されないまま番組はCMに入った。

「いいところでCMに入るよなあ……麻衣ちゃん?」

 ふと彼女のほうを見ると、眉間にしわが寄り、口が半開きになっていた。

「麻衣ちゃん、どうしたのさ」

 俺の問いかけから数秒が経過したのち。

「レイくん、今のモザイクは透視できないの?」

「……あ!」

 そうだよ、どうして気が付かなかったんだ。

 どうして俺の能力が、AVに対してしか使えないと思い込んでいたんだ。

「ちょっと待ってね」

 麻衣ちゃんはリモコンを操作して録画リストを開く。

 そのまま、録画してあった今のクイズ番組を再生し、早送りをする。

 録画してたならチャンネル権譲ってくれてもよかったのでは?

 麻衣ちゃんは何食わぬ顔で「この辺だよね」と言った。

 つい数十秒前に見たシーンが繰り返される。「正解は」と司会者が溜める。


 OKサインの隙間から覗くその画面には、ひらがなで『からすみ』と書いてあった。


「っしゃ!」

「……できたんだ。なるほど」

 麻衣ちゃんは感心したようにそう呟いて、ノートPCをカタカタと操作し始めた。

「レイくん、これは読める?」

 画面に映るパワーポイントのスライドには、でかでかと『ち〇こ』と書いてあった。

 なんとまあお下品な。

 俺はOKサインを作ってスライドを見る。

 相変わらず『ち〇こ』と表示されたままだった。

「駄目か。じゃあこっちはどう?」

 彼女が再度キーボートを叩き、画面を見せてくる。そこには先ほどと同じようにでかでかと『ち〇こ』と書いてあった

「いや、さっきと同じやんけ」

「いいから」

 パワポに大きく『ち〇こ』と書いた女性とは思えない、凛とした表情だった。

 俺はしぶしぶOKサインを作って覗くと、驚くことに先ほどとは見え方が異なり、画面には『ちょこ』と書いてあった。

「古典的すぎる!」

 思わず疑問より先に突っ込みが出てしまった。

「え、なんで? どういうこと?」

 俺が問い詰めると麻衣ちゃんは微笑みながら、『ち〇こ』の真ん中の丸をドラッグで動かした。

「一回目のちょこは、〇を直接打ったんだ。それに対して二回目は、ちょこと書いてから図形を重ねて小さい『よ』を隠した」

「……ふむ」

「レイくんの能力は、最初からそこにないものは透視できない。でも、モザイクという形式じゃなくても、上から何かを覆って隠しているものならすべて透視できる……のかもしれない」

 上から何かを覆って、という言葉を聞いた俺はすぐにOKサインを作り、麻衣ちゃんを見た。

 それなら衣服も条件に当てはまると思ったのだ。

 しかし残念ながら彼女は着衣のままだった。

「なにしよんの?」

「あ、いや。その条件なら服を透視することもできるかなって」

「ん、なんで?」

「ほら、衣服って人に見られたくない裸を隠すためのものだろ」

 そういうと数秒の間があって。

「あっ、そっか、服ってただオシャレゃないんだ!」

 彼女がそう叫んだ瞬間、俺の指の隙間から見える衣服が、消失した。

「なっ」

 どうやら俺は、AVのモザイクを透視できる能力を得たわけではなく。


 その人が隠そうと思って覆ったベールならなんでも透視できるらしかった。


**


「意外となんにもできないな、この力……」

 俺が自分の能力に気付いてから、数日が経った。

 その間、少しでも能力を有効活用できる方法がないか模索していたが、いまだに『AVを無修正で楽しむ』以上のものを見つけられていない。

 理由は簡単で、人はあまり物を隠そうと思っていないのだ。

 例えば工事現場の看板の日付部分に修正が入り、上から白いシールが貼られているとしよう。それは、透視可能だ。貼った本人が日付を隠そうとしてシールを貼っているからだ。

 しかし、そのシールの上からペンで新しい日付が書かれている場合、俺の能力は機能しなくなってしまう。

 なぜなら、そのシールは日付を隠すためではなく、上書きするためだと認識が変わってしまうからだ。

 道行く人の服も鞄も透視することはできなくて、せいぜいコンビニ雑誌の袋とじの一ページ目が見えるくらいだった。

 せっかくとんでもない異能を手に入れたと思っていたんだけどなあ。

 そうぼやくと、麻衣ちゃんが少しだけ真剣な表情で言った。

「レイくん、あんまり街中で使わないほうがいいかもしれないよ」

「どうして?」

「今まで、壁を透視して家の中が見えたことってあった?」

 俺は首を横に振る。

 自宅の壁が、部屋を隠してくれていると意識している人間なんてほとんどいないだろう。

「ていうことは逆に、部屋が透視できてしまったら、どういうことだと思う?」

「えっと……」

 うつむくこと数秒。俺は麻衣ちゃんの言いたいことを理解した。

「中の人が、『壁があるおかげで外から見えなくて助かった』と思っている。つまり、部屋の中でよくないことが起きている可能性が高いっていうことか?」

「その通り。突飛な例を出すけれど、部屋の中で死体処理をしている最中だったら、透視できてしまう可能性があるよね」

 逆に言うと、と彼女は人差し指を一本立てた。

「レイくんが人の家を透視できてしまった場合、確実に中でやばいことが起きている。君はそんな状況で、見て見ぬ振りができる?」

「いや、できないと思う」

「そうだよね。そういうところが好きだもん。でも、それって警察に説明がつかないよね。能力を信じてもらえなかったら怪しい人になるし、信じてもらえてしまったら、故意に人の家を覗こうとした人になる。どちらにせよ、レイくんにとって損だ」


 それから数日後、俺はついアパートの壁を透視してしまう。

 もちろん麻衣ちゃんの言葉を忘れたわけではなかった。

 ただ単純に、俺は好奇心に負けたのだ。


**


 そのワンルームのアパートは、ベランダが道路に面しているにもかかわらず、全部屋の窓に透明なガラスが採用されている。

 そのため、全ての住民が年がら年中分厚いカーテンを閉めっぱなしにしていた。

 夏場は暑そうだなと思いながら、俺は無意識のうちにOKサインを覗き込んでいた。自分が麻衣ちゃんの忠告を無視し、人の家に対して能力を使っていることに気付いたのは、一階のカーテンがなくなった瞬間だった。

「まじかっ!」

 慌ててOKサインを握りつぶす。

 人の家に対して透視が成功したのは初めての経験だった。

 心臓がバクバクと脈打った。


『人の家を透視できてしまった場合、確実に中でやばいことが起きている』


 麻衣ちゃんの言葉が頭の中を駆け巡る。

 まだ何も見ていない。そしてこれからも、見ないほうがいい。

 あの中に人がいることと、その人が良からぬことをしていることは確定事項なんだ。

 だから見るな。

 俺は。

「……抗えるわけ、ないよな」

 好奇心に負けて、部屋を覗き込んだ。


 窓に背を向けるようにして、男が椅子に座っていた。

 椅子の前にはPCのモニターが鎮座しており、彼が画面を見ている姿勢だと分かる。

 他に人はおらず、血生臭い様子もない。

「……じゃあなんで、透視できているんだ?」

 そう思った瞬間、男の体の前で左手が小刻みに上下していることに気が付いた。

 左手は体に隠れてしまっているので確信はなかったが、左肩の動きから、何かを上下に振っていることがわかる。

 それはとても馴染みのある動作で。

「あぁ!」

 覗き込んだPC画面には、肌色の男女が激しくうごめいていた。

「確かに、一人でするときって後ろめたいよな」

 くっくっと、俺は声を上げて笑った。

 何が血生臭いだ。ただ生臭いだけじゃないか!

 幽霊の正体見たり元気な根っこ。

 俺は自分の頭の中にポップする言い回しに笑ってしまう。

「なんにせよ、悪いところを覗いちまったな。麻衣ちゃんの忠告もあるし、今後は外で能力を使うのはやめ―」

 そう反省しかけた瞬間、俺はふと違和感を覚えた。


 どうして上下しているのは左手なんだ?


 違う、そこじゃない。それ自体は問題ではない。

 サウスポーなのかもしれないし、マウスを操作する手で触りたくないのかもしれない。

 問題は、右手が何をしていたか、だ。

 記憶の糸を辿る。彼は右手を軽く挙げていたような気がする。

 しかし一人でするときに、右手が宙に浮くなんてこと、あり得るだろうか。

 俺は罪悪感を覚えながらも、もう一度彼の部屋を透視した。

 彼は右手を軽く挙げ、顔の前へ運んでいた。

 あり得ない。

 その姿勢は、あり得ない。

 それと同時に、俺は奇妙な親近感を覚えていた。

 だって、その姿勢は。


「俺が、モザイクを外しながらAVを観る姿勢と、全く一緒じゃないか」


 それに気付いた瞬間、スマホに着信が入った。

『レイくん』

「どうしたの、麻衣ちゃん」

『私も、透視できちゃった』


**


 どうして、”エロ本にバターを塗ると、黒塗りが消える”という噂は全国に広がったのだろう。

 どうして、参加者が立てた親指の本数を当てる遊びや、「花咲く森のみちんぽこどっこいしょ」という替え歌は、全国民が知っているのだろう。

 答えはいたってシンプルだ。

 全国に散らばる人々が、たまたま同時期に、ほとんど同じアイデアを思いついていただけにすぎない。

 シンクロニシティ。偶然の一致。

 何百年も解かれなかった数学界の難問を、全く別の地域に住む無関係の二人がほぼ同日に解答した、という逸話のように往々にして偶然の一致は起きうる。


 そして今、人類史を塗り替える新たなシンクロニシティが起こっている。


**


 麻衣ちゃんから電話を受けた夜、適当にTwitterのタイムラインを眺めていると「『モザイクを透視できるんだけどwww』」というショート動画が30万リツイートされていた。

 同様のツイートがいくつもバズっており、”透視”や”モザイク”がトレンド入りしている。リプライ欄には試した人の成功ツイートが散見され、大手ニュースサイトもバンバン取り上げていた。

 全人類が、人に備わっていた新たな機能に喜び震えていた。


 果たしてこの能力が、”最近全人類に備わった新機能”なのか、それとも”今まで誰もOKサイン越しにモザイクを覗いていなかっただけ”なのか、今となってはもうわからない。

 ただそのせいで、司法に大きなメスが入った。

 当人の考え方によっては衣服や壁が透けてしまうので、路上でOKサインを覗き込むことは犯罪行為となった。

 ただし、いくら法律を整えても、家の中でこっそり使われることに対しては何の対策も打てない。

 目に見える形で煽りを受けたのはAV業界だった。

 AVは、モザイクをかけないと出演者が捕まってしまう。

 演者を守るためにも、大手AVメーカーはそもそも秘部をフレームアウトさせたり、前貼りと疑似挿入で誤魔化した。

 一番笑ったのは、『再生ボタンを押し続けないと再生が止まるAV』だ。

 再生ボタンを押しながらモザイクを透かすと、その時点で両手がふさがってしまうからだ。

 見かけた瞬間「頭いいな!」と思ったが、クリックなどいかようにも誤魔化せる。

「ほらレイくん。私という彼女がいるんだから、AVがつまらなくなったくらいでそんなに気落ちしないでくれたまえ」

「まあそうなんだけどな」


 あの日、いつもはスマホで観ているAVをPCの大画面で観ようと思わなければ。

 AVを再生している最中に、ディスプレイについた埃に気が付かなければ。

 その埃を、親指と人差し指でつままなければ。


 俺一人が異能に気付かなかったところで、このシンクロニシティは止められなかっただろう。

 けれど、きっと全国の男どもが、同じことを思っている。

 なぜかはわからないが、そんな確信があった。

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