第211話秋山康の幸福感 祐との源氏物語論議

私、秋山康は、祐君と、祐君から渡された「講義用原稿」を見て、まずは「嫉妬」そして、「言いようのない幸福感」を味わっている。


まず「嫉妬」は、祐君の美しく愛らしい顔と、文章の読みやすさ(このまま読めば、聴衆も寝ない、聴いてくれる)、と、今まで、それがかなえられなかった自分の「醜男ぶり」と「読み上げる文の難解さ:自分でもわかっていた」のギャップから。


次に、「言いようのない幸福感」は、ようやく自分の後を託せる、いや、託さなければならない「才能」にようやく出会えたこと。

私自身、その自分の後を託す「源氏の研究者」が育たない、育てられないことに悩んでいた。

祐君の母の森田彰子先生も優秀、しかし、私が教えた範疇からは、決して抜け出さない人。(真面目過ぎる感もある人)

京都の大学に出した内弟子の日村も、実は育ち切ってはいない。(ある意味、京都研修の意味で送り出したのだから)

しかし、祐君が考えてくれた原稿は、私の論文の内容に沿いながらも、実に美しい、読みやすい、聴きやすい日本語に変えてくれてある。


「若菜上の説明に入る前に、皆様、前の巻「藤裏葉」を思い出して欲しいのです」

「紫式部は、藤裏葉において、冷泉院、朱雀院うち揃っての六条院行幸という、光源氏の栄光を見せつけました」

「しかし、若菜上では、いきなり、朱雀院の長引く例の病気から始めます」

「もちろん、皆様ご存知の通り、この長引く病気には、光源氏の須磨蟄居と、故桐壺院の朱雀院への怒りも関わりますが」

「この難しい立場の朱雀院は、そもそもの性格の弱さから、もう耐えきれないとおもってしまいます、つまり、出家を願うのですが・・・そこに女三宮という娘が邪魔となります」


ここまで読んで、私は祐君を見た。

「ああ・・・いいね・・・ずっと読みたくなるよ」

「私なら、講演念仏になるところだった」


祐君は、何事もないような顔。

「朱雀院は、光源氏に強い嫉妬と敗北感と信頼と愛情まで持っていたと思います」

「父桐壺院の愛情も、宮中の女性たちの人気も、そして・・・朧月夜までも寝取られて悔しいし、辛い」

「須磨に蟄居して・・・光源氏がいなくなり、弘徽殿女御、大后ですか、様々画策をするけれど、光源氏の復帰を願う声は絶えない」

「そんなことで、父の故桐壺院の怒りを買ったと思い、眼病となる、例の病です」

「光源氏が都に戻れば、また大喝采、都の人気を集め、ますます嫉妬と敗北感」

「しかも、光源氏は、須磨蟄居に関して、何も自分を責めない、恨み言一つ言わないので、心理的に今の言葉で言うと、マウントを取られてしまった」

「もう、こうなれば逃げだしたい、出家したいけれど・・・そこに、紫式部は女三宮を登場させます」

「源氏物語の主役級キャラですが、実に薄い、何も考えていないかのようなキャラ」

「まあ・・この不思議なキャラの女三宮を、どう考えるのか、それも限りないテーマですね」

「朱雀院にとっては、悔しいけれど女扱いには光源氏が信頼できますし」

「後ろ盾のない女三宮を託すには、光源氏しかないと、思い込む」

「そこで、自分自身が光源氏を嫌いではない、本当は愛まで感じて来たことも思い出します」

「・・・この女三宮というキャラ、不思議な流されるだけのキャラがあって、柏木、薫、匂宮、宇治十帖・・・最後の浮舟の世界につながるのですから」


祐君の話し方は、大人しい。

でも、しっとりと深く、私の心を打つ。

「そうだよね、言い切れない」

「女三宮のキャラ設定・・・紫式部が、何故設定したのかも、面白いよね」


祐君は、クスッと笑う。

「ある意味、薫以上に謎です」

「女三宮の性格そのものが、他の女君と違って、薄過ぎます」

「何も考えていない・・・流されるだけの、幼い人なのか・・・実は違うのか」

「紫式部日記に、同じようなキャラの女性が出て来ますが、その女性の影響があるのかないのか・・・とか」


私は、祐君との話が面白くて仕方がない。

「そうか・・・紫式部日記か・・・」

「あの記述から、紫式部の発想を探る・・・うーん・・・」

「難しい、面白いとは思うよ・・・でも」


祐君は、また笑う。

「はい、無理と思います」

「そういう記述があった程度に・・・関連性があるかもしれない、そこまでです」

「後は、学者の妄想に過ぎません」


これには、私も笑った。

「いいねえ・・・学者の妄想」

「言ってやりたい輩の顔が、十人は浮かぶよ」


祐君は、ニコニコと笑っている。

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