第46話
「本当になにもかも偶然だったんだな」
別にそれを疑ったりはしていなかったが、改めて話を聞くと、その偶然に驚く。
あの日、俺がいつもより遅い時間にあの道を歩いていなければ。
彼女が戦う理由を見失い、失敗なんてしなければ。
俺と彼女の人生が交わることなんて、きっとなかった。
「私がもういいやなんて思っちゃったせいで、あなたを巻き込んでしまいました。偶然もありますけど、やっぱり原因は、私にあります。だから本当に申し訳なくて……いくら謝っても、謝り足りないです」
彼女の言う通り、大本となる原因は彼女の内側にあるのかもしれない。
そこを否定することは、さすがに難しい。
でも、当事者である俺が彼女を責める気になるかと言えば、それはなくて。
「たとえそうでも、君が悪いとは、やっぱり思えないな」
何度自分に問いかけても、答えは変わらなかった。
初めて会った日から、たった今、彼女の事情を直接聞いても。
「俺が単純に、運が悪かっただけだ」
「運が悪かった、で済ませちゃっていい問題ではないかと」
「当事者の俺が言うなら問題ないだろ」
困ったような顔をする彼女にそう答える。
これが俺の本心だと、ちゃんと伝わるといいのだが。
「……そう言ってもらえると、少しだけ気が楽になります」
どうやら、ちゃんと伝わってくれたようだ。
彼女は困り顔のまま笑みを浮かべた。
ほんの少しだけ、哀しさを滲ませてはいたけど。
どれだけ言葉を尽くしたとしても、彼女から罪悪感を完全に取り除くことはできないだろう。
偶然とは言え、俺という人間を殺してしまったのだから。
だから彼女がそのことで思い悩むのは仕方がない。
けど、どうしても引っかかることがある。
一瞬躊躇うが、今しかないと思って俺は口を開く。
「別にさ、君が背負う必要はないじゃないかって、思うんだ」
「あなたのことは、私が背負うべきものですから」
「いや、そっちじゃなくて……」
こんなことを言えるのは、きっとこの瞬間しかない。
彼女が自ら事情を話してくれた、今だけ。
呼吸を整えて、見えない線を乗り越えるように改めて彼女の顔を見る。
「正義の味方として、とかさ。なんだかまるで、世界のために君がなにもかもを背負ってるみたいに見えるから」
「それは……」
「まぁ、どうして君が、とかちゃんとした事情はわからないから、あんまり偉そうに言うのも変な話だけど」
わざわざ前置きしてしまうのは、自分でも筋違いだとわかっているからだ。
ただの一般人である俺が口を出せる問題じゃない。
そんなのは考えるまでもなくわかり切ったことだが、納得できるかどうかは別問題だ。
花芳という、名前しか知らない女の子と、ほんの少しの間でも一緒に生活してきたから。
俺が一般人であることに変わりはなくても、もう他人じゃない。
知り合いよりも少し進んだ、友人として言わずにはいられなかった。
「君みたいな女の子がさ、あんなボロボロになるまで何度も戦うのは、やっぱり間違ってる気がするんだ」
「えーっと、ですからそれは私が正義の味方というものなので」
「わかってる。でも君が戦わなくちゃいけない理由があるのか?」
「……理由と言われると困るんですけど」
「なら――」
「でもですね、無理なんです。私にしかできない。もう私しか、戦えない。この世界で私だけが、あの世界に行って戦える。私という人間だけが、あいつらと戦う力を持ってるんです」
まるでそれが絶対であるかのように、彼女はきっぱりと断言する。
彼女だけが全ての事情、理由を知っている。
だからきっと、彼女の言い分が正しいのだろう。
それでも言わずにはいられない。
「わからないだろ、そんなの。世界は広いんだ。その、あっちの世界っていうのがなんだかわからないけど、君一人だって決めるのは早すぎるんじゃないか? 探せば他にも同じような力を持ってる人がいるかもだし」
「特別な力を持っている、というだけならいるかもしれませんね」
「じゃ、じゃあ――」
「それでも、きっと無理です。特別な力があることと、あの世界で戦えることは、イコールになりませんから」
俺の我がままみたいな言い分を、彼女は優しい笑みでこれ以上なく斬り捨てる。
どうあっても不可能だと、望みを持たせてくれない。
俺は諦めきれず、なにかないかと思考を巡らせた。
屁理屈でもいい。
とにかく、なんでも。
「そ、そもそも戦う必要なんてあるのか? あっちの世界って言うなら、こっちの……現実には影響ないんじゃないか? だったらほっとけばいい。わざわざ戦いに行くなんて、バカみたいじゃないか」
「逆です。こっちに影響がでないように、あっちで戦ってるんです」
どうにか捻りだした屁理屈すら、一蹴されてしまった。
本当に、どうなってるんだ。
「放っておけば、それこそ影響が出るとかいう話じゃなく、こっちに出て来ちゃいますから。そうならないよう、戦わなくちゃいけないんです」
「なら、もう一回逆に考えよう。そいつらがこっちに……現実の世界に出て来てからみんなで倒せばいい。警察とか自衛隊とか軍隊とか、事情を話せば……」
「さすがに無理、ですよね、そんなの」
「まぁ、すぐには無理かもだけど……」
でもその敵というものが現実に出てきてしまえば、後手に回るとしても国が動くはずだ。
そうなれば彼女が一人であんなにならなくても済む。
むしろ、無理に止めようとして戦うから大変になっているんじゃないだろうか?
「言いたいことはわかります。あっちじゃ銃とか爆弾とかは通用しませんけど、こっちならもしかしたら、通じるかもしれません。私の力がなくても……それこそ、もっと別な力を持つ人がいるかもしれませんし」
「だろ? ならそうすればいい。やっぱり君が一人で背負う必要なんて、どこにもないって」
誰に望まれたわけでもない。
彼女がたった一人の正義の味方である必要なんて、どこにもないはずだ。
けれど彼女は、やっぱり首を振る。
優しい笑顔で、確かな意志を宿した瞳で。
「もしそうなったら、誰かが傷つきます。出てきた瞬間、手の施しようがない災害みたいに、多くの人たちが傷ついて、失って、消えて……」
「それは、そうかもだけど……」
俺だって考えなかったわけじゃない。
でも、彼女が戦っていなければもっと早くそうなっていたはずで、ならそれは仕方がない、運命だったと言い訳ができる。
誰も彼をも救えるわけじゃない。
たった一人で全ての人間を守ろうとするなんて、無茶な話だ。
もしそうなっても、彼女を責められる人間なんてどこにもいない。
――いて、たまるか。
「それを見過ごせないから、私たちは戦ってきたんです」
だが彼女は、そんな俺の傲慢とも言える汚い思考すら、変わらない笑顔で吹き飛ばした。
答えはなにも難しいものじゃなかった。
彼女があんなになってまで、一人で戦い続ける理由は。
「兄もそうでした。私も、そうです……誰にも、失って欲しくない」
たとえ守った人々に知られることがないとしても、それは変わらない。
彼女の瞳はどこまでも真っ直ぐで、澄んでいた。
あぁ、なるほど。
俺はここにきてようやく、心から納得できた。
彼女は間違いなく正義の味方であり、ヒーローだ。
唯一戦える特別な力を持っているからじゃない。
彼女自身が――その心が、精神そのものが正義の味方である、なによりの証なのだ。
自分のためではなく、誰かのために。
傷つく誰かを見過ごせなくて、守りたくて。
たとえ自分自身がボロボロになっても構わないと、何度でも立ち上がる。
「本当に、正義の味方、なんだな」
「やっと、ですか。なんだか照れますね」
彼女の笑顔に、また痛みが走る。
それもようやく、理解ができた。
そんな眩しいくらいの志すら見失ってしまうほど、彼女は傷つき疲れ果ててしまっていたのだ。
俺と出会った、あの日に。
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