第31話

「救急箱、あったんですね」

「一応備えておくものだって言われてな」

「元カノに、ですか」

「……あぁ」

 彼女の腕に包帯を巻き終えた俺は、そう頷きながらシャツを着るよう促した。

 まさか、こんな風に救急箱の中身を使う日がくるとは思ってもみなかった。

 包帯やガーゼ、それと消毒液なども元の場所に戻し、救急箱を閉じる。

 その間に彼女はシャツを着て、俺のほうに向き直っていた。

「面倒をかけてすみません」

「そこはありがとうって言うもんだ」

「……確かに。ありがとうございます、手当てしてくれて」

「そのままにはできないだろ」

 彼女が傷だらけの姿で帰って来てから、一時間ほどが経過している。

 とにかく傷の手当てを優先し、他の問題は全て先送りにしていた。

 だから彼女がどれほどの怪我をしているのかを、俺は全て把握している。

 切り傷や痣は当然として、どうやってついた傷なのか判別できないようなものもあった。

 無防備な彼女の肌に気まずさを覚える余裕さえ、俺にはなかった。

 彼女もそのあたりを茶化したりはしてこなかった。

 いつもならきっと、冗談を言っていただろうに。

「とは言え、素人の手当てだ。スマホ頼りのものだから、傷痕とか残るかもしれないぞ」

「大丈夫です、そのあたりは」

「大丈夫って……」

 他人の手当てなんて、今までしたことがない。

 スマホでそれらしい情報を探し、見様見真似でやってみただけだ。

 だから、正しい方法なのかどうか、自信はない。

「やっぱり病院、行ったほうがいいんじゃないか? 一応はその、女の子なんだし」

 変な傷なんて残ったら、申し訳なさすぎる。

「一応とか言われるのは心外ですけど、でも大丈夫です。私はほら、正義の味方なので」

「ほら、とか言われてもな」

「普通じゃないってことです。治癒能力とか、そういうのが」

「じゃあ、ほっといても治るのか?」

「あなたを蘇生させたの、私ですよ? 自分の身体くらい、時間が経てば勝手に治ります」

「……なるほど、な」

 確かに、とんでもないことになった俺の肉体を治すような力があるんだ。

 自分自身の治癒くらい、できて当然か。

「なら、余計なことしたか」

 思い返してみれば、彼女の手当ては俺が強引にしたようなもの。

 彼女は大丈夫だと最初から言っていた気もする。

 あのときは気が動転して、それしか考えられなかったが。

「いえ、治ると言っても二日くらいはかかるので。買い出しに行くことを考えると、良かったんじゃないかと」

 精一杯フォローをされている気がするが、まぁいいか。

 彼女がそう言うのなら、受け入れておこう。

「でも、そうですね。傷痕とかは残るかもしれないです」

「って、だったら病院、行ったほうがいいだろ」

 傷が残らないのなら、そのほうが絶対にいい。

 だが彼女は小さく笑みを浮かべ、肩を竦める。

「あんな傷、どう説明しろと?」

「適当に言っておけば……さすがに無理か」

「たぶん無理ですね。下手に誤魔化そうとしたら、逆に詮索されそうですし」

 そうなると困るのは彼女と……。

「俺も、か」

「一緒に来てくれると言うなら」

 事情を話せない怪我をした女の子と、付き添いの男。

 なにを疑われるかは、あまり想像したくない。

 かと言って、一人で病院に行けと言えるほど無責任にもなれない。

「転んで怪我をしました、じゃ通じないよなぁ」

「それが通じるような病院はちょっと」

「あぁ、俺もだ」

 事情を探られたくはないが、不審な点を当然のように見過ごす医療機関も問題だ。

 となるとやはり、病院に行くというのは無理な話か。

 傷が残らないといいんだけど。

 内心ため息をつきながら、改めて彼女を見る。

 真っ白なシャツとショートパンツという軽装。

 露出している腕や足には、数ヶ所に包帯が巻かれている。

 不格好な包帯だからなのか、痛々しさが際立っていた。

 頬にも絆創膏が貼ってあり、気にも留めていない彼女の笑みが痛みを覚えさせる。

「なぁ、その怪我ってやっぱり、あれか」

「はい。ちょっと手こずって。久しぶりだったので、勘が鈍っていたのかもしれないですね」

 彼女はそう言って笑うが、俺は笑えなかった。

 あの姿は、彼女が正義の味方として戦って来た結果なのだ。

 冗談みたいな話だったのに、急に現実味を帯びて俺の目の前に現れた瞬間だった。

 おまけに彼女はそれを、当たり前のように受け入れている。

 それはつまり、よくある怪我だということで。

 正義の味方は痛みを感じないのか、それとも慣れ過ぎて鈍っているのか。

 確かめたい気持ちと知りたくない気持ちが、同時に胸の中で渦巻いている。

「安心してください。手こずりはしましたけど、ちゃんとやるべきことはやってきたので」

 彼女はなにを勘違いしたのか、俺を安心させるようガッツポーズを取って見せる。

 やるべきこととは、なんなのか。

 また知りたくないことを突きつけられた俺は、そうか、と呟いて救急箱を手に立ち上がった。

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