お稲荷様のお守りさま

斉藤すず(斉藤錫)

第1章 千年堂の小さなお稲荷様

 人生には、悲しいことや辛いことが溢れている。


 例えばそれは、幽霊がいると教えてあげて、嘘つきだと笑われた時。体操服と上履きが無くなって、ゴミ箱から埃まみれになって出てきた時。そのことを教師に相談したら、友達だと言ってくれていた数人から、口も聞いてもらえなくなった時。


 そんなことがあった夜、僕は昔からいつも、決まって同じ夢を見る。


 天井の高い、トンネルのような場所。

 ゴツゴツした岩が剥き出しになっていて、トンネルというよりは洞穴とか鍾乳洞のようなところなのかもしれないと思う。

 周囲にたくさんの松明が灯っていて、その穴の中は存外明るい。ただ、左目がズキズキして、触ったら目の穴に血が溢れていて、そのせいで、もう左目は見えていなかった。


 右の方しか残っていない僕の視線の先には、四人の、たぶん男の人がいる。


 全員が顔の前をおかしな絵の描かれた布で覆っているので、「たぶん」だけれど、体の感じや声の感じで、男の人のような気がした。四人とも同じ服を着ていて、なぜか右腕だけが半袖だった。そしてそこから覗く前腕に、それぞれ「丑」、「卯」、「午」、「亥」と文字が書かれていた。十二支の並びに見た字なので、もしかしたらその一部なのかもしれないと思った。


 四人の後ろには、到底人間とは思えない、大きな「人」がいた。


「『鬼』の召喚とは、示現衆じげんしゅうも堕ちるところまで堕ちたなあ」


 僕の目の前に、一人の女の人が立っている。

 白いTシャツに、古びたジーンズ。男物のようなゴツくて黒いサンダルを履いている。

 なぜ「白い」Tシャツだと判断できたのかは分からない。普段から彼女を知っていて、彼女は普段からそんな格好だったからなのかもしれない。いずれにしろ、その白いTシャツは今、白いところなど全くないくらい、真っ赤な血で汚れていた。

 女の人にはすでに左腕がなく、左のお腹に、大きな穴が空いていた。

 そんな状態で人間が立っていられるのかと、僕は不思議に思った。

 でも女の人は立っていた。

 僕に近づこうとする四人の男と、「鬼」だという怪物を前に、立ちはだかっていた。


『哀れですね』

 男の一人が言った。


『かつて「最強」に限りなく近づいた貴女が、今や見る影もない。只々、悲しいことです』

 女性が真っ赤な唾を吐き捨てた。

「何勝手なこと言ってくれてんの? お前らの定規で測ってくれてんじゃねえよ。そもそもだけどまさかお前ら、ここから生きて帰れるなんて、思ってねぇよなぁ?」

 女性の身体から、ゆらりと湯気のようなものが立ち上がり、そして、残っていた右の手を、空に向けて高く上げた。


 ドン。


 と、何かが突き飛ばされたような音がした。

 何が起こったのか、男の四人にも、最初は分からなかったらしい。

 女性の背中から、手が生えていた。

 先ほど空に上げた自分の手で、その胸を貫いたのだ。貫通した手が、背中から生えているのだ。


 女性が手を胸から引き抜いた。

 その手の上で、赤い肉の塊が、激しく動いている。心臓だった。


「見せてやるよ、腐れ外道ども。地獄をな!」

 女性が笑った。凄まじい笑顔だった。

 その口は、耳まで裂けているのではないかと思った。

 血を吐いて真っ赤になった口を開き、その手の上で、未だ拍動し続ける心臓を握りつぶした。


勅命結界ちょくめいけっかい――黄泉比良坂よもつひらさか


 地面が割れた。次々にひび割れていき、そしてその地面の大きな割れ目から、次々に半透明の巨大な腕が伸びてくる。

『馬鹿な⁉︎ 地獄の部分召喚⁉︎ たった一人の人間に、こんなことが……』

 ずっと余裕を保っていた男性達が、金切り声を上げていく。


 逃げ惑う中、透明な手に握りつぶされ、叩きつぶされ、引き裂かれていく。

 後ろの方にいた「鬼」も、まるでいるべき場所に帰されるように、地面の下に無理やり引きずり落とされていく。


……ああ、いや、今はもう違うんだった。なあ、名雪」

 女性が僕に振り返った。先ほどまでとは違う、優しい笑顔。


「すまん、側に居てやれなくなっちまった。もう、私は先に逝く。お前は強く生きろ。こんな嫌なことは……、もう、忘れちまえ」

 一際大きく、明るく笑い、右手の指を、パチンと鳴らした。途端、僕の意識が曖昧になっていき、モヤがかかったようになって眠くなった。


「愛してるぜ、名雪。あの世に行ってからも、ずっとな」


 女の人を、地面から生えたたくさん手が掴む。なかなか引き落とされない。それでも、手は次々に増えていって、やがて女性は、地面の中に引きずり込まれた。


 僕は最後に、彼女を呼んだ。もっとも慣れ親しんだ、その呼び方で。

 涙で枯れそうになった喉で、必死に叫んだ。


「母さん! 行かないで!」

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