エピローグ
エピローグ
彩理たちが事件を解決したその日の朝、中村が病室のテレビから流れるニュース番組にて、スフィア・プラント社を襲った男が逮捕されたというテロップが表示された。
アメリカ国籍の犯人はロジャー・ウィルクスという人物であることが説明される。
司会者が振った質問に、コメンテーターが言いたい放題で物申す。
それはいずれも正当な考察には遠い内容だ。
藤本がテレビを眺めながら、ひと安心したのも束の間、積み重なる課題は思いの外、山積みにされている。
「奴の策略を読めなかった、こちらの責任だ。急いで関係者に説明せねば――」
体力は回復してきたが、やはりまだまだ安静にしなければならないようだ。
「処理は私がやります。社長は回復に努めていただきたいのです」
「すまない。君には迷惑をかけてしまった」
詫びる藤本に中村はむしろ意気揚々として首尾を見ている。
「いえ、このような事態があるからこそ、私という人材は必要とされています。これから忙しなくなりますが、社長が休養するあいだは私が繋ぎ役を行います」
「ふっ、私も素晴らしい秘書を持ったものだ」
やりとりをしていると、やはりニュースを知って様子を見に来た谷崎が駆けつける。
「ようやく終わったな」
安堵した表情で胸を撫で下ろした。
「いいえ。ここからが、始まりです」
穏やかで忙しい、新たな日常が始まった。
*
社長に化けて世間を騒がせた事件の大渦が納まり始めた頃、季節は風景を一瞬で乾燥させるほどの冬の風を運んでいた十二月。
未だに映画のように感じた数日の大きな出来事。
彩理は基本的にニュースをあまり見ない。
それ以前にテレビをほとんど見ない生活が当たり前になりつつある。
クロロの覚醒を境として、体組織を維持するための薬は欠かさず服用している。
夏ごろの精神状態も通院していくうちに回復傾向にはあるようだ。
あの日の事件を遠い昔のように感じながら、授業後はすっかり居場所と化した夢の研究室へ訪れる。
今日の彼女はマフラーに厚手のコートを着込んで大学へ向かった。
非常に外は冷え込んでいて、学生寮に戻るのも億劫になるほどだ。
そして、少し前からキャンパスに姿を現した中村へ声をかける。
「こんにちは。中村さん、お疲れ様です」
「やぁ。こうして学園と再び協力できるようになったのも、皆のおかげだよ」
スーツを着る中村に険しい表情が消え、穏やかな心を映していた。
こうしてまた始まる、人のつながりというのはよくわからないものだ。
*
幸い研究室の並ぶ研究棟は比較的暖房設備が充実している。
もうひとつの日常でもある研究室のドアを開けていく。
いつもの光景が広がっている、そう確信したのは油断であった。
「おお、彩理ちゃん。いらっしゃい」
「新島さん、お疲れ様」
「はうー、どうも」
創と夢、それにジルがいること――ここまでは理解できる。
問題は研究室にあるべきなのか分からない三人が囲んでいるオブジェクトが追加されていることだった。
「な、なんで研究室のド真ん中にコタツなんか置いてあるんですか!」
敷かれた十二単のような模様の和風なカーペット。
その上にはコタツ。
さらにその上にはミカンとお茶菓子。
創の手元には食べたであろうミカンの皮とお茶の入った湯飲み茶碗があった。
「あら、何にも問題ないわよ? ちゃんと寝る時は電源を落としているもの」
「それなら風邪をひかなくて済みそうですね……って違いますよ! こんなんで仕事できているんですか!?」
思わずノリツッコミをかました彩理。
「大丈夫よ。今回大学のゼミが人数足りなくて閉じることになったのよ。そこで残念な気持ちをコタツで和んで明日から心機一転しようと思ったの」
夢は問題がなさそうに笑顔で答えた。
「たまにはこんなのもいいじゃん。彩理ちゃんのスペースも空いているからさ」
「そ、そこまで言うなら入るよ」
「彩理さんも、創くんには甘いんですねぇ」
ジルさんからさりげなく鋭い一言。
「なっ、違いますよ!わたしはコタツに入らないなんて一言も……」
「あらあら、公認カップルなんだから、照れなくてもいいじゃない?」
焦る彩理に、夢までジルさんの援護に回る。
「先生まで! もう!」
と、言いつつコタツの上に乗っかるミカンに手を伸ばす。
顔が赤くなってしまった。
創は「なんのことやら」といった表情を見せるばかり。
それにしても、どうしてコタツには自然と人が集まるのか。
コタツの持つ魔力に皆引き寄せられているのだろう。
それにミカンもあるし。
「そういえば先生。年が明けたらお兄さんが久々にやってきますよ」
「まぁっ、あなたのお兄さんが――」
しばし先生は何かを考えているが、彩理と創は今日の授業内容やら期末テストの科目、レポートなどについて煎餅をかじりながら話していた。
数秒間、咀嚼する音、お茶を飲み込んだ音、などが研究室に聞こえた。
しかし、次の瞬間であった。
「――やってくるの!?」
先生には珍しく、驚きと怒りと喜びが混ざり合った大声が聞こえた。
ガラス戸付きの棚や閉まった窓が先生の声に共鳴し、割るかと思われた。
彩理は驚きながら声の方向へ目をやり、創は声の勢いに押され飲んでいたお茶によってむせていた。
「お兄さんってまさか、ジルさんが話してくれた?」
むせる創の背中をさすりながら、そんな予感がしたことを呟く。
「ええ、あの純粋なパイロキネシスを使える能力者の一人よ」
様々な感情を持ちながらも夢は、何やらコートを着て身支度を始める。
「昨日アメリカに帰国しましたよー」
ジルの声を聞いた夢の顔つきが一瞬だけ狂言に使われるようなお面に見えてしまったのはここだけの話だ。
「オーケー。ジル、今から一緒に付き合ってもらうわよ?」
「えええ!? ま、まさか」
「そのまさかよ。こっちから会いに行きましょう。勿論、今から準備してアメリカへ急行するわよ!」
そうと決まるや否や、先生は無理やりジルの腕を引っ張り何処かへ連れて行こうとする。
「うわぁん! 先生の鬼! サタン!」
無茶苦茶なことをいう師匠とそれに従わなければならない弟子の関係と同じように見えた。
彩理もいきなりこのような助手をしなければいけないのだろうかと考えてしまった。
「命令よ、さぁ来なさい! 創! 留守番よろしくねー!」
「は、はぁ。いってらっしゃい」
「あぁっ! 誰か助け――」
ジルの悲痛な叫びを容赦なく口で塞ぎ、研究室をあとにしていった。
研究室の扉が、静かに閉まる音がした。
「行っちゃったね」
相変わらず彩理は呆然とドアの方を見ていた。
創の表情も「あ~あ」という言葉が似合うほど伺える。
「ああ、全くだ。あの人は唐突に実行するからさ、その度に姐さんが犠牲になっている」
「大変だね……」
他人事のように感じてしまうのが罪深い。
「基本的に俺は留守番に回されるからね。学会の発表で何日もいなくなることなんてザラにあるし、研究一筋だから家事とか母さんが不在時の対応は全部俺がこなしているんだ」
もしかして夢は「もう一人自分がいたらいいだろうな」くらいのノリでバイオロイドを造ったと思えてしまうが、違うことを祈りたい。
「それ、完全に主夫だよね」
「かもしれないな」
その時、ドアがノックされる音が聞こえた。
「どうぞー」
創が対応した。
現れたのは、谷崎だった。
白衣などは着けておらず、灰色のコートを着て研究室へやってきた。
「まったく、師が走る季節とは言うが騒がしいな。特に芦川先生は」
どうやらすれ違いざまに夢と話したそうな。
コタツについては毎年恒例の行事(?)らしく、あまり驚いていなかった。
「あんなふうになるとさすがに俺でも手がつけられませんよ」
創も若干呆れ顔を見せた。
「昔から、先生はあんな感じだったんですか?」
思わず彩理も問いかけてみた。
「そうだなぁ。ワシも長いこと見ているが、ワシより奇人変人の素質はあるだろう」
一芸に秀でているからこそ、変わった人がいるという法則はどの世界にもある。
この大学の教授陣も例に漏れない。
「ところで、ワシは仕事の都合で参加できなかったのだが、二人とも随分と活躍したようだな」
「わたしはあまりにも目の前で起こったことが飛躍的すぎて、何とも言えません」
「なるほど。では創くんはどうだった?」
「正直、彩理ちゃんがいなければ俺だけではとても太刀打ちができませんでした。それに最悪の場合、俺が死んでいた可能性もありましたし、本当に助かりました」
「創……」
またしても彩理の顔が赤くなってしまった。
「彩理さん。ここは素直に受け取っておきなさい。まさしく創くんは君を必要としているのだから」
「は、はい! ありがとうございます!」
「おっと、そろそろ行かねば」
谷崎は今日も多忙な様子だった。
それもそのはず、コートを羽織ったままでコタツではなく椅子へ腰を下ろしていた。
「さて。以前も話したが、君たちはワシにとって可愛い孫のようなものだ。いずれ研究の道を退いた時、成長した君たちを見るのを生きがいとさせてくれないだろうか。早すぎる話かもしれないが」
年を重ねた分だけ長話をしたくなるのかもしれない。
それでも、谷崎の話には重要な言葉が引っかかっている、と思いたい彩理だった。
「あんまり変わっていないかもしれませんが、尽力します」
「わっ、わたしも頑張ります」
満面の笑みを浮かべ先生は去っていった。
「その意気だ。また来るよ」
再び、研究室はコタツに入りながら向かい合う彩理と創の二人だけになった。
「隣に座るよ?」
「う、うん」
隣同士で座る二人は、ドキドキが溢れて止まらない彩理とマイペースにお茶を飲んで和む創という非常に対照的な心境を持っていた。
事件が終わり、二人は恋人同士ということで、何度かデートを重ねている。
顔立ちの整っている創と一緒に居るたびに、ほかの女子から刺さる視線が怖い。
身長も然ることながら、不思議な魅力を持った目立つ存在として創がいるのだ。
残念ながら創に自覚症状はなかった。
「彩理ちゃん」
考え事をしていた彩理に創が呼びかける。
「どうしたの?」
「ぎゅーってさせて」
その言葉とともに創は彩理を抱きしめた。
「わぁっ!」
少し驚きながらも、彼の体温を感じなが彩理も抱きしめ返した。
コタツとは大きく異なる温もりに包まれている。
静かな彩理の呼吸の音に混ざって、創の呼吸も聞こえる。
ゆっくりと創の頭を撫でてあげた。
柔らかな髪の毛が手のひら全体に触れていた。
気づくと彩理は、自然と何度も創の頭を撫でていた。
これはやはり、母性のようなものなのだろうか。
創に触れている一秒一秒があまりにも幸せに感じていた。
彩理は創の耳元で囁いた。
「創がわたしを必要としていただけじゃないの。同じようにわたしが創を必要としていたんだよ?」
了
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