017

 ディスティニーランドの観覧車は大きい。

 1周15分以上かかる。だって乗り口にそう書いてあったから。

 橘先輩に1日時間をあげるという約束はまだ終わっていない。

 だから橘先輩の希望とあらば乗るしかない。


 ゴンドラに乗り込んで係員がいってらっしゃいと扉を閉める。

 完全な個室になって徐々に高度が上がっていく。

 朱に染まったディスティニーランドの建物が視界を彩る。

 遠くには海が穏やかな波を湛えている。

 快晴の空に、ところどころ浮かぶ雲が白い影を添える。


 なんかもう、デートのクライマックスに絶好のシチュエーションだ。

 これが俺主導のデートなら何も文句はないんだけどな!



「ね。今日は1日、ありがとう」



 橘先輩のお礼から会話は始まった。



「ほんとはね、九条と貴方がお似合いだって分かってるの」



 ・・・いきなり自分で言っちゃうのか。橘先輩、やっぱ強ぇよ。

 というか現時点でお似合いになっちゃ困るんだ俺は。

 だからこれは俺の意思で否定したい。



「あの・・・」


「いいの。そのまま聞いて?」



 俺が口を挟もうとすると、橘先輩は手で制した。

 そして対面に座っていた席を立ち、俺の隣に座った。

 うん・・・大人しくしていよう。

 橘先輩の顔を見ていられないので、逃げるように窓の外を眺めたまま、橘先輩が話すままに聞く。



「でも私は諦められない。だから九条に勝負をふっかけた。それは後悔してないの」


「・・・」


「貴方が私だけを見てくれた、助けてくれたあの夜の弓道場が、私にとっての宝物なの」



 宝物・・・。

 確かにピンチを助けられたら吊り橋効果で好きになっちゃったりするけどさ。

 結構、格好悪かった気がするんだが。ただ潰れただけだし。



「あの額縁は桜坂の弓道場の象徴。今は外れてしまったけれど、それも私の大切な思い出になった」



 そうだよね。大好きな弓道部の象徴なんだから。

 俺との短い思い出よりもよっぽど色々なものが詰まってたはずだ。

 俺の記憶に上書きされた額縁、カワイソス。


 ・・・少し間があった。

 橘先輩は言葉を選んでいるようで、俺はただ上がっていく観覧車からの景色を眺めるだけだった。



「・・・前に話したよね、憧れの先輩がいたって。あの大会、先輩も見に来てたんだ」



 もしかして俺の隣で橘先輩の名前を呼んでいた人だろうか。

 「香」って下の名前で呼んでたからな。その人かもしれん。

 あの人、橘先輩の活躍を見て泣いてたから・・・とても良い人だと思う。



「終わった後、先輩から連絡がきたの。弓道部をありがとうって」



 あの試合結果なら誰もが納得するだろう。

 橘先輩は団体戦でも個人戦でも結果を成したのだから。

 先輩から託された弓道部も無事に後輩にバトンを渡せたって報告できたんだろうな。



「それでね、先輩に誘われたの。約束通りデートしましょうって」



 おう、良かったじゃねぇか!

 その先輩も律儀に2年前の約束を遂行するなんて素晴らしい!

 無事に収まるところに収まりそうだ。



「でも先輩、酷いの。私が先にお願いしてたのに、もう1番の人を作っちゃって」



 んんん!?

 先輩さん、まさかの不倫!?

 いや百合だから男に惹かれたって可能性もあるわけで。

 それは仕方ないと思うんだけどさ。

 え、ちょっと待って。さっきまで良い話だったよね!?



「だから私、2番になっちゃうの。私の1番、どうすればいいのよって」



 え?? どういうこと?

 振られたって話じゃない?

 2番のキープちゃんでもOKって??



「京極君、だから貴方なの。私の1番になって欲しいの」



 うん、ちょっと待って?

 そこで俺に話を振らないでね?

 その先輩との話が完結してからこっち来て?

 俺の倫理観で理解が追いつかない。

 景色から橘先輩の顔に視線を戻すと、熱っぽい目で俺のことを見ている。


 ・・・不勉強で申し訳ありません・・・。

 おいこれ、どうすりゃ良いんだよ!?

 なんて言うのが正解!?



「その・・・駄目かな?」



 ちょっと待って待って!

 困ったような表情で上目遣いってそれ、必殺だよね!?



「ねぇ駄目? 私、こう見えて尽くすタイプなんだよ?」



 橘先輩の甲斐甲斐しさは分かってます。

 あんなに苦労して、好きな人に託された弓道部を立派に育て上げたじゃん!

 あれが甲斐甲斐しくなくて何なのさ。



「ううん・・・どうしても九条が良いなら・・・2番でもいい、我慢する」



 ラリクエ倫理ー!!!

 それ、都合のいいキープにしか聞こえねぇんだよ!!

 こんなの傷しかつけねぇ選択肢じゃねぇか!!

 橘先輩も残念そうに妥協してんじゃねぇ!!



「ちょ、ちょっと待って。ごめん、俺の理解が追いつかない」


「・・・もう! ここまで言わせておいて」



 橘先輩がにじり寄って来る。

 待って待って!

 1時間くらい思考タイムください!


 後ろはもちろん窓。密室に逃げ道なんてない。

 すっと橘先輩の腕が俺の首に回される。


 あー!!

 落ち着け俺、落ち着け。

 俺の理想は雪子だ! 相手はJCだ!

 流されるんじゃない!!


 俺は橘先輩の両肩を持って、その身体を押し返した。



「・・・え?」



 橘先輩は驚いた表情で俺を見た後、眉間に皺を寄せて絶望的な表情を浮かべた。

 ああああ、目尻に涙が光っちゃってるよ!?

 そうじゃない、そういう意味じゃないんだ。



「・・・香さん、俺の話を聞いて」



 涙目のまま、橘先輩は俺の瞳を凝視している。

 逃げるわけにはいかない。

 真摯(?)な想いには、誠実に答えたい。



「俺は・・・高天原を目指してるんだ」



 先輩はそのまま聞いてくれている。



「俺、この中学の間に想い人を作るつもりはないんだ。勉強に忙しすぎて、相手を悲しませるから」


「・・・」


「香さんのことは好きだ。美人で真摯で努力家で面倒見も良くて」


「・・・」


「あの頑張り見たら、嫌いになれるはずがねぇ」


「・・・」


「だから・・・もし3年待ってくれんなら、その時に返事をさせてくれ」



 うあああ、こんな選択肢しか思いつかねぇのかよ、俺!

 完全にキープしてんじゃん!?

 ごめん橘先輩!!

 ぜひともこれでお断りしてくれ!!



「私のことを好き・・・うん・・・」



 え? どうしてこれで嬉しそうにしてんの!?

 やっぱわかんねぇよ!!



「・・・九条は? あの子と1番にはならないの?」



 心配そうに聞いてくる橘先輩。

 涙目の上目遣いだよ・・・もう俺の倫理HPの残りは僅かだよ・・・。



「うん、九条さんとも。少なくとも中学の間に俺は付き合うことはない」



 俺は断言した。

 そりゃね、九条さんは主人公ですから。

 何なら高校卒業まで無いって断言してもいい。



「・・・わかった。今は我慢する・・・」



 橘先輩ェ・・・これで良いの・・・?

 そこ、怒って平手打ちシーンじゃねぇの・・・?

 優柔不断って、俺が振られるとこじゃね?

 もう2年も待ったんじゃねぇの・・・?

 誰か説明して、エロい人・・・。



「これだけは約束して? 私が返事を貰えるまで1番は作っちゃ駄目」



 ・・・うん。橘先輩にこれ以上の譲歩はさせたくない。

 俺の罪悪感はMAXだ!



「わかった、約束する」


「・・・うん。約束」



 はにかみながら、嬉しそうに微笑む橘先輩。

 笑顔が眩しい。

 ああ、約束しちったよ・・・。

 まぁ中学3年間だからね、もともとそのつもりだし。余裕もないだろし。

 きっぱり断らない俺が優柔不断でヘタレだってツッコミは無しにしてくれよ・・・。

 大混乱すぎてそれさえ判断つかねぇんだよ・・・。



「・・・それじゃさ、今日、最後のお願いがあるの」



 まだあんのかよ・・・。

 もう限界だよ・・・。

 と、少し戸惑ってる様子を察したのか。

 橘先輩は顔を近づけ、ぽそりと俺の耳元で囁く。



「ペナルティ」


「ハイ」



 ここで使いますか! でも使いどころですよね!



「・・・下に着くまで・・・その、抱きしめてほしいの・・・」



 はい。

 こんなに橘先輩に想ってもらえてさ。

 こんなに不誠実(?)に対応した俺に。

 そんな小さなお願いされて誰が断れるよ?


 俺は押さえていた橘先輩の肩に手をまわし、そのまま力を入れた。

 あ、と小さな艶のある声がした。

 弓道で鍛えているはずなのに華奢に感じる身体。

 女の子独特の良い匂い。

 身体を通じて感じるぬくもり。

 俺の耳をくすぐる、静かに力強い息遣い。

 ・・・。

 


 ◇



 どれくらいそうしていたのか。

 気付けば観覧車は1周を終えて乗り口まで戻ってきた。

 橘先輩と身体を離し・・・手を取ってエスコートする。

 さすがにね、ここまでやってはいサヨナラって雰囲気は出せねぇ。

 広場くらいまでは男らしくさせてくれ。


 ・・・と思っていたんだけど。

 なんで観覧車の下にいるんですかね、九条さん。

 噴水のとこで待ってる約束じゃありませんでしたっけ?



「・・・」


「・・・」


「・・・」



 時間が止まった。

 白黒が反転してモノローグ風になったやつ。

 どこかで「振り出しに戻る」なんて声が聞こえて来そう。

 なんて狼狽していた俺の手を、今度は橘先輩が引いた。



「え、橘先輩?」


「ほら、九条も!」


「え?」



 明るく楽しげな調子で笑顔の橘先輩は九条さんの手も取った。

 俺と九条さんの手を引っ張って、ずんずん進んでいく。

 俺も九条さんも、引かれるがままに歩いていく。

 呆気に取られて何も言葉が出ない。

 九条さんも同じようで、大人しく先輩に引かれている。

 そうか・・・これがドナドナか・・・。

 俺たちはどこに出荷されるんだろう・・・。


 そして気付けば海浦駅の改札だった。

 そのままディスティニーランドから出てきたってことだ。

 出荷先はどこですか?



「あの。橘先輩」


「なぁに九条?」



 笑顔でやたらご機嫌の橘先輩が返事をした。



「その・・・京極さんに・・・京極さんの1番には・・・?」


「んー? 知りたいー?」



 うっわ、橘先輩、にっこにこだよ。

 ・・・これあれだ。

 俺が口を挟んだらヤバいやつだ。

 得意げな橘先輩の様子に九条さんが気圧されている。

 全力でマウントしてんぞ、女狐さんよ。



「それはねー・・・」


「・・・」



 勿体つけて九条さんの顔を覗き込む橘先輩。

 きっと睨み返す九条さん。



「教えてあーげなーい!!」



 うん、だろうね。そう言うと思った。

 橘先輩が教えるわけがない。



「先輩!」


「えー、だって、そういうのって恋敵ライバルに言うわけないじゃん?」


「~~~~!!!!」



 おっと九条さん、地団駄踏みそうな雰囲気ですよ。

 ちょっとにやけそうになった俺を見て、九条さんはこっちにターゲットを移した。



「京極さん!」


「ハイ、ナンデショウ?」


「観覧車で何と言われたのですか!?」



 直球ーー!?

 九条さん、それ、聞き方、一番駄目なやつ・・・。

 涙目になってるのは可哀想なんだけどさ・・・。

 橘先輩はとても楽しそうに、俺と九条さんのやり取りを眺めているのだった。



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