第6話

「うへぇ……」


 机の上に真っ白な山が増えていた。エリスに仕事を押し付けたはずだが、それでも量は減ったように思えない。少しリフレッシュした気持ちが途端に暗転する。


 手に取って確認すると、どうやら魔物の討伐に関する依頼らしい。今来たばかりの依頼のようだ。


「イーサン、戻ってたのね」


「今ちょうど、な。ところで、なんでこんなに依頼が増えてるんだ? いくらなんでもおかしいだろ」


 執務室に訪れたエリスは「ああ」と軽めの声を漏らすと、


「東の方で魔物が大量発生したらしいの。向こうのギルドだけじゃ処理しきれないからこっちに回ってきたらしいわ」


「へぇ……」


 大変なこともあるのだなと思いながら、イーサンは書類を斜め読みする。どうも強力な魔物ではないらしい。新米の冒険者でも達成できそうだ。


 しかし、討伐対象を見て、イーサンは驚きで片眉を上げた。


 無意識に力がこもってしまいそうな右手を抑えながら、普段より慎重な声を出そうと意識する。


「新しい依頼は全てスケルトンか?」


「そうよ……って、イーサン、まさか行くつもりじゃないでしょうね」


「せっかくの機会だ。行くに決まってる」


 イーサンの意図に気付いたエリス。複雑な心情で眉を顰め、大剣を持ち出すイーサンを眺めている。


 しかし押しとどめることは不可能だと分かっている以上、無駄に声を掛けるような真似はしない。腕を組んで不快そうに鼻を鳴らすだけだった。


 ドアを蹴り破る勢いで飛び出すイーサンの背中に声を掛ける。


「出ていくのはいいとして、仕事はどうするつもり?」


「エリスに任せる。好きにしてくれ」


 いい加減な部長命令にエリスは不満な表情になる。しかし詳しく聞くことはなかった。


「いつ戻ってくるの、って……」


 既にイーサンは遠ざかっており、エルスの質問は耳にも入っていなかった。




「あ、あ……」


 ミーアは砕けた腰で逃げようと必死に後ずさりをしていた。


 目の前には人間の子供程度の大きさのスケルトンが何体もいる。


 一体や二体ぐらいならミーアにとって造作もない。火炎魔法や爆発魔法で倒してしまえばいい。


 だが、目の前の居るのはその何十倍の量なのだ。


「こっち来ないで!」


 杖を振り回し、錆だらけの剣を持つスケルトンを近づけまいとする。だが、魔法使いの杖など怖くないことぐらい、魔物でもわかる。


 一歩、また一歩と近づくたび、ミーアの耳に死が近づいている。


 空っぽの体から魔力を絞り出す。せめて延命だけでもしようと、目の前のスケルトンに炎を浴びせる。


「――!」


 灼熱に身を焦がされ、スケルトンは成す術なく灰と化した。脅威が一つ消えたことにミーアは安堵する。


 その直後、仲間の屍を乗り越えて新しいスケルトンが目の前に現れた。


 絶望的な敵の物量にミーアの目の前は真っ暗になる。


 初めての冒険で死ぬことになろうとは想像すらしていなかった。魔法が少し得意なぐらいで調子に乗らなければ良かった。後悔が押し寄せる。


 目を瞑り、迫る刃に切り裂かれる瞬間を待つ。恐怖で震える体が止められない。


 もう終わりだと思った。


「よっと」


 魔物ではない声が聞こえた。次に聞こえたのは巨大な何かが風を切る音だった。


 脆いスケルトンたちが粉砕する音がする。もしかしたら助かったのか、ミーアはそう思わずにはいられなかった。


 怯えながら、おそるおそる目を開く。ミーアを見下ろしていたのは二十代ぐらいの男だった。


「ケガはないか? 錆びた剣に切られたなら早く治療しないとまずいぞ」


 下心なく、その男性はミーアの右腕を持ち上げる。その何気ない動作が恥ずかしくて、親切だとわかっていても手を払ってしまった。


 男性は目を丸くしてミーアに視線を向けている。失礼だったかもしれない。


「ごめんなさい。でも、ケガは無いので大丈夫です」


「なら良かった。ここら辺の人間か?」


「はい。リースの街出身です。昨日、冒険者になったばかりです」


「新米か……」


 目を細め、男性は嘗め回すようにミーアの全身を眺める。なんだか鑑定されているようで不快だったが、助けられた恩人である以上、下手なことは言えなかった。


 男性は満足しなかったらしく、首を振った。


「君は今すぐ帰った方がいい。最近、この辺りにスケルトンの群れが発生しているらしいからな」


 そうですか、と簡単に引き下がれるわけがない。広い世界を見たくてミーアは冒険者になったのだ。


 少し注意されたぐらいで折れてしまっては、冒険者の名折れだと思う。


「まだ帰りたくありません」


「そう言ってもなあ……お前、もう魔力切れになってるだろ。どこかで一度休まないと魔物に殺されるのがオチだぞ」


「それでも……」


 ミーアは反論しかけた口を閉じる。男性の言った通り、今のミーアは魔力切れで満足に回復することも出来ない。さらには体力も無くなっている。


 魔物への恐怖は先ほど思い知ったばかりで、もう一度体験したいとも思わない。


 ならば、


「あなたについて行ってもいいですか?」


「え⁉」


 予想外の展開だったらしく、男性は目を見開いた。どうやら女性慣れしていないようで、あちこちに視線を泳がせている。


「来るだけならいいけど、助けられるとは限らないぞ」


「ありがとうございます!」


 ミーアは勢いよく頭を下げる。この人と一緒なら大丈夫かもしれない、そんな予感が胸にあった。


 


 情報収集へと東に来たつもりが、女の子を拾ってしまった。


 日差し束ねたような金色の髪に、幼く見えるあどけない瞳。おそらく十代後半といったところだろう。


 美人よりも可愛いという言葉が似合いそうな少女だった。


「どうしたもんかなぁ」


 遠慮がちに後ろをついて来る女の子を見ながら、イーサンはそうこぼす。


 青のローブに三角帽子と、一般的な魔女の格好だ。持っている杖も店売りの品らしく、魔法の威力は期待できそうにない。


「なあ、名前を聞いてもいいか?」


「ミーアです」


「ミーアか。俺はイーサン、よろしくな。ところで、最近冒険者になったって言ってたな」


「はい! 子供のころから色んな場所を見て回るのが夢だったんです!」


 目を輝かせてそう答えるミーア。一方イーサンは小さく嘆息する。


 今のまま旅に出ても、魔物の餌となるのが関の山だろう。夢半ばで死んでしまう可能性が高い。


 とはいえ、拾った以上は責任を持たなければならないという気持ちもあった。


「魔物は俺が全部倒すから、お前は木の陰にでも引っ込んでろよ。絶対に戦おうなんて思うな」


「私も一通りの魔法が使えます。少し回復した魔力で後方支援だけでもいいのでやらせてください」


「だめだ。万が一の時に助けられない」


 後ろを振り返り、ミーアを睨むような目を向ける。


 うっすらと殺意の宿った瞳を直視して、ミーアはひるみあがってしまった。


 しかし、震えながらも杖を取ってイーサンへの対抗を試みている。


「はぁ……、最低でも俺の言うことは聞いてもらうぞ」


「ありがとうございます」


 嬉しそうに笑顔を見せられると、イーサンはこれ以上何も言えない。


 苦い顔で振り返った。そのとき、


「――来るぞ」


 森の茂みが不自然に揺れる。二人を覆うように音が大きくなり、徐々にその姿を露わにする。


「スケルトン……」


 存在が忌々しい。そう言わんばかりにイーサンは声を漏らす。怒気が一瞬で膨れ上がり、傍にいるミーアにも破壊の衝動が伝わってきた。


 知性の持たないスケルトンではイーサンの気持ちなど読めるはずもなく、薄汚い盾と武器を掲げて二人に接近する。


「どうするんですか⁉」


 挙動不審になりながらもイーサンの指示を仰ぐミーア。だがイーサンは身じろぎ一つしない。


「邪魔だ」


 たった一言。されど全力の一撃で前方のスケルトンを薙ぎ払った。


 大剣に巻き込まれたスケルトンは粉塵のように砕け散り、風圧に呑まれたスケルトンは木々に激突して跡形も残らない。


 圧倒的な実力を見たせいか、騒いでいたミーアが無言になった。


 仲間が一瞬で消滅して、明らかにスケルトンの挙動がおかしくなる。その隙を百戦錬磨の戦士が逃すはずもない。


 次々と、敵は土に還される。最後の一体を消し飛ばすまでイーサンの破壊は止まらなかった。


「ケガは無いか?」


「はい……」


 イーサンを見るミーアの目には、うっすらと恐怖の色が現れていた。


 自分で言うのも憚られるが、圧倒的な実力を見せたからだろう、とイーサンは推察する。


 これ以上怖がらせても得はないので、イーサンはミーアから目を離して適当に物色を始めた。


「うーん、手掛かりは無いな」


「あの、何かを探してるんですか?」


「まあな。色々あってスケルトンからある手掛かりを探してるんだが、ミーアは何か特別なものを見なかったか?」


「特別?」


「ああ、スケルトンに関することならなんでも教えてくれ」


 頬に指を当ててミーアは考え込む。


 やがて目を輝かせて顔を上げた。


「そういえば、変なスケルトンがいましたね」


「どんな奴だ?」


「なんていうか……獣の骨に乗ったスケルトンです。強そうだったので隠れてやり過ごしたんですけど、印象的だったので覚えてます」


「いい判断だ」


 イーサンは難しい顔をする。低い声で唸りながら、ミーアの証言と自分の記憶をすり合わせ、共通点が無いか調べてみる。


 あまり満足できるものは見つからなかったが、かすかな引っかかりを覚えた。


「どこで見たか教えてくれないか。もしかしたら俺の探している手掛かりがそこにあるかもしれない」


「わかりました」


 イーサンの問いかけに、ミーアは嬉しそうに微笑んだ。


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