夏祭り

 ――浴衣で歩くのが遅い私を見かねてテンちゃんが手を差し出してくれた。

 それが私は、嬉しくて。嬉しかったの。

 テンちゃんはすぐに手を離してしまったけれど、私はずっと、また手を繋いでほしい、と思ってた。

 思っていた。


「その日俺たちは手を繋いで夏祭りへ行った。別に意味なんかない。ただあいつがいつもより遅くて。手を引いてやってるだけだった」

 独り言みたいに話し出すテンちゃんの目は私を見ているようで見ていなかった。実際見えているはずがなかったし、きっとテンちゃんが見ていたのはあの日ここから落ちていく私の姿だけだったと思う。

 太陽もすっかり顔を出して、テンちゃんの後ろに広がる空は眩しくて明るい青なのに、テンちゃんの目だけは、濃い影を凝縮したような暗い闇に沈んでいた。

「特に意味なんかなかった。……ホントに、意味なんか」

 守屋さんは心配そうな面持ちでテンちゃんの話に耳を傾ける。私もそう。傾けるだけで、他に何も出来ない。聞くしかできない。

「……途中、からかわれた。そんなのよくある出来事で、それまでもあったのに。俺は」

 ――テンちゃんはああ、とかそっすね、とか適当な返事しかしなくって。

「俺は急に恥ずかしくなって、人目が気になって」

 ――その日はそれ以来、手は繋いでくれなかった。

「……手を離した」

 そうだった。だけど私は、手を繋いでほしくて。お祭りの露店をまわる間も、岬への山道をのぼる間も、ずっと。

「それが、」テンちゃんの声がいっそう震える。「それが、あいつが落ちるとき、一瞬よぎったんだ。俺は手を引っ込めた。俺に伸ばされた手を、俺は掴まなかった」

 テンちゃん。違う。私が掴めなかったの。

「俺は、俺の意思で、あいつを見殺しにした」

「それは……」守屋さんが何か言いたげに口を開くけれど、テンちゃんは遮って続ける。

「俺はあいつが落ちてからその事実に気づいた。ワケわかんねぇまま、俺は大人を呼びに行って、親に、言って――俺は……俺は、」

 そこで初めてテンちゃんは守屋さんへしっかり顔を向けた。

「凛花、言ってたろ。島中の人間皆が知ってたって」

 ――次の日島中の人に広まっててびっくりしちゃった。

「狭い島なんだ。ちょっとした噂話でもすぐに広まる。狭い島なんだ……皆顔を知ってる。俺は、俺は!」

 俺は。俺は俺は俺は。テンちゃんの懺悔のような独白が響き渡る。

「俺は言えなかった。親父にもおふくろにも、言えなかった。あいつがコケて落ちたとしか言えなかった。俺が! 恥ずかしいってだけであいつの最後の手をとらなかったことを、俺は誰にも、……言えなかった」

 ――天司君ってさ。自分のこと、苛めてるみたい。

「そして俺は、逃げるように外の高校へ行った」

 ――『忘れたら、許されない気がして』

 テンちゃんは確かにそう言った。私がテンちゃんを責めるわけないのに、誰に許されないのか、判らなかったけど。テンちゃんを許さないのは、それは……。

「忘れたら、許されない。俺は俺を、……許さない」

「じゃあずっと、自責のために千穂さんを利用するの?」

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