第11話 トラブルの発生
「反物質燃料の受け入れ作業は無事完了しました。現在、陽電子が真空の燃料格納庫の中に、磁力シールドで封じ込められています」
一行がコントロールルームに戻ると、事務局長が安堵の表情を浮かべて船長に報告した。
「お疲れさまでした」
船長は微笑みながら、事務局長にねぎらいの言葉をかける。
マコト、クリス、アイーシャは自分の席に戻り、評議員一行七人は、席がないので事務室の扉を背にしてたたずんでいた。
船長は彼らに付き合う形で評議員の傍らに立ち、ダルは評議員一行を警戒するかのようにコントロールルームに残っている。
普段、九人しかいない事務室は、倍の十八人を抱えることになった。
だが、もともと余裕のある広さの部屋だったので狭苦しく感じることはない。
ボディガードたちは、そのほとんどがイグナチェンコ評議員と孫娘のイリーナを取り囲み、周囲に無言の威圧感を与えていた。だが、ただ一人小柄なオスカーだけが、興味深げにコントロールルーム内をキョロキョロと見まわしている。
「緊張で死ぬかと思ったぜ」
マコトの斜め前に座っていたサムが椅子を回転させてマコトに愚痴った。見るからに憔悴している。
「お疲れさん」
マコトは、気の毒そうに応じた。
「すげぇ、操作盤だな」
室内をうろうろ歩き、一列目の奥まで歩いて行ったオスカーは、リーファが操作している機器を覗き込んだ。リーファは反射的に嫌な顔をする。
「船長、十五時になりました」
事務局長が言外に、次のステップに進む了解を求める。
「お願いします」
しかし、船長は具体的な作業指示は事務局長に任せるつもりらしい。事務局長に向かって大きくうなづくだけだ。その意を汲んでか事務局長がテキパキと指示を下し始める。
「居住ブロックへ人工重力停止のアナウンス開始」
「居住区の皆さんにお知らせします。これより一時的に人工重力が停止します。ご注意ください。磁力靴をオンにした状態で必ず室内にいてください。繰り返します」
船内のアナウンスを担当したのは、先ほど同様フローラだ。
今日この日のために、事務局は以前から詳細なシナリオを作って、訓練を重ねてきた。
今のところ、何の問題もなく、シナリオ通りに事態が進行している。
「気密隔壁をすべて閉鎖。機器の最終チェック。異常がなければ、居住ブロックの回転を停止せよ」
「気密隔壁、閉鎖します」
事務局の指示に対応したのはサムだった。
マコトが後ろから見るとサムのスマート眼鏡は船内の様々な機器の稼働状況を数値データとして映し出していた。それが激しくスクロールしていく。
「各部機器に異常なし。姿勢制御ノズル出力全開。制動をかけ、回転を停止します」
サムはそう宣言するとキーボードを高速で操った。黒く長い指が巨大な蜘蛛のダンスのようにキーボードの上を行き来する。コントロールルームに微かな振動音が伝わってきたような気がした。しかし、気のせいだと片づけることができるレベルだ。作業の前も後もコントロールルームが無重力状態であることに変わりはない。
「状況はどうか?」
事務局長の指示に応じてサムとリーファが手分けして船内モニターをチェックする。
「異常なしです」
「今のところ順調です。問題ありません」
リーファとサムが口をそろえた。
「居住ブロックを加速体勢に移行。九〇度回転、まずはアナウンスを」
事務局長がフローラに視線を向けた。
「居住区の皆さんにお知らせします。揺れますので御注意ください。繰り返します」
「回転、開始していいですか?」
サムが事務局長を見上げる。事務局長は重々しくうなづいた。
「九〇度左回転開始」
事務局長の号令とともに移民船アークが軋んだような気がした。
直径五〇〇メートルという馬鹿げた大きさの球体が合計六つ、同時に回転しているのだ。当然、瞬時にというわけにはいかない。
リーファとサムは、様々な場所の船内カメラの映像を次々に映し出して、稼働状況を確認している。
「まもなく、回転が終了します」
緊張の時間は終わりに近づいていた。
「無事終わりそうね」
後ろでイリーナの呟く声が聞こえる。
「回転終了しました」
軽い衝撃音とそれに伴う振動、それらが収まるのとほぼ同じタイミングでサムが作業の終了を宣言した。
「よかった。無事終わって」
マコトがつぶやいた瞬間、コントロールルームに複数のアラート音が響き渡る。
「うわっ」
「どうした!」
肝を潰したようなベンの声に被せ、事務局長の鋭い声が飛ぶ。願いも虚しく無事終了というわけにはいかなかったようだ。
「船内三か所で異常発生!」
サムが慌てて異常の発生個所を示す船内の3D配置図を正面モニターに投影する。
併せて該当箇所付近の船内カメラも表示するが、カメラが死んでいる個所もあり、何が起こっているかは、映像だけではよくわからない。
船内用の音声通信が立て続けにけたたましい着信音を奏でた。リーファとサムが対応する。
「こちらコントロールルーム。えっ? もう一度お願いします」
「こちらコントロールルームです。どうかしましたか?」
「わかりました。ご連絡ありがとうございます」
「至急確認します」
スマート眼鏡の通信機能で会話している二人を事務局の面々は心配そうに見つめていた。
「内容は?」
会話が終わった瞬間を見計らって、事務局長が二人に話しかける。
「第一街区、農業設備で漏水だそうです」
「第三街区は停電、第六街区は通信障害が発生している模様」
リーファとサムの報告に、事務局長は強く奥歯を噛みしめた。
「至急、現地を確認!」
「大丈夫ですか?」
船長が心配そうな表情を事務局長に向ける。
「テスト航行に影響がないといいのですが」
事務局長は済まなそうな表情を船長に返した。
「行くぞ、マコト、ベン」
「わかった!」
サムが勢い良く立ち上がったのに応えて、マコトも立ち上がる。
「えっ、オイラも?」
「あたりめえだ! 農業系の機械設備はお前の専門だろ!」
不本意そうなベンを叱咤しながら、サムは自分のデスクの横に括りつけられていた工具類が入った袋を肩にかけた。プライベートでのグダグダした雰囲気を感じさせない迅速な動きだ。
「メンテナンスセットと、それとヘルメットを忘れんなよ」
「ヘルメットいるかな?」
「無重力状態で水のトラブルがあったら、いるにきまってるだろうが!」
グズグズしているベンにサムは苛立ちをたたきつける。
マコトは、すでに言われた通りの準備を整え終わっていた。腰に下げている電磁警棒を外そうかとも思ったが、とりあえず、そのまま持っていくことにする。
「私も行く」
マコトたちの慌ただしい様子を見てクリスが志願した。マコトたちと違って機械や設備の専門家ではないが、手伝いを申し出てくれたこと自体がマコトには嬉しかった。
「いや、クリスは後方サポートをお願い。それに、お客さん対応もあるだろうから」
マコトはイグナチェンコ評議員一行にチラリと視線を送った。よほど肝が据わっているのか彼らは全く動じる気配がない。
「わかった」
意外とあっさりクリスが引き下がったのに安心して、マコトは意識せず溜息をもらしてしまった。
「どうしたの?」
マコトの溜息をクリスは聞き逃さなかった。大きな薄茶色の瞳に心配そうな光が浮かんでいる。
「いや、対消滅エンジン始動の瞬間、コントロールルームで立ち会いたかったんだよね」
マコトは、溜息をついたことを後悔しつつ、正直に答えた。
「急いでくれ、遅くとも十六時にはエンジンを始動させたい。そのタイミングが狂うと航路計算のやり直しが発生して今日中にテスト航行が開始できなくなる」
マコトたちが準備を終えて出かけようとすると、エドが苛立ちを押し殺すように声をかけてきた。
「修理が完了しなくてもテスト航行に支障があるかないかだけ、先に連絡してくれ」
「了解!」
エドの発言をフォローするかのような事務局長の指示に、サムは右手を上げると元気よく返事をした。
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