第十五章 それぞれの休日 ~箱庭の主様の場合・後編~

 横浜市、と言えば2007年の県廃政令施行以前から全国有数の政令都市の一つである。


 現在では統境圏神奈川州とうきょうけんかながわしゅうが頭につくが、本質は変わる事無く、古くから港で栄えた町だ。『消却事変』以降、国道16号線を中心に第一次圏境線が構築される2005年までは廃墟となっていたのだが、関東の海の窓口としての役割を見越して比較的早い段階で復興がなされた。


 とは言え、その役割を十全に果たせるようになるにはそれなりに長い年月が掛かることになってしまう。海にも禁域と呼ばれる一種の亜空間がポツポツと存在しているし、その周辺では消却者の出現率が跳ね上がる。海図はもとより航路も手探りで調べ直しだった。海運で外貨を得ようにも、中世の大航海時代を超える勢いで危険度が増加しているのだ。小さい船ならば武装化は必須であるし、輸送に特化させて大型化するならば護衛艦を配した船団を組むのが必定。2006年に普及した霊素粒子機関エーテルエンジンにより燃料不足に寄る短距離航路の常態化は解消したが、それでも一度出航すれば帰ってこない船も多かった。


 2015年頃になると、更なる高出力の大型霊素粒子機関が生まれ、これを用いた飛空戦艦が各国の軍で運用され始める。これにより制空権を再び人類の手に取り戻したのだが、それはさておいて、この飛空戦艦が2022年に一般にダウングレードされて普及し始めると一気に交易面が最盛期に近づいてきた。


 前世紀の旅客機のように小さくないため―――最小クラスの駆逐艦で全長100m―――仮に落ちれば被害は甚大であろう事は想像に難くないため、日本では内陸を飛ぶことは基本的に禁止されている。しかし、殆ど防衛武装が出来ずに且つ揚力を稼げる程度には高速で飛び続けなければならない旅客機や輸送機は『空飛ぶ棺桶』とまで呼ばれ、この時代では既に廃れて久しい。そのため、現代では空港という存在がかなり限定された使い方しかされず、港湾施設の方が一般的な利用客も多い。


 後の世に言う、戦艦バブルである。


 このバブルの恩恵を受けた港湾施設は横浜だけに限らないが、ここで重要なのは港湾施設周辺は最盛期を追い越す勢いで凄まじく発達し、栄えたということだ。輸入出物資や渡航客がいるという事は、それらを円滑に輸送管理する人員がいて、彼等も人である以上、飲み食いや買い物はする。何だったら仕事場が近いところに生活拠点を構えるし、そうなってくると飲食店を筆頭に生活に必要な店や繁華街が発達してくる。そこで店を営む人達にも生活があり、となるとやはり同じ様に資本が循環していく。


 一度は廃墟にまでなったこの都市が、再び日本有数の都市に復興したのは全国の同じ様に廃墟になった都市群に勇気を与え、優秀なモデルケースになっている。


 そうした経緯もあって、横浜市は全盛期以上に栄えており、土日ともなるとどこもかしこも賑わっている。雑多な人並みがそれぞれ思い思いに歩む中、飛崎もそれに紛れて街を悠然と歩いていく。


 横浜には『消却事変』以前に二度程遊びに来たことはあるのだが、廃墟になってからの復興で当時とは見る影もないほど様変わりしている。良い思い出しかなかったので、やはり今のこの国は儂の居場所じゃねぇんだなぁと少し寂寥感を覚えつつ南幸町に入ると、直ぐに目立つ看板が目に入ってきた。



 メイド喫茶アローレイン。



 ロリポップキャンディでもそんな色使いしねーだろうとツッコミを入れたくなるショッキングカラーに、デカデカと丸っこい文字を配置し、日中だから電気こそ着いていないがこのむき出しの電飾はどう見ても夜の店感が拭えない。背景のメイドシルエットが妙に淫靡である。


 この風俗夜の店みたいなセンスどうにかした方がいいんじゃねぇかな、と飛崎は思いつつ正面の扉を開いて店に入る。


 店内は意外というか何というか、それなりに賑わっていた。


 そのちょっとアレな店構えとは裏腹に中身のメイドさんはフレンチではなくヴィクトリアンを採用し、しかもほぼ全員が外国人で美人(注:客受けしやすい娘を選んで箱庭から連れて来ました)。日本語も堪能で(注:主がこの国の言語が基本なので習得必須です)衣装も元々があっちの文化なので妙に着こなしており、かつ出てくる飲み物も飯も美味い(注:本職が厨房を担当しています)。おまけに従業員教育が行き届いているのか、物語の中でしか見れないような卒のない接客(注:全員が本職です)を味わえる―――けど店構えがやっぱりちょっとアレで入りにくいので星4つ、とこの二週間でネットに出回った評判を飛崎は思い出す。


 元々は傭兵団アローレインの依頼受付支店としての機能がメインなのだが、隠れていない隠れ蓑として表向きはこうして変化球の喫茶店を営んでいる。メイド喫茶なのは先代からの伝統だそうだ。


 オープンしてからまだ一度も足を運んでいなかった飛崎が入り口で店内の様子を観察していると、すっと音もなく一人のメイドが傅いた。


「お帰りなさいませご主人様―――どうぞこちらへ」


 金髪をハーフアップにし、メガネを掛けたメイドだ。少々キツめの鳶色の瞳と、その厳格さに似合わぬ豊満な胸部装甲をメイド服に押し込んではいるが、溢れ出る色気は抑え込めず、『職場の出来る女にイメクラプレイ頼んだらこんな感じなのかな』と、とある常連の草臥れた公安がぽそりと感想を零したとか零さなかったとか。


 胸元には『やくしょく:てんちょー。めいあ・てんだー』と可愛らしくひらがな、それも手書きで書かれている。まだ日本語勉強中のシンシア直筆らしく、ちょっと間抜け感があるので一度は拒否したメイアだが悲しそうな上目遣いをされ泣く泣く受け入れたという経緯がある。


 さて、飛崎は人目があるところでは一般客を装っているので鷹揚に頷いて先導するメイアの後ろをついていくのだが、ちょっと店内の客達が騒然としていた。どうも『めいあてんちょーが直々に接客、だと………!?』とか『何だあの男………超自然体で超偉そう………』とか『あの奥って誰も行ったこともないと噂されているVIPルームじゃ………』とか『お姉様その男じゃなくて私を踏んで!!』とか妙に目立っている気がしなくもないが、一般客である。


「おはようございます、マスター」


 店の奥、人目につかない所に来てからメイアはこちらを振り向き、再度一礼をした。


「うむ、おはようメイア。思ったより忙しそうだな」

「ある程度人員はいますのでそこまででは。最近は常連のお客様の調教も大概済んでいますし。―――こちらに来られたということは、侍女長からの報告を受けたのですか?」

「まぁな。ティアは車を置きに行ったよ。ったく、都会で駐車場に難儀するのは今も昔も変わんねぇなぁ。で―――例の犬は?」

「こちらです」


 シンシアに先導され、店の奥の扉から一度外に出て、雑居ビルの階段を登って二階へ。アローレインはビルを一棟丸々買い上げており、一階はテナント、二階は事務所兼詰め所、三階から五階はメイド達の居住区となっていた。


 その二階に足を進め、部屋に入るとその角に大きな毛玉とメイドが一人―――いや、正確には二人いた。壁を背にし横たわる大きな犬と、その懐で猫のように丸くなっているメイド姿の小さな少女と―――その牧歌的な様子をにやにやと幸せそうにしゃがみ込んで眺めている赤毛のメイドが一人。


 元々垂れている眦を更に垂らしていたメイドはこちらに気付くと、すっと音もなく立ち上がって一礼。胸元には『やくしょく:おうちけーびいん。けいと・がるだー』とやはり手書き名札が揺れている。


「おう、ご苦労さんケイト。―――何ともまぁ、幸せそうに眠ってやがる」

「可愛いですよねぇ少女ともふもふぅ………」

「否定はしないが仕事は良いのか?」

「今日のお世話係は私なんですよぉ。シンシアは徹夜明けでフラフラしながらこっちに来ただけでぇ」

「全く、まだガキなんだから夜は寝ろって言ってんだけどな」


 一介の保護者としては小言の一つでも言いたくはなるのだが、シンシアの情報統制官としての能力は群を抜いて優

れていて、そこに頼っている飛崎としてはキツくは言えないジレンマがある。


 その苦悩を知っているメイアは苦笑した。


「役に立たないと居場所がないって、多分思っているんですよ。母親を亡くして、まだ四ヶ月ぐらいですし」


 シンシアの母親は『エリーニュス』の副隊長だ。四ヶ月前の『不死王討伐戦』で命を落としていて、その一部始終を通信を介してシンシアも見届けている。母の死を忘れるためか、あるいは自身の不安定な立場を固めたいのか―――ここ最近の彼女は、から回ってこそいないがしゃかりきに働いている。


「もう少し、気に掛けた方が良いか?」

「むしろ、いっそ気の済むまでやらせた方が良いでしょう。今はがむしゃらに何かしていた方が気が紛れるでしょうし、役に立っていると実感が湧くようになれば、無茶もしなくなります」

「そんで成果を持ってきた時にきっちり褒めてやる、と?」


 頷くメイヤに、飛崎は犬の懐で眠る少女に視線を向け、しゃがみ込んで眺める。


 長くウェーブの掛かった金の頭髪を優しく撫で、この少女が何を考えているのかを想像してみるが、上手く行かない。戸籍上は69歳にもなる飛崎だが、実年齢で言えば二十歳そこそこでしかない。子育ての経験など無いし、児童養護施設出身ではあるからある程度子供の扱いには慣れているが、カウンセリングを専門職にしているわけではない。


 目の前で唯一の肉親を亡くした少女に対し、どう対応すればいいか、持て余しているのも事実だ。


 まして飛崎はその現場に居合わせた。仇こそ取ったし、後悔はしていないが、もしもがあったならば皆が殺される前に『不死王』を討てたのではないかと。


(―――だがそれは、皆を侮辱するのと変わりない)


 飛崎を除いた四人の隊員は、全員『不死王』を殺すためだけに生きていた。シンシアと言う子供が手元にいた副隊長ですらそうだった。だからこそ、その役割を奪うことは飛崎には出来なかった。故に作戦時バックアップに回って―――彼等は力及ばず、飛崎を残して全滅した。


 同じ復讐を志す者として、その邪魔をしたくなかった―――と言うのは言い訳だろうかと時々考える。逆の立場で考えれば、それは無い。如何な理由であっても、復讐相手を横から掻っ攫われるのは飛崎にとっても耐え難い苦痛だ。だからこそ、飛崎の切り札が『不死王』を殺し得ると知っていた隊長達も彼をバックアップへと回した。


 憎い相手を―――自分の最愛を殺した相手を、どうして他人の手に委ねられるだろうか。


 復讐は何も生み出さないと、したり顔で宣う輩はいる。それよりも前を向いて生きろと。


 得てしてその手の人間は結果を重視し、ゴールしか見ていない。そこに至るまでの道程を、必要なものを、奪われたことのない人間は想像ができないのだ。故にこそ、復讐者とそうでないものは悲しいほどにすれ違う。


 飛崎も長い目で見れば彼等が語る言葉は理解できるし、その通りだと思う。憎い相手を殺した所で、奪われた最愛が帰ってくるわけではないのだ。そんなのは、誰に言われるでもなく当人達が一番理解している。


 だが同時に、これからの人生を笑って生きていくためには、過去との決別をするためにケジメを付ける必要があるとも理解している。それを事情も知らない他人の手に委ねるようなことをしたくない。テンプレな理論やお仕着せの結論で、この情動を勝手に計られたくない。常識だとか良識だとか、そうした人がましい物は欲していないのだ。そもそも、そうしたものに囚われない連中に奪われたのだから。


 この感情は当事者のモノで、赤の他人が賢しらに持論を掲げて勝手に捻子曲げて良いものではない。


 しかしその結果、シンシアは唯一の肉親を失った。飛崎が箱庭の力を背景に彼女を引き取ったのは、一種の贖罪の意味もあるのかも知れない。


「―――儂は結局、この歳になっても人の親にはなれんかった。見てくれは若いままだが、凍結とかいう不思議現象が寿命を削っていたのかどうかも分からん以上、ともすれば今日にも儂の寿命は尽きるかもしれん」


 金はある。人材もいる。だから今はどうにかなっているだけで―――もしも飛崎の死んだ最愛が、箱庭を遺産として残していてくれなかったら、きっと今も途方に暮れていただろう。


「だから頼むぞ。コイツの家族になってやってくれ」


 故にこそ、彼は念を押して告げる。せめて彼女が、これ以上何も奪われないようにと。


「元より箱庭に引き取られた人間は皆家族ですよぉ。そしてマスターが家長ぉ」

「生涯現役と言って憚らないローガンですら後進を育てているんです。どうぞマスターもお世継ぎを作ってくださいな」


 メイド長が真っ先に手をあげますよ、と二人してマジ顔で言うので飛崎としては呆れしか出ない。他のメイドならいざしらず、心情的な面で彼はリースティアに手が出せないのだ。少なくとも今はまだ。それを分かっていて言っているのだから度し難い。


「儂の後継者なんぞいない方が案外平和かもしれんぞ」

「皆、あの箱庭が好きなんですよぉ。身寄りのなかった私達を引き取って、安らぎと優しさと、生きる術を与えてくれたあの場所と、それを作ってくれた前マスターがぁ」

「なんならお前さん等の内誰かが代表になってもいいんだがなぁ」

「我ら家臣団一同、マスターの御意向を尊重し傅き侍るがその使命でありますれば。成り代わるなど以ての外でございます。マスターで言う所の、家臣の美学でございますよ」


 二代目箱庭の主様は韜晦するが、その逃げ場を潰すようにして、背後から声が掛かった。


 振り返ると、金髪に碧眼の執事が直立していた。整った鼻梁に柔らかな物腰と似合いすぎるほどに似合った執事服を着こなした俳優然とした長身の美青年―――胸元には、『やくしょく:しはいにん?かいん・あるばーと』と書いた名札があった。


「美学と言われちゃぁ黙るしかないなぁ、カインよ。―――昨日の今日でもう来たのか?」

「はい、マスター。支配人と言う役が必要になりそうとの事で、朝一番で着任いたしました」

「ま、一人とは言え男が来てくれると助かる。ローガンは元気にしてたか?」

「新しい弟弟子が玩具になってますよ」

「鍛え甲斐ありそうだもんなぁ、デヴィットの奴―――お?」


 最近箱庭に入ったヘタレ少年の事を思っていると、不意に視界の端で毛玉が揺れた。伏せていた頭を上げ、暗青色の双眸がこちらを見上げていた。


「メイア、ケイト、水と飯でも用意してやりな。―――よぉワンコロ、目が覚めたか?」


 飛崎は支持を出し、犬の方に視線を向けるが、犬は少し逡巡するような素振りを見せた後、自らの懐で眠る少女に気づき、しばし観察した後やれやれと言いたげに頭を組んだ前脚に乗せて伏せた。


「―――随分と人馴れしてますね。唸るどころか吠えもしない。状況確認もままならない現状でパニックにもならずに眠っているシンシアを気遣った辺り、かなり賢いようですが」

「頭ん中に思考を補助だか増幅だかする妙なチップを仕込まれているらしいからな。ひょっとしたら、こっちの言葉をある程度理解しているかもしれんぞ?」

「ははは、まさかそんな。―――SFではないのですから」

「半世紀分主観時間が飛んでいる昭和平成人間の儂からして見れば、現代は色んなモンがSFしているんだがなぁ………。異能に霊素兵装群に世界遊泳するメガフロートにサイバーパンクみたいな電脳界に空飛ぶ大艦巨砲主義、挙句の果てに異世界まで実証されていると来た。何でもありすぎてもう何が来ても驚かんよ。―――ちょっとは節操ってぇのを覚えろよ、この世界」


 適合者とかいう超能力者がいるんだから未来人とか宇宙人とかがいてももう驚かんぞ儂は、と現代社会の変貌ぶりにチベットスナギツネのような乾いた悟りの表情をする飛崎であった。


 それはともかく。


「さてワンコロ。ぶっ倒れたお前を見つけて拾ってきたのはそこで居眠り扱いているシンシアだ、感謝しとけよ」


 飛崎がそう告げると、犬はマジかよしょーがねーな、と言わんばかりに懐の少女に視線を向けて鼻先で何やらふんふんと匂いを嗅いでいた。まるで恩人の匂いを覚えようとしているようであった。


「―――これ、マジでこっちの言葉理解してねぇか?」

「いやまさか………」


 どうにも人間臭い動作をする犬に、カインが手を伸ばそうとするが。


「おっと」

「ふむ。警戒心は思いの外強い、か………―――ん?」


 吠えたり唸ったりこそしなかったがカインを睨むように直視した。その折、犬の胸元に体毛で埋もれていて見えなかった銀のプレートを見つける。首輪だろうかと飛崎は手を伸ばす。


「マスター………!」


 注意を呼びかけるカインに大丈夫だ、と飛崎は手で制してそれを見せてくれ、と一言言うと犬はしばしじっと飛崎を見つめ、やおら視線を上にそらして首を見せた。やはり人間の言葉を理解しているようにも見える。


「アズ、レイン………?アズレイン。それがお前さんの名か」


 首輪には、『Asrain:6/15/2045』と書かれてあった。後ろの数字は生年月日だろうか。何故か表記の仕方が海外仕様ではあるが。


AZじゃなくてAS?んん―――まぁ、経過観察だな。どうにも分からんことが多いし、元気を取り戻すまではウチで面倒見てやれ」


 謎解きは得意じゃねぇんだよ、とドンパチがデフォの傭兵経験を経たことで脳筋仕様となっている飛崎は手にした情報を棚上げして、問題を先送りすることにした。




 ●




「随分変わったもんだなぁ、この国も」


 拾った犬の問題を文字通り部下に丸投げした飛崎は、目立たないようにとメイド服ではなく私服姿のリースティアを伴って街に出た。明確な目的はないが、思い出の場所はあるからそこを見たかったので南幸から南下していた。


 音楽通、と呼ばれる通りだ。


 地図で見れば地名や道の面影は残っているが、実際に並んでいる店や建物は全く違う。似通っているようで違うこの妙な感覚は、まるで自分がパラレルワールドにでも迷い込んだかのように錯覚する。


 明確に厳然と、自分がこの時代の人間ではないのだと故国から突き付けられる。日本に帰国して三週間。それは嫌と言う程、飛崎は思い知らされていた。


「ここには、初代希虹様と来られたのですか?」

「そうだな。希虹きひろが秋田の田舎から上京してきて儂が通う学校に赴任してきたばっかでな、『首都圏って名所が色々ありすぎて何処から手を付けていいか分かんない』とか泣き言言うもんだから、色々連れ回したんだわ。儂も免許取り立てだったから、とにかく単車乗りたくてさ。―――ここにも来たん、だがなぁ………」


 座標的な意味では、確かに来た。


 だが、経過した半世紀と言う時間はあまりにも残酷で、この様変わりした風景を見てもなんら懐かしさを覚えない。それに感傷的になったか、飛崎は少し昔話をしようか、とふらふら歩きながら前置きを入れる。


「儂がまだこの国にいた頃、東京の芸大付属校に籍を置いていたんだよ。まぁ、入るまでにゃ結構苦労したんだけどな」


 音楽の道を志したのは、子供の頃だ。


 父親がそこそこ名の知れたヴァイオリニスト、母親はやはりそこそこ名の知れたピアニスト。飛崎は言うならば音楽一家のサラブレットだった。だが、飛崎が四歳の頃、両親は仕事で海外に行き―――飛行機の事故で帰らぬ人となる。


 以降、幾つかの親族をたらい回しにされ、そんな体たらくを母方の祖母が知って激怒。親戚筋四方八方に絶縁状を叩きつけ、以降数年間は祖母の下で暮らした。この時に中途半端なべらんめえ口調や時代錯誤な思考回路を身に着けたと言える。


 六年後、飛崎が十歳の頃にその祖母も亡くなり、いよいよ身寄りが無くなった飛崎だが、祖母の知り合いが経営する児童養護施設が身元引受人として名乗り出た。死期が近くなってきた頃に祖母が引き合わせていたのだ。その後の葬式や、遺言に従って土地や家、家財を含めた財産を金銭に換えるのを手伝ってもらったりもした。


 長嶋武雄やもう一人の親友と出会ったのもこの頃だ。


 そして中学生の時、全日本ジュニアクラシック音楽コンクールとピティナで、ほぼ独学にも関わらず優秀な成績を収め、それを切符にとある芸大付属校のAO入試に合格した。


「婆ちゃんの遺産にあんまり手を付けたくなかったから、奨学金目当ての特待生でな。まぁ、全国一位にはなれんかったが、ピアノに関しちゃちょっとしたモンだと自負しているよ。卒業後にゃ姉妹校があるイギリスへの留学も決まってた、んだがなぁ………」

「それで先月、あの国にいた時に妙に感慨深げにしていたんですね」

「まぁな、時代も状況も違うがこの国に来たんだなぁと思ったわけよ。で、話を戻すがその頃に希虹と出会ったんだよ」


 飛崎が二年の頃、教育実習生として後の最愛となる雨矢希虹あまやきひろが赴任してきた。受け持ちの組も違って、赴任挨拶があった全校集会で立ったまま寝てた飛崎が最初に彼女と出会ったのは、放課後の音楽室。彼がいつものように練習をしていると、ふらっと彼女が音楽室に現れたのだ。


「―――口説いた。一目惚れってのは、後にも先にもあの時しかねぇ。教師だとか生徒だとか、社会人と学生だとか、年の差とかそんな手垢の付いた常識は儂にとっちゃ障害にならんかった」


 不格好だったし、スマートさは欠片もなかったが、その日から飛崎は熱心にアタックする事となる。


「運が良かったのもある。あっちも一目惚れしてたと後で聞いたからな」


 立場の葛藤もあったようだが、しばらくして雨矢は飛崎の思いを受け入れて二人は恋仲となった。人生でおそらく、一番幸せだった時期だろうと飛崎は思う。


 その翌年の1999年8月16日―――『消却事変』が、二人を引き裂くまでは。


 そして飛崎連時の時間は止まり、雨矢希虹の時間は進み続けた。


「だが希虹は儂の知らん所で殺されて、儂は学生ではなく傭兵になった」


 もしも―――もしも仮に、雨矢希虹が生きていたとしても、半世紀近く立っていれば70歳を超えた老婆だったろう。最愛とは言え、歳を取った彼女を果たして愛せていたか飛崎には分からない。それは彼自身よく理解しているし、部下にも言って聞かせている。


 だが、それが結果的に同じ悲恋に終わるのだとしても、自らの手で終わらせるのと理不尽に終わらせられるのとではあらゆる面で意味が変わってくる。


「マ―――レン君が望むなら、今からでもその道を進むことも出来ますよ」

「儂のケジメが着いても、『箱庭』を放っては置けんだろ。相続して、やりたい放題した後で目的果たしたからじゃぁさよならってのは無責任が過ぎるし、薄情でもねぇよ。希虹が遺したもんだ。アイツの望み通りの運営をするさ。少なくとも、お前さん等が儂を不要と言うまではな」


 雨矢希虹は、箱庭の創始者だ。傭兵団アローレインは、彼女の名字に肖って名付けられた。


 いつ目覚めるか分からない飛崎を保護し続け、目覚めた後の事を考え、そして自身の死んだ後の用意までしていた。


 これを愛と考えるか重いと考えるかは人それぞれだが―――飛崎は両者だった。


 いつ目覚めるかわからない自分などに操を立ててないで適当な男とくっついていても文句一つ言えないというのに、ここまで手厚くフォローの手筈が整っていると驚きを通り越して若干引いた。だがそれだけ愛されていたのだと思えば、笑って受け入れねば男が廃るとも思ったのだ。




 故にこそ、飛崎連時は復讐を志した。




 最早何もかもが手遅れで、既に終わってしまった恋ではあるが、飛崎連時の人生はまだ続く。


 彼のこれからは、無情にも。だからいつかあの世で彼女に会った時、何もやり残したことはないと、お前さんのお陰で楽しく人生を送れたよと胸を張って笑うにはケジメは絶対に必要だ。


 死んだ人間が復讐で喜ぶことはないかも知れない。きっと大抵は、遺した人間の幸せこそ望むだろう。だからこそ、飛崎連時が此処から先の人生を笑って幸せに過ごすには区切りが必要なのだ。


 彼にとって掲げた復讐はありふれた悲恋の結末ではなく、を始めるための通過儀礼に過ぎないのだから。


「ま、元々儂も専業で食ってくための箔付けのつもりだったんだ、留学は。今となっちゃそこまで拘るもんでもねぇさ」


 通りを歩いていると、珍しい楽器屋が目に入った。綺麗に整頓されているのではなく、店先に商品が雑多に溢れたジャンクショップのような佇まいの店だ。小綺麗になってしまった現代で、ここだけ妙に乱雑でそれに何処かノスタルジーを感じて飛崎は店先を覗く。


 すると、入口付近にご自由にどうぞ、とポップに書かれたアップライトピアノが置いてあった。客が勝手に弾いて良いものらしい。中古品だけあって古めかしいがカワイ製。鍵盤に触れると、馴染みのある重さのタッチ。こんな出入り口に近い所に置いてあって、湿気対策は大丈夫なんだろうかと思ったが、思いの外いい音が出る。


 何となく興が乗った飛崎は備え付けの椅子に腰を下ろし、鍵盤に指を馴染ませるように沈めていく。


「別に音楽は何処でも何ででもやれる、好きにな。それが儂の、ピアニストとしての美学よ」


 そのまま幾つかの曲を懐かしむように弾いていく。


 最初は慣らすように自分の基礎となったクラシック、こんな感じだったよなとジャズ、そういや映画見てハマったわと洋楽、テレビ見てラジオで聞いて覚えたっけなと昭和平成のヒットナンバー、児童養護施設のガキ共と一緒にやったけなファミコン、とゲーム音楽。雑多な店で雑多な懐メドレーを弾いていると、満足する頃には店の入口に人だかりができていた。選曲の珍しさからストリートピアノか何かと勘違いされたのだろうか。中にはPITを構えて撮影している者もいる。


「どーもどーも。はい、通してくれよー」


 結構な量の拍手に適当に手を振りながら飛崎がリースティアと雑踏の中から抜け出ると、不意に彼女がこんな事を口にした。


「―――レン君。その子は?」

「お?」


 言われて感じたのは、ズボンをひっぱられるような違和感。リースティアの視線の先を辿ってみれば、腰元ぐらいまでしか身長のない少女―――いや、幼女がいた。その幼女が、飛崎のズボンを眠そうな顔で引っ張っている。


 とりあえず、三人は通りの隅っこに移動して、しゃがみ込んで目線を合わせてみる。


「おーうおう、どうしたお前さん。迷子か?」

「んー………たぶん」


 寝ぼけ眼の幼女は目元をくしくしと擦りつつそう答えた。


「マジか」

「交番に―――いえ、その前に、お名前、言えるかな?」

「くおん」

「クオンちゃんかー、お姉ちゃんはね、リースティアって言うの」

「りーす、てぃあ」

「ティア、で良いよ」

「てぃあ、お姉ちゃん?」

「儂はレンジだ。レンでもいいぞ」

「れん、お兄ちゃん?」

「うむり。クオン、と言ったか。父ちゃんと母ちゃんは?」


 ふるふると、小さく頭が横に振られる。


「………参ったな。ワンコロの次は子供か。幾ら命が軽くなった時代とは言え、生命の不法投棄しすぎじゃねぇか?現代日本」

「国家権力に頼りたいところですが、しかしこの格好は………」

「厄介な事情持ちだろうなぁ、


 どうしたもんか、とクオンと名乗った幼女に視線を向ける。彼女はこてん、と首を傾げているが、二人が問題にしているのはその服装だ。貫頭衣、と言えばワンピースのようにも聞こえるが、この色合とデザインは病衣のそれである。おまけに裸足だ。どう見てもこの場にそぐわない。


「どうする?一先ず着替えさせるか?」

「その方が良いでしょうね。ちょっと子供服買いに行ってきます。すぐ戻りますので」


 春先の屋外でこの格好は寒い。それに何より病衣姿の幼女が町中を彷徨いていれば不審極まりない。女性であるリースティアなら言い訳は立つかも知れないが、男の飛崎が病衣姿で裸足の幼女を連れ回していたら、もう事案である。


 あれ?儂、今地味に社会的地位が危うくなってね?とかいっそティアが連れてってその場で着替えさせたほうが良かったんじゃね?とか色々思うが、時既に遅し。今はじっと耐えるしか無い。


 すると、くー、と小さく幼女の腹が自己主張してきた。


「………何か食うか」


 黙って待っていても仕方ないので、近くの出店でたい焼きを買って与えてみる。


「ほれ」

「あまーい!」

「そうかそうか」


 完全に目が覚めたのか、はぐはぐと夢中で食べ始めたので、それを眺めながら通報されていないことを祈っていると、リースティアが買い物袋を抱えて戻ってきた。


「お待たせしました。ちょっと着替えさせてきますね」


 言うが早いか、彼女はクオンを小脇に抱えるとダッシュで近くのコンビニに消えた。


 手持ち無沙汰になった飛崎がPITを取り出して情報収集をしていると、しばらくして二人が手をつないでゆっくりと歩いてきた。水色のワンピースに身を包んだ彼女は、どこからどう見ても一般的な子供になっていた。


「似合ってるじゃねぇか」

「にあうー?」


 くるくるその場で回って見せるクオンに、おぅ似合う似合う、と飛崎は手を叩いて褒め、リースティアに水を向けた。


「さて、どうする?最悪の最悪は『箱庭』に連れて行くが、それは」

「はい、本当の最終手段でしょうね。現状ですら誘拐の嫌疑をかけられても文句は言えません」


 内実はともかく、見てくれはどう考えても未成年略取誘拐のそれである。しかも着替えまでさせて捜査の撹乱を狙っているように見えても不思議ではない。


「となると武雄だな。アイツに話を通しておけば取り敢えず圏警も突っ込んじゃ来ねぇだろ」

「公安の監視、まだ付いてます?」

「今しがたユミルに確認取ったら付いているってさ。今も後方百メートルから1名。5分後に予備員とスイッチ予定だと。やっこさん達も困惑しているようだぞ。―――突然子供が現れた、んだと」


 常時ではないが、飛崎には帰国してから監視がついている。不死王の一件と、前回の接触で随分と政府との関係性がこじれているからだ。間の悪いことに、今日は朝からついていた。


 こちとらゲバ棒も火炎瓶も持ったことねぇってのにご苦労なこった、苦笑いせずにはいられない。尤も、その監視もまた家臣団麾下の隠密メイドによって監視されているのだが。


「取り敢えず行く―――」

「あ、パパとママだ」

「は?おい―――」


 とにかく謂れのない罪を被せられる前に先手を打っておくかと動き出そうとした矢先、クオンが唐突に駆け出した。その足の行先に、飛崎は自ら属する班のメンバーの姿を認めた。

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