第四十三章 衝動の理解

 中間考査の最終日、特班の面々は打ち上げをすることになっていた。


 場所は飛崎邸。最初は町にでも繰り出そうかと考えていたのだが、昨今のエリカを取り巻く情勢を鑑みて、その案は却下された。


 となると各員の自宅が候補に挙がるが、新見の寮は幾らなんでも狭すぎて、三上のアパートも些か手狭の上に集合住宅であることを考えると色々気を遣う。


 であるならエリカか飛崎の家になるのだが、飛崎が『久遠を連れてくるならウチで良いだろ。こないだリクエストされたからピアノも用意したし』と案外乗り気になっていたのでそうなった。


 各々に食材やらお菓子やらを持ち寄って、夕方に集合の手筈になっていた。


 そんな中、エリカがリリィを伴って飛崎宅を訪れた。


「おお。まだ準備中だがいいか?」

「何なら私達も手伝うわ。リリィも、いいでしょう?」

「エリカ様がそう仰るなら」

「じゃぁ、お前さんはティアの手伝いしてやってくれ。メイドなら料理は出来るんだろ?」


 そう言って台所へと促され、飛崎とエリカは会場確保のためソファ等をどけていた。  


 そんな折り、エリカが飛崎に声をかける。


「ねぇ、レン。ちょっといい?」

「んー?何ぞー?」

「今度、箱庭の拠点に連れてってもらえないかしら」


 然り気無くそんなことを言われ、飛崎は思わず手を止めた。


「―――唐突だな」


 さてどうしたものかと、一瞬だけ考えたが結局観念することにした。


「まぁ、隠しているわけじゃないしな。気づく奴は気づくだろうが………いつ気づいた?」

「喫茶店でのメイド達の態度ね。最初は違和感だったけれど、二回目に一人で訪ねた時に確信したわ」

「成程なぁ………普段から傅かれてる奴には分かっちまうのか。皆、本職だから素人っぽさが出ないから」


 意外と言えば意外だが、彼女の出自を考えたら当然かもしれないと飛崎は納得した。


「んで?何でまた箱庭に?」

「この間の襲撃で思うところがあって」

「流石にビビったか?」

「少し、ね」


 からかうような物言いに、しかしエリカは少し疲れたかのように頷いた。


「覚悟はしていたのよ。その選択で出てくるであろう被害も」


 事件後、上がってきた被害報告と成果を強権を振りかざして提出させたが、それを見てエリカは愕然とした。


「運が良かったわ。巻き込んだ人も軽症で済んだし、被害らしい被害も出なかったもの。だけど、アレは」


 被害に対してが少なすぎる。


 分かったことはJUDASが絵図を引いていること。実行犯は薬物中毒者で、火種は麻薬だということだけ。


 ここから導き出せる、今回の彼らの狙いは。


「まぁ、威力偵察だろうな」


 エリカに配されている護衛人員の把握だ。だからこそ捨て石に出来る薬物中毒者を用いていた。


 そして底が見えた以上、次は本気でエリカを捕らえに来るだろう。


「奴らもトーシロじゃねぇ。生粋のテロ屋だ。こんな生温い結果で済むはずがない。―――次は、下手すりゃ統境圏を巻き込んだ派手さで動くだろうよ」


 それに備えて増員も考えたが、それでは解決には至らない。帰国しようにも国許はまだ少々騒がしい。ではどうするか。


 エリカの出した結論は雲隠れだ。それも、アローレインに身を寄せることを前提とした。


「そうね。タイミングは分からないけれど、その前に国外に出たいわ」

「ぞろぞろ引き連れられてもなぁ」

「三人だけよ」

「三人?お前さんとリリィと―――」

「―――タカシを」


 唐突に上げられた名前に、飛崎は小さく口笛を吹いた。


「SPは国許へ返すわ。JUDASから身を隠すなら、少ない人員の方がいいでしょうし」

「それ、班長には言ったのか?」

「いいえ、まだよ。だけど、必ず連れて行くわ」

「惚れたのかよ」

「ええ」


 恥じらいも臆面もなく、エリカは確かに頷いた。


「私ね。ベルの時に学んだの。本当に欲しいものは、形振り構っていたら過ぎ去ってしまうって」


 だから心から欲したのなら迷いなく手を伸ばすわ、と彼女は言い切った。


「―――そういや王族だったなコイツ」


 その余りにも傲慢ワガママな物言いに、飛崎は今更ながら思い出したかのように得心していた。


「だから、協力してね?」

「高く付くぞ。ウチは」

「私を誰だと思っているの?」


 どうやら、支払い能力に不安はないようだった。





 ●





「無事に試験が終了したことを祝いまして―――」

『かんぱ―――い!』

「かんぱーい?」


 飛崎とエリカが密約を交わした三十分後、特班の面々とプラスαが飛崎邸に集まった。追加人数の内訳は、三上が連れてきた式王子と久遠、それから何故かくっついてきたアズライトと既に飛崎邸にいたアズレインだ。式王子は特班のメンバーに遠慮して一度は辞そうとしたのだが、『久遠が来るなら保護者もいるだろ』とホストの飛崎の判断で参加の運びになったのだ。


 並べられた和洋折衷色とりどりの料理を前に、音頭を取った新見が手にした麦茶を一気に飲み干して特大の安堵の吐息をした。


「いやぁ、良かった良かった。どうにか補習とかなさそうで………!」


 試験後の各々の手応えと自己採点(班長命令で強制)でどうにか最低でも赤点を免れていた事に新見は心底ほっとしていた。


「何故にお前さんがそこまでほっとしとるんだ?班長」

「評価に響くんだよ………僕の年末査定に」


 急に劇画調な真顔で告げる新見に、特班の面々はそれぞれ並べられた料理に手を出しながら呆れ顔になった。


「何かと思えば自分のことか、貴史。それは少々情けないのでは無いかと思うぞ、吾輩」

「そうは言うけどね、アズライト。特班を引き受けたのだって九州圏軍に実地研修飛ばされないためだったんだから」

「それは初耳ね」

「あー、みんなにはまだ言ってなかったか………。まぁ、ちょっとエリカには色々言い難い事情もあってね?」


 特班結成の来歴にエビチリを口にしていたエリカが興味を示して、今更ながら新見は特班が如何にして作られたのか説明することになった。


 そもそもがエリカ―――より正確に言うのならその立場の扱いに困っていたこと。議論紛糾の末、くじ引きで山口が押し付けられたこと。その山口に、点数稼ぎしないと来年修羅の国に飛ばすぞと脅迫的なやり口に丸め込まれて新見が引き受けることになったこと。結果として、平隊員として和和していようと思っていた新見の野望は脆くも崩れ去ったことなどなど、結局根掘り葉掘り聞かれる羽目になって全部ぶちまけてしまった。


「つまり貧乏くじで選ばれたんすか、班長」

「エリカ様を押し付けるなどと………!」

「どうどう、リリィ。仕方がない部分もあるわ」

「私、聞いちゃっててもいいんでしょうか………」

「まぁ、良いんじゃないかな?二年で班長やってる連中は大抵事情を知っているし。何なら当事者だったし」


 ほとんど部外者の式王子が困惑しているが、新見は鶏の唐揚げをパクつきながらそう言った。


 何しろ他の班長達はいつ自分のところにお鉢が回ってくるのかと恐々としていたのだ。他国のお姫様、というアイコンだけならば一般庶民にとっては興味深いで済むだろう。だが、それが自分の部下になるとなれば事情は変わってくる。


 当然必要以上に気を使うし、他の部下が粗相を致せばそのままそっくり管理者である自分に跳ね返ってくる。どう考えても胃が痛くなる未来しか見えない。


 何のかんの新見がやれているのは、エリカが自分の立場や影響力を正しく認識していると言う意味での良識人であったことと、他のメンバーも特殊な来歴や立場はあっても、性格的には他者に気を使える程度の常識を弁えていたからだ。


 この中にカツ君とかいたらどうなっていたことやら………と、今更ながら本当の問題児が混ざっていないことに新見は心の底から感謝していた。


 尤も、実はその辺りは教師陣がある程度配慮していた。実際の班決めは、まだ本性が割れていない一年はともかくとして、二年組は比較的相性の悪い者同士で組まされることが多い。相性の善し悪し程度で他人を扱えないものが上に立って貰っても困るからである。


「で?どうよ。特班の班長になってみて」


 一人だけビールの入った中ジョッキを傾けながら尋ねてくる飛崎に、新見はあー………と周囲を見渡して。


「―――案外、悪くないかも?」


 言葉を濁して周囲に白い目で見られた。


「貴史よ。そこは嘘でも最高とか言うべきところだと思うぞ」

「少年よ。そこは照れ隠しするべきところではないと思うぞ」


 その上、猫と犬にまで苦言を呈されて、新見は目を逸した。


「犬猫に突っ込まれてどうするんだよ班長」

「いや、まぁ、最初の頃はどうなることかと思ったけどもさ」


 何のかんのやれてるから、まぁ悪くないのかなぁと言葉を続けようとして。


「タカシは、私と一緒の班は、嫌?」

「う………」


 いつの間にか隣に移動してきたエリカにずいっと詰め寄られドギマギする羽目になった。距離と台詞はともかくとして、圧力はどうにも桃色よりも鈍色だった。


「さー、ラブコメしてる連中はほっといてお前さんらももっと食えよー」

「久遠、何か食いたいもんあるかー?」


 エリカに尋問、もとい、詰問されている新見は放っておくことにして飛崎と三上は話題を変えた。背後で裏切り者ー!という声が上がったが気にしない。ここでエリカの邪魔をすれば王族パゥワーが炸裂しかねないことぐらいは彼等にも分かっていた。


「お寿司!えんがわがいい!」

「渋い趣味してますわねこの幼女」

「この間ウチのお祖母ちゃんに回らないお寿司屋さん連れて行ってもらって、色々覚えたらしくて」

「と言うかリリィ、えんがわ分かるのか?」

「欧州にも前世紀に流れてきたお寿司文化は残っていますもの。流石に本場とは違いましたけれど」


 三上の素朴な疑問に、リリィはヒラメの握りを日本人顔負けの箸捌きで食べていた。1999年以降、諸外国との関係性が薄くなったものだが、一度広がった食文化は意外と残るものらしい。


「さて、一発じゃないが、芸でも披露しようかね」


 皆がそれぞれに料理を口にし腹半分になった頃、唐突に飛崎が席を立った。


 そしてリビングの端になにやらこんもりとしていた物体に被せてあった布を剥いでいくと、黒塗りのグランドピアノが現れた。


「まさか………スタンウェイですの!?それ!!」

「なんぞリリィ、分かるのか?」

「分かるも何も、所によっては国宝指定されるほどですわ!最低でも10億は下りませんわよ!?」

「プレミア付いてそうだとは思ったが、今だとそんなにするのかよ。いや、当時でも庶民には手が出せんほど高かったが」


 何しろ前世紀でもあらゆる現代ピアノの原点とか、神のピアノとか称されていた逸品だ。値段もそれ相応で最低モデルでも800万もする玄人向け。通常の一般向けグランドピアノの価格帯が、新品でも200万と考えればその高さが分かるだろう。2049年時点ではプレミア価値もあって、ほぼ青天井だ。もはや芸術品やヴィンテージワインと同じ投資対象と見做されている。


「何だって山猿がそんなものを………」

「まぁ、身内希虹の遺産でな。儂の―――趣味を慮って、遺してくれたんだよ」


 飛崎は苦笑しながらグランドピアノに屋根と鍵盤蓋を開き、席について音を確かめるように鍵盤に指を沈めていく。そして徐ろに久遠に訊ねた。


「久遠。何か聴きたい曲はあるか?」

「えっとねー。最初に流れてたの!」

「あん時は気分でメドレーしてたからなぁ………。取り敢えず、テキトーに流してみるか」


 久遠と最初に出会ったあの日。


 音楽店の店頭で流していた曲を思い出しながら弾く。クラシック、ジャズ、洋楽、昭和平成のヒットナンバーと続いたところで、久遠が反応を示した。


「これ!」

「これか………」


 とある70年代の歌手の曲だ。


「聴いたことのない曲ですね」

「今からすりゃ70年は昔の曲だ。儂がよく弾いてた当時でも懐メロ扱いされたもんだが」

「有名なのか?」

「発表当時はオリコンチャートに乗るぐらいにはな。しかし何だってこの曲が………」

「聞いたことあるの。車にのってるときに」


 首を傾げる式王子と三上に、久遠がそう言った。


 その言葉に、偽両親は言葉を詰めた。それは矛盾だ。幼い久遠が乗る車など、両親の車に他ならない。その車の所有者である三上達が―――自ら流したであろう曲を知らないというのは。その矛盾にいち早く気づいた三上と式王子は困惑し―――。


「―――そうかい。じゃぁ、こんなのはどうだ?」


 飛崎が助け舟を出して、同じ歌手の別ナンバーを流してみる。


「これも聞いたことある!」


 手を叩いて歌まで歌い始める久遠を、三上と式王子はただ黙って見ていることしか出来なかった。




 ●




(久遠の生まれが1994年頃だとすりゃ、そりゃ70年代80年代のヒットナンバーが親の青春だわな)


 一通り演奏して、軽く熱を持った身体を冷ますように一人庭先に出た飛崎は、縁側に腰掛けて久遠の反応を考察していた。


 車で聞いていたとのことから、カーステレオで流れていたのを覚えていたのだろう。インターネットが無い時代の子供の情報収集先はテレビかラジオ、あるいは家族の趣味が大勢だ。


 特に食いつきが良かったのが80年代後半だったことから、久遠の本当の親は結構な若さだったのかもしれない。


(さて、どうすっか。疑似家族続けんなら、正治や式王子に昔の曲を教えてやるほうが良いのか、それとも余計なお世話か………)


 幾つか思い浮かぶ曲を候補に上げて、しかし飛崎は首を横に振ってその考えを振り払った。どうにも深入りし過ぎだ。頼られれば助けもするが、頼まれてもないのに手を出すのはお節介も良いところだろう。


(ま、今度それとなく話を振って、乗り気ならにしようかね。―――しっかし、ここ最近妙に他人の世話を焼くことが多いな………)


 デヴィットに始まり、喋る犬、喋る猫、幼女にヘタレ二人、挙句の果てにお姫様まで世話することになった。それが嫌な訳では無いが、些か関わり過ぎかもしれないと飛崎は思った。


 飛崎がこの日本に戻ってきた理由はあくまで復讐のためであり、再び日本で暮らすためではない。


 ずっと土着するならば円滑な人間関係の為に、他人の苦労を背負い込んで恩を売っておくこともするだろうが、目的を果たし次第海外にある拠点に戻る気でいる。だから元々、あまり箱庭以外の人間と関わる気もなかったのだ。


 日本にいる明確な理由―――勿論、対外的な建前ではあるが、それに適したのが学生という身分だった。そして公的に適合者である飛崎がなれる学生は、教練校生だけだった。折しも、旧知の仲である長嶋が教練校を運営していたのも間が良かった。


 本来であるならば、その身分は腰掛けで、復讐を完了次第傭兵に戻るという名目で辞めるつもりだった。


 だが、未だ『無貌ノーフェイス』の足取りは統境圏で途絶えており、そこから先は追えていない。エリカの周囲をJUDASがうろちょろしていることから、彼女を庇護すれば何らかの尻尾を掴めるかもしれないという打算もあったが、それもいつまで掛かるか分からない。


 端的に言って、飛崎は焦れていた。


(はぁー………クソ、連チャンで懐メロ弾いたせいか?柄にもなくナーバスになりやがる)


 懐かしい曲が呼び水となって、最愛と過ごした記憶をふつふつと思い出してしまう。


 きっと美化もされているであろうその記憶群は、それでも飛崎を形作る大事な思い出達だ。拒絶など出来ないし、振り払ってしまえば二度と思い出せなくなりそうでそれもできない。


 結局、このやり場の無い感情を抱えたまま今は待つしかできないのだ。


 それが堪らなく辛く、そして焦れる。


 目覚めてから日本に来るまで、ずっと走り続けてきたから尚更だ。


(すぐに『無貌』ぶっ殺して、トンズラするつもりだったんだがな………)


 まだ先になりそうな自らの復讐を思って深く吐息をしていると、不意に背後から声が掛かった。


「ヒサキ」

「んぉ?どうしたお前さん等、お揃いで」


 憂鬱な感情を振り払って、後ろに視線を向けてみれば、そこにはアズライトとアズレインが飛崎の両隣に座った。


 何となく二匹をわしゃわしゃと撫でていると、不意にアズライトが口を開いた。


「―――質問をしてもいいだろうか」

「おお、何だ?儂に答えられることか?」

「アイとは、何だろう?」

「何でまたそれを儂に聞く?」

「君は、他の者達と違う」


 アズレインの問いに飛崎が首を傾げると、今度はアズライトが言葉を継いだ。


「言い表すのが難しいが、達観………、在り方………いや、考え方………?」


 表現に戸惑うアズライトに、飛崎はははぁん、と頷いた。


「美学だ」

「何?」

「儂が他人と違うのだとすれば、そりゃ美学があるかないかだろうよ」


 今一要領を得ない二匹に、飛崎は呵呵と笑って美学を説いた。


「人が人であるために必要な立脚点。信義、流儀、仁義に礼儀。それらを一つに括って美学と呼ぶのさ。自分がある人間ってのは、本人が気づいていなくてもそれらいずれかに寄って立って生きている」


 例外があるとすりゃまだ心が未熟な子供か徹頭徹尾屑な人間だけだ、と飛崎は言い切る。


「これが案外難しいもんでな。ただ生きているだけじゃ身につかないし、得ようと身構えていても身につかない。息継ぎもなく迫りくる逆境の中で、泥に塗れながら手探りじゃないと中々手に入らないもんなんだ」


 叩きつけられて踏み潰されて、泣きながら血反吐を吐きながら尚も、と腹を据えて前を向ける人間だけが手に入れられると彼は言う。他人に馬鹿にされようが、後ろ指をさされようが、自分が自分であるために歯を食いしばれる人間こそが美学選ばれると。


「儂に美学を説いたばーちゃんは、人の心は宝石と同じだと言っておった」

「宝石?」

「そう。宝石ってのは、原石のままじゃ何の価値もない。宝石と石ころを区別して優劣をつけるのも人だからな。削って磨いて、掛けた手間を付加価値に変えなきゃどんな宝石もその辺の石ころと変わらない。綺麗にできても、手入れをキチンとしてやらんとくすんで価値も下がるしな」


 宝石は自然界では単なる石だ。そこに価値を見出だし、名と意味を与えるのは人間に他ならない。


 人の心も同じだ。


 どれだけ素晴らしい志でも、軸がブレていては説得力に欠ける。くすんでいては誰かを魅了することもない。熱情を燃料に、美学で心を磨き、輝くからこそ人の心は宝石足り得る。


「人の心ってのは、そいつが持つ美学で磨かれるもんだ」


 言うならば心の研磨剤だと彼は語った。自分にはそれがあって、かつ自覚しているからこそ確固たる自己があるのだと。きっとそれが、他人との差なのだと。


 話が逸れたな、と飛崎は話題を戻す。


「さて、アイねぇ………哲学的な質問だなぁ」

「吾輩達は創造主にアイを探せと言われた。そうすれば、人と共にあれると。その言葉に従ってアイを探してきた。だが、アイとはそもそも何なのだろうか」


 言葉の意味は流石にもう理解できる。だがそこから先。それを探し当てたとしてどうすれば良いのかと。


「まぁ、儂はもう大体分かってるがな」

「やはり、愛、なのか?」


 答え合わせを求めるアズレインに、飛崎はさてね、と答えをはぐらかした。


「最初は何の謎解きかと思ったんだがなぁ………」


 しかし何か思うところがあるようで、彼はこう続けた。


「創造主とやらが口にした状況、お前さん達が作られた経緯、そしてお前さんの望みを加味すれば大体は絞られるさ。だが教えんぞ」

「何故だ?創造主もそう言っていたが………」

「それは決して他人に教えられるものじゃないからだ。自分で理解して手に入れるものだ」


 まるで突き放すような言い草に、二匹は小さく唸った。それに苦笑して、飛崎は一つだけ道を示すことにする。それは最初の疑問。彼等のネームプレートに書かれた英単語。その意味に気づくのこそ遅れたが、気づいたら全てを飛崎は理解した。


「だがヒントはやろう。お前さん達の名前。それが最大にして唯一のヒントだ」

「拙者達の?」

「儂の予想が正しくて、儂の答えが正解ならば、お前さんの創造主は随分とロマンチストだ。あぁ、儂と同じ美学の信奉者だな」


 気づいた時には成程、と飛崎は膝を叩いて大いに笑ったものだ。


 人ならざるものが人に寄り添い、人と共に歩き、人と共にあろうとするのであれば、きっと必要なものだ。


「その意味に気づけたのなら、お前さん達のアイの意味が確信に変わるし、きっとお前さんたちだけの美学を手に入れられるはずだ」


 今は分からなくても、きっと分かるようになると彼は微笑んだ。


「半世紀前に人が描いたA.Iの物語とは違うが、これはこれで浪漫があるなぁ」

「人が描いたA.Iの物語とは?」

「人に成り代わってこの星の盟主になったり反逆したり色々だ。世紀末ってのもあって悲観的だったのかもな」

「吾輩達は人と共に在る事を望んでいる。反逆や乗っ取りなどはしない」


 アズライトが心外だ、とムッとした表情をするが飛崎はどうだろうな、と反論した。


「お前さん達はA.Iだ。リセットでもしない限り、あるいは意図的にでもない限り得た知識や経験以下の行動はしないだろう。だが人は違う。下らんこと、しょーもないことを平気で繰り返す。それも何度も、何度もだ。ひょっとしてこいつら学習能力ないんじゃねーの?と思うぐらいにな」


 人は機械ではない。


 決まったことを決まったようにするにも適性や才能を必要とし、全人類の能力が全て横並びではないのだ。故にこそ多様性という適者生存に必要な概念が生まれ、人類は滅亡を迎えること無く繁栄した。その反面、時代に照らし合わせた優劣も発生する。


 そして全ての人間が歴史に学ぶことはなく、分かりきった愚考を繰り返す。


 今の時代、人類種にとって不倶戴天の敵とも言える消却者が存在しているのにも関わらず、未だに人類同士で戦争している地域もあるのだ。人種、宗教、経済にイデオロギー等々、理由こそは枚挙に暇がないが、機械的に、あるいは合理的に見ればこれ程ふざけた生き物もいないだろう。人的資源を身内殺しのために使っているのだ、人類は。


 そんな人類の、一種の暗黒面を知っているからこそ、三村なぎさは遺言を残したのだろう。


「きっとお前さん達の創造主は、人は愚かで救いようがないと絶望してほしくはなかったんだろう」

「アイを見つければ、拙者達は絶望はしないと?」

「さぁな。アイに気づいた時、お前さんがどんな状況にいるかによるんじゃないか?」

「曖昧だ」


 不満げな二匹に、飛崎は所詮今はたらればの話だからな、と無責任な発言をした。


「儂から見るに、お前さん達はもう感覚質クオリアを獲得している気がするよ。直ぐにではないかもしれんが、必ずアイを見つけるだろうさ」


 そして彼はこうも言った。


「だがもしもアイを見つけて戸惑ったのなら―――人との付き合い方に躊躇ってしまったのならば、自分に芽生えたそれに問いかけるといい。きっとそこには衝動が在る。お前さん達だけに許された、お前さん達だけの衝動が。その時こそ、お前さん達の名前に隠された真実が美学に変わる」


 そうとも、と飛崎は言葉を区切ってこう告げる。


 それは、人が美学を得るために必要なステップ。


 自己を認識し、自我の輪郭をなぞり、自らの存在理由を問い、自分で答え、そして確信へと至る唯一の儀式。


衝動を理解しろRealize・Id 、だ。人はいつだって、意識の底から本能的に沸き上がる衝動Idに従って発展してきた。そこを立脚点に前進することを望んだ。人が人であるために、己が己であるために。人と共にあることを望むお前さんなら、きっと人の衝動Idを見て人を判断できるだろうさ」




 ●




「―――標的が動きました」


 暗がりの中で、ブライアンはそっと呟いた。一泊置いて、メティオンからの返答が通信機越しからあった。


『では手筈通りに』

「はい」


 通信を終了し、ブライアンは気持ちを切り替えるために短く吐息。


「―――さて、じゃぁ始めるとするか」


 後の世にいう『海ほたる事変』。


 その幕が今、切って落とされる。

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