訪問

第32話 訪問1

 昼過ぎになって、お八重が「狐杜いる?」とやってきた。大店のお嬢さんが丁稚の一人もつけずによくこうやって遊びに来るもんだと、与平は半分呆れながらも顔を出す。

「今はいねえよ。どうした?」

 狐杜が誘拐されたことは彼女には黙っていた方がいいだろう。松原屋を巻き込むわけにはいかない。柳澤さまも勝孝さまも贔屓のはずだ。

「なーんだ、せっかく面白い話があったのに」

「おいらに聞かせろよ」

「着物の話よ。与平、興味ないでしょ?」

「与平殿に興味がなくとも私は興味がある」

 知らぬ間にお八重の背後に月守が立っていて、与平とお八重は思わず悲鳴を上げた。

「もう何だよ月守。もっと堂々と現れろよ。幽霊だってもっと気配させるぜ」

「まあ! 月守さま、ご機嫌麗しゅうございます」

 お八重がそれはそれは嬉しそうに、満面の笑みでにっこりと笑いかける。

「おいらに対する態度と全然違げーのな」

「なんか言った?」

「着物がなんだって?」

「あ、そうだった」

 お八重は狐杜の家の前に広げたむしろの上にちょこんと座った。月守は採って来た薬草を干している途中だったが、筵をお八重に譲って平籠の上に薬草を並べ始めた。

「あのね、さっき雪之進さまがお店にいらしたの」

 与平はその名を以前聞いた記憶がある。確かお八重と初めて会った日に「心に決めた方」と言っていた人だ。あっさり月守に乗り換えたようだが。

「雪之進さまっていうのは柳澤勝孝さまのところの方で、とっても素敵な方なのよ。歳は十八、頭も良くて顔もいい。彼が来ると女中たちがみんなお店に出たがって大変なのよ」

「勝孝さま?」

「そう。あら与平、勝孝さまなんて知ってるのね。繁孝さまの弟で木槿山むくげやまの水運事業を確立した方よ」

 きっと彼女にとって勝孝という存在は『素敵な雪之進』の上司くらいの価値しかないのだろうが、それでもさすが大店のお嬢様だけあって世間のことには詳しい。

 しかし、その雪之進が勝孝の家臣だったとは。

「それでね、若い娘の着物を作りたいと仰るから、それならわたしがとご相談に乗ったのよ。女中には恨まれたけど」

「へー、その素敵な素敵な雪之進て人に許嫁でもできたんじゃねえの?」

「それがね、勝孝さまからお金が出るらしいのよ。雪之進さまは勝孝さまのところの勘定方のお仕事をなさってるから、その辺はきっちりしてる方なの。あれはご自分の身内のためのものじゃないのよ」

 勝孝――何かが引っ掛かる。与平がチラリと月守に視線を送ると、月守も何か言いたげに与平に視線を返して寄越した。

「勝孝さまと言えば十五になる御嫡男ごちゃくなん勝宜かつのぶさまがいらっしゃるでしょ、勝宜さまが遂に祝言を挙げるんじゃないかってお店は大騒ぎなのよ。だけど私、そんなこと思っても言えないから、ちゃんとお店の人間としてお話を伺ったのよ。そしたらね」

「そしたら?」

 知らぬ間に与平もむしろの上に座り込んで身を乗り出していた。

「今回お誂えの着物を着るのは、目鼻立ちのはっきりした十二歳の娘って仰るの。普段は緋色を好んで着ているって仰るから、さぞかし可愛らしいお嬢さんなんだわって思って。だけどそんなお嬢さんいたかしらって、考えても考えても思いつかないのよ。十二歳で緋色を着こなしてるなんて、この辺りじゃ柳澤の萩姫様だけだし、もしかしたら他所よそからお輿こし入れするのかしら」

 与平がもう一度月守を盗み見ると、彼は意思のある眼で頷いた。

「だけど普段着だって仰るからあまり派手じゃない方がいいかと思って、濃緋こきひの地に梅と桜と牡丹と菊と桔梗を散らした華やかな反物を選んでみたの。これなら季節を選ばずに着ていただけるでしょう。そしたら雪之進さま、とても喜んでくださって即決だったわ」

「十分派手だと思うけど」

「あら、色が落ちついてるからそんなに派手じゃないのよ。これで藤の下がるかんざしなら完璧。百花繚乱だわ」

 満足げにしているお八重だが、与平と月守の心中は穏やかではない。

 勝宜に縁談があるなら、なぜ今このおめでたい話がある時に姫を亡き者にする必要がある? 逆に、こんな厄介ごとがある時になぜわざわざ縁談を進める?

 しかもこれから輿入れする相手の『普段着』を、輿入れ前に作る……あまりにも意味不明だ。

 これは縁談などではない。かどわかした姫の普段着を誂えるつもりに違いない。だが、これから殺す予定の姫の服を、しかもあの松原屋でわざわざ仕立てるか? 目立って目立って仕方ないではないか。

 何から何までわけがわからない。

 与平の考えを察したかのように月守が「お八重殿に聞いていただきたい話がある」と切り出した。



 月守の話を黙って聞いていたお八重は、彼が話し終えると一言「卑劣ひれつな」と冷たい声で言い放った。

「事情はわかりました。お店の者には誰一人このことは話しません。わたしは雪之進さまと接触し、狐杜の様子をできる限り聞き出してみます。もちろん着物の話しかしません、わたしは『何も知らない松原屋の娘』として振舞います」

「ご無理をなさらぬよう」

 月守の心配顔に、八重は力強く頷いた。

「大丈夫。それと、柳澤の方が何度もここへ足を運ばれるのも不自然だわ。わたしならお店の用事という名目で柳澤さまのところにも出入りできるし、仕立ての注文のふりをしてお袖さんのところにも出入りできます。今回の話は私から柳澤の御家老様にお伝えしておきます。御家老様なら雪之進さまのこともご存知でしょうから、わたしが行った方が話が早いわ」

 お嬢様とは言え大店で客を実際に捌いている娘はさすがに頭の回転が速い。

 月守が経緯を説明しただけで、何も頼まなくても自分の役割を理解し、決めていく。

 与平は何もできない自分に腹が立ったが、同時にとんでもない参謀を味方につけたことも理解していた。

 ――自分の出番はまだだ。その時が来たら精一杯働けばいい。そして狐杜を取り返すんだ。

 与平は自分に言い聞かせた。

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