第5話 社交の夜。

 今夜はフォルクス公爵家の御曹司マクシミリアンの婚約披露パーティに呼ばれたスタンフォード侯爵夫妻。

 馬車で公爵家のお屋敷の馬車まわしにつけると、先に降りた侯爵が手を差し伸べてくれた。


「どうぞ」


 スマートに差し出される手をとって優雅に降りる。


 もうこういうのも何回目だろうか。

 シルフィーナもようやくこうした貴族の社交に慣れた気がする。


 どこに行くにも必ず紳士的にエスコートしてくださるサイラス様に、シルフィーナはいまだに頬を染めながら答える。

 その初々しい所作に、周囲からは感嘆の声が上がった。


 紺に染め上げられた布地、その微妙なグラデーションをゆったりとしたトレーンに設え、白銀の髪は全てアップにはせずその豊な髪を一部流すようにして。

 サイラスの方はといえば、その濃紺の艶やかな髪を背中に流し、妻の髪色と同じ白銀のスーツを身に纏う。

 二人並んだその姿は今や社交界で噂にのぼらない日が無いくらいなほどで。


(ああ。わたくしなんかがサイラス様の隣にいるなんて。きっと場違いに見られているに違いないわ)

 そう思い込んでいるのはシルフィーナだけであったけれど、いつまでも自信が持てない彼女だった。


 国内の雪も完全に溶け初夏の香りが漂ってくるこの季節。


 貴族の社交は活発になり一番のピークを迎える。


 大量に消費される食べ物と、大量に消費される物資を眺めながら、「なんてもったいないことを」とそう思ったシルフィーナであったけれど。

 これもまた、国内の経済を活性化させるために必要なことなのですよ、と、そうスタンフォード家の執事、セバスから学んだ彼女。


 侯爵夫人としての勤めを果たすため。

 そう頭を固くして臨んだこの社交も、


 貴族同士の情報交換のため。

 労働市場の活性化のため。

 そして。

 消費することによる国内経済の活性化のため。

 そうした深慮を学ぶことによって、納得して参加することができるようになっていた。


 そう。


 貴族の社交というのは、

 国内の流行を作り出し市民のファッション市場の先端を行くこと。

 市民に娯楽を提供すること。

 そのための働き手、労働市場を守ること。


 貴族同士の交際といった些事に収まらない、そうした効果ももたらされるものだったのだ。


(貧乏なマーデン領では考えられないことでしたけど……、いえ、であるからこそこういったことも必要だったのかしら?)


 今ならそうも思える。


 貧乏から抜け出せない最大の原因が、領内に産業がないこと、だったから。

 産業がないから人口が増えない、その悪循環が続く限り、いくら節約してもどれだけ自分が働いても貧乏から抜け出すことなどできはしなかったのだ、と。


(お父様とお話しする機会があったなら……)


 こんな話もしてみたい、そんなふうにも思う。


 それでもきっと。


『女はそんな事考えなくてもいい』


 と言われそうで、怖い。


 しばらくの間は自分が婚姻したことによる結納金で凌げるだろう。

 シルフィーナの代わりの侍女も雇ったと聞いた。

 少しづつでもそうやってマーデンも変わっていけばいいな。

 そんなふうにも思って。


 ♢


 パーティも佳境に入り、男性は男性たちで話があるからと、別室に移動して行った。

 残された女性陣は女性陣でそれぞれ輪を作り、食事をとりながらの歓談を続けて。


 こうした立食形式のパーティであっても壁には椅子が用意してある。

 給仕に飲み物を頂いたシルフィーナは、誰と話すでもなく壁際に座り美味しい食事に舌鼓をうっていた。


(まだまだ大量にお食事は余って居ますよね。これはどうなってしまうのでしょうか……)


 経済をまわすため、そう聞かされ納得はしたシルフィーナであったけれど、それでもこうした食材がもし捨てられてしまうのであれば、と思うと心が痛む。

 せめて。


 食材が痛んでしまって食べられなくなる前に、貧しい人々に施されるのであればいいのだけれど。

 そう願ってやまない。




「あらあら。そちらにいらっしゃるのはスタンフォード侯爵夫人でいらっしゃいますか? そんな壁の花をしていては、せっかくのそのお美しさが霞んでしまわれましてよ?」


 数人の女性たちがシルフィーナのそばに近づいて。


(ああ、こちらはたしかサドレス侯爵夫人とそのお友達の、えーと)


 挨拶はしたはず。でも皆を全て覚えるのは大変で。

 そう、どなただったかしらと思案していると。


「ほらほらこちらにいらっしゃって」


 と、唐突に手を引かれ。

 はっと思った時には手に持ったワインをドレスにこぼしてしまったシルフィーナ。


「あらあら、せっかくの青いドレスに赤いワインのシミがついてしまいましたわ。どうしましょう」


「ああでもシルフィーナ様がご自分でおこぼしになったのですもの。しかたがありませんわ」


「そうですわね。ご自分でなさったのですもの」


 と、パラパラと逃げるように去っていくご婦人方。


(ああ、どうしましょうか。旦那様に断らず勝手に帰るわけにはいかないでしょうし。どこか控室でもあればこのシミを洗いおとすのですけれど)


 そう思案していたところで、一人の女性に声をかけられた。


「あら、お義姉様。こちらにいらして」


 そう手をひいてくれたのは、サイラスの妹であり筆頭公爵家、ロックフェラー公爵夫人でもあるエヴァンジェリンだった。


 ♢


「こちらの控室なら今は誰も居ませんから。給仕に声をかけておきましたからじきお湯とタオルが届きますわ」


 そう優しく微笑んでくれるエヴァンジェリン。


「ああ、ありがとうございますエヴァンジェリン様。でも、これくらいなら」


 そう言って。


 シルフィーナは両手を合わせ妖精たちにお願いをする。


 アーク、バアル、アウラ。

 お願い、このワインのシミをきれいにして。


 火のアーク。

 水のバアル。

 風のアウラ。


 彼らにそう願う。


(わかったよシルフィーナ)

(任せて。シルフィーナ)

(大好き、シルフィーナ)


 彼らはそうシルフィーナの心に返事をして、そしてその権能を駆使していった。


 バアルの水が湧きあがり、ドレスのシミ、ワインの部分を洗い流し。

 アウラの風とアークの熱が温風となって、そのドレスを乾かしていく。


 それはあっという間の出来事だった。


(人前ではあんまりこういうのしたくなかったけど、それでもエヴァンジェリン様なら、まいいかな)


 控室で他の人の目もなかったことがシルフィーナを大胆にさせて。


 すっきりとワインのシミも落ち、乾いてサラサラになったドレスを見て。

 エヴァンジェリンは驚きの声をあげた。


「すごいですわシルフィーナ様、貴女の魔力特性値は人並みはずれて高い数値だとは伺っておりましたけど、ここまでとは」


「え、そんな」


「普通、それだけ複雑な魔法をお使いになる場合は、上級魔道士クラスが複雑な詠唱を組み合わせないと難しいと言われています。それを、無詠唱でそこまで」


「いえ、エヴァンジェリン様、わたくしは魔法の使い方など学んではおりませんから。今のは神の子にお願いしただけなのです」


「ああ、それであの効果ですか。それは本当に凄いことですわ」


「わたくしは魔法は使えませんから、本当に、お願いしただけなのです……」


 最後は声も小さくなってしまっていた。


 エヴァンジェリンもそんなシルフィーナの恐縮した姿を見て。


「ええ、わかりましたわ。このことは誰にも言いませんから。わたくしとお義姉様だけの秘密にしておきますわ」


「すみません、ありがとうございますエヴァンジェリン様……」


 恐縮しきりのシルフィーナに、エヴァンジェリンはそれでも好意を持って。


「さあ、広間に戻りましょう。そろそろお兄様たちも帰ってくる頃ですし」


 そう促すのだった。

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