第3話 妖精たち。
まんじりともせず夜を明かしたシルフィーナ。
部屋にはいつのまにか朝日が差し込んでいた。
月明かりを浴びて身体はリフレッシュできたものの、それでも侯爵の言ったあの言葉をいろいろと考えてしまって。
うだうだと考えていたら結局一睡もできなかった。
そろそろ起きなくては、とは思うものの、なかなか起き上がれないでいたところにコンコンとノックの音。
「どうぞ」
お布団の中からそう返事をするシルフィーナ。
こんな泣き腫らした顔を見られるのは恥ずかしい。でもこんな時間にお部屋に来るのはこのお屋敷の侍女くらいだろうから。
(旦那様の指示でわたくしを起こしに来たのでしょうから)
そう思うと入らないでと拒否をするわけにもいかない。
さっと部屋に入ってきた彼女。
そのまま部屋の窓のビロードのカーテンをさっと開け、小窓をあけ空気を入れ替えたのちシルフィーナのベッドの脇まできて礼をする。
「おはようございます奥様。本日より貴女様付きの侍女となりましたリーファでございます。以後お見知り置きくださいませ」
しゃんとした黒のAラインのお仕着せに身を包み、背筋をピンと張ってお辞儀をするその姿はとても綺麗で。身分とかそういうの、もう頭の中でどうかなってしまうような気がして思わず見惚れてしまい。
「リーファさん、これからよろしくお願いします」
それでも顔を見せるのが恥ずかしく、お布団の中からそう声をかける。
「奥様? 奥様と
と、そんなふうに冷たい口調で返すリーファ。
どことなく距離を感じるその言葉に、シルフィーナは実家のミーシャとグレイマンの事を思い出した。
マーデン男爵家は貧乏だったから。
使用人と言ったらミーシャとグレイマンしかいなかった。
もっと幼い頃にはもう少し使用人の数も多かった気もするけどシルフィーナはよく覚えていない。
だから、自分の身の回りどころかたいていのことは自分でするのが当たり前で。
物心ついてからというもの後継となるべく育てられてきた姉アルテイアとは違い次女のシルフィーナはミーシャと共に館の雑用仕事を一手に賄って。
食事の支度から母や姉の身支度の手伝い、お風呂の掃除はもちろん館内を整えるのもそう。
そんな諸々のお仕事をまるで使用人であるかのようにこなしていた。
父の世話はグレイマンの仕事だったし領内の諸々のお仕事は彼が任されていた。
それでもシルフィーナは領地の経営などもグレイマンから学んではいたのだったけれど。
そんなミーシャやグレイマンの事は結構親しみを込めてミーシャ、グレイマンと呼んでいたシルフィーナだったけれど、初対面の方をいきなり呼び捨てするのには少しだけ抵抗があって。
それに。
少し気になることも。
「ええと、リーファ、は、ずっとこちらの侯爵家の使用人なのですか?」
「そういうわけでもございません、
(え? それじゃぁ)
「はう、ではわたくしなんかよりよっぽど高い身分じゃありませんか」
「いえ。奥様はもうすでにスタンフォード侯爵夫人なのでございますよ? 気持ちを切り替えて頂かなければ
とそうしれっと返されたものの。
このリーファの見た目も物腰も、洗練された貴族の雰囲気を纏っている。そう思うと自己嫌悪にも陥る。
慣れた手つきでさっさっとシルフィーナの身支度を整えていくリーファ。
泣き腫らした目は蒸しタオルを当てられ手当され、その後たっぷりとお化粧が施されたせいか鏡で見てもまったくわからなくなり。
(少しは美しく見えるでしょうか? いえ、きっとわたくしなどここにいるリーファさんよりも劣るに違いありません……)
支度を終えて食堂へ向かう間、そんなことばかり考えてしまうシルフィーナだった。
♢
朝食は可能な限り一緒に摂ること。
それがこの仮初の婚姻の条件の一つだったから。
(多分この先の食堂には旦那様がいらっしゃるんだわ)
そう思うと心の中がざわめき、どうしようも無くなって。
どうしても考えてしまうのだ。
この契約結婚の相手がどうして自分だったのか。
お飾りでいればいいだけであるのなら何故?
どうしてここにいるリーファではなくて、自分に白羽の矢が立ったのか。
それを。
身近にリーファのような適齢期の女性がいるのであれば、対外的なお飾りなら自分ではなくてもリーファでよかったはず。
リーファを知ってからは尚の事そう思ってしまって胸がざわめく。
ああ。お願い、アウラ。わたくしのこの心のざわめきを止めて。
何もない空中に向かって、シルフィーナはそう祈った。
(シルフィーナ、好き)
(でも、あなたの心のざわめきは止められない)
(ごめん、でも、あたしできないの)
そう、申し訳なさそうなか細い声が聞こえる。
(うん、アウラごめんね、無理なお願いしたね)
シルフィーナはそう素直に謝って。
ここ、アルメルセデスは神に護られた剣と魔法の国。
人が暮らすこの地上にも、大気に溶けるように神の子らが漂っている。
目には見えず、普通の人には感じることもできないそんな神の子ら。
それでも。
シルフィーナには子供の頃、幼い頃から。
いや、物心ついたその時から、この大気に溶けるようにして存在する彼らを感じることができていた。
言っちゃいけない、話しちゃいけない。
幼い時のトラウマでそう思い込んでしまったせいで、誰にも話した事はなかったけれど。
彼女はそんな神の子たち、シルフィーナは『妖精』ちゃんと呼んでいたのだったけど、そんな彼らを感じ、会話をすることすらできていた。
そんな妖精の中でも割といつでも身近にいるのが『アウラ』という風の妖精だった。
シルフィーナは魔法の使い方を学んだことが無かったから、『魔法』というものは使ったことがない、と、信じていた。
彼女ができるのは、この妖精たちに『お願い』することだけ。
お願いしてもできることできないことはもちろんあるし、そんな何でも自分に都合のいいお願いというのはしないけれど。
それでも。
妖精たちは、シルフィーナにとっていつも心の支えになってくれていたのだった。
「奥様のその白銀の御髪は本当に素晴らしいですね」
食堂の入り口手前でリーファが唐突にそう言った。
「え?」
思わず顔を上げて聞き返すシルフィーナ。
「ほら、そうやってお顔を上げていてくださいな。貴女様は私たちの主人で、スタンフォード侯爵夫人で、旦那様の最愛の人なのですから。自信を持ってくれないと私たちが困りますわ」
リーファはそうふんわりと笑みを向け、食堂の扉をひいた。
広い食堂の奥、真っ白なテーブルのその先には、こちらを見て微笑む美麗な侯爵の顔があった。
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