Realize・Id  ~統境浪漫譚~

86式中年

体験版

ある少年の復讐と野望・前編

 自殺、と一言に言っても色々とある。


 首吊り、飛び降り、練炭、餓死、リストカット、等々多岐に渡る。更には同じ首吊りでも窒息死から頸椎骨折まで死因でさえ一つに収まらない。事故や病気を起因とする突然死を除けば、死に方は色々と選べ考察も出来よう。


 しかし成功させるのは、これで意外と難しい。


よく安易な自殺は止めるべきだ、と自己啓発のようなキャッチコピーを見かける。しかし死に至る手段も、そこに行き着くまでの精神状態も、実は余人が思うほど容易くないし簡単に推し量れたりはしない。


 例えば、真剣にではなくていい。遊びで、あるいは思考実験で自殺までの手順を考えて直前まで実行してみると良い。必ず何処かでブレーキが掛かる。そのブレーキの種類は人によって違うだろうが、必ず何処かで躊躇う。


 人間関係だろうか、責任だろうか、友情だろうか、あるいは愛だろうか。必ず何処かでやり残したことが脳裏に過ぎり、馬鹿なことを考えたと思うことだろう。それが遊びであった健常者ならば、即座に鼻で笑って止めるはずだ。


 しかし実際に死に至ろうと切望した志願者は違う。


 入念に準備を重ね、考察し、実行に移す。運や状況、手段によって成功率は上下するが、それでも実行に至るまで掛かるべき精神的ブレーキが作用しなくなる。


 よく死ぬ勇気があるなら死ぬ気で生きろ、とお安いコメンテーターが口にするが一部分で正しく在る。何故なら、自殺、言い換えれば自分を殺人すると言うのは結構な労力がいるのである。


 確かにその労力を別に方向に活かせば何かが出来るかもしれない。しかし前提として、生きていることよりも死ぬことの方が余程合理的、と考えて大体の自殺志願者は行動を起こすのだから、その台詞は的外れも良いところである。


 別方向に労力を活かし成功できればいいが、出来なかった場合老衰で死ぬまで責め苦を味わい続けろと言っているに等しいのだ。そして確実に、失敗した時の責任をお安いコメンテーター達は取らないだろう。ある意味で、救われてしまった自殺志願者達の人生を狂わせてしまったのにも関わらずだ。


 さて、長々と自殺について語ったが、要約すると自殺者には自殺者の権利があると言うのがここで伝えたい事だ。入念に準備し、身辺整理し、その上で自死に至ろうとする者を赤の他人が安易に偽善で止めて良いものではない。


 今、ここに首吊りをすべく、自室に吊るした太めのロープに手をかけている少年が一人いる。


 年の頃なら十二、三。金髪に碧眼。あまり食が太くないのか痩せぎすの体型、年相応のソバカスと、一般的なコーカソイドだ。彼の精神状態は顔に現れていた。痩せこけた頬に、睡眠も満足に取れていないのか窪んだ瞳。呼気は荒く、一目見て十人が十人『まともじゃない』と太鼓判を押すだろう。


 あるいは、彼がまともな精神状態で自殺を考察したならばこんな部屋でロープは吊るさないだろう。窒息死は即死できないからだ。絞首刑、と言う極刑があるように首吊りは比較的優しい殺し方である。だがそれは、瞬時に足場の支えをなくし、自由落下による速度と自重を首―――正確に言うならば頚椎―――に負荷をかけて一瞬の内にへし折るからこそ優しい殺し方として極刑方法に採用されているのだ。


 素人がただ首にロープをくくれば死ねる、と思ったら大間違いだ。この場合、ベランダや橋にロープをくくりつけ、そこからバンジージャンプの如く飛び降りるのが正解である。彼がここで足場にしている椅子を蹴飛ばした所で、死ねたとしても数分間の苦しみが待っているだけだった。そして最早言葉にするまでもないが、呼吸困難というのは余程上手くやらねば意識を失うまでが苦しく、長い。


 冷静に、ただ単純に考察できていたならば彼は決してこの手段を取ることはしなかっただろう。だがそれは、追い詰められていない人間が『自殺だなんて馬鹿だなぁ』と鼻で笑える余裕を持つ立場にいるからこそ考え得るのだ。


 少年は追い詰められていた。余裕などあるはずもない。

 そして決意も済んでいた。

 だから。


「………っ!」


 椅子を蹴飛ばした。


 一瞬だけ浮かぶ身体。万有引力の法則に従って、身体は床へ引き寄せられるが法則に抗うべく天井から吊るしたロープが彼の首を支える。当然、首の骨をへし折るには速度も自重も足らない。だから単純に首が締まっただけだ。即死など、楽な死に方などできようもない。


「ぐぇっ………!」


 間抜けな声が出たなぁ、と加速する思考の中で冷静な少年は呆れる。恐慌状態に陥った少年は苦しい、と叫んでいた。呼吸困難に陥る中で玄関のドアが叩かれる音がした。


 幻聴かもしれない。血流と呼吸を強制的に止めんとロープが締まっているので、耳鳴りでよく聞こえなくなっていた。この期に及んで誰かに救われたいと願っているのかも知れない。


 浅ましいな自分、と冷静な思考が苦笑する。




 だがその瞬間だった。




 ドカン、とドアの破片がリビングに飛んできた。


「………!?」


 ドアの破片である。


 鉄製だし、ドア一枚と言うのはあれで殊の外重い。呼吸困難の中でそれを視界に収めた少年は異様なドアを見た。それは蹴破られたのでも無く、単純に破壊されたのではなく、切断されていた。断面が赤熱化しているの見るに、斬られたと言うよりは溶断されたに近いだろうか。


 極限状態の中の異常事態に思考が加速していても追いつかない。そんな少年をあざ笑うようにごつ、ごつと鈍い足音が入り口の方から聞こえた。安全靴でも履いているのだろうか。


 視界に、人影が映った。


 顔立ちがアジア人だ。それは分かる。しかしその御蔭で年齢が読み取れない。年若いのでともすれば少年と近いかもしれない。そのアジア人は黒い髪に、紫の瞳をしていた。紺色の戦闘衣に白と赤を基調とした陣羽織を身に纏っており、手にはy字に似た棒きれを左手に携えていた。


「―――全く。やっと手掛かりに追いついたと言うのに、自殺寸前とか勘弁してくれ。儂もほとほと運があるのか無いのか」


 辟易するように何事か呟いたのを少年は聞いたが、知っている言語ではない。端末の自動翻訳も持っていなければ意味がない。そのアジア人は右手を左手にした棒きれに手を添えると。


「まぁ、お前さんが何を思って自殺に至ろうとしたかは知らんが―――儂はいつも通り我儘に振る舞わせてもらう、ぞっ………と!」


 一閃。


 ロープの楔から解き放たれ、少年は再び万有引力の法則に導かれるその中で今の現象を理解する。


(バットージツ?)


 古典日本にそんなWAZAがあったはずだ、と少年は思い出す。つまり目の前のアジア人は。


「Japanese SAMURAI………!?」


 驚天すると同時、自分で蹴っ飛ばしておいた椅子に後頭部を強かにぶつけ、少年は昏倒した。


「今も昔も外人ってのは侍と忍者が好きだなぁ。いやさ、ここじゃぁ儂の方が外人だけどもよ」


 呆れ混じりの苦笑が、遠くで響いた気がした。



   ●




 そう。


 入念に準備し、身辺整理し、その上で自死に至ろうとする者を赤の他人が偽善で止める権利はない。だからもしも正論で、真正面から止めるとするならば、自殺者のその後に責任を持てる者だけだ。安易なことでは決して無いし、安易に止めて良いことではない。何しろ自殺者も、伊達や酔狂で死のうとしているわけではないのだから。


 だが、例外というのは何事にもつきまとう。


 他人の権利や感情など一切無視するという横暴が。


 止めてしまえば良いのだ。お前のことなど知らない。責任など持たない。権利など知らない。当然、お前の気持ちなど知った事か。ただ、目の前で死なれるのは鬱陶しいだけだ。あるいはお前には利用価値があるからまだ死ぬな。用済みになってから自分の知らないところで勝手に野垂れ死ね。


 ある意味で傲岸不遜。


 ある意味で傍若無人。


 どこまでも開き直った思考回路。


 とどのつまり、止めた人間の我儘。


 これは、そんな我儘に己の美学を掲げた男の復讐劇。


 ―――その前日譚である。




   ●




 目が覚めると白い天井があった。


(………生き、てる?)


 ぼぅっとする意識の中、少年は自我を取り戻す。現状を認識し、現状から逆算することしばし。


「死に損なった、か」

「生きてるだけマシだと思うが」


 聞き知った言語と知らない言語が同時に聞こえた。何事かと思って飛び起きると、自分が寝かされていたベッドの横に椅子を置いて、誰かが座っていた。黒い髪に、紫の瞳。白人種から見れば黄色い肌。それは紛れもなく、意識を失う直前に見た。


「―――アジア人………?」

「まぁ、広義で言えばそうなる。儂は日本人だが、JAPとかNIPとかの呼び方もあるぞ。それともイエローモンキーとでも呼ぶかよシロンボ」


 皮肉げな笑みを浮かべるその少年とも青年とも取れる容貌の日本人の男の声は、2つの言語で認識できた。まるでテレビの副音声のような感覚に戸惑っていると、日本人の男は自分の右耳を指差した。右耳に引っ掛けるように突っ込まれている小さなデバイス。Integration・Headset・System―――俗にI.H.Sと呼ばれる電子機器だ。A.Rと網膜投影、骨伝導マイクやデータリンク等の多機能を搭載した精密機械である。


 同じように自分の右耳に触れると、硬質の手触りがあった。となると、今の二重音声はI.H.Sによる翻訳機能だろう。向こうは日本語で喋り、その音声がI.H.Sによって同時翻訳されているのだ。


「現状は理解しているか?」

「あ、あぁ………僕は、死に損なった」

「そうだな。余分なことをした、とかは思わんように」


 何故だ、と少年が言葉を口にする前に。


「何しろ死に方が下手くそだ。躊躇ったのか苦しくて暴れてたせいかは知らんが、ロープが首から少し外れていたし、ロープの質も悪い。儂があの部屋に踏み入った時には千切れかかっていたから、あのまま放って置いても勝手に外れて助かっていただろうよ」

「う………」

「だがそれでも後数分は首が締まった状態だっただろうから脳機能に障害が出ていたかもしれん、とウチの衛生兵が言っておった。死にきれず、かと言って後遺症が残ったままと言うのは悲惨だろうさ。だから余分なことをした、とは思わずに特段怪我もせず助かったんだと感謝しておけ」


 つまり助けた儂に感謝しろ、と臆面もなくその日本人は言ってのけた。


「お前さんの身に何があったのかは実は知っておる。儂はお前さんに用があったのだから」

「え………?」


 困惑する少年を他所に、日本人の男は指先を虚空に這わせた。I.H.Sを網膜に投影されたA.Rを操作しているのだろう。彼はふむ、と一息ついて。


「デヴィット・アンダーソン。父が移民アメリカ人、母がイギリス人の米系英人。満14歳。両親共に生粋の情報将校。父のロナルド・アンダーソンは二十五年前のアメリカ内乱の後、英国にその手腕を買われてSISの実働部隊に従事し、そこで知り合った同じくSISの情報統制官のキャサリン・テイラーと結婚。その二年後に生まれたのがお前さんだ。言ってしまえば、情報将校のサラブレッドで早期覚醒者でもあるお前さんは、9歳の時に親のネットカプセル経由で自分の電子甲冑を作り、電界で遊び回った所、仕事中の両親に会いに行こうと子供心に思い至って政府通信本部の防壁を突破してしまう。勿論、狙ってやったわけでも隠蔽の準備をしてことに及んだわけでもないので、あっけなく御用となる。しかし若干9歳でそんなことをやらかしてしまったお前さんは、国にすわこれは天才か、と目をつけられ金に糸目をつけない英才教育を施される。まぁ、ここまでならよくある天才かエリートの出世街道だな」

「………」

「転機があったのは一年前。当時、MI5に所属していたロナルドが何者かに殺害された。勤務時間中の死亡であったためにMI5も威信をかけて調査を行ったが、犯人は挙がらず。半年ほど調査は難航するが、別口で動きがあった。そう、身内故に捜査から外されていた妻のキャサリンだ」

「………めろ」

「お前さんの母、キャサリンは相当に有能な情報統制官だったようだな。あまりに苛烈なやり口に付いた渾名が『棘付き女王ニードル・クイーン』だとか。情報統制官ってのは基本的に電界で電子甲冑を身にまとい、電子ドローンを操って仕事するもんだから王だとか指揮者とか何かしら管理に纏わる比喩をされて呼ばれるもんだが、この国じゃ不敬だからってその手の渾名が付く奴はそういないらしいな。確かに、儂も傭兵家業を生業にしてもう二年だが、英国人の情報統制官で渾名持ちってのは見たことねぇわ」

「………やめろ」

「んで、どうやらキャサリンは犯人の目星が付いていたらしいな。証拠固めをしている中で相手に感づかれた。電界に没入している最中にヤサに踏み入られ、押し込み強盗に見せるために部屋を荒らされ、強姦され、輪姦され、その上で念入りに殺害された。当然、実行犯は仕事にあぶれたような浮浪者だ。それも、用済みとなったら始末されている。ただ主犯に誤算があるとしたら―――」

「やめてくれ………」

「確実に死んだことと、彼女が集めた情報の抹消を確認するために犯人がその場にいた事。そして、そのヤサはキャサリンの自宅であると同時にお前さんの自宅でもあり、クラックされた通常の警備システムとは別に自分で組んだ独自の警備システムが敷かれて生き残っていたこと。その独自の警備システムはオンラインで、犯人の侵入から殺害までの一部始終をお前の端末へ届けていて―――」

「やめろっ!!」

「―――お前は母親が犯され、殺されていく様子を録画映像で見ることとなった。それを見たのがリアルタイムであったならまだ助けられたかもしれんのにな」

「ぐっ………!」


 少年―――デヴィットは裏拳気味に左拳を放つが、日本人の男は涼しい顔でそれを受け止めた。怒りに任せて全力で奮った拳は、びくともしない。いや、それどころか。


「あぐ………!」

「情報将校の卵にしちゃ迂闊すぎるだろう。儂が傭兵を生業にしていると言う情報を渡したんだから、直接攻撃に踏み切るなどと愚行を犯すなよ。―――特段鍛えてもいない、適合者であっても持ってる異能は情報特化。そんな小僧の拳なぞ枯れ枝みたいなもんだ」


 折られこそしなかったものの掴まれた拳が、骨がみしりと異様な音を立てる。意地だけで激痛に耐えたが、力で敵わないのは今更ながらよく分かった。


 傭兵と言うよりは、鍛えられた兵士に一般人が腕力で挑むのは馬鹿の所業であるが、その過程で握力を無視するというのはもっと愚かである。何しろ武器を握るにしろ体を支えるにしろ、握力というのは足腰の次に鍛えられる場所だからだ。


 対象を無傷で無力化すると言う一点においてはただ拳を握ってぶん殴るよりも、身体の何処かを掴んで握り潰そうとするか捻り上げた方が容易いのだ。勿論、彼我の戦力差に絶対的な開きがある場合に限るが。そしてその開きというのは、一般人と鍛えられた兵士、あるいは大人と子供という物差しが丁度いい。


「お前に!お前に何が分かるんだよ………!」


 苦痛に眉を歪めながら憎々しげに視線をぶつけるデヴィットに日本人の男は、デヴィットの拳を開放しながらさてね、と面白くもなさ気に肩を竦めた。


「儂はお前さんじゃないし、例え負けたからと言って自殺する程儂の命は安くない。何しろ美学に反するからな」

「安くだと?僕が一体どんな気持ちで………!」

「だからお前さんの気持ちなんざ知らんと言うに。そもそも、たかだか一度しくじったぐらいで神風よろしく死なば諸共と言うのも浅はかだろうよ。半端する位なら初めから動かなけりゃいいってのに。儂なら―――」


 一度切れた言葉が何らかのスイッチだったようにぞくり、とデヴィットの背筋を冷たい何かが走り抜けた。言語化不明な冷徹な空気。頭に血が上った状態でも感じられた。それに馴染みのある人間ならば殺意、あるいは殺気と形容するのであろうが、切った張ったとは無縁だったデヴィットにはその空気の名称を何と呼ぶのかはわからなかった。


 ただ、日本人の男の紫瞳の中に赤々と炎のように揺らめく光を見た。


「その過程で自分がおっ死のうとぶっ殺す。そしてぶっ殺した後で指差して笑ってやる。ざまぁみろ、と。恨み言を一つでも言おうもんなら自業自得だろうと。鼻で笑って中指立てて、死んでいくのを笑って見てやる。刻み殺しても尚足りん。細胞の一遍、一度の熱量さえ残さずにこの世から消し去ってやる。それが儂の掲げる復讐の美学ぞ」


 笑うという行為は、本来攻撃的なもの―――と言うのは、果たして誰の言葉であっただろうか。


 デヴィットはそこに笑みを見た。呵呵とした陽気なものではなく、憎しみを滾らせた暗い笑みでさえ無い。艶然と、あるいは陶然とさえした喜怒哀楽で割り切れない感情の発露だ。


 それは、自分と同類の感情だった。


「復讐は無意味だとか憎しみは憎しみを呼ぶだとか、そう言った上っ面しか語らない馬鹿どもに耳を傾ける必要性はない。『お前のせいで人生が狂った。だからお前の人生を自分が狂わす権利がある。文句はないな?最初に手を出したのはそっちだ。嫌だと言うなら最初から手を出さなければよかったじゃないか。だからその身を持って理解しろ。自分の番が巡ってきただけだと。理解して無様に死ね』―――言い訳や御題目などの虚飾を取っ払えば復讐の極論は即ちこうなる。何故か?相手が必死こいて積み上げてきたものをぶち壊すのが気持ちいいからだ。特にこちらに危害を加えて、にやにやと悪辣な笑みを浮かべてた連中が一転して絶望するのは、な」

「それは………」


 一息に自己の復讐観を掲げる日本人の男に、デヴィットは絶句した。


「よく考えてみるがいいさ。復讐否定者の一部意見を肯定するのは業腹だがな、死んだ人間は生き返らんのだ。復讐者がどんな御大層な御題目を掲げようが、それは覆らない。死んだ人間を取り戻すことなどできようはずもない。そんなことは赤の他人に指摘されるまでもなく本人が一番よく分かっている。しかしかと言って、やられっぱなしと言うのは負け犬が過ぎるだろうがよ。日常に戻ろうとしても、心の凝りってのはふとした拍子に思い出してしまうからな。残された人間がこれからを生きていく上で、けじめをつけると言うのが必要になってくる。―――だから、お前さんも奴の情報をバラ撒いたんだろう?」


 問いかけに、デヴィットは躊躇いながら静かに頷いた。


 だからこそ、デヴィット・アンダーソンは持てる全ての力を奮って『奴』の身辺を洗った。母を殺した証拠は元より、母が集めていた父殺しの真実、公金着服の証拠、非合法組織への献金疑惑の証拠、その他数々の裏の顔を徹底的に洗った。


 端的に言えば、洗いすぎた。


 出てくるわ出てくるわ黒い証拠の数々。あまりにも派手に出てくるものだから、調子に乗って根こそぎ集めてしまったが故、感づかれてしまったのだ。デヴィットも少し遊んだのも良くなかった。最初の計画では殺すのはあくまで最終フェイズだ。それまで徹底的に苦しめるためデヴィットは『奴』の周囲に証拠をバラ撒いた。勿論、確固たるものではなく『奴』自身が弁明できるように疑惑に留まるように、だ。そして弁明と疑惑が煮詰まってきた頃に、決定的な証拠を投入し破滅に至らせる。絶望をこれでもかと味あわせた後、それを行ったのが自分だと明かし糾弾してこの手で殺す。


 尤も、その前に感づかれて暗殺者を送り込まれてしまったが。


 命からがら逃げ出して、それが何度か続く内にデヴィットは自分の心肺停止をキーに残りのデータをネット中にバラ撒くタイマーをセットした。その後、何時殺されるかもしれない極限状況下に精神が疲弊してしまったのだろう。このまま逃げてもいずれ殺される。それぐらいならばいっそ自ら死んでやろうという考えに至った。


 なのだが。


「因みに、お前さんを狙っていた殺し屋。三人いるんだが、その内一人は話が分かる奴で手を引いた。残りの二人は交渉に応じなかったので消えてもらった」


 少なくともしばらくは命を狙われることはなくなったぞ、とあっけらかんと告げる日本人の男に、デヴィットは顔を引き攣らせた。自分のあの決意は一体何なのだったのかと体中から力が抜けた。


「あんた、一体何なんだ………?」

「しがない傭兵だよ」

「しがない傭兵が暗殺者をそんな簡単に撃退できるか。えー、と、あー、そう言えば名前も聞いてない」

「飛崎だ。飛崎連時。英語圏に習うならレンジ・ヒサキと名乗ったほうがいいか?デヴィット・アンダーソン」

「こっちの名前も事情も知っているようだから名乗らないけどね。で?レンジは一体何の目的で僕を救ったのさ」

「つい昨日まで首吊りしていた人間の態度じゃないな。まぁ、またぞろ自殺に手を出すようじゃ儂も困るので、元気になって何よりだが」

「色々追い詰められていたのは認めるし、その原因となった暗殺者を排除してくれたのも感謝するよ。何だかこれから僕に手を貸してくれそうだし、お礼も考えている。だから教えろ。レンジ、君の目的は何だ」


 日本人の男―――飛崎はふむ、とデヴィットの碧眼を覗き込む。若干の疲労は見えるが、その光は決して昨日の全てに絶望して死を望んだ少年のものではなかった。それを現金と見るか、切り替えが早いと見るかは人それぞれだが、少なくとも飛崎は後者だったようだ。


 彼は一つ頷くとこう言った。


「儂の目的も復讐でな。ある人物を追っているのよ。そやつの情報を、お前さんが意図せず入手したようなので、融通してくれんか?」

「具体的には?」

『JUDAS』ジューダスの内部情報」

「JUDAS………?あぁ、奴が献金とか物資の横流ししてたカルトか。分かった。機材があればすぐにデータを引っ張ってこれる。それで、僕に対する報酬は?」

「お前さんの両親の仇。ジェフリー・フリーウッドの首」

「身柄、だ。もう悠長に奴の立場を追い詰めていることも出来ないのは分かってる。だから直接殺せるなら、せめてそれは僕でありたい」

「よかろう。―――相手の出方次第では手足の一本二本ぐらいは構わないな?」

「生きていて、正気を保っているなら何しても構わない」


 打てば響く速度で交渉がまとまる。


 あるいはデヴィットも飛崎もある程度の予想をしていたのだろう。妥協するまでもなく互いの領分を定めていたがため、迂遠なやり取りも必要なく話が決まった。


「さて、お互いの立ち位置が定まった所でやることをやろうとするか」

「やること?」

「あぁ―――」


 飛崎が頷くと、ぐぅ、とデヴィットの腹が情けない音を立てた。あまりのタイミングにデヴィットは顔を赤らめてうつむくが、飛崎は喉を鳴らして。


「まずは顔合わせと作戦会議―――ついでに飯だな」




   ●




 ギルフォードのベイリーストリートにある雑貨店。そこの地下室が今いる場所なのだ、とデヴィットは飛崎から知らされた。自分が住んでいたロンドンからは直線距離で30kmぐらいしか離れていない。そんなに近場で大丈夫なのだろうかと首を傾げはしたが、『トウダイモトクラシ』なる諺を持ち出され有耶無耶にされた。


 地下室、との説明を受けたが民家の地下室というよりは防空壕だとか地下採掘場だとかそういう言葉の方がしっくり来るような埃っぽさと出鱈目な広さだった。一世紀近く前に英国で放映された人形劇の特撮テレビ番組に出てくる秘密基地のようだ。近所の地盤が沈下したり苦情が来たりとかしないのかと聞けば、何とベイリーストリートに並ぶ建物のオーナーはほぼ飛崎だそうで傭兵ってそんなに儲かるのかと新たな疑問に行き着いたのは言うまでもない。当の本人は莫大な財産を相続しただけだから大したことはないと嘯いていたが。


 そしてそんな言葉を嘘だろう、と否定するだけの材料が目の前に現れた。


「マスター、アンダーソン様。お食事をお持ちしました」

「あぁ、ティア。ご苦労さん」


 メイドさん達である。


(なん………だと………?)


 重ねて言うが、メイドさん達である。


 濃紺のロングスカートに白いフリル付きエプロンドレス、同じく白いカチューシャ。アメリカンにデフォルメされた萌えに傾倒しただけのミニスカ邪道メイドではなく、業務と美学を兼ね備えた紛うことなきヴィクトリアンメイドである。でありながら、服飾には細やかな気遣いと装飾がなされており、主人を立てつつも自らの存在感を忘れさせることが無いよう心配られている。よく使用人とは黒子のようである為に存在感を限りなく薄くすると思われがちだが、彼女たちの方向性が違うのは見て分かる。屋敷という舞台の中で、メイドとは背景であると同時に調度品なのだ。ただ目立たない黒子のようでは、いっそ異質なのだろう。だからこそ、主人を立てつつも無粋な黒一色ではなく舞台に違和感のない飾り立てをするのだろう。


 そんなメイドさんが一人ではなく五人。


 単数形ではない。複数形だ。しかもそれぞれ特徴があった。清楚系のおっとりメイドから、ロリ、クールっぽいのまで色々と隙がない。それがご主人様と傅いているのだ。これで興奮しない男子はいるだろうか。いや、いまい。


 デヴィットは英国人ではあるが、家政婦を雇ったことはない。金はあるにはあるが、必要性を感じたことはなかった。だがしかし、今時のハウスキーパーではなくジャパニライズされたメイドさんというのは以前から心惹かれる存在であり、そんな存在が不意打ち気味に複数現れればこう思ってしまう。


(どうしてこう、日本ってのは自国文化じゃないものを発祥国を追い越す勢いで改良していくのだろうか………。全部終わったら、僕も可愛いメイドさんを雇おうか)


 魔改造の妙なる部分と言うか、ある意味果てしない理不尽とも言える所業にデヴィットは我を忘れて思索にふける。心に潤いって必要だよね、と自分を説き伏せながらだ。因みに、そんなデヴィットがいる英国も結構な魔改造文化を持っているのだが、この際棚上げである。魔改造は島国の性なのかもしれない。


「おい、デヴィットどうした?腹減ってるんだろう?食わないのか?」

「―――はっ………!?」


 飛崎の言葉で現実に引き戻されたデヴィットは現状を認識した。


 気づいたらテーブルに料理が並べていて、自分の首元にはナプキンが巻かれていた。メイドさんが齎した衝撃に自失していた時間は一体何秒か。デヴィットが思った疑問に答えること無く、飛崎は箸を手にして丼をかっ食らっていた。


 手元を見ると、自分の分もあった。付け合せのサラダに、コーンスープ、それから蓋が閉じられた丼だ。開けてみると、ローストビーフが見えた。肉が山盛りになっているんだろうか、と首を傾げながら飛崎に尋ねた。


「―――これは?」

「ローストビーフ丼」

「肉の下は………コメか?パエリアかドリアなら食べたことはあるけど。何故これを?」

「確か、同じ釜の飯を食うって格言、英語圏にもあるだろ?何と言ったか………同じ皿のものを食う?まぁともあれ、これから一応は共同戦線を張るんだから、互いの故郷に通じる同じもの食って結束を、とな。馴れ合えとは言わんが、それなりに信頼関係はいるだろ。―――嫌ならパンに変えてもらうか?」

「いや、頂く。―――少なくとも、ウチの国より不味いってことはないだろ」

「流石は現地人。よく理解してるな」


 あまり誇れたことではないけれど、とデヴィットは苦笑いしてフォークを手に取る。箸も並べられていたが、使えない。と言うよりも、アジア人は何故あんなにも器用に二本の棒を操って飯が食えるのか凄まじく不思議だった。遺伝子レベルでそんな食事を続けてきたからちょっと気持ち悪いぐらいに器用なのだろうか。


 そんな疑念と考察を抱きながらデヴィットはフォークで米と肉を挟み込み、刺して固定する。グルメ、と言う程ではないが西洋人と東洋人の味覚の違いというか食べ方の違い、と言うのを何かの論文で見た。西洋人はパンならパン、肉なら肉と一品ずつ食べる。東洋人は米とおかずを一緒に食べる。所謂『口中調味』、あるいは『三角食べ』と呼ばれる食べ方だ。


 然るに、この米と肉が乗った丼なる料理は西洋人が『口中調味』を手軽に体験するに値する料理なのだが、何も知らずにこれらをコーカソイドのテーブルの上に載せると、上の肉を食った後に下の米を食うと言う珍事が発生する。


(まぁ、それを知ったのは父さんの影響だけどさ………)


 父であるロナルド=アンダーソンは大の日本びいきだった。


 何でも、デヴィットの祖父が日本のセンダイなる場所に住んでいた時期があるらしく、そこで得た文化を愛していて、祖国にまで持ち込んだそうだ。だが祖父の帰国後に発生した世界規模の『大崩壊』の影響で、容易に他国へ渡航できなくなった。結果、祖父は再び日本の地に足を踏み入れること無くその生涯を終えた。今際の際の言葉は『GYUTAN、GYUTANを食べたい………』だったそうだ。何しろ当時、米国では牛タンを食べ物として認識していなかったらしく、手に入れるのに輸入を頼っていたようだ。そしてその愛は息子から孫へと連綿と受け継がれていたのだ。


 閑話休題。


 フォークを口へ運ぶ。


「うまい………」


 素直な感想が出た。奇を衒った味はしない。余分な修飾がない。ただただ、旨味と程よい甘みが口の中で広がっていく。食べ慣れたローストビーフの影響もあるのだろうか。そこまでガツン、とは来ない。ただ咀嚼するたびにじわじわと感じる旨味に促され、二口目に自然と手が伸びていく。


「だろう?2週間前、儂がこの英国に入国した時は絶句したもんだったよ。風の噂には聞いていたが飯がまずい。空港で小腹が空いて、屋台でサンドイッチとフィッシュアンドチップスを買ってみた時の衝撃は生涯通してもなかなか無かったぞ。流石TNT爆薬でスクランブルエッグ作ったりV8エンジンで男ドリンク作ったりする国だ」

「あぁ、地元民でも避けて通るから………。マシなのが食いたければパン屋に行くべきだよ」

「まぁ、土地の関係もあるんだろうが野菜関係は大体駄目だったな。ハギスとかスターゲイジー・パイとかは何かの科学実験かと思った。実験場は口の中」

「食べたのか!?アレを!?」

「儂のばーちゃんがよく言っていた。『好き嫌いはしてもいいが食わず嫌いはしてはいけない。それは作ってくれた人と食べてきた人、即ち歴史に対する冒涜だ。何より、職人を愛している自分の美学に反する』と。早い話が、文句があるなら食ってから言えってこった」

「で、どうだった?」

「昔のフランス大統領がこき下ろして、イギリス外務大臣がそれを認めただけあるわ。―――もう二度と食わん」


 さもありなん、とデヴィットは頷いた。


「一方で肉料理とパイ料理は結構美味いのが多いんだよな。コーニッシュパスティだったか?あれとか普通にミートパイとか肉まんとかに近いんだから、ウナギのゼリー寄せとか奇天烈なもん作る前にこういったの研究しろよと思った。ローストビーフなんか案外米にも合って普通に美味いのに」

「コメ………コメってこんなにモチモチしていたか?」

「ドリアとかパエリアは食ったことあんだろ?アレで使うのは大体、長粒種。こっちは短粒種って言って、日本で米といえばこれだな。今食ってるのは統北圏産の『ひとあばれ』。わざわざ輸入したんだよ。馬鹿みたいな輸送費に関税もあって出鱈目に高いが、美味いだろ?」

「ああ。………サラダは現地産か。残念だ」

「生鮮関係は足が速いから輸入が難しくてなぁ。だがスープは美味いぞ」

「うん。優しい味だ」


 満足そうにデヴィットは頷いて、フォークを進めていった。そして、やがて深い吐息とともに完食した。


「―――さて、一息ついた所でだ。お前さんに一つ聞いておくことがある」


 先に食べ終えて、爪楊枝を咥えていた飛崎が唐突にそんな事を口にした。


「何だい?」

「これからお前さんの仇である男の身柄を確保しようと思うが………。それに関わるか、それとも傍観に徹して手元に来るまで待つか。どちらが良い?」


 問いかけに、デヴィットはぴたりと身じろぎすら止めた。


 おそらくは、飛崎の中である程度の作戦概要は決まっているのだろう。それに関わるかどうか、より正確に言うならば作戦の一翼を担うかどうかを尋ねられている。


(本音を言えば………関わりたい)


 失敗したとは言え、一度は殺すつもりでちょっかいを出した相手だ。力さえあれば、そもそも飛崎に頼ったりもせず自分で手を下していた。


 だが、それは出来なかった。相手の方が大方において上なのだ。財力も、社会的信用も、あちらは未だ現役であることを踏まえれば体力さえ上だろう。こちらが勝てる要素は電界での能力と、後は年齢ぐらいか。


(今考えれば、それだけでよくも奴を追い詰めれると思ったもんだ)


 実際には感知され、カウンターでリアル方面からの攻撃を受けて追い詰められた。殺される前に死んでやる、と死のうとして―――今はのうのうと生きている。


(ガキだなぁ………)


 あまりの情けなさに悄然とする。


 そういった限界を見ることになるのは、もっとずっと遠い未来だと思っていた。思春期特有の全能感もあったのだろうが、自分は何でも出来るのだと―――一体何を根拠に思い込んでいたのだろうか。今となっては、顔から火が出るほど恥ずかしい。


 ただ、ここで捨て鉢になる選択肢はない。熱くなる必要性もない。やるべきこと、出来ることを冷然と選ぶ。コールタールのようにどろりとした熱量は心の奥底に閉じ込める。必要なのは、それを開放する場面へと導く為の一手。


 だから少年は選んだ。


 最早少年でいられないから、せめて大人になるための選択を。


「傍観する。レンジ、君がどう動くかだけ間近で見せてくれ。僕は、最後に直接手を下せれば、それでいい。君の作戦行動の邪魔はしない」


 意を決して告げるデヴィットに、飛崎は喉を鳴らして笑った。


「ガキであることを止めるかよ、デヴィット・アンダーソン」

「不本意ながらね。僕は非力で、ガキだ。何一つ自分の手で成せやしない。―――今回の件で、骨身に染みた」

「それは違うぞ。『今』は、何も出来ないだ。これから先、お前さんがずっと無力なお前さんでいるだなんてことはないだろう。今それを自覚できたのなら、やがては何もかもが出来る男になっていくだろうさ。今は―――そうさな、自らが成しえないことに対し誰かを頼ることを覚えたんだと、そう思っておけ」


 そう言って、柔らかな眼差しを向けた飛崎は軽く右手を上げた。すると、五人のメイドさんが飛崎の背後に整列した。紹介を、と主である彼が一言告げるとメイドさんの一人が頭を下げた。


「飛崎家家臣団侍女メイド隊、侍女メイド長のリースティア・ロックリードと申します。何かご不便がございましたら何なりとお申し付けくださいませ。可能な限り対応させていただきます」


 流麗なカーテシーで挨拶をこなしたのは、先程声を掛けてきた黒髪のおっとり清楚なメイドさんだ。どうやらメイドさん達の筆頭らしい。デヴィットは成程、と思いながら考察する。所謂スタンダードタイプのメイドさんだ。デヴィット的にはメイド長と言うと眼鏡を掛けたキツめの女性でありながら、しかしデレたら情熱的というのが相場なのだがこれはこれで悪くない。それになにより実にグラマーである。出るところが出て引っ込むところが引っ込んでいる。肉付きがよく、抱きしめたらさぞ柔らかそうである。東洋人の年齢は分かりづらいが、おそらく二十歳前後。青みが抜け、脂が乗り始めている頃である。


 しかしこのデヴィット少年、先程のキリッとした決意から一転、眼差しがエロガキのそれである。考察の仕方で言えばエロオヤジではあるが。


「同じく飛崎家家臣団侍女隊衛生兵のアシュリー・カーライルです。主に給仕と医療を担当しています」


 次に一歩出て頭を垂れたのは、銀髪にショートボブのクールな眼差しをしたメイドさんだった。心なしか、声も平坦で声量も小さめだ。同じ白人なので年齢も読みやすい。年の頃ならミドルティーンからハイティーン。つまり、自分よりは少し上ぐらいだろう。未だ未成熟、と言うのも評価が高い。女性らしい膨らみはあるものの、青い果実と言った所か。


 しかしその性格や態度から言って、彼女が大人になった時、ある意味テンプレメイド長が似合いそうな女性に変貌しそうである。しかしメイドなのに衛生兵とはこれいかに。メイドってなんだっけ、とデヴィットは困惑した。


 今後に期待だな、とデヴィット評論家は青田買いをすべきだろうかと真剣に検討を始めた。少々暴走の感がある。


「オレは飛崎家家臣団侍女隊輸送兵のステファニー・ティンバーレイクだ。主に仕入れと管理、それから人員などの運搬担当をしている。昨日の夜、気絶したアンタを家から運んできたのもオレだ」


 今度は男勝りなメイドさんだ。燃えるような赤毛に、鋭い眼尻にニカリ、と邪気のない笑み。こちらも侍従長に勝るとも劣らないスタイルを持ちながら、それでも鋭利な刃物を思わせる雰囲気を持っているのは相当に体を鍛えているのだろう。喋り方も品があるものではないが、デヴィットは気にしないしこれはこれで良い物だ、と少年ながら知っている。主にガサツ、男女等と揶揄される女性は意外と繊細な部分が多々あるのだと父、ロナルドはよくよく語っていた。何を隠そう母がそのタイプだったらしく、出会った時はガッチガチの近寄りがたい職業軍人タイプだった母が、攻略完了すると子猫のように甘えたがるタイプになったと言うのだから驚きだ。事実、家にいる時の母は父にべったりだった。息子は砂糖を吐きながら育った。


 だからこう言ったタイプは、むしろ男の方に資質が求められるのだとデヴィットは理解している。男の度量が、そのまま女の魅力に直結する鏡のような女性というのはとても興味がある。いずれビッグな男になった時、そうした女性とお付き合いしたいものだと思う。


 デビット評論家は一体何処へ行こうというのか。


「ひ、飛崎家侍女隊警備員のユミル・東雲・アラバスターです!お、主に洗濯と警備、斥候を任されてましゅ!」


 眼鏡、褐色、噛みっ子のトリプル役満とはこれは芸術点が高い。しかもokappa、okappaじゃないか!とデヴィットの胸中はカーニバルの嵐が吹き荒れた。年は自分と大差ないだろう。小柄な身体をしているが、斥候という役割上プラスだ。しかし斥候で日本名も混ざっているならばそれ即ちNINJAだ。女の子だから、KUNOICHIである。些か属性盛り過ぎかもしれないが、相反する属性は無いので、上手いこと相乗効果を生み出している。


 内気な女性を優しくエスコートするのは紳士として光栄な事である。そんな女性が顔を赤らめてはにかんでいたりしたら生涯に一片の悔いはないことだろう。自殺未遂者だけに割りと洒落にならない。


 デヴィッド評論家は大興奮の上、フライアウェイしている。


「飛崎家侍女隊情報統制官、シンシア・フォーサイス。主な仕事は情報収集と統合管制、作戦時は大体CP。あと、義務教育とか」


 ロリっ娘キタ―――!とデヴィットは両拳を握った。


 ふわふわの金髪ツインテに碧眼。自分よりも二、三は下じゃないだろうかという体躯はまさに妖精のようだった。フォーサイスの名は伊達ではない。これはお兄ちゃんと呼ばれたい。デヴィットは一人っ子だったために、姉や妹と言うものに少しばかり憧れがあった。


 例えば朝、優しく起こされたい。あるいは起こしたい。

 例えば昼、一緒に勉強したり遊んだりしたい。

 例えば夜、雷が怖くて眠れないからと添い寝を頼まれたい。

 つまり妹だ。妹分が欲しいのだ。妹が必要な以上、即ち自分はお兄ちゃんである必要があり―――。


 際限なく思考が加速するデヴィット評論家は業が深い。果たして本当に昨日まで自殺しようとしていた人間なのだろうか。


「―――以上が今回、儂に付いてきたメイド達で、本作戦に従事する人員だ。何か言いたいことは?」


 五人の紹介を終え、まとめようとした飛崎に対しデヴィットは笑顔で一つ頷いて。


「このハーレム野郎!」

「何を訳の分からんことを。儂は雇用主であって旦那じゃねーよ」


 罵倒することにしたが、彼は鼻で笑った。


「じゃ、じゃぁ僕が彼女達を好きになっても?」

「構わんが。ただ―――」


 つまり自分にも可愛いメイドさんを彼女に出来るチャンスが有るのでは、と勢い込んだデヴィットに飛崎はやおら笑顔を浮かべ。


「儂はこやつらの雇用主であると同時に、保護者でもある。お互い本気なら止めはせんし祝福もするが、遊びなら息の根を止める。物理的に止める。こう、首と胴体がさよならする感じで」


 何処から取り出したのか、刀の鯉口を切ったり収めたりちゃっきんちゃっきんさせながら告げる飛崎に、デヴィットは笑顔の恐怖を堪能することになった。


「ほ、保護者?と、と言うかレンジ何歳なんだよ」

「儂か?儂は今年で―――」


 話題を変えようと、少々ビビりながら尋ねたデヴィットに対し、飛崎は少しだけ躊躇った後でこう告げた。




「―――六十九になった」




 その表情が、何処か泣きそうだったのが印象的だった。

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