第41話 協力者2

 雪之進は真夏の太陽の照り付ける中、汗だくになりながら道を急いでいた。

 この汗は暑さによるものだけではない。これから話さなければならないであろう男のことを考えると、冷たい汗が体を伝うのを感じる。

 ――彼は協力してくれるだろうか。それ以前に話を聞いてくれるだろうか。姫様をかどわかしたのが私だと知ったら殺されるかもしれない。

 姫様は今頃どうされているだろう。あの狭い納戸の中、不自由されているに違いない。お鈴が気を利かせて話し相手をしてくれれば良いが。

 できることなら花でもんで帰り、少しのなぐさめにでもなれば良いが、納戸に花など持ち込んではかえって怪しい――

 そんなことを考えていると、ふと道端に数珠玉じゅずだまが生えているのが見えた。懐かしく思い、足を止めて手に取ってみる。まだ実は青い。

 数珠玉は麦の一種で食べることもできる。雪之進が奉公に上がる前は、親もなく日々の食べ物にも困り、数珠玉を食べていたことがある。

 殻は堅いが中身は麦のようなもので、モチモチして思いの外美味しい。それでも実が青いうちは食べられない。黒く熟した秋ごろに集めるのだ。

 だが、それも十年も昔のことだ。今は数珠玉を食べることはもうない。

 もう少し季節が違えば、黒く熟した堅い実をたくさん採って帰り、お鈴にお手玉をあつらえてもらうこともできるのだが。

 姫様とて何もないよりはお手玉の一つでもあった方が気も紛れように。

 大きなため息をついて道へと戻ろうとした瞬間、すぐ側に男が立っていることに気づいた。

「数珠玉か」

 いつの間に立っていた? 全く気配を感じなかった。

「はい。お手玉の中身にと思いましたが、実が青かったようです」

「まだ少し早いな」

 男の声は不思議に涼しげに響いた。

 すらりとした長身、一つに束ねた長い髪、切れ長の眼、藍天鵞絨の着物に利休鼠の帯、――橘さま。

「つかぬことを伺いますが、月守さまではありませぬか」

 男は視線だけをこちらへ寄越した。

「いかにも月守だが」

「ご無礼お許しください。私は柳澤勝孝が家臣、雪之進と申します」

 月守の表情が少し動いた。何か納得したような顔だった。

「そなたが雪之進殿か。なるほど噂通りだ」

「私の名をご存知なのですか」

「松原屋の女中たちがそなたの来店を楽しみにしているとお八重殿から聞いたものでな」

「恐縮にございます」

 笑顔を作るわけではないが、柔らかい表情であると感じた。不思議な男だ。

「実は月守さまにお話があって参りました」

 月守は特にいぶかることもなく「聞こう」と言った。そのまま辺りを見渡し、何も言わずにすたすたと歩き始めた。

 どこへ行く気なのかわからないままついて行くと、柿ノ木川の河原に出た。

「ここなら誰も来ない。勝孝殿の耳に入れたくない話なのであろう?」

 読まれている。

 だが考えてみればそれしかない。月守を殺しに来るはずの勝孝の家臣が「話がある」と言って来ているのだ。勝孝に内密で動いているのか、そう見せかけているのか、どちらかだ。

 だが、月守は全く警戒していないように見える。本当に秘密の話があって来ていることを疑ってすらいないようだ。

 そういえば十郎太は、姫様の暗殺を意図的に失敗していることをこの男に見抜かれていたと言っていた。

「して、何用だ」

 月守が近くの手頃な岩に腰掛けるのを見て、雪之進もその近くの岩に腰を下ろした。

「萩姫様のことにございます」

 月守はわかっているというふうに目顔で頷いた。

「まずお聞きしたいのですが、月守さまは橘さまなのでしょうか」

「それは私にもわからぬ。そうかもしれないし、違うかもしれない」

 この男は本当にわからないのだ。嘘を言っている顔でも何かを隠している顔でもない。

「では、月守さまはなぜ萩姫様をかくまっておられたのですか」

「私は萩姫を匿ってはおらぬ」

「ですが現にあの家で――」

「私は狐杜という名の娘に拾われ、世話して貰っていただけだ。萩姫とやらは知らぬ」

 月守が被せた。嘘を言っている顔ではない。それならば、これをどう受け取ったらいいのか。

「その狐杜と名乗る娘が萩姫様なのでございます」

「それが間違っていると言っているのだ。私は橘かもしれぬし、似ているだけの他人かもしれぬ。だが、狐杜は萩姫とは赤の他人だ。そなたは姫に似ているだけの他人を連れて帰ったのだ」

 ――なんだって?

「狐杜は陽が昇ってから沈むまで働いていた。今頃気が狂いそうになっているだろう。あれはじっとしてなど居れぬ性質たちゆえ」

「では、姫様はいったいどこへ」

「城ではないのか。普通は城にいるものだろう」

 ――そういえば顔を見せていないだけだ。城にいないと思い込んでいた。私だけではない、勝孝さまも十郎太さまも。

 あの日、橘さまが姫様と共に川に飛び込んだ事は聞いた。だが姫様のお姿をあれから誰も見ていないことから、行方不知ゆきがたしれずになっているという噂が流れ……そのまま思い込んでいたのだ。そもそもその噂の出どころは勝孝さまではないか。

 そういえば帯刀さまは「姫は床にせている」と言っていた。あれは我々を攪乱かくらんするための流言だと思っていたが、本当のことだったのか?

「し、しかし、その狐杜という娘は姫様のように振舞っておりましたが」

「それはそうだろう。姫と間違ってかどわかされたというのに、それが別人だったと知られたら。間違いで人を誘拐したことが発覚するのを恐れたそなたらに口を封じられてしまうかもしれないではないか。そう考えれば、狐杜が必死で姫のふりをするのも当然の流れではないのか」

 雪之進は呆然とするしかなかった。自分はいったい何をやっているのだ。

「狐杜さんには大変申し訳ないことを致しました。勝孝さまに見つかる前にこちらへお連れしなければ」

「しかしその後そなたはどうするのだ。姫に逃げられたとあっては只事では済まないだろう。そもそも勝孝殿は姫を人質に橘を呼び出し、橘も姫もまとめて亡き者にする予定だったのであろう?」

「ですが無関係の方を二人も巻き込んでしまいました。切腹は覚悟の上でございます」

 しばらく何事かじっと考えていた月守が、不意に顔を上げた。そして雪之進の両の眼を捉えてきっぱりと言った。

「私が勝孝殿のところへ出向こう。橘が来たとあらば勝孝殿もじっとしてはおれまい」

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