第14話 流血の惨劇

「イグナチェンコ評議員、あなたたちは一体!」

 突然の乱闘騒ぎに我を失っていた事務局長が、ボディガードたちの責任者である評議員に食って掛かった。

「おとなしくしていろ!」

 屈強な雰囲気のニコライが物凄い勢いで事務局長に体当たりをかまし、事務局長は、まるで自動車にでもはねられたかのように正面の壁まで弾き飛ばされた。

「局長!」

 クリスの悲鳴がスマート眼鏡越しにマコトの耳に響く。

 一方、ダルとユルゲンは剣と警棒での攻防を繰り広げていた。

 鋭利な刃物を持つユルゲンに対し、相手に致命傷を負わせることを目的としない警棒しか持たないダルは、獲物の上では圧倒的に不利だった。

 しかし、無駄のない身のこなしと緩急をつけた攻撃で互角以上に戦っている。

 激しい攻防の末、ダルは頬を斬られながらもユルゲンの額を打ち据えた。

 数少ない生身の部分に攻撃を受けたユルゲンは一瞬動きを止める。

 チャンスだ。

「怖い。助けて」

 しかし、ダルにとっては最悪のタイミングで、イグナチェンコ評議員の孫娘イリーナが、怯えた様子でダルにしがみついた。

「お嬢さん、危ない。さがって」

 ダルは歯噛みしながらも、イリーナを優しく後方に押しやろうとする。

「ほんと、邪魔なのよね」

 突然、イリーナの声のトーンが変わった。

 ダルの腕にしがみついたイリーナの手に力が籠められる。

 とても少女の力とは思えない強い力だ。

「馬鹿な」

 屈強な大男に押さえつけられたように動きを封じられたダルにユルゲンが迫る。

 ダルがイリーナの手を振りほどこうとして彼女に視線を向けると、金髪の少女は邪悪な笑みを浮かべていた。

 ユルゲンの剣が一閃し、ダルの首が飛んだ。

「ダル!」

 映像を見ながらマコトが叫んだ。

 噴水のように鮮血を撒き散らしながら、ダルの屈強な身体は首を失ってゆっくりと後ろに倒れた。

「きゃあぁ!」

 フローラの甲高い悲鳴と、言葉にならない複数の悲鳴が事務局内に交錯する。

 クリスも相当動揺しているらしく、マコトに届く映像が小刻みに揺れていた。

 正面の壁に激しく身体を打ちつけられた事務局長は、よろよろと立ち上がり、口の端から血を流しながら擦れた声を絞り出した。

「貴様ら、なんてことを」

「遊びすぎよ、ユルゲン」

 ダルの返り血を浴びたイリーナが、ハンカチで顔についた鮮血を拭いながら中年のサイボーグに厳しい視線を向ける。

「申し訳ありません」

「俺は、もっと遊びたかったんだがな」

 ユルゲンが頭を下げる傍らで、岩のような風情のクラウスは不敵な笑みを浮かべた。

 そして、正体を失ったアイーシャの両手首に手錠をかけ、まるで軽いクッションでも放るように事務室の隅、クリスの方へと放り投げる。

 慌ててアイーシャの身体を受け止めようとしたクリスが、アイーシャを支えきれず一緒に床に転がった。

 オスカーに殴られ、口の中を切ったリーファは、口の端から血を流しながらクラウスと、そして、オスカーを睨みつける。

「余計なことしやがって」

 オスカーは、ある意味恩人であるクラウスに食って掛かった。

「ほう、迷惑だったか」

 クラウスは、可笑しそうにオスカーのことを見下ろす。

「まあ、オスカーにもプライドがあるだろうからな」

 猫背で長身のトミーのセリフには、揶揄するような響きが伴っていた。

「うるせえ!」

 オスカーは顔を赤く染め、身体を震わせる。


「イ、イワン、これは一体!」

 船長は、すっかり色を失っていた。まだ、自身の周りで起こったことが信じられない様子だ。

 船長は以前からの知り合いであるイグナチェンコ評議員に説明を求めて詰め寄るしかなかった。惨劇を引き起こしたのは彼の孫娘と彼らのボディガードなのだ。

「すまない。大切な家族の命がかかっているのだ」

 評議員は船長から目を背けると、返り血を拭いコンパクトミラーで化粧を直そうとしているイリーナに詰め寄った。

「約束は果たしたぞ! 早く孫娘を、イリーナを解放してくれ!」

「イリーナさんは目の前にいるのでは?」

 評議員の叫びに船長は困惑した。イリーナに向かって、イリーナを解放しろとはどういう意味なのだろう。

「違う。こいつはイリーナそっくりに整形し、イリーナのICチップを身体に埋め込んだテロリストだ!」 

 そこまでされれば、出入国管理を任されているセキュリティ関連機器も、彼女をイリーナ・イグナチェンコ本人として認識してしまうのだろう。顔認証システムも電子証明書も欺かれてしまう。

「うるさいわね、静かにしてちょうだい」

 イリーナの偽物はコンパクトミラーから目を離さず、化粧を直す手を止めなかった。

「約束が違うぞ。孫娘を人質に取っている奴らに、すぐ連絡しろ」

 評議員は血相を変えて怒鳴りたてた。

「その必要はないわ。だってもう殺しちゃったんですもの」

「な、なんだと」

 ようやくイリーナの偽物は化粧の手を止め、評議員に視線を向けた。

 そして、ポシェットにコンパクトをしまうと、悪魔のような笑みを浮かべて言葉を続けた。

「人手を割くのももったいないし、あの後、獣みたいな男たち十数人に凌辱されて地獄見ちゃったんですもの。死んだ方が幸せだったんじゃないかしら」 

「こ、この悪魔め!」

 評議員の顔は紙のように蒼白になり、イリーナの偽物につかみかかった。

 その大きな手のひらで彼女の細い首を渾身の力で締め上げる。

 五人のボディガードたちは、不思議なことに誰一人慌てず、落ち着いて事の成り行きを見守っていた。

「く、苦しい、おじいちゃん助けて」

 イリーナの偽物は正体を現す前の優しい声で懇願した。

 イグナチェンコ評議員の顔に狼狽と躊躇の感情が波立つ。

 一瞬、イリーナの偽物の首を締め上げていた両手の力がゆるんだ。

 その右手首に、イリーナの偽物は左腕の携帯端末から引き出した極細のワイヤーを絡めた。

 ワイヤーの端は、指輪のような大きさのリングに繋がっている。

 イリーナの偽物の顔に残虐な笑みが浮かんだような気がした。

 そして、右手に掴んだリングと左腕の携帯端末を思い切り左右に開く。

 ワイヤーは引き絞られ、評議員の右手首は粘土細工のように切断された。

「‼」

 評議員は声にならない叫び声をあげ、手首から噴水のように血が噴き出した。

「あ~あ、また汚れちゃったじゃない」

 右手首を押さえて、前かがみになったイグナチェンコ評議員の首筋に、偽イリーナの高く上がった踵が振り下ろされた。

 評議員の首は、あり得ない方向に曲がり、叩きつけられるように床に倒れた。

 彼は二度三度と痙攣したが、やがて全く動かなくなった。


「さて、メインシステムの管理者権限を私たちに明け渡してもらおうかしら」

 コントロールルームは恐怖による静寂に支配された。

 脇腹を押さえ、口の端から血を流して何とか立っている事務局長に偽イリーナがゆっくりと歩み寄る。

「断る」

 事務局長は偽イリーナを睨み、断固とした口調で言い放った。

「学習能力が低い奴はキライよ」

 偽イリーナのつま先が事務局長のみぞおちに吸い込まれ、事務局長はうつ伏せに倒れる。

 ほんの短い間、痙攣したが、瞳から完全に光が失われ、ピクリとも動かなくなった。

「うそっ」

 事務局員は、みな息を呑んだ。

 クリスのつぶやきがマコトの耳に響く。

「片づけなきゃいけない死体が増えちゃったじゃない。ユルゲン、武器を出して」

 偽イリーナは苛立ちを押し殺すように殺伐とした雰囲気を放つサイボーグに声をかけた。

 なぜ、今、このタイミングで? とニコライやトミーが訝る視線を偽イリーナに向ける。

「どうも武器を見せつけないと、素手で何とかなると勘違いする馬鹿がいるのよね」

 その視線に応えるように偽イリーナは事務局員たちに言い聞かせるように声を響かせた。

 偽イリーナの指示に従い、ユルゲンが両足のズボンの裾をたくし上げて、三本の金属フレームで構成された脛の部分を露出させた。

 その真ん中の金属フレームが外れる。それは骨格に偽装された特殊合金製の刀だった。

 鍔はないが刀身だけでなく鞘も柄も揃った本格的な刀だ。

 ユルゲンは黙って、それをニコライとトミーに投げ渡した。

 彼らは長さ五〇センチほどの細身の刀を受け取ると、鞘から引き抜いて見せた。乱れ刃文が禍々しい光を放つ。

 事務局員はゴクリと唾を飲み込んだ。

 次に、ユルゲンは自分の左腕の袖をまくり上げた。

 しかし、その動きを制するようにクラウスが右手を上げる。

「俺に刃物はいらん」

「なら、俺にくれよ」

 二人の様子を見て、小柄なオスカーが声を上げた。

「あんたはダメよ」

 偽イリーナが呆れたようにオスカーの希望を却下する。

「なんでだよ!」

「勝手に先走るからだよ! いわれなくてもわかるだろ」

 長身で猫背のトミーが、刀を鞘にしまいながら揶揄するようにオスカーをたしなめた。

「さて、メインシステムの管理者権限を、このオスカー君に渡してくれるかしら。言うことを聞かないと、怖いお兄さんたちが一本一本、指を切り落とすわよ、お嬢ちゃん」

 偽イリーナは、今度は、直接、担当者のリーファに声をかけた。

「あ、あんただって、お嬢ちゃんじゃない!」

 猫のような眼を吊り上げて、リーファは声を震わせながら偽イリーナを睨んだ。

「あら、若く見てくれてありがとう。でも、人間、見た目がすべてじゃないのよ」

 少女のように見える偽イリーナは、艶然とほほ笑んだ。

 そして、ニコライに手を上げて合図をする。

 ニコライは抜き身の刀を手に、ゆっくりリーファに近づいた。

 ニコライの瞳には何の感情も感じられない。淡々と命令を遂行しそうな不気味さがある。

「ひっ」

 リーファは思わず息をのんだ。目を見開き、頬を引きつらせる。

「言うことを聞くんだ。リーファ」

 エドが低い声でリーファを促した。

「あら、多少お利口な人もいるようね」

 偽イリーナは、エドに視線を向けた。

「これ以上、殺さないでくれ。船の運営ができなくなれば、お前たちだって困るだろ」

 エドは声を震わせながらも偽イリーナたちと交渉しようとする。

「そうね、言うことさえ聞いてくれれば殺さないわ。あなたみたいなイケメンを殺しちゃうのはもったいないし、それに殺さないまでも痛めつける方法はいくらでもあるしね」

 偽イリーナは残酷な笑みを浮かべた。

 リーファは唇をかみしめながらもオスカーに席を譲り、管理者権限を明け渡す。

「居住ブロックと中央ブロックの間の通路は全て閉鎖。外部との通信は遮断。スペースポートと船内を結ぶエアロックは開放。以上、直ちに実行しなさい」

 偽イリーナは、自分たちの目的を達成するため、オスカーに次々と指示を下し始めた。

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