平泉幻想
朝は露天風呂の桂の湯に入ってきた。ここは男女別にあるから他の男に裸を見られる心配はない。朝食も頂いて八時過ぎには出発だ。来た道を戻って花巻南ICから平泉前沢ICまで南下。九時には中尊寺の駐車場に到着。
それにしてもコウがあんなに歴史に詳しいのは意外だった。遠野物語はユリは妖怪物が好きだったから良く知っていたけど、まともに話せるぐらい知ってるんだもの。
「ああそれ。全国各地を回るじゃないか・・・」
コウのツーリングは演奏旅行でもあるけど観光旅行でもある。わざわざバイクで回っているのがそう。演奏にも関係するけど、曲目を決めるのにその土地土地の歴史を踏まえた方が喜ばれるのは間違いない。誰だって自分の生まれ育ったところは大事にするものね。
それとこれはユリもわかるのだけど、観光旅行とは風景も楽しむけど名所旧跡巡りもある。ぶっちゃけ古い建物巡り。京都や奈良クラスなら見ただけで圧倒されそうなのがあるけど、地方じゃ単なる古いだけ。だからなんの予備知識もなしに見たらおもしろくもなんにもないのよね。
「それコトリさんの受売りじゃないのか」
バレたか。コトリさんは歴女。ユッキーさんも変わらないぐらい良く知ってるのだけど、二人が歴史談義を始めたら、そりゃおもしろいのよ。単なる古ぼけた建物に光が差してくるって感じになるものね。だからユリもツーリングで巡りそうなところは、出来るだけ予習して臨むようにしてる。
ここは平泉。奥州の覇者藤原氏三代の栄華が花開いたところだよ。ごく簡単には初代の清衡が中尊寺を、二台の基衡が毛越寺を、三代の秀衡が無量光院を建ててる。もちろん重なっている部分は多々あるけど省略。
でもこうやって改めて見ると湧いてくる疑問がある。現在の東北の中心は仙台だ。古代だって多賀城もあって陸奥の中心地のはずじゃない。でもどうして平泉だったんだろう。
「それはこの地を選んだ清衡に聞いてくれ。でもね、こういう説もある・・・」
近代までの日本の統治原則は稲作だって。田んぼで米を作るのが文化であり、そこから税金を取り立てたのが政府ぐらいかな。だから米を作らない人々は統治範囲外に置かれたとも見れるんだって。
奥州って陸奥のことだけど、現在なら福島、宮城、岩手、青森にあたる広大な範囲だけど、米を作るには寒すぎた。今じゃ、米どころになってるけど、江戸時代でも何度も大飢饉に見舞われてるものね。でも寒いだけなら出羽だって、
「出羽と陸奥では気候が違う。出羽も雪は深いが、夏はフェーン現象で暑いんだよ。でも陸奥はヤマセで夏も気温が下がることが多い」
ヤマセってなんだと聞いたのだけど、三陸沖で寒流の千島海流と暖流の親潮がぶつかるのだけど、寒流の影響で冷たい海からの風が吹いて、夏でも低気温に見舞われる現象らしい。夏が寒いと米は出来ないものね。
「陸奥の米の取れ高はよくわからないんだよ」
陸奥の石高は慶長三年の記録で百六十七万石とはなってるそうだけど、
「たとえばだけど会津の上杉景勝は百二十万石で、家臣の直江兼続の米沢が別建てで三十万石なんだよね。どっちも福島だけど、そこだけで百五十万石になってしまう」
そうだよ仙台に伊達政宗もいるものね。政宗は六十二万石で後に実高百万石とされたそうだけど、六十万石としても上杉と合わせると二百万石越えてしまう。だけど江戸期に岩手県から青森県東部まで所領にしてた南部は十万石なのよね。これも後に二十万石になったとはいえ、
「青森県西部の津軽家で七万石だよ」
藤原三代時代でまともに稲作が出来たのは現在の福島県ぐらいじゃなかったんじゃないかとしていた。だったら藤原氏の栄華の源はなんなんだ。
「農民を平地の民とすれば、山の民もいた」
山の民とは猟師みたいなのもいるし、そこから派生した皮革業もいただろうし、木工に従事したのもいたぐらいかな。
「傀儡子なんかも入るし、山伏なんかも入ると思うけど、奥州藤原氏の場合は鉱物採取者も支配下に置いたはずだよ。金売り吉次の話は知ってるだろう」
そうだった奥州藤原氏と言えば黄金文化だものね。きっとザクザク黄金が取れたんだ。
「そこなんだけど・・・」
奥州の砂金は歴史上でも有名なんだよ。奈良の大仏の金メッキも奥州の砂金が支えたとなってるらしい。だけど採れた、採れた言うてもどれぐらいだったのかは微妙なとこはあるみたい。
日本一の金山と言えば佐渡になるけど、総産出量が七十八トン、年間の最大産出量は一九五〇年頃、つまり近代で一・五トン、それ以前になると五百キロでも多い方で、その半分以下の年がほとんどだったそう。
金が五百キロと言ってもイメージしにくいのだけど、映画とかに出てくる大きな金の延べ棒が十二・五キロなんだって。つまり日本一とされた佐渡で最盛期で百二十本ぐらいで、昔は四十本程度だったことになる。
それでも平泉のあたりが砂金産地の中心地に近かったぐらいは言えるらしい。だから平泉だったになるかのなのよね。金は当時も価値ある貴金属だけど、金は持ってるだけなら意味がないのよ。金をなんらかの物資と交換してこそ価値が出る。
「それは今も同じだよ」
交換するには相手がいるじゃない。その辺の農民相手に金を出しても高価すぎて相手にならないものね。その相手となると、
「国内なら京都だろ」
国内で金に相応しい価値の商品なりを提供できる都市は京都ぐらいしかないよね。でも京都が金の商売相手だったら、やっぱり平泉にする必然性が乏しいと思うのよね。金の産出量と言ってもその程度だから、少しでも京都に近く、米も取れる会津ぐらいに中心を置きそう。食べ物の方が最後は優先だし、砂金は運んだら良いだけだもの。
「でもそれでも平泉を選んだ理由があると思う。たとえば・・・」
奥州藤原氏の富は京都相手の国内交易だけで築き上げたと見ないのか。平泉と言えば中尊寺金色堂になるけど、使った金箔の調査をしたら北海道の日高産のものが混じっている報告書があるんだって。
平泉の中尊寺と言えば奥州藤原氏のお膝元も良いところじゃない。余裕で自前の金で賄なって当たり前と思うもの。それなのにどうして北海道産の金が混じってるかなのよ。
「奥州藤原氏の栄華を支えた砂金は、陸奥産だけでなく蝦夷との交易も多かったと考えるべきかもな」
それって。
「十三湊の存在だ」
十三湊は津軽半島にある港。古代から交易港として開かれて有名だったそう。たとえば蝦夷相手なら食料と金の交易は成立するかもしれない。今の価値観なら詐欺みたいなものだけど、蝦夷にしても金を持っているだけじゃ飢え死にするものね。十三湊の存在まで考えると、
「大陸交易もあったはずだ」
陸奥は南側が穀倉地帯だけど、北側は交易地帯だったと見るわけか。奥州藤原氏の繁栄のためには両輪としてどっちも欠かせないものだったとすると、
「両方の中間点の平泉だったのかもしれない」
奥州藤原氏の栄華は、金もあったけど、その金は陸奥だけでなく北海道からも入手していた、いや量的に北海道産が主力だった可能性すらあるのか。その金を交易手段に使って大陸交易もやって、さらに富を蓄えていた可能性すらあるのか。大陸の珍品を京都にでも持って行けば大儲け出来そうだものね。
十三湊と白河関の中間点が平泉だけど、藤原三代は南じゃなく北に繁栄の源泉を持っていたと見た方が良い気がしてきた。南は穀倉地帯として重要だから平泉に本拠地を置いたけど、あれは目いっぱい南下した形で、あくまでも南陸奥を支配する目的だったとか。
「ユリもおもしろい事を考えるね。奥州藤原氏の栄華は、他の地域の日本の繁栄と少し違うタイプだったとボクも思う」
黄金がベースだったんだろうけど、黄金は陸奥にあっても価値はあんまりなかったぐらいで良い気がする。でも陸奥から他に持って行けば話が変わるのを知った気がしてきた。国内なら京都だけど、大陸を相手にすればスケールが変わるはず。
「妙な例えだけど、黄金だけ持っていても日常では使いにくいからね」
金の延べ棒を持っていてもラーメン食べに行きにくいものね。使うためには今ならカネにするのが必要。奥州の金ももっと交易しやすい物品に換える必要があったんだよ。それを十三湊でガンガンやってたんじゃないのかな。
それでも南奥州を重視したのは食糧の確保のはず。今より食べ物の確保の重要性は高いはずだもの。南奥州の食料と、北奥州の交易を考えての支配となると、中間点である平泉が自然に選ばれたんだよ。
でもさぁ、でもさぁ、そういう好立地のところは、その後も使われ続けそうなものじゃない。いわゆる交通の要衝ってやつになるはずだもの。
「頼朝に敗れて奥州藤原氏は終焉を迎えるのだけど、頼朝の政治思想は内向きだったからね」
頼朝の目指したのは律令体制の打破か。打破と言うより、律令体制の税収を幕府に振り向けることだものね。これはこれは偉大な業績だし、これが江戸幕府崩壊まで続くのだけど、収入の軸足を交易に置こうとした人じゃない。
おそらく頼朝の奥州支配は米経済を中心としたもので良いはず。そうなると南奥州重視になる。十三湊だって、奥州藤原氏が物品をかき集めていたのが繁栄の要因だったはずだから、それがなくなれば衰えるだろうし、変質もするはず。
「ユリの見方は鋭いよ。十三湊がいくら良港でも、寄る理由がなければ船は来ないからね」
あれかな、奥州藤原氏時代の十三湊は戦国時代の堺みたいな様相があったのかもしれない。大陸からの商人が珍しい商品を持ち込み、それを黄金なり陸奥特産の物品と交換してたぐらい。さらにそういう湊だから陸奥以外からも国内の船が寄って来ていた感じ。
「堺に例えるとはおもしろい。時代的には北の大輪田の泊みたいなものかもな」
今の平泉は平凡な地方都市だけど、かつては黄金文明が花開いた夢のような都市だったんだろうな。
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