2回目
第2話 夢? それとも。
時が戻っている。
ベッドの上、目が覚めたアンジェリーナは、すぐさま、それを認識し――――なかった。
(いやですわ〜! 変な夢を見てしまいましたわ〜!)
アンジェリーナは、いやはや我ながら妙にリアルな夢を見たと、うんうん頷いた。
(もしかして、予知夢かしら? なーんてうふふ)
九死に一生を得たような、緊迫感のあるシーンからの回帰。
脳内麻薬で妙に浮かれていたアンジェリーナは、目が覚めてから三日くらい「生きてるって素晴らしいですわ!」と言い続けた。本心である。
そして、侍女のナサリーや両親、兄や弟に散々心配された四日目。
我に返ったアンジェリーナは、この1ヶ月の記憶のことを無かったことにすることにした。
(この1ヶ月間の記憶があるだなんて、誰も信じませんものね。わたくしも信じられませんわ!)
「アンジー、どうしたの?」
プリムローズ学園の最終学年、特進クラスの自席にいたアンジェリーナは顔を上げる。
「テレーザ。どうしたって何が?」
アンジェリーナが首を傾げると、親友のテレーザ=テトトロン公爵令嬢が不審そうな顔でこちらを見ていた。
「アンジー、あなたここ数日様子がおかしかったじゃない。それが急に落ち着きを取り戻して……不思議に思うのは当然でしょう?」
言われてみればそうかもしれない。
アンジェリーナはここ数日、家の中だけでなく、学園でも浮かれていた。あからさまに態度がおかしかった。
婚約者の第二王子は相変わらずアンジェリーナに興味がないようだったけれども、いつもアンジェリーナのことを心配してくれる宰相の息子のカルロスは「ご、ご機嫌が麗しいようでなにより……」と引いていたし、いつもカルロスの隣にいる近衛兵の息子のマルセルも、アンジェリーナの様子を見て困惑した様子だった。
しかし、アンジェリーナはあの記憶のことを無かったことにすると決めたのだ。
うん、ここはなんとか誤魔化さねばならない。
「ちょっと楽しい書籍を読み終わって、気持ちが盛り上がっていただけなの。心配かけてごめんなさい」
「え? どんな書籍なの、気になるわ」
「ふふ、秘密よ秘密」
「ちょっと、アンジーったら。そんなに興奮するようなないようなんでしょう、教えてよ!」
「好きな書籍を人に教えるのって、なんだか恥ずかしいんだもの」
「えええ、そうかしら……」
不満そうにしているテレーザは、ふと目線を窓の外に向けた。
「あ、留学生さんだわ」
アンジェリーナも窓の外に目を向けると、中庭で隣国からの留学生の彼が、令嬢たちに囲まれていた。
「彼、先週来たばかりだけど、本当にモテるわよね」
黒髪に紫色の瞳という珍しい色を持つ彼。
先週から春休みにかけて短期留学に来ている彼は、隣国の公爵家の長男で、なおかつ国王の甥なのだそうだ。
卒のない物腰に、垂れ目がちで整った顔立ちの彼には、意外なことにまだ婚約者がいないらしい。
あまりに好条件な彼の登場に、婚約者のいない令嬢達は色めきだっているようだ。
「先週、ラインハルト殿下と一緒に彼に挨拶したけれど、とても理知的な方だったわ」
「ええ!? アンジーったら、彼と話したの? いいなぁ……」
「テレーザも話しかけてくればいいじゃない」
「わたしはいいのよ。こういうのは、遠くから見ているのがちょうど良いもの」
「でも、話してきたっていうのは羨ましいの?」
「女心は複雑なのよ」
二人でクスクス笑っていると、クラスメートのオルトヴィーンと目があった。
オールドブルーの珍しい髪色にラピスラズリ色の瞳をした彼は、オルクス伯爵家の三男だ。
オルクス伯爵家は、その珍しい色を持つことから《青の伯爵》と呼ばれていて、我が国ではよく知られている。
色だけでなく、内向的で研究気質の者が多いことも、その呼び名に拍車をかけてしまっているとのことだ。
メガネの奥にあるラピスラズリは、ぱちくりと瞬かれると、すぐに逸されてしまった。
彼は、人目があるところではアンジェリーナに対してそっけないのだ。
「オルクス卿、相変わらず態度が悪いのね」
「テレーザったら。彼は奥手なだけよ」
「アンジーが、彼のことを気にかけるからよ。友人が優しくしたのにそっけなくされていたら、腹も立とうってものでしょう?」
「あら、ありがとう。でもそれを言うなら、もっと態度が悪い人がいるけれどね」
アンジェリーナの言葉に、テレーザは困ったように俯いてしまう。
もちろん、もっと態度が悪い人というのは、アンジェリーナの不肖の婚約者のことだ。
「アンジー、卒業パーティーは本当に一人で行くの?」
「ええ。お誘いがないものですから」
「誰かにエスコートを頼んだ方が良いんじゃないかしら」
「第二王子の婚約者を、第二王子を差し置いてエスコートするなんて、その方の迷惑になってしまうわ」
ため息をついたアンジェリーナに、テレーザはもう何も言わなかった。
この学園の卒業パーティーは、卒業生のみを参加者として執り行うものだった。だから、エスコート相手は同級生の中から見つけなければならない。
そして、学園に通う女子生徒は、男子生徒よりも基本的に少ない。つまり、一人で入場する男子生徒は多いが、一人で入場する女子生徒は珍しかった。
特に、アンジェリーナのように、同級生どころか同じクラスに婚約者がいるにも関わらず一人で入場する令嬢というのは前代未聞だ。
かといって、アンジェリーナは第二王子の他の令息にエスコートを頼むことはできない。
第二王子を差し置いて、第二王子の婚約者とともに入場するということは、それなりの理由が必要になるからだ。
(誰か、わたくしをエスコートしても障りのない方がいれば良いんだけれど……)
実は、夢の1ヶ月の記憶では、宰相の息子のカルロスがアンジェリーナに対してエスコートの申込みをしてくれていた。
彼はいつでも、第二王子のアンジェリーナに対する態度に憤ってくれていて、その尻拭いに動いてくれている。
けれども、カルロスの将来を考えると、今のアンジェリーナをエスコートすることは百害あって一利なしだ。
なので、夢の中のアンジェリーナは、カルロスの申込みを断っていた。
(いつもお世話になっているのに、これ以上負担をかける訳にはいかないものね)
それに、カルロスは前の記憶では、卒業パーティー当日に熱を出して、パーティー自体を欠席していた。
誘いを受けていたとしても、結局のところ、アンジェリーナは一人で入場していたことだろう。
(いけない、いけない。忘れると決めたのに、わたくしったら!)
なんだかんだと夢の記憶のことを気にしてしまうことに苦笑しながら、アンジェリーナは頭を振った。
(夢ばかり見ずに、ちゃんと現実を生きていかないとね)
ムン、と気持ちを引き締めたとき、なんだかチリチリと胸の奥が焼けるような感覚がして、アンジェリーナはパッと窓の外を見る。
透き通った紫色が、こちらを見据えているのが目に入った。
吸い込まれそうなその瞳に見惚れつつ、きょとんと目を瞬いていると、ふい、と目線を逸らされてしまう。
(隣国の。……なんだったのかしら、今の)
不思議に思いつつも、アンジェリーナは深く考えるのをやめた。
アンジェリーナに何か用事があるのであれば、そのうち声をかけてくるだろう。
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